2024年09月07日

極と極、メシヤの実験カップル?! 777で一生分のみ言を頂きました 《大谷先生》



180106 1970.10.21 777 2.jpg
1970.10.21 777双祝福☆


統一思想研究院副院長をされていた
故・大谷明史(あきふみ)先生。
奥様のよし子さんと一緒に話された証しです。


(よし子さん)
1970年10月に行われた七七七家庭のマッチングは
朝から始まり、私たちは午後の三番目に決まりました。

マッチングが全て終わり、二日後に
真の父母様がお見えになって、み言を語ってくださいました。

このとき、真の御父様はみ言の途中で突然、
「大谷、立て!その相対者も立つんだよ」とおっしやったのです。

真のお父様は、「この男は学者なんだよ。
学者はね、机さえあれば満足している。
しかし、この女は強いんだよ。
男の一人や二人は問題なく食べさせていく力が
あるんだよ」とおっしゃいました。

この七七七家庭の祝福で訪韓した期間に、
真のお父様に夫婦で七回立たされ、み言を受けました。
一生分のみ言を頂いたようなものです。


(明史さん)
私は統一教会に出会う前、りっぱな科学者に
なることを夢見て、大学院で学んでいました。

ですから、み言を聞いて教会の活動を始めるようになっても、
科学への志は捨てがたく、科学と宗教(大学と教会)の
二つの道を行く決意で歩んでいました。

三年間の学生部での歩みの中で、
「科学は確かに人類に豊かな生活を与えたけれども、
人類の幸福を実現することはできなかった。
今、重要なことは、これ以上の科学の進歩よりも、
人間の心に作用する悪(邪心)と闘って
真の幸福を実現することだ」と悟り、
全ての本や実験データを処分して
教会で献身的に歩むようになったのです。

真のお父様はそのような私の過去をご存じでした。
それで、お前は本と机だけあれば
満足しているような男だが、生命力に乏しい。
この女は雑草のようにたくましく、生命力がある」
とおっしやったのです。

また、「皆は、このふたりはとても合わない
と思うだろうが、先生はそうは思わない。
必ず良い夫婦になるだろう。

極と極が一つになれば、
その間にあるものは全て含まれる。
互いに足りないところは補い合いなさい」
と語ってくださいました。


(よし子さん) 
真のお父様は、「東大の博士課程修了者と
中卒の女性の極と極を合わせて、
そのふたりがどのように勝利していくか、
先生は見てるよ」とおっしやいましたね。

私は、「私は高卒なのに、どうして?」と思っていました。


(明史さん) 
何年後かに、妻が真のお父様に「私は高校を出ています」
と申し上げると、「そうか、そうか」と
言いながら聞いていらっしやいました。

ところが、その後も何回か、「東大の博士課程と
中学出の女を祝福したんだ」とおっしゃったのです。


(よし子さん) 
それは、これの一つの摂理だからだと思います。

実は、韓国でも、男性が中学出で、女性が最高の教育を受けた
というカップルが既に二家庭くらいあったのですが、
それらの家庭は壊れたのです。

それで、私たちは三組目で、必ず勝利しなければなりませんでした。
摂理は本当に不思議なものです。

七七七家庭でも、真の御父様が「この家庭は兄妹だよ」と
言われるようなカップルもあります。
本当に兄妹のように心情が近く、
夫婦が一つになっているので、うらやましかったです。

私たちは真のお父様から
「三十年すれば、うまくいくよ」と言われたのです。

お父様の語られた三十年とは、
生涯を通して一つになりなさいということだと思います。

ですから私は地上生活だけを見てはいません。
霊界に行けばうまくいくだろうと思っているのです。
これが、私の中にある真の御父様の世界です。

今はやっと、お父様に「ありがとうございました」
と言えるようになりました。
それが何よりも宝です。
ここまでは本当にいばらの道でした。

「永遠」に責任を持たれるかた
大谷明史(あきふみ)・よし子

慕わしきわが主、わが父母
(真の父母様との思い出)
TODAY'S WORLD JAPAN 2015.9より
再編集 文責:ten1ko2


大谷先生は、千葉中央修錬所の21修において、
統一思想の講義を担当されていました。

私が参加した時も、とてもわかりやすく話され、
また意外にも、ユーモアのある方だな、
そんな印象を受けました。

2019年4月18日に聖和されたのですが、
直前まで、重いがんを患っていることは
一切、誰にも話されなかったといいます。

「極と極の祝福」
お父様が「実験するから見ていなさい」
そのように語られて、マッチングをされた
大谷先生ご夫妻。
このあとの証しもお楽しみに。。。





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2024年09月04日

「私の人生は海のよう」 *嵐を越える秘訣は"感謝すること" 《お母様、感謝します》



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光言社刊「真のお母様感謝します」より
金錫柄(キンソクビョン)氏(6000双)の証し、
『海のような人生を送られるお母様』です。


