2024年07月18日

(証し)世界中が感動した日本人女性、余命宣告から奇跡の回復! 皆の祈りのパワーで 



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今、家庭連合のHPでは、
「信徒の声」ということで、
現場の生の声、証しが配信されています。

柏原勇吾さん・フサ子さんの証しを紹介します。
前半は、窓ガラスが何者かに割られてしまった、
という被害報告ですが、
後半は、白血病から奇跡の回復の証しです。


編:お話は変わりますが、柏原さんが所属しておられる教会のスタッフから、奥様はご病気を患っておられたところから快復なされたとお聞きしました。詳しくお聞かせ頂いても良いでしょうか? 

妻:2021年12月、今から2年半ほど前からの病気です。急に股関節や大腿骨の筋肉が痛くなりました。はじめは、孫を抱きすぎて足が痛くなったのかな、としか思わなかったんです。でも、翌年の4月になっても続いていたので、骨髄検査をしたら白血病と診断されました。それから1年半くらい、昨年(2023年)の6月ごろまで色々と治療したんですけど、良くならなかった……。病院からは、早くて1か月、長くて3か月ですよって、余命宣告されました。でも、なんとなく信じられなくて……。

夫:病院で訪問看護に切り替えますからと言われました。いわゆる終末期医療です。一回だけ来てもらったのですが、その後セカンドオピニオンとして新しい病院を探したんです。その頃は、白血球の数値が、ふつうは3000〜8000(/μL)くらいなのですが、20万(/μL)まで上がっていたんです。

妻:お医者さんからは、普通だったらその状態で生きているのが不思議なくらいと言われました。
先生に余命3か月って言われてから、3か月後に本当に具合が悪くなり、何も持てず字も書けないほどだったんです。心を前向きに保とう、感謝しようと思っても、要求心ばかりが湧いてきて感謝どころじゃない。力が入らず放心状態で、主人が仕事で家にいない昼間は、こんなに寂しいのかと感じることもありましたね。本当に3ヶ月で霊界に行くのかなって、信じられない思いも心のどこかにあるわけ……。
でも、私が本当に苦しかった時に、教会長が韓国に行かれて、天心苑祈祷室で大きな声で祈祷してくださっていました。それが本当に嬉しかったですね。とにかく私たちの教会の教会長って、食口(教会員)のために霊的パワーを送って復活させようとしてくださるという感じで。
それだけでなく、教会のみんなが昼の時間を割いて教会に来て、私のために祈ってくれている。それがどれだけありがたいことかと、祈られている恩恵を感じていました。

夫:病気が大変だった時、教会長が礼拝の時に妻を前に立たせて、みんなでパワーを送りましょうって言ってくれるんです。

妻:それが本当にね、みんなから元気をもらったという気持ちになるわけ。私はこんなに支えられて生かされているんだと感じていました。
実は、2021年末ぐらいに、教会の祈祷室が新しくなりました。それからは、教会にほぼ毎日通って祈祷していました。教会の取り組みとして、教会の祈祷室が新しくなってからの日数を毎日カウントしていました。たまたまかも分かりませんが、そのちょうど700日目(2023年12月8日)に、教会で祈祷した後に病院で検査があり、20万(/μL)あった白血球の数値が、5000(/μL)台になっていたんです!
今も抗がん剤は飲み続けているのですが、病院の先生はかなり改善しますから大丈夫ですよと言ってくださっています。
イエス様が病気の人を祈りで治したエピソードがありましたよね。あの話は本当なんだと思ってすごく嬉しかったんですね。神様やみんなに愛されて、私はここにいるんだと感じています。今本当に感謝している日々ですね。

編:大変な闘病生活を経て、平常値に戻られたのですね!
ご主人さんは、奇跡の快復をされた奥様をご覧になりながら、どういう思いがありますか?

夫:私は、妻が病気になった時に、ずっと家庭の祭壇で祈ったり瞑想したりしていたんです。「妻は霊界に行きますか?行かないですか?」って聞いたら「行かない」と教えられた。だから大丈夫だと、あんまり心配はなかったです。
周りの皆さんにも妻にも、あんまり私が心配しているようには見えなかったと思います。もうちょっと心配してほしいぐらいじゃないですか?(一同、笑い)
でも、元気になってくれて、本当に嬉しかったです。

妻:あと、子どもたちが親身になっていろいろやってくれました。娘たちは看護師だから、家庭用ナースコールを買ってくれたり、他にも色々なものを準備してくれたりして、助けてくれました。

夫:子どもたちは、孫たちも全員連れてきてくれて、仕事先にも許可を取って、半年ほど住み込みで闘病生活を手伝ってくれたんです。

妻:夫や子どもたち、教会長や教会の兄弟姉妹、たくさんの方々に支えられました。
その間に私も元気になってね。神様に愛され、生かされました。

編:たくさんの方々に元気をもらったのですね!
貴重なお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。

