2025年03月23日

落ち込んだ時に、助けてくださいと祈らず、人のために生きると、心が生き返る 《ブログde説教*柴沼》



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柴沼邦彦・天一国特別巡回師による説教
『心の門を開けましょう〜神氏族メシヤ勝利の道〜』より
「祈祷と実践が両輪のようになったとき、
 心の門が開く 」の前半をお送りします。

人のために生きれば心霊が生き返る
真のお父様は、

「人間が堕落しなければ、救い主も必要なく、
 宗教と祈祷も必要ありませんでした。

 救い主が必要になり、
 宗教と祈祷が必要になったのは、
 堕落の結果であることを知らなければなりません」


(『牧会者の道 改訂新版』187ページ)
と語られています。

また、このようにもおっしゃっています。


「皆さんは、心霊の暗い時があっても、
 自分を中心として、

『お父様、私を哀れに思われて、
 私の暗闇を取り除いてくださいませ』

 という祈祷をしてはいけません。

 かえって人のために奉仕するのです。
 統一教会員の中で、誰が最もかわいそうか探し、
 そのような人がいれば、その人は私よりも
 かわいそうだと思い、その人のために涙を流せば、
 暗かった心霊が再び生き返るのです。

 そのような調整方法を
 皆さんは知らなければなりません。

 結局、人のために生きる心です。

 神様が同調なさることができ、
 神様が今進めておられる作戦の歩みと共に
 その方向に合わせて同じ形態の立場を
 取ることができる立場は、
 人のために生きる立場です。

 それゆえ、人のために
 生きなければならないのです」


(『天一国時代の祈祷』143〜144ページ)

ですから、私たちが祈りというものを
本当の意味で深化させるためには、日々、
「人のために生きる」という気持ちを持って生活し、
その土台の上で祈祷しなければなりません。

そのようにしない限り、
心の門を開くことができないということです。

生活は生活、祈祷は祈祷、というように
別々ではないというのです。

朝、起きたときから、妻や夫のために、
子供のために、家庭のために
何ができるだろうかと考え、実践して、
その土台の上で祈祷室に入り、
祈祷室から出たあともために生きる。

この流れが必要なのです。

祈祷と実践が車の両輪のようになって初めて、
私たちは心の門を開いていくことが
できるようになるわけです。

天一国特別巡回師 柴沼邦彦
(『世界家庭』2021年9月号)

天一国特別巡回師に聞く
神霊と真理に満ちた教会を目指して第24回
紙上説教 心の門を開けましょう
〜神氏族メシヤ勝利の道〜
A
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10219
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


毎日行われている徹夜精誠で、
参加している食口たちが、
懇切に祈りを捧げています。

『この国をお守りください!』
泣き叫ぶように祈るこの姿に、
神様は協助せざるを得ないと思います。

純粋で、切実で、懇切な祈りです。
本当に心の門が開いているのだな、と思うのです。

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