私の故郷は、南海の青い海を抱いています。
赤い夕焼けの中、空と一つになった海は、
いつも神秘に満ちていました。

幼い時、その穏やかな海で泳げば、
母の懐に抱かれたような安らかな思いになりました。

私は天一国三大経典の編纂の実務を、責任を持って進めながら、
真のお母様からたくさんのみ言を頂きました。

そのうちで最も印象的なみ言が、
海をご自身の人生に比喩されたものでした。


「私の人生は海のようです。
 海の中には、あらゆる生命体が生きていて、
 豊かに育まれます。

 深い海の底には、ごうごうと渦巻く
 巨大な水の流れがありますが、
 人々はそれを見ることができません。

 天の摂理はもちろん、私の生涯も
 このように展開されてきました。

 台風のように吹きつける摂理の中心において、
 私だけが知っている、
 語ることのできない事情がたくさんあります。

 私はその渦に巻き込まれずに乗り越え、勝利して、
 蕩減復帰摂理歴史を真のお父様と共に
 終わらせることができました」


このみ言は、幼い頃の海に対する記憶が鮮明な私には、
格別、印象深いものです。


お母様はまた、ご自身を荒れ狂う海に浮かぶ
帆船にも比喩されました。
広い海で、たった一艘で波にもまれる帆船であれば、
どれほど恐ろしく、孤独でしょうか。

その試練を越える秘訣を、お母様は一言、
「感謝すること」と語られました。
さらに、「感謝は、心と体が統一される道だ」
ともおっしゃったのです。
なんと深いみ言でしょうか。

私は、三十年余りを、お母様の近くでお仕えしてきました。
世界を舞台にした講演に随行することもありましたが、
そのたびに感動を受けることの一つが、
お母様の徹底した「時間厳守」です。

一日一国を巡回されることも希ではない強行軍の中、
常に万全の準備をされ、遅刻されることは
一度もありませんでした。

講演時間も同様で、予定された時間を正確に守られました。
いかなる状況においても、約束を安易にはお考えにならず、
お守りになるお方でした。

このように、ご自身には厳格なお母様でしたが、
食口たちには限りなく愛を注がれました。

日本の食口に対する愛は、一層切なく、
特別であるように感じます。
母の国であり、世界の食口たちの中で
最も多くの苦労をしているのがお分かりなので、
そうなのだと思います。

日本に行かれるたびに「故郷に来たようだ」とおっしゃり、
明るい微笑で食口たちに対されました。

忙しいスケジュールですが、食口たちと少しでも多く会おうとなさり、
少しでも長く和動会を持とうとされました。


お母様は、与えてまた与え、忘れる人生を生きられるお方です。

お母様はまた、強力で明確な
リーダーシップを持っていらっしゃいます。

一つのプロジェ クトを指示されるときは、
大きな方向と目的、さらに方法を教えてくださり、
事がよく遂行できるように導いてくださいます。

東欧の共産圏での地下宣教「ミッション・バタフライ」を
素材としてミュージカルを作るように願われたときには、
資料も少なく、途方に暮れるような気持ちでした。

そのとき、お母様は、
「祝福を受けたカップルの愛の物語を加味すればよい」
という方針を下さり、 ドラマチックで感動的なミュージカル
「天一国の蝶の夢」を誕生させることができたのです。
(二〇一六年二月、真の父母様御聖誕日と基元節三周年の記念行事で上演)


また二〇一六年から始まったHJ天苑摂理は、
お母様のリーダーシップが最高に発揮されているプロジェクトです。

特に天地鮮鶴苑は、真の父母様の生涯と業績を
世の中の人々に教育する殿堂で、
お母様の限りない関心と精誠が注がれている所です。

このためにお母様は、アメリカとヨーロッパの
有名な博物館や記念館を視察されながら、アイディアを構想して、
実務者たちに方向性を定めてくださいました。

お母様は外柔内剛の典型でいらっしゃいます。
鶴は優雅ですが、ヒマラヤを生死を懸けて越えていくように、
お母様は食口たちには限りない愛で接してくださいますが、
摂理の前では強く雄々しく先頭に立っていらっしゃいます。

「六千年の摂理史を、私の当代に終える」
というお母様の誓いを、私は信じます。

お母様は信じられないことも信じてこられ、
許すことのできない人も抱いてこられました。

そうして、お父様と共に復帰の道を開拓なさり、
原理の道を踏んで上がり、
ついに天の父母様と一体になられました。

「真の父母様はみ言の実体であり、実体のみ言である」
ということを、毎日毎日、実感しています。

海のような人生を送られるお母様――。
海にはすべてのものを抱く豊かさ、温かさがありますが、
原理原則によって運行する厳格さもあります。

天一国時代、地上に実体として いらっしゃるお母様は、
その海のようなお方です。

「海のような人生を送られるお母様」
金錫柄
真のお母様、感謝します(心を打つ、50の証し)

