「ダンベリー精神」より、
お父様がダンベリーで
どんな生活をしておられたのか、
今回は、朴普熙先生の証言です。
☆
◆朴普熙氏(36家庭)の証言
実生活と日常の行動がそのまま伝道であった
1984年7月20日に収監された文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は、
翌85年8月19日深夜に自由の身になられた。
正確には396日間であり、ちょうど13カ月の獄苦を受けたことになる。
実刑宣告は18カ月であった。
では、どうして13カ月で出監されたのか?
文先生はここでも万事において模範になられた。
収容所の中で最高齢の64歳の身でありながら、
この世の荒波にもまれて入獄してきた
若い囚人たちの模範となったのである。
そして模範囚の公認を受け、法規の定めによって、
刑期が3分の1短縮される特権を得られたのである。
☆
文先生は言われた。
「私は北朝鮮の地上の地獄のような監獄でも
模範賞状を受けた。
アメリカの刑務所は北朝鮮の獄苦に比べれば楽園である。
私がここで模範にならなければ、話にもならない」
☆
囚人たちはまず、この謙虚な文先生の人柄に驚いた。
地上を騒がす大物中の大物が入って来たので、
どんな人物か見てみようと思っていた彼らは、
その人格に接してすぐに全員が兜を脱いだ。
刑務所では伝道や説教はできない決まりになっていた。
けれども、その必要はなかった。
実生活と日常の行動がそのまま伝道なのである。
囚人たちは、先生に割り当てられた労働を、
自ら志願して「自分たちがやります」と申し出たが、
先生はそれを絶対に許されなかった。
与えられた仕事は必ず自身でされた。
その仕事は、食事を準備する仕事であり、
食事の後に皿洗いをする仕事であり、
台所と食堂を掃除する仕事である。
そしてまた、便所を掃除する仕事である。
これらすべての責任分担を
一度もしかめっ面をすることもなく、
完璧にやり遂げられた。
「今この仕事をすることを私は神様に感謝している。
私がご飯を作って囚人たちに食べさせるとき、
私は神の子女たちを食べさせていると考え、
私が汚い便所や台所を掃除するとき、
私はこのアメリカを拭っていると考える。
ああ、感謝だ。
天は私に命じて私の民を食べさせ、
私の家とこのアメリカを掃除させておられるのだ」
☆
▲お父様が使われた二段ベッドとキャビネット
夜は大抵、12時に就寝される。
早朝3時には起床して、
ベッドで背中を海老のように曲げ、
顔をベッドにつけて祈祷に没頭される。
そして5時になると台所へ出て、
囚人たちの朝食の準備をされた。
あるとき、刑務所の専属牧師であるグラハム牧師が、
「主日(日曜日)にはあなたの教会でも
礼拝を行うでしょうから、その時は
私の牧師事務室と祈祷室を使用してください。
どの時間がよろしいでしょうか?」と言ってきた。
そこで先生はすぐに、
「午前3時はいかがでしょうか?」と言われた。
グラハム牧師が驚いて、
「そんな時間に何をされるのですか?」と尋ねると、
「はい、われわれは午前3時に祈祷します。
そして5時に礼拝をします。
その時間には、アメリカでは祈祷する人が多くないので、
神様は私の祈祷を必ず聞いてくださるのではないでしょうか?」
先生はそう言って、微笑まれた。
グラハム牧師はいたく感心し、
「本物の宗教指導者を見た」といった面持ちで、
「もちろんですとも。
思いのままにお使いください」と答えた。
☆
それ以来、先生は、日曜日になるとチャペル事務室に行かれた。
そこでもやはり床にひざまずいて、
海老のように背中を曲げた姿勢で祈祷された。
そして5時には敬礼式をされた。
いくらもしないうちに、この習慣を
他の囚人たちが知るようになった。
彼らは自分たちも敬礼式に参席していいかと尋ねた。
そして、彼らは代わる代わる参加し、
見よう見まねで先生と一緒に敬礼をして、
先生の涙の祈祷を聞くことを何よりの栄光と感じた。
このようにして、獄中の統一教会は
形成されたのである。
☆
面会時間になると、ご家族や教会の幹部たちが
看守の机の所に行って身分証明書を出し、
先生の名前を告げる。
すぐに拡声器で、
「レバレンド・ムーン、面会があります」
と放送がある。
先生が面会室に来られると、面会室の人々は
事前協議でもしたかのように粛然となって敬意を表す。
他の面会者たちもしばらく会話を止めて、
先生のほうを見つめる。見守っている看守は、
ある時は起立までしながら、
監視者の立場ではなく保護者の立場に立つ。
先生は家族が立っている所へ来て、
令夫人と子女様がたを抱き締められ、
幹部たちとも握手され、上座に座られる。
こうして、その日の公務が始まるのである。
(朴普熙著『証言(下巻)』より)
☆
再編集 文責:ten1ko2
『実生活と日常の行動がそのまま伝道なのである』
お父様が歩まれた道、本当に素晴らしいです。
私たちが本当に実践しないといけないと感じます。
私たちは、真の父母様の実子であるとするなら、
父母様の道を相続しなけば、子女と呼ばれる資格はありません。
真の父母を証しする歩みをしていきたいです。
最後までお読みいただき ありがとうございました!
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