2025年01月18日

神はいるか、いないか 共産主義との闘い、大学時代の決着はどちらに?! 《大塚会長*自叙伝》

「共産主義者を嫌っているわけではないが、耐えられない」



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大塚克己UPF日本議長の、自叙伝
「天地人真の父母様との対話」より

神を否定する共産主義との闘いに明け暮れた大学時代

1968年1月、国際勝共連合が韓国で創立され、
次いで4月には日本にも創立されました。

真のお父様は共産主義について、
次のような意味のみ言を語られました。

神様を否定する思想というのを、先生は最も嫌う。
私が最も愛する、親なる神様を否定するということ自体、
子供として耐えられない。
許すことはできない。

共産主義者を嫌っているわけではないし、
敵対視しているわけでもない。
その考え方が受け入れられないので、
勝共運動を始めたのだ


共産主義を克服する理念として、当時、勝共理論は、
保守的な人たちには魅力的な思想でした。

裏を返せば、左翼の人たちには
大変な脅威だったと思います。

(中略)


理論戦も激烈でした。
「神はいる」
「神はいない。人間がつくったのだ」、

「霊界はあり、人はそこで永生する」
「霊界はない。人間は死んだら終わりだ」、

「聖書は正しい」
「聖書は作り話」など、真っ向から対立しました。

もちろん、議論は平行線のままです。

そのとき彼らに対して、
こういう話をしたことを思い出します。

「私はこの運動を生涯続けていく。
君たちもこの運動を続けていけ。
そして4年後にまた会おう。

会って、どちらが正しかったのか確認しようじゃないか」


あれから50年以上たち、この期間に
ソ連の崩壊や旧共産圏の解体など、
いろいろなことがありました。

彼らが今も同じ活動を続けているのか、
確認するすべはありませんが、
互いに信念を持って闘っていた頃を懐かしく思い出し、
また会ってみたいという気持ちがつのります。

自叙伝「天地人真の父母様との対話」
再編集 文責:ten1ko2


「神様を否定する思想というのを、先生は最も嫌う。
私が最も愛する、親なる神様を否定するということ自体、
子供として耐えられない。
許すことはできない」

お父様が共産主義思想を否定し、
勝共運動を始められた根本的な動機は、
これなのですね。。。

親を否定することは、
自分の存在自体を否定することになります。

大塚会長がかつて共産主義者たちと
理論戦をしていたころから、
すでに50年以上経っていますが、
まだ共産主義思想は存在しています。

また、そのことで日本、世界を席巻しようと
考えている人たちもいるし、
実際に共産思想を持つ国も存在しています。

ますは私たちが思想武装をして、
強い信念を持っていくことが重要だと思うのです。

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2024年12月30日

「さあ大塚。地獄を救いに行こう!」  *地獄を見た証し 《大塚会長》



241230.jpg


大塚克己UPF日本議長の、自叙伝より
霊的に「地獄」を見た、壮絶な証しです。

霊眼で見た真の父母様は、七色に輝いていた

当時、私は成天寮という学舎にいたのですが、
そこで不思議な体験をしました。

忘れもしない1977年11月22日午後5時に、
霊眼がばっと開いたのです。

ちょうど風邪を引いて、休んでいるときでした。
布団の中から天井を見たら、 違った光景が
映画のように浮かび上がってきたのです。
目を凝らすと、地獄の光景であることが分かりました。

幾層にも重なり合った男性と女性が、
全裸で淫行にふけっていました。
そして、その淫行にふけっていた者同士が、
今度はナイフを取り出して殺し合うのです。

血がバーッと降り注ぎ、血の池ができた中に、
殺された人がドボンと落ちる。
悲鳴や怒号、鼻が曲がるほどの悪臭・・・

目を背け、耳をふさぎたくなるような、
おぞましい光景でした。


苦しくなった私は、我知らず天に向かって
「もっと上を見せてくれ」と叫び ました。

すると場面がばっと変わって、今度は薄暗く、
草木が一本も生えていないような、
荒漠とした山の谷間の道を、
私が一人で歩いている光景を見せられました。

空には白と黒の雲が渦巻き、
風が吹き荒れて、ものすごく寒いのです。

そういう中、岩陰から一人の真っ黒い人間が現れました。

その人が私に言葉を投げかけるのですが、
それが全て矢になって飛んできて、私に当たるのです。

痛くてたまらないので、小走りに逃げました。
「口から出るものが人を汚す」(マタイ15・11)
という聖書の言葉を実感しました。


やっと野原に出ると、すすきの穂が
風に激しく揺れていました。
その暗鬱で荒涼たる景色を見ていると、
深い孤独感が襲ってきました。

キルケゴール(デンマークの哲学者、思想家)は、
「絶望」を「死に至る病」と表現しましたが、
本当にその孤独は絶望の中にいるようでした。

私は思わず、「お父様お母様、助けください!」
と叫んでいました。

そのとたん、パーッと雲が分かれ、天井がパカンと割れて、
金ピカに輝く黄金の円盤盤がサーッと降りてきました。

見ると、その円盤の上に、真のお父様と真のお 母様が
祝福のときの服装で、王冠を被って立っておられました。

そのお姿は、透明でありながら七色に輝いていて、
もう名状しがたい美しさなのです。

うっとりしていると、その円盤がそばまできて、
私を引き上げてくれました。

私は、半ば腰を抜かしたような感じで、
円盤の上にちょこんと座っていました。


するとお父様が、何とおっしゃったと思いますか?

