2024年06月23日

祝福でさらに運勢UP お義父さんもただ者ではなかった 《梶栗会長証しその2》



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故・梶栗会長の説教より、続編です。
祝福後の証し、
またお父様とのエピソードが出てきます。


祝福は偉大なもので、運勢が変わります。
私個人だけでなく、相手の家族の基盤と両方の土台の上に
立つようになるので、大きくなります。

私のほうは筑豊炭田ですから、あまり大きな基台はありません。
しかし私の奥さんのほうはすごいのです。
お父さんは一高、東大の出身です。
お付き合いしているうちに、その価値がわかってきました。

このお父さんは、祝福の前は、5人も家族が
統一教会に入ってしまったので、ひとりぼっちになったのです。

そして家族が統一教会に入ったために、社長になれず、
ずっと専務とか、副の付く肩書きの役職でとどまっていたので、
教会のことを恨んでいたのです。

千葉の千倉の別荘で、一人寂しく、
植物をいじりながら過ごしていたのです。


それでついに怒って、学生時代の後輩に統一教会を調べさせて、
つぶそうとしたのです。
これが最初の反対運動です。

あれが成功していたら、お父さんは
反対父母の会の会長になっていたことでしょう。

ところが、その後輩が調べて報告するには、
「いいことをしているが、悪いことはしていない」
とはっきりと言ったのです。

それでお父さんも困ってしまったのです。
孫を連れていったら、孫に目がなくなり、入教してしまいました。

このお父さんが私に、「この運動をするには、
いろいろな人をつかみなさい」と言われ、
自分の友達を紹介してくれました。


一高、東大ですから、名だたる人たちばかりです。

中には、マスコミの情報によって統一教会を
うさんくさい団体と思っている方もいました。

「うさんくさい団体か、どうか見たことがあるんですか」
と聞くと、「いや、ない」。
「自分で見て判断すべきではないですか」と言ったら、
「それは、そうだ」ということで、
ホテルで講義を聞いてもらうことにしました。

その講師はだれがよいか、お父様に相談しました。
「相手が付け入るすきがないように理路整然と講義をしたら、
頭の良い者は、かえってカーッと怒って聞かないよ。
だから、おまえがやれ」。

私が「ええ?!」と驚くと、
「おまえは講義がバラバラだからいい」と言われたのです。


私の講義は中間がなくて、結論だけをパッパッパッと
言ってしまうのですが、これが合っていたのでしょう。
その方は、私の講義に結構、感動してくれました。

私が泣いた「メシヤ論」で、彼もさめざめと泣くのです。
この方は仏教徒なのに、なぜ泣くのだろう、
聖書に通じているのだなと感じました。

あとで聞いてみたら、彼は合唱隊に入っていて、
イエスの路程の歌(受難曲)を何度も何度も
原語で歌ったことがあったので、その状況を明確に知っていたのです。

それで、ペテロが三度否定して泣くという場面で、
彼もさめざめと泣いたのです。

聞いた途端、彼は「これは本物である」と結論をぱっと言いました。

「これは応援しなければならない、
世間の誤解を解いてあげよう」ということで、
いろいろと応援してくれるようになりました。

統一教会 第12代会長
 梶栗玄太郎
 <2010 夏季 牧会者説教集 P.31~37>
「真の父母様の軸に合った人間になろう」
世界平和統一家庭連合 公式説教ブログより


梶栗夫人のお父さんの話が、出てきましたが、
以前、梶栗夫人のお母さんの証を聞いたことがあります。

いずれ機会があれば、紹介したいと思うのですが、
お母さんが先駆けて教会に導かれ、
5人の子供たちを伝道されました。

北千住にお住まいで、とても有名なお家でしたが、
お母さんは、駅前で伝道活動されるなど、
周囲の目も気にせずに歩まれたので、
お父さんは後ろ指をさされるような状況でした。

そのあとが、上の梶栗会長が証しされている内容です。

それにしても、「おまえは講義がバラバラだからいい」
とお父様が語られたとのこと。
一応褒めてはいるようですが、なんなのか(笑)。

いずれにしても
梶栗会長のことをよく理解されていたんですね。
お父様に相談されて、大成功でした。

やはり、タイプというものがあるもので、
「個性を活かせばいいのだな」と思いました。


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1984年


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2024年06月16日

(証し)ただ者ではない! アボジを「おう」と言わせた男 「日本に梶栗あり」



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故・梶栗会長の説教より
真のお父様(文鮮明先生)に初めて会われた時の
伝説的なエピソードなど、若き日の証しです。


私は北九州の筑豊炭田に生まれました。
筑豊炭田は「炭坑節」とか「青春の門」の映画などで有名です。
とてもエネルギッシュな所です。

相撲取りの魁皇関、俳優の高倉健は隣の村です。
小さいときには、よく集団でけんかをしていました。
強かったです。
亡くなった野球のオリックスの仰木彬監督は同じ高校の出身です。

筑豊炭田の真ん中を南から北へ遠賀川が貫いています。
その流域で生まれた人を「川筋の男」と言いますが、
私はその川筋の男です。
有名人ややくざなど、いろいろな頭領たちが出た所です。


