2025年02月08日

神の光がない世界 地獄の鉱物たちが、ぞっとするほど陰鬱なワケ 《李相軒先生の霊界メッセージ》



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李相軒(イ・サンホン)先生の
「霊界の実相と地上生活」

下流層の鉱物世界

 山も野原も海も転がる石も、神様と人間が共にあってこそ光ることができ、自らの姿が整います。しかし下流層では、人間の生きること自体が大変で困難なため、鉱物世界も暗黒と同じです。

 野原は荒廃と化して捨てられた地と似ており、人跡の絶えた山の隅にはやせこけた木が並んでいます。こちらには一定の道がなく、周囲は常に陰鬱(いんうつ)としていてぞっとします。海は今にでも嵐が吹き荒れそうな雰囲気で、山のような波が常に押し寄せています。道にはごつごつした石ころがあちこちに転がり、人は歩くことができず、その場ごとに避けていくしかありません。

 ところで、このような環境で人は暮らさなければならないのでしょうか。ここの人々はお互いに嫌っています。彼らには、すべてが面倒くさいのです。生きること自体が面倒で、彼らには波と野原の姿、そのほかは何も見えません。

 このような環境に置かれている鉱物世界ですが、鉱物たちは人間を慕い求めながら、主人が現れて触ってくれることをずーっと待っています。

鉱物世界と神様の心情

 鉱物世界の上流層、中流層、下流層には、神様からつくられた大切な子女たちが暮らしています。神様の心はどこにとどまるでしょうか。病んだ子には痛ましさを感じて、より愛の手を差し伸べたくなるものです。このような心情は、肉身の父母も神様もほとんど同じです。

 主人を待つことに疲れ果てて、怒り狂った波のように憂さ晴らしをする海や、荒廃化した広い野原は、主人が現れて育てて整えてあげれば、本然の姿を現すことができます。転げ回っている岩も本来の場所に戻してあげれば、本然の姿を現すことができるのです。より下流の層に向けられる神様の心情を、私たちは常に察してみなければなりません。

(1999年12月5日)

李相軒先生(1914〜1997)
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第二章 被造世界(宇宙論)
三 鉱物の世界 

霊界の実相と地上生活(49)
下流層の鉱物世界/鉱物世界と神様の心情
再編集 文責:ten1ko2


下流層にいる鉱物たち、
それを見つめる神様の心情。。。

万物も人間の心霊基準に相対するのだ、と考えると
なによりも、人類の開放をすることが
一番の近道なのだな、と感じるのです。

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2025年02月06日

私たちは、知らず知らずのうちに、霊界の影響を受けている! 《北谷先生》



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世界家庭、最新号に掲載されている
北谷先生の「霊界はある
霊人たちはいつも共にいる」から
最終回を紹介します。

知らず知らずのうちに、
霊界から影響を受ける私たち


私たちは、知らず知らずのうちに、
霊界から影響を受けています。

伝道実践などで、なかなか結果が出ず、
心霊が下がっている兄弟姉妹から報告を受けると、
私自身の心が重苦しくなったり、
体調が悪くなったりすることがあります。

その要因の一つは、兄弟姉妹についている悪霊が
私のほうに移ってきていることです。

逆に、実績を上げている兄弟姉妹が報告してくると、
うれしさや喜びを共有するとともに、
私の気持ちも、どんどん軽くなっていきます。
それは、善霊の働きが関係しています。

このように悪霊や善霊は瞬時に移動できるため、
私に協助している善霊に頼んで、
人に入った悪霊を説得してもらうことがあるのです。


霊人たちは、電話を通じても
行ったり来たりすることができます。

修練会で二世に霊が入り、電話で助けを求めてきたとき、
私の背後の善霊たちも、話を一緒に聞いていました。

それで、「助けにいってあげてください」
とお願いして、あちらに行ってもらい、
悪霊を説得してもらったのです。

場合によっては、善霊たちが
悪霊を強引に引っ張り出すこともあります。

そして、悪霊が体から出ていくと、入
られていた人は、ふっと正気に戻ります。

もし、たくさんの悪霊が私に向かってきて、
背後にいる善霊たちが負けてしまえば、
私に危害が及びます。


皆さんは、『霊感が強い人は寝込むことが多い』
というような印象を持っていませんか?

実際、霊的に背負った場合、寝ても
解決することはあまりありません。

寝不足で体調を崩したり、病気で体が
弱ったりしたのであれば、睡眠が快復につながると思います。
しかし、悪霊に攻撃されているときには、有効ではないのです。

悪霊の攻撃を受けて肉体が打たれたとき、
私が、『死んでも責任を全うする!』と決意したとします。

そのとき、背後にいる善霊が、自分だけでは
守り切れないと判断すれば、
他の善霊に応援を頼みにいきます。


霊界は組織化されていて、
善霊たちにもそれぞれアベル(先輩や上司的立場の人、組織のリーダー)がいます。

直面する問題や責任分担の遂行状況を、
アベルに報告しているのです。

神様を中心として、アベルから、
より上位のアベルへと報告が繰り返されていく中で、
今であれば、最終的に孝進様や興進様、
大母様に報告が届くようになっています。

同様に、天使界も組織化されています。

霊界では、神様と真の父母様を中心とした伝達経路があり、
孝進様や興進様、大母様が、
天使や善霊たちに向かって指示をされているのです。


それでは、なぜ、善霊たちは
地上に生きる人々を助けようとするのでしょうか?

