統一教会に対して、
拉致監禁の迫害とともに、
学生たちも
統一教会の信仰を持っているということで
様々な迫害を受けています。
いわゆる『アカハラ』
アカデミックハラスメントです。
迫害をする大学の中でも
代表格にあげられるのが、
国立の千葉大学です。
私は千葉県在住なので
大変残念に感じていますが、
千葉大は統一教会の信仰を持つ
学生に対して、
徹底的な迫害をします。
個別に面談しながら、
一人ひとりに屈辱を
強いてきました。
それを直接受けてきた
二世の姉妹が、学生代表として、
千葉大学に調停を申し入れました。
実名を挙げて公開されていますが、
内容のみをそのまま紹介します。
☆
大学ではもうご存知の方も多いですし、
この記事を見て驚く方もいると思いますが、
自身は一般に言う「統一教会」の二世として
生まれました。
現在は千葉大学の学生であり、
同時に千葉CARP(原理研究会)の学生代表です。
もちろん、二世として生まれたからと言って、
最初から信仰者であるはずがありません。
今もこうした家に生まれたことを悩んだり、
疑ったりしながら、
「何が正しいのか」、
そして自身は「どう生きていくべきか」
を模索しながら生きています。
長い記事になりますが、
真剣に書こうと思います。
このたび、千葉大学に
調停を申し立てました。
それは千葉大学が、
統一教会を始めとする新興宗教を、
その実態を知らずに危険視し、
批判を繰り返したからです。
さらには、その批判は、純粋に学問の上で、
社会貢献を目指して活動途上だった
千葉CARPのメンバーにまで飛び火しました。
詳しい内容は、今まで多くの方々の理解を求めて、
あらゆる場所で語らせていただきましたから、
ご存知の方も多いでしょう。
学生の呼び出しがあり、
一部の教授による進路の妨害や脅しがあり、
個人的ないじめもありました。
私たちの多くは今までそれに耐えて、
沈黙してきました。
大学と、地道に話し合いの場を設け、
お互いの理解を求めて努力してきました。
しかし、学生一人の努力では、
極めて困難な取り組みでした。
そこで、第三者の協力を得て、
弁護士さんのご尽力と合わせて、
今回の調停に踏み切りました。
結果は不成立。
千葉大学は学生の意見、
話し合いに、一切応じる気はない、
という返答でした。
とても残念に思います。
大学とは誰のためにあるのか。
私は将来、大学教授を目指していますが、
本来大学とは、純粋に学問を探求し、
高めあう場ではないのでしょうか。
それは教授だけではなく、
大学の保身のためでもなく、
学生の意欲や熱意に支えられるものでは
ないのでしょうか。
今回、大学に意見したことは、
個人の信仰を守るためだけでなく、
今後、学生たちが本当の意味で、
自由な信仰や表現が守られ
保障されるためです。
それが日本のためになると思ったからです。
いまのところ、これが正しかったのか、
まちがっていたのか、私にはわかりません。
もし私が間違ったことをしたのなら、
私はこれまでの生き方から見直し、
反省すべきでしょう。
新しい人生を考えることもできるかもしれません。
でももし、私が今回行った主張が、
人として当然すべき権利に当てはまるなら、
たとえどんなに反対があったとしても、
出来る限りの努力をし、
足掻(もが)いてみようと思います。
もし同じように悩みを抱える人がいるなら、
こんな一人の学生がいるということが、
希望になるよう願っています。
この記事を見て驚く方もいると思いますが、
自身は一般に言う「統一教会」の二世として
生まれました。
現在は千葉大学の学生であり、
同時に千葉CARP(原理研究会)の学生代表です。
もちろん、二世として生まれたからと言って、
最初から信仰者であるはずがありません。
今もこうした家に生まれたことを悩んだり、
疑ったりしながら、
「何が正しいのか」、
そして自身は「どう生きていくべきか」
を模索しながら生きています。
長い記事になりますが、
真剣に書こうと思います。
このたび、千葉大学に
調停を申し立てました。
それは千葉大学が、
統一教会を始めとする新興宗教を、
その実態を知らずに危険視し、
批判を繰り返したからです。
さらには、その批判は、純粋に学問の上で、
社会貢献を目指して活動途上だった
千葉CARPのメンバーにまで飛び火しました。
詳しい内容は、今まで多くの方々の理解を求めて、
あらゆる場所で語らせていただきましたから、
ご存知の方も多いでしょう。
学生の呼び出しがあり、
一部の教授による進路の妨害や脅しがあり、
個人的ないじめもありました。
私たちの多くは今までそれに耐えて、
沈黙してきました。
大学と、地道に話し合いの場を設け、
お互いの理解を求めて努力してきました。