高校時代に空手をやっていたのですが、
柔道の三船久蔵十段にお会いしました。
空気投げの演武を見せてくれました。

「質問がないか」と言うので、私は手を挙げて
「武道とは、何ぞや」と聞きました。
偉い人に聞くのが一番早いのです。
「武道とは、真理を体得することである」ときっぱり答えました。


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大学時代


次に会ったのがビリー・グラハムで、
彼のクルセードに毎回参加しました。
何か引かれていったのです。

「間もなく偉い人が地上に来る」と言うのです。
そのあとに原理を聞いたので、原理がスムーズに入りました。


私は最初、「終末論」から聞きました。
三本線を引いて、アブラハム、イエス、再臨主と黒板に書きますが、
私は「再臨主が来たんだ」とピンと来ました。

この方のことを説明するために、
これからの理論があるのだなと思いました。

「復帰原理」は泣きながら聞きました。
神様に会えたのです。

講義が終わって下北沢の教会で
西川勝先生(崔奉春宣教師)とお会いしました。
やせこけた人でした。

「再臨のキリストって、こんなにやせているのかな」。
しかし、やせてはいるが、威厳があるのです。
「やっぱり違うな」。


もうその夜から教会に泊まったのですが、
祈祷したときに、火の玉がバーンと体に入ってきて、
ぐるぐると回って、腸がきれいに整理されて、
下からさっと出て行きました。

何だろうと思いました。
これが火の聖霊ではないか。

「わたしのあとから来る人は、……聖霊と火とによって
バプテスマをお授けになる」と聖書にあります。
火の玉がバッと来て、きれいな体になり、
清められた感じがしました。

明くる朝になったら、目が開けて、
見るものすべてがきれいに見えました。
特に自然がきれいなのです。
不思議だなと思いました。

ところが、電車に乗って人間を見たら、
霊眼が開けたのでしょう、悪霊がうようよいるのです。
全部見えました。
人の霊人体が汚いのです。

この霊を救うことほど、大きな仕事はないと思いました。
私は建設の仕事をしていましたが、
それよりも霊を救う仕事のほうが意義が深い。
建物はだれでもできるが、これは気がついた者にしかできないから、
私はこっちの道を行こう。
そうして、建設会社を捨ててしまったのです。


初めて「メシヤ論」を聞いたときのことです。
弟子がみな裏切ります。
ペテロも裏切って、外に出て行って激しく泣いた、
と聞いて、私はわんわん泣きました。

男は泣くものではないという思いはありましたが、
人間の弱さに「この野郎!」と、悔しくて泣いたのです。

「自分がイエスのそばにいたら、絶対に裏切らない」
と心で叫んだのです。

そうしたら「今がその時だ」という声が聞こえたのです。
「時が来た」。
これは避けることができません。
私は従わざるを得なくなりました。


お父様が最初に来られた時、私は霊眼が開けた状態で、
お父様にお会いしました。
私は霊界と共にあったから、再臨主に会った
ということに確信を持っていました。

東京・渋谷の南平台の本部で、
たまたまお父様と二人きりで出会いました。
にこっと笑って私に近づいてこられ、握手してくださいました。

「君、先生をどう思うか」
「先生は再臨主です」
「おお、再臨主か」。

遠くを見つめながら、何か思いにふけっておられました。
そのころはみんなが「大先生」とお呼びしていたのです。
一人も再臨主とかメシヤとか言っていないころです。
私は霊的に見たので、率直にそうお答えしました。

世界平和統一家庭連合 公式説教ブログ
統一教会 第12代会長
 梶栗玄太郎
 <2010 夏季 牧会者説教集 P.31~37>
「真の父母様の軸に合った人間になろう」
(タイトルは編集者がつけました。文責・編集者)


導かれる前からの路程を聞いても、
梶栗先生には、大物の風格を感じます。

どのような形で伝道されたのか、
具体的ないきさつも興味深いところですね。
(以前紹介していますので こちら をどうぞ)

み言にもスパークされ、
再臨主が来ていることを確信された梶栗先生。

まだ真の父母といっても、しっかり証しされず、
真の父を先生、大先生と呼んでいた頃でしょう。
再臨主であるとも、証しされませんでした。

その頃、実際に南平台でお父様とお会いし、
お父様のことを「再臨主です」と、直接証しされました。

1963年頃のこと。
お父様は40代、梶栗先生は、まだ20代でした。

お父様の方から、梶栗先生のことを霊的に感じて
近づいて行かれたような気もします。

お父様の前でも物おじせず、
お父様が物思いにふけるような
そんな発言を初対面でしてのけた梶栗先生。

『この日本の国に梶栗が生まれた』と
きっと、お父様の記憶に強烈に残ったことでしょう。

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梶栗玄太郎(かじくり・げんたろう、1937〜2012)会長:
 世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)の第12代会長。
 日本統一教会の草創期から教会の基礎を築き、統一教会の要職を歴任。
 会長就任後は、日本統一教会の社会的評価や信頼を高めていくために
 教会の組織強化を図り、牧会者および信徒の信仰指導、
 後輩たちの育成のために尽力されました。
 2012年12月26日聖和。
 真の父母様より、「忠臣奉天」の称号を贈られています。