善霊は、善の天使の役割、つまり神様の代わりに
人間に協助し、育てていく使命があります。

ですから、ある人が地上で打ち立てた愛の実績は、
背後で協助している霊人にとっても実績になります。

地上に生きる人と一つになって、ために生きた分だけ、
霊界でも功労が積まれるのです。

世界家庭2月号より
冒頭の部分は割愛しています
再編集 文責:ten1ko2


霊界にもしっかりとした秩序がある。。。
ある意味、高い霊界ほど、そういったものが、
はっきりしているのでは、と思います。

そして、善霊、とくに絶対善霊ほど、
公的な意識が強いので、ために生きることを
まったく厭わないと思います。

また、近い関係にいる人ほど、強い情をもっているので、
特別な協助をするに違いないです。

霊界の協助を受けて、
飛躍的な歩みができることを意識していきます。


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2024年12月25日

石や土も神と人の愛情を求めている?! 中流・下流層(地獄)の鉱物は 《李相軒先生の霊界メッセージ》



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李相軒(イ・サンホン)先生の
「霊界の実相と地上生活」より、
いわゆる中間霊界と、地獄の
鉱物に関するメッセージです。

中流層の鉱物世界

森羅万象の、存在するすべての創造物は、
愛の神様が人間のために造っておいた被造物です。

したがってすべての被造物は、
上流層のように神様が共にあってこそ、
彼ら自身の本分をすべて
発揮することができるのです。

それゆえ鉱物自体も神様と共に
生きることを願っています。

ここ中流層の鉱物の姿は、簡単に話せば
地上のそれと似ています。

人間は喜怒哀楽の大部分を、
自然を通して経験することが多いのです。

ところで、人間が美しい宝石や盆石など、
鉱物を見て楽しむために手に入れたとき、
人間の欲望はそれで達成されるかもしれませんが、
真の主人に出会って喜び楽しみたい
万物や鉱物自体の欲望は達成されることはありません。

人間は一定の環境圏にある鉱物の
外的な形だけを見て満足していますが、
様々な鉱物は一定の環境圏において
造られたままの姿で存在するだけです。

それゆえ、鉱物世界はその本質的な
深い内容を発揮することができないでいます。

鉱物におけるところの目や口や鼻は、
形としては存在しませんが、それらは
人間と共に交流することを願っています。

また私たち人間は、鉱物世界にまつわる
神様の恨(ハン)までも解かなければなりません。

(1999年12月5日)

下流層の鉱物世界

山も野原も海も転がる石も、神様と人間が
共にあってこそ光ることができ、自らの姿が整います。

しかし下流層では、人間の生きること自体が
大変で困難なため、鉱物世界も暗黒と同じです。

野原は荒廃と化して捨てられた地と似ており、
人跡の絶えた山の隅にはやせこけた木が並んでいます。

こちらには一定の道がなく、周囲は常に
陰鬱(いんうつ)としていてぞっとします。

海は今にでも嵐が吹き荒れそうな雰囲気で、
山のような波が常に押し寄せています。

道にはごつごつした石ころがあちこちに転がり、
人は歩くことができず、
その場ごとに避けていくしかありません。


ところで、このような環境で
人は暮らさなければならないのでしょうか。

ここの人々はお互いに嫌っています。
彼らには、すべてが面倒くさいのです。
生きること自体が面倒で、彼らには
波と野原の姿、そのほかは何も見えません。

このような環境に置かれている鉱物世界ですが、
鉱物たちは人間を慕い求めながら、
主人が現れて触ってくれることをずーっと待っています。

鉱物世界と神様の心情

鉱物世界の上流層、中流層、下流層には、
神様からつくられた大切な子女たちが暮らしています。

神様の心はどこにとどまるでしょうか。
病んだ子には痛ましさを感じて、
より愛の手を差し伸べたくなるものです。

このような心情は、肉身の父母も
神様もほとんど同じです。

主人を待つことに疲れ果てて、怒り狂った波のように
憂さ晴らしをする海や、荒廃化した広い野原は、
主人が現れて育てて整えてあげれば、
本然の姿を現すことができます。

転げ回っている岩も本来の場所に戻してあげれば、
本然の姿を現すことができるのです。

より下流の層に向けられる神様の心情を、
私たちは常に察してみなければなりません。

(1999年12月5日)
李相軒(1914〜1997)(光言社刊
『霊界の実相と地上生活』より)
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第二章 被造世界(宇宙論)
三 鉱物の世界

霊界の実相と地上生活(48)
中流層の鉱物世界
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


神道においては、
「八百万の神」と言われるように、
鉱物も神様、という概念があります。

万物を尊く思う、という観点からすると、
一理あるような気もします。

お父様は、ご自身が座っておられた石が、
話しかけられたと言われます。

万物を愛しておられたお父様ならではの
エピソードだと思います。

私たちも、万物を愛する心情を
持つべき必要があるのだ、と思います。



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