しかし、学生一人の努力では、
極めて困難な取り組みでした。
そこで、第三者の協力を得て、
弁護士さんのご尽力と合わせて、
今回の調停に踏み切りました。
結果は不成立。
千葉大学は学生の意見、
話し合いに、一切応じる気はない、
という返答でした。
とても残念に思います。
大学とは誰のためにあるのか。
私は将来、大学教授を目指していますが、
本来大学とは、純粋に学問を探求し、
高めあう場ではないのでしょうか。
それは教授だけではなく、
大学の保身のためでもなく、
学生の意欲や熱意に支えられるものでは
ないのでしょうか。
今回、大学に意見したことは、
個人の信仰を守るためだけでなく、
今後、学生たちが本当の意味で、
自由な信仰や表現が守られ
保障されるためです。
それが日本のためになると思ったからです。
いまのところ、これが正しかったのか、
まちがっていたのか、私にはわかりません。
もし私が間違ったことをしたのなら、
私はこれまでの生き方から見直し、
反省すべきでしょう。
新しい人生を考えることもできるかもしれません。
でももし、私が今回行った主張が、
人として当然すべき権利に当てはまるなら、
たとえどんなに反対があったとしても、
出来る限りの努力をし、
足掻(もが)いてみようと思います。
もし同じように悩みを抱える人がいるなら、
こんな一人の学生がいるということが、
希望になるよう願っています。
☆
実際、2回調停を申し込みましたが、
2回とも不成立に終わったそうです。
彼女とは昨年会う機会があり、
学生たちが
迫害されてきた内容も聞きました。
例を挙げるとこんな感じです。
「脱会しなければ教師になれない」
と教授に脅された。
(実際、脅された学生は
この言葉を受けてCARPを辞めた)
「文鮮明の自叙伝を燃やせるか」
と脅された。
(この学生も結局脱会に至った)
「やめなければ退学」と言われ、
精神的に病んでしまって、
カウンセリングを受けている。
と教授に脅された。
(実際、脅された学生は
この言葉を受けてCARPを辞めた)
「文鮮明の自叙伝を燃やせるか」
と脅された。
(この学生も結局脱会に至った)
「やめなければ退学」と言われ、
精神的に病んでしまって、
カウンセリングを受けている。
以前、書いた記事に詳細がありますので
ご覧ください↓
大学側の脅しの実態、「このままいけば就職できないよ」CARPメンバーに個別面談
統一教会の信仰を持つことは
日本国憲法第20条
信教の自由によって
保障されているはずです。
それを破る行為をする
千葉大学は
国立大学法人でありながら
犯罪行為をしている、
と言っても過言ではありません。
私は立ち上がった二世の姉妹の
勇気ある行動に
エールを送ります。
そして、アカハラが
これ以上おきないように、
今後もブログで取り上げるとともに、
具体的な行動を起こしてまいります。
お父様のみ言
これから深刻な時が訪れることを知って、
きょうを期して、明日から皆さんが行く方向を、
視覚から、感覚から、歩みから、
戻っていかないようにしなさい。
もう迫害はありません。
今から迫害を受けるならば、
それこそ一族が数カ月以内に
屈服するようになっているのです。
歩みも堂々と最頂上の道を越えて行くようになる時は、
サタンの因縁をみな、
切ってしまうようになります。
みな、けっ飛ばしてしまうのです。
サタンに対して、自分が貴く思ってきたものを
全部、分けてあげ、
手を空にして訪ねていかなければなりません。
手を空にして、涙とともに心情をもって、
大罪を犯した子供を歓迎するために
苦労された父母の前には、名目もなく、
大声で痛哭できなければなりません。
私もそうしたのです。
(神様祝福永遠宣布式のみ言より)
これから深刻な時が訪れることを知って、
きょうを期して、明日から皆さんが行く方向を、
視覚から、感覚から、歩みから、
戻っていかないようにしなさい。
もう迫害はありません。
今から迫害を受けるならば、
それこそ一族が数カ月以内に
屈服するようになっているのです。
歩みも堂々と最頂上の道を越えて行くようになる時は、
サタンの因縁をみな、
切ってしまうようになります。
みな、けっ飛ばしてしまうのです。
サタンに対して、自分が貴く思ってきたものを
全部、分けてあげ、
手を空にして訪ねていかなければなりません。
手を空にして、涙とともに心情をもって、
大罪を犯した子供を歓迎するために
苦労された父母の前には、名目もなく、
大声で痛哭できなければなりません。
私もそうしたのです。
(神様祝福永遠宣布式のみ言より)
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)