「さあ大塚、地獄に行こう。地獄を救うために」
とおっしゃったのです。

そして、言うな否や、
真の父母様は地獄に向かっていかれたのです。


私は悟りました。
真の父母様は全てを勝利されましたから、
堂々と天国の椅子に座っていてもよいはずです。

そして、私たちが勝利するのを待って
おられればいいのです。
ところがそんな真の父母様ではありませんでした。

地獄の底に降りていって、そこで
苦しむ人々を一人残らず救済するために、
血を流しながら歩まれる方だったのです。

このような、生々しい霊的体験をした私は、
その後3日間、口もきけないような状況になりました。
この体験は、私の魂に深く刻まれました。

自叙伝「天地人真の父母様との対話」
祝福家庭夏号2024
再編集 文責:ten1ko2


地獄の世界は壮絶ですね。。。

しかし、真の父母様は、
「地獄に行こう。地獄を救うために」
これは、親であるからこそのメッセージだと思います。

霊界におられるお父様は、
地上で摂理を進めておられるお母様と
まさに一心同体で地獄を救われる歩みをされています。

地上でどんなに悪なる活動をしてきた霊人たちも、
真の父母様を見つめる観点は、
私たちの次元を超えておられます。

微々たる歩みではあるけれど、
地獄までも愛して行かれる真の父母様に
少しでも近づき、その愛を相続(受け継ぐことが)できる
私たちでありたいと思うのです。


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2024年12月16日

なぜレダなのか、なぜ日本人国メに? パンタナール精神  《女性の立場から見たレダ》



241216-1999.0923.png
開拓出発前に現地を視察してくださった真の父母様(1999年9月23日)


飯野絢子(あやこ)さんの証しの続きです

真の父母様の祝福の祈祷で始まったレダ摂理(後)

なぜパラグアイなのか。
さらに、なぜパンタナールなのか。
なぜ日本人の国家メシヤに託さねばならないのか──。

その答えは、以下のみ言の中に明らかです。


「南米で一番の共産圏の基地がパラグアイ。
だから先生が南米対策するために
最初に来たのがパラグアイ」


「南北米を中心に、日本と韓国を
生かしてやらなければならない。

旧教と新教が反対したから、これが一体化し、
新教の北米、旧教の南米が一つになることによって、
韓国が統一するんですよ」


「日本の母の国の先輩、国家メシヤ、先輩よ。
日本の先輩をつないで、母の伝統基盤を立てる。
誰を送るべきや。
国家メシヤは代表である」


「母の使命は果たされてないよ。
それを君たち、準備して早くせよ」



9月21日に真のお父様は、
「全体蕩減」のみ言(『御旨と世界』)を訓読させた後、
「全体蕩減というみ言を聞いて怖くない?」
と問い掛けられました。

続けて、
「先生、きちがいじゃないんですよ。
なぜ米国で苦労の道を先頭立って行くのか。
第二次世界大戦後、米国を中心にして
キリスト教、旧教と新教を収拾するのは
問題ありませんでした」
と語られました。

キリスト教を一つにして収拾する道があったというのです。

このみ言の中に、キリスト教復帰に対する
真のお父様の悔しい思いをかいま見るのです。

ですから私は、しばらくの間、
この「全体蕩減」のみ言に接することを避けていました。

「もしも、真の父母様が願うように感じられず、
読み取れなかったら」と思うと、
恐怖にも似た心境になるのでした。

さらに修練会の期間、み言の中で「完全」の二文字が
いろいろな言葉に付いたのも印象的でした。

完全蕩減、完全自己否定から完全復帰などなど──。


また、「絶対蕩減するには、
真の父母が絶対不可避な存在です。

悲しくても先生にしがみつかねばならないし、
うれしくても先生にしがみつかねばなりません」

というみ言も忘れられません。

レダに本格的に入るための覚悟と決意を
試されていたようにも思います。


真のお父様は、「先生の背後の本音は何なのか、
知らなくても真剣な時間だ」
と語られ、

「真の父母の代わりに立って!
先生の代わりにやってみよ!
先生と君たちは一つ。
韓国と日本は一つの国である。
みな先生の下の弟だ」
と、
“ウリヌン ハナダ”に値するみ言で
励ましてくださいました。

そのうえで、「夫婦一心で、奥さんともども、
きょうここに指示しているんですよ」
と、
私たちに決心を促しながら、40日の最後には
「間違いなく断行します!」と三度誓わせて、
歴史的なレダ摂理が出発したのです。

真の父母様は、「気をつけて行け。
しっかり決意して行け
」と送り出してくださいました。

飯野絢子(777家庭2024年10月聖和、享年86)
(『世界家庭』2017年3月号
「心情の十字架を超える道−女性の立場から見たレダ−(前)」より)
女性の立場から見たレダ 2
https://www.kogensha.jp/news_web/detail.php?id=27104
再編集 文責:ten1ko2


やはり、国家メシヤの先生たちが、
母の国の使命を果たすために
できなかったことを埋め合わせるために
苦労の先頭に立たれていたのだな、
そのことを改めて感じました。

今も歩まれている先輩たちに
敬意を表したいと思います。

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