2025年05月16日

探しても見つからないとき、あきらめる前に神様に聞いてみよう・・・ 《浅川先生》





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今回は、浅川先生の「いのちの言葉」
『解決しない問題はない』です。


人生は問題の連続である。
問題に直面したとき、多くの人は嘆き、落ち込み、頭を抱える。
生きる気力が減退し、心身ともに磨耗してしまう。
どうしたら解決の道を発見し、回復できるのだろうか。
そのノウハウを筆者は掴んだ気がするので、愛する読者のために紹介しよう。

結論を言えば、解決しない問題はあり得ない。
この問題は必ず解決するという、
絶対的な確信を持って、問題解決のみに集中することだ。

いのちの言葉を執筆するためには、 まず情報収集をする。
そのために絶対必要なのが、筆者の場合、眼鏡である。
眼鏡がないと読めない、見えない、 書けない。
その眼鏡をどこかに置き忘れ、見失ったのである。
あわてふためき、心当たりのある場所はすべて探し回ったが、見つからない。
日頃の不注意と年をとったことを嘆いて、
自らを責めたりもして、意気消沈してしまった。

しかし、読者のために頑張らねばという殊勝な思いが湧きあがり、
嘆くのをやめて、問題の解決、この場合は眼鏡発見に集中しようと決めた。
前日に眼鏡をかけて家に帰ったのは確かだから、
家のどこかに必ずあるはずだと希望を持った。

まさにその時である。
どこからともなく洗面所に行けというひらめきを得た。
洗面所はすでに探していた。
脳から隅まで探して、それでも見つからなかったのだ。
しかし、もう一度洗面所に行くべきだという思いは強くなるばかりだった。

どうせ見つかるわけはないと思いは強くなるばかりだった。
どうせ見つかるわけはないと 思いながらも洗面所に行ってみると、
あれほど徹底的に探したはずの眼鏡を発見したのである。

どこにあったのか?
なんと、鏡の中にあったのだ。
眼鏡をしている自分の顔が鏡に映っていた。
眼鏡をかけて眼鏡を探してい たのである。

その瞬間の喜びは何にも例えようがない。
思わず天と先祖に感謝した。
かけている眼鏡を探す様子は、天と先祖から見れば解決しているのだが、
愚かな子孫である私にとっては、解決し難い大問題だったのだ。
天、あるいは先祖は、あきれつつもやむを得ず、
ひらめきという形で解決の糸口を与えてくださったに違いない。

この事件を通して悟ったのが、問題が生じた時には自分を責めず嘆かず、
とにかく問題解決だけに集中することだ。
そして必ず解決するという絶対的確信を持つことである。
これはある意味、信仰心とも言えるかもしれない。

信仰とは、解決できない問題はないと、疑わないことではないだろうか。
大学や高校の受験でも、答えのない問題はない。
そうでなければ、採点できず、合否も決められない。
答えがあって、解決できることを問題と言うのである。

人生は問題の連続である。
人生の合格者になるには、問題を解決しなければならない。
回答があって、解決できることを問題と言うのだから、
解決できない問題はないという、絶対的確信が重要になる。

問題に直面したとき、あわてふためかず、
確信を持って心を落ちつかせ、問題解決に集中するのである。
すると思わぬひらめきを得る。そのひらめきを大切にして、
とにかく実践してみること。

すると、解決の道が開かれる。
筆者の眼鏡紛失事件が、読者の問題解決の助けになれば幸いだ。

再編集 文責:ten1ko2


これは浅川先生ご自身の証しだと思います。
文章からして、深刻なことなのかと思いきや、
よくよく読むと、眼鏡を失くしたと思って探していたが
実は失くしたのではなく、最初から掛けていた、
という冗談のような証しでした(笑)

更年期に差し掛かると他人事ではなく、
同じような場面は、経験することではあります。

こういうときほど、大事なことは何か、
より原点に返らないといけないということですね。

問題の大小の差はあっても、天から見れば
私たちの問題は、目に掛けたメガネのように
目の前に解決策がぶら下がっているようなものなのかもしれません。

思い込みや、あきらめの気持ちで
探すのをやめないで、求め続けていけば
すでに道は用意されているに違いありません。

解決できない問題はないのだ、そのことを確信して歩むことを通して、
遅かれ早かれ、導かれていくのだと思うのです。


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posted by ten1ko2 at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 浅川先生 自叙伝書写 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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