再編集 文責:ten1ko2


柏原さんの証しは、
徹夜精誠でも、所属教会の
教会長が証しをしておられました。

教会では、毎日、柏原さんのために、
呼名祈祷を捧げ、懇切に祈りを捧げていったそうです。

霊的なパワーは病気の治癒に
大きな効果があったに違いありません。

イエス様の時代、
病気を治す奇跡があったと
聖書に記述されています。

まさに、同じようなことが、
実体聖霊の役事によって起こっているのだ、
そのことを信じてやみません。


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2024年07月14日

初めて会った文先生のオーラは、金色で破格級だった?! 《梶栗会長の証し》



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梶栗会長の証しを毎週発信して、
皆様から好評をいただいています。

今回は、初めてお会いした時の
お父様(文鮮明先生)にまつわるエピソードなど
盛りだくさんの証しを紹介します。


1965年、真のご父母様ご一行が来日されました。
当時、私は本部の総務部にいました。

真のお父様は、到着されるや否や壇上に立たれ、祈祷されました。
嗚咽しながら、祈祷されたのです。

待ちに待ったお方にお会いすることができたのです。
私は2年間待ちましたが、
クリスチャンは実に二千年間待ち続けたのです。

お父様は説教される中で、
「イエス様」と言われるたびに、涙を流されました。
「このお方は、イエス様と同じご心情のお方だ」
ということが分かりました。


自分の出身がそうだから仕方がないかもしれませんが、
お父様に対する印象は、正直に言って、
「土木工事の親分」というものでした。

ものすごく苦労されたお方で、
人の苦労をよく知っておられるお方だと思いました。

おそらく、やくざだったらやくざの大親分に見えるでしょうし、
クリスチャンにとっては、当然「再臨主」なのです。


当時、私は霊視することができ、
人々の背中にオーラが見えました。

そのオーラの大きさ、深さ、輝きで、
私なりにその人物を評価していました。
西川先生のオーラはすごかったです。

ご父母様のオーラは、破格であり、
金色に輝いていました。

その金色の霊の波が、会場全体を包み込み、
そこにいた兄弟姉妹は感動に打ち震えて、みな泣いていました。


ある人が何か質問しようとして、「はい!」と手を挙げた時、
お父様は「その質問は後にしなさい」と言われました。

まだ何も発言していないのに、お父様は、
あらかじめどういう質問をするのか知っておられたのです。
それには驚いてしまいました。


まだあります。

私は夜寝る前に、お父様のお部屋のそばの
廊下でお祈りをしました。

すると、翌日の朝食の時に、
「きのう、廊下で祈った者がいるだろう」
と言われて、またびっくりしました。

壁の向こう側で祈っているのを知っておられたのです。


ある日、お父様が庭を一人で散歩されていた時、
ばったり顔を合わせてしまいました。
周囲には、だれもいませんでした。

お父様は満面に笑みを浮かべて、私をご覧になりました。
それはもう、一生涯、忘れることができない出会いでした。

そして、「先生をどう思う?」とお聞きになったので、
私は「再臨主です!」とお答えしました。

「再臨主か…」と言われながら、遠くを見つめ、
何か考え事をされているごようすでした。

そのころは、日本ではまだ「大先生」と呼んでいました。


「武士は己を知る者のために死す」と言います。

自分の過去、現在、未来を知っておられるこのお方こそ、
武士が侍るべきお方であると確信しました。

学生時代に「武道とは真理を体得することである」
と教えられましたが、
このお方は「真理とは何か」を解明され、
それを体得する方法まで教えてくださるお方でした。

お父様が教えてくださった真理の核心は、
「敵討ち」ではなく、
「怨讐を愛せよ」という教えでした。

お父様ご自身が、怨讐である日本人を、
赦し、愛されたのです。

お父様は日本を救うために、43日間の断食をされながら、
西川先生を宣教師として日本に派遣されたのです。

日本人に対し、満面の笑みをもって対される、
お父様の真の愛に触れ、
一瞬にして、反朝鮮の思想は吹き飛び、
「このお方について行こう!」と決心しました。

こうして、私も再臨のメシヤに従う
一人の弟子として加わることになりました。


1970年代のある時から、日本政府は
真のお父様の日本入国を拒否し続けました。

日本政府の入国拒否は、1984年のダンベリー刑務所の服役で、
さらに決定的となりました。
政治犯以外の刑事事件の犯罪で一年以上服役した者は、
日本に受け入れないという日本の方針に抵触するというものです。

