李相軒(イ・サンホン)先生の
「霊界の実相と地上生活」
☆
下流層の鉱物世界
山も野原も海も転がる石も、神様と人間が共にあってこそ光ることができ、自らの姿が整います。しかし下流層では、人間の生きること自体が大変で困難なため、鉱物世界も暗黒と同じです。
野原は荒廃と化して捨てられた地と似ており、人跡の絶えた山の隅にはやせこけた木が並んでいます。こちらには一定の道がなく、周囲は常に陰鬱(いんうつ)としていてぞっとします。海は今にでも嵐が吹き荒れそうな雰囲気で、山のような波が常に押し寄せています。道にはごつごつした石ころがあちこちに転がり、人は歩くことができず、その場ごとに避けていくしかありません。
ところで、このような環境で人は暮らさなければならないのでしょうか。ここの人々はお互いに嫌っています。彼らには、すべてが面倒くさいのです。生きること自体が面倒で、彼らには波と野原の姿、そのほかは何も見えません。
このような環境に置かれている鉱物世界ですが、鉱物たちは人間を慕い求めながら、主人が現れて触ってくれることをずーっと待っています。
☆
鉱物世界と神様の心情
鉱物世界の上流層、中流層、下流層には、神様からつくられた大切な子女たちが暮らしています。神様の心はどこにとどまるでしょうか。病んだ子には痛ましさを感じて、より愛の手を差し伸べたくなるものです。このような心情は、肉身の父母も神様もほとんど同じです。
主人を待つことに疲れ果てて、怒り狂った波のように憂さ晴らしをする海や、荒廃化した広い野原は、主人が現れて育てて整えてあげれば、本然の姿を現すことができます。転げ回っている岩も本来の場所に戻してあげれば、本然の姿を現すことができるのです。より下流の層に向けられる神様の心情を、私たちは常に察してみなければなりません。
(1999年12月5日)
李相軒先生(1914〜1997)
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第二章 被造世界(宇宙論)
三 鉱物の世界
霊界の実相と地上生活(49)
下流層の鉱物世界/鉱物世界と神様の心情
李相軒先生(1914〜1997)
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第二章 被造世界(宇宙論)
三 鉱物の世界
霊界の実相と地上生活(49)
下流層の鉱物世界/鉱物世界と神様の心情
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再編集 文責:ten1ko2
下流層にいる鉱物たち、
それを見つめる神様の心情。。。
万物も人間の心霊基準に相対するのだ、と考えると
なによりも、人類の開放をすることが
一番の近道なのだな、と感じるのです。
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