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ミュージカル「天一国の蝶の夢」


「感謝は、心と体が統一される道だ」
金錫柄先生が語られているように、
本当に深い深いみ言だと思います。

お母様はどんな状況であっても
常に「感謝」の思いを持って歩まれました。
そして、困難を乗り越えていかれるのです。

私たちも、当然、同じように
「感謝します」という思いを持って、
日々、歩んでいきたい、と思うのです。


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2024年09月03日

問題児の修練生、若き日の大塚会長に起こった、劇的回心エピソード 《大塚克己自叙伝》



240903-1967.jpg


大塚克己UPF会長の自叙伝、
第2回目です。

ふまじめな修練生に突如起こった劇的回心

私が出た第11期特修(1月8日から2週間)は、
宝塚研修センター (兵庫県)で行われました。
修練生は100人ほどいたと記憶しています。

私はその頃、長髪にジーパンという、
ヒッピーのような格好をしていました。

講義には興味がなく、いつも聖書を枕に寝ているような、
ふまじめな修練生でした。

ですから、再臨のメシヤを明かされても、
全くピンときませんでした。
班長からは完全に見放され、
「面接の価値なし」と思われていたようです。

ところが、修練会の期間、
霊的な現象がいろいろと起きたのです。

講義中に寝ていたら、後ろから頭を3発、
強い力で叩かれたことがあります。
びっくりして後ろを振り向くと、誰もいません。
しかも後ろは壁なのです。
ぞっとしました。


そして特修も終盤にさしかかった1月19日、
人生の大転換が起こりました。

当時、修練所から山道を少し登った所に、
統一教会の年配の婦人たちがこもって祈りを捧げていた
「重生祈祷院」(1968年5月11日開設)がありました。
その頃は、山路みち子さんという
霊能者の婦人が祈祷生活をしておられました。

その日、山路さんが修練所に来て、
修練生たちに霊界の話をしてくださいまし た。

白髪の上品な老婦人でしたが、
私たちを見ながら、「今回の人は皆、(霊人体が)真っ黒ね。
先回は灰色の人もいたけど」
と、言いにくいことをズバッと言ったのです。

私はカチンと来ました。


その後、遅れて夕飯の時間になったのですが、
修練生たちの中で食卓に着いたのは私一人でした。

皆、山路さんの話を聞いて悔い改め、
もっと神様に近づきたいと、祈祷をしたり水垢離をしたり
断食をしたりで、食事などそっちのけだったのです。

私はこれ幸いと、他の人の分まで食べていました。
ところが食事の最中に、どこからか
「山路さんのところに行きなさい」
という声が聞こえてきたのです。

最初は小さい声でしたが、
だんだん大きな命令口調になってくるのです。

私は観念し、大急ぎで食事を終えると外に出ました。


9時は過ぎていたでしょう。
当然、真っ暗でした。

不思議な声に促されて
飛び出してきたものの、祈祷院の場所を知りません。
どうしたものかと思っていると、
光のような一筋の道が山のほうに延びていました。

その光に導かれるように山道を登っていくと、
やがて祈祷院に着きました。

意を決して声をかけ、事情を話すと、
山路さんは快く中に入れてくれました。
そして私を相手に、再び熱心に霊界の話をしてくれたのです。

「霊界では統一原理が真理であることははっきりしています。
真のお父様がメシヤであることははっきりしています」
と言われたことを覚えています。

私は30分ほどいて、そこを辞しました。


ところが、外に出て修練所に続く砂利道に足を踏み出したとたん、
ドーンという音とともに体が震え出したのです。

霊動というのでしょうか、もう立っていられなくなり、
その場にバタンと倒れてしまいました。

すると、自分の罪や穢れに対する悔い改め、
そしてそんな私を呼んでくださった神様に対する感謝の気持ち、
さらに「真の父母様、再臨のメシヤに従っていきます」
という決意が怒涛のように湧き上がってきたのです。

私は砂利をつかんでおいおい泣きました。
おこがましいのですが、私にとっては、
パウロの回心にも匹敵するような、劇的な転換でした。

1972年1月19日午後10時10分のことでした。

一方、修練所では、夜遅くに私がいなくなったということで、
騒ぎになっていました。
そんな中、私が戻ってきて、「この道を行きます」
と班長に伝えたので、班長はびっくり仰天していました。


この期間、特筆すべきことは、信仰の親である松尾さんの精誠でした。

後で分かったのですが、私が金沢にいる松尾さんに手紙を書くと、
その質問に対する答えに当たる内容を、同日同時刻に
松尾さんが金沢で書いていたということが、何度もあったのです。

私のために祈っていなければ、こんなことは起こらないでしょう。

私がこの道に来られたのは、霊的な力はもちろんですが、
このような信仰の親の精誠のおかげだと思っています。

大塚克己ヨーロッパ天議苑苑長(当時)
『自叙伝 天地人真の父母様との対話』
祝福家庭より
再編集 文責:ten1ko2


霊的な体験をされた大塚会長。
頭を殴られたり、不思議な声がしたり、
そういう霊界からの協助がなければ、
この道にはいなかったのかもしれません。

私たちは自分の意志だけで、この道に来たのではなく、
逆に言えば、先祖の皆様、善霊の助けがあって、
この道にいるということを改めて感じます。

また、信仰の親(霊の親)など、
私に関わってきた人たちの協力にも
当然、感謝しなければならないと思います。

次回もお楽しみに。。。


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