しかし、ご父母様は入国されなくても、
その精神は日本に伝わっています。
そして、日本統一教会の基盤は
揺るぎないものとして発展しているのです。

ご父母様は、日本を守り、日本を生かすために、
全力を尽くしてこられたお方です。

私はそのようなご父母様のお姿を
直接、見てきた一人です。
今も日本を生かすために、
祈り、尽くしてくださっているのです。


日本は、その恩に対して、仇で返してしまいました。

このように、神様に反対する国が栄えるはずがなく、
その後、バブルは崩壊し、人心は乱れ、
国は滅亡の淵に向かって突き進んでいるのです。

正しいものを打てば、弁償しなければなりません。
これが天地の法則です。

もし、日本に統一教会の群れがいなかったならば、
日本はとっくに滅びていたことでしょう。
真のご父母様の愛に報いる日本にならなければなりません。

(TPマガジンより)
再編集 文責:ten1ko2
(一部最近紹介した証しと重なる内容が
ありますが、ご了承ください)


いろんな観点から語られていました。
どれも珠玉の証しです。
梶栗会長、ありがとうございました。

お父様の霊的な感性の鋭さは、
改めて素晴らしいと感じました。。。

また、お父様のオーラは素晴らしいのですね。
お母様のオーラはどうなのでしょうか。
お父様と全く同じなのか、
それとも、相対の立場なので・・・
ちょっと興味がつきないですね。

梶栗会長は、今も霊界において
真のお父様のお側で侍りながら、
真の父母様に侍る日本となるべく、
全力投入しておられることでしょう。

地上の私たちを導いておられることを信じて、
私たちもみ旨にまい進していきたい。。。
そのように感じました。


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2024年07月07日

アボジの押し、冒険できない日本人の中で「冒険のできる男」 梶栗会長 (横井夫人の証し)



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梶栗会長の証しを三回にわたって掲載しました。
今回は、43双横井夫人の梶栗会長の思い出です。


梶栗玄太郎さんが、当時「下北沢」(東京都世田谷区)にあった
教会本部に通って来るようになった1963年頃の青年時代の話です。

梶栗さんは、小豆色のような不思議な色のスーツを
いつも着ていて、とにかくスッキリした顔立ちの
男性だったのをよく覚えています。

ある朝、東京・八王子から電話がかかってきました。
電話は梶栗さんの「霊の親」である前川浩子さんからで、
梶栗さんと2人で一晩中歩いて、
下北沢から八王子まで行ってしまったというのです。

梶栗さんは教会で「復帰原理」の講義を聴く中で、
様々な霊的な体験をされていました。

例えば、「ノアの洪水」の部分では、
洪水が押し寄せて来る中に
自分が巻き込まれていくような場面に遭遇したのです。

そのようにして原理講義をひととおり聴き終わり、
梶栗さんが前川さんと2人で教会の外に出たところ、
街の中は昼間なのに暗く、全くの灰色で
ゴーストタウンのように見えたそうです。

通りを行き交う人々は、みんな蛇のような、
死んだ人のような目をしていました。
霊的に見るとそのように見えたというのです。

そんな中で、梶栗さんは「前川さんに聖歌を歌ってもらうと、
その場だけが清まった」と語っておられました。

ちなみに、梶栗さんはその後、
様々なものを霊的に見ることを
意識的にやめるようにされたとのことです。


一方、とても度胸がある方でした。
1966年頃、当時青年部長だった梶栗さんが
渋谷駅のハチ公前広場で路傍伝道(演説)をされた時のエピソードです。

梶栗さんは「『ご通行中のみなさん』と呼び掛けると、
その後は何を語るか自然に言葉が出てくる」と聞いていたけれど、
『ご通行中のみなさん』と言っても何も出てこない。

仕方がないので周囲を見回し、
もう一度『ご通行中のみなさん』と言うと、
言葉が下りてきたんだ」とおっしゃっていたのを思い出します。


ある時、文鮮明先生が私たちに
「日本には冒険のできる男がいないよ。
それでも2人いる」と言われたことがあります。
そのうちの一人が梶栗会長でした。(談)


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梶栗玄太郎会長を偲んで(2)
2012年12月27日
横井捷子さん(43双)

世界平和統一家庭連合 NEWS ARCHIVES
再編集 文責:ten1ko2


「下北沢から八王子まで行ってしまった」
梶栗会長だけでなく、霊の親の
前川夫人も大物だったのだな、と思います。

霊的に敏感だったのに、
意識的に辞めてしまわれたのは、
何か、意図されるものがあったのでしょう。

晩年、東日本大震災の時、霊的に
多くの人の苦しむ声を聞き、
救国救世の思いを止めることができず、
渋谷で街宣カーのマイクを持たれたということでした。

地上で大きな使命を担われて、
お父様も「冒険のできる男」
と言われるくらいの人物だった梶栗会長。

私たちも自分の個性を発揮すれば、
私にしか担えないことが必ずあることでしょう。

私が〇〇のようになりたい、というのでなく、
天が必要なところに用いてくださる者になりたい。。。
そんな思いをもって歩んでいきたいと思うのです。


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