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2024年06月07日

阿部先生が忘れられない、1960年代草創期 み言は、主との絆を築くもの  《制作の舞台裏》



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▲草創期に原理講義をする阿部知行さん


光言社「制作の舞台裏」より。
『「父母の愛に触れた日々」
「み言」を通して出会うもの』です。


U-ONE TVの動画コンテンツ「阿部知行(777双)が証す
 父母の愛に触れた日々」の配信が、
5月31日(金)から全10回の予定でスタートした。

同シリーズでは、阿部知行(のりゆき)さんに
教会草創期における原理講師や
修練所所長としての経験を語っていただいた。

さらに、阿部さんが韓国滞在中に真の父母様から愛され、
心情的に深い絆を結んだ貴重な体験や教訓もお伝えする。

さて、今回紹介する阿部知行さんの証し映像は、
2021年10月に収録したものである。
撮影当日のコーヒーブレイク中に、
阿部さんがおもむろに語り始めた。

「私は話すことが好きなので、ついついたくさん語ってしまう。
やっぱり60年代の草創期というのは、
なかなか忘れがたいものだよ」


筆者:「そうでしょうね。
まだ何も基盤が整ってない開拓の時代で、
今では絶対に体験できない世界ですね」

「はい、当時は今と違って『再臨のメシヤが
どこに来られて誰なのか』ということは、
なかなか教えてもらえなかった」

筆者:「文鮮明(ムン・ソンミョン)先生のことを
あまり話題にしなかったのですか?」

「そうだよ。だから教会には
まだ真のお父様の写真もなかったんです」

「その時期に一番大切にしていたことは、
お父様のことよりも『統一原理』を
できるだけ多くの人に伝えることでした」

「文鮮明先生のお人柄が明らかになったのは、
実は1965年に文先生が日本を訪問されてからなんだよ」

筆者:「その頃は本当に
『み言』を大切にしていたのですね」


「だから私は『み言』について
このように考えてみました」

「『み言』というものは、真のお父様に
直接出会った人にも、会ったこともない人にも
同じように、お父様との絆を
築いてくれるものだということ」

「例えば、現代人は2000年前のイエス様と
会ったことはないし、イエス様の姿を見たこともない」

「イエス様がどういう人であったか?
何をされた人か? 何を語ったのか?
これを探るためには、キリスト教では
聖書の言葉でしかイエス様に近づく方法はないですね。

クリスチャンは聖書の言葉を語りながら
イエス様と共に歩んでいるという喜びを感じているのです」

筆者:「なるほど。私たちも『み言』を聞いたことで
クリスチャンと共通点があるんですね」


「そうだね、だから私たちの未来の世代にとって、
真の父母様と出会う方法を『み言』を通して
見つけられるようにすることは、
重要な課題になると考えています」

「それがないと、ただの触れ合いになってしまいます。
会って何かをしたという表面的なことだけでは、
真の父母様の愛の世界に入ったとは言えないと思いますよ」

筆者:「確かに私たちは『み言』を通じてのみ、
真の父母様の愛の世界に触れることができます」

「私はクリスチャンなので、イエス様をとても愛しています。
イエス様に直接お会いしたことはありませんし、
共に歩んだこともありません。

しかし聖書を通して素晴らしい世界を知り、
その中でイエス様が私に近づいてくださり、
共にいることを感じることができました。

そのようにして、イエス様を愛することができたのです」

「私たちも同じです。
愛は時空を超えるといわれるのは
本当にそのとおりだと思います。

場所や時間が問題ではありません。
『愛』があると、
あらゆるものを超えて出会えるのです」

「真の父母様が『み言』を通して愛し
近づいてくださる。
その愛に応えて私たちも近づいていけるのか、
これは大きな課題ですね。

そして私たちは日々の生活の中で、
真の父母様の教えを実践し、
愛と思いやりを持って行動することが求められています」

「皆さんも『み言』を通して真の父母様の愛を感じる
喜びをたくさん経験してみてください。

そしてこの喜びを共有し、
父母様から来る真の愛を世界に広めていきましょう」

筆者:「今日は、キリスト教の教えから
学ぶことができて本当に感謝しています」

阿部知行さんの貴重な思い出が
たくさん詰まったこの証し映像を、ぜひご覧いただきたい。

制作の舞台裏から 63
「父母の愛に触れた日々」
「み言」を通して出会うもの
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=24683
(Blessed Lifeより)


阿部先生の証し、視聴しなければ、と思わされました。

確かにイエス様は2000年前の人物。
その方の愛に触れ、命を懸けて信仰を守ってきた
クリスチャンたちが数多くいたわけです。

実体で会えなくても、その人の残したものを通して、
人となりを感じることが出来るのです。

み言の貴重さを改めて感じるし、
また今、実体でおられるお母様との出会いに
本当に感謝しなければ、と思います。

時間の余裕があれば、文字起こししたいですね。


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