2024年03月01日

無念な思いや葛藤が一度に整理されました 父と母は一体だと悟った瞬間 《真のお母様、感謝します》



240301.JPG


真のお母様(韓鶴子総裁)との出会いの証し集
『真のお母様、感謝します』より
証しを一つ紹介します。


真のお母様は3年間の侍墓(シミョ)生活を終えられた後、
真のお父様聖和3周年記念式(2015年8月30日、
清心平和ワールドセンター〈当時〉)で
次のように語られました。

「お父様、これ以降は心配しないでください。
私たちが必ずや責任完遂いたします。

ですからお父様は、永遠なる本郷苑において、
これまで孤独であった神様、天の父母様を慰労され、
頌栄(しょうえい)の対象として
自由の身となられることを懇求いたします!」



私はこのみ言(ことば)を会場で拝聴し、
「お父様とお母様は本当に一体なのだ」とはっきりと分かりました。

同時に、お父様が聖和される1カ月前の
2012年8月4日に夫を霊界に送って以来、
ずっと抱いてきた無念の思いや葛藤などが整理され、
本当の意味で吹っ切れたのです。

そして、「私も夫の遺志を受け継いで、
夫と一つになって歩んでいこう」と、
改めて決意させられたのです。


2015年12月、「真の父母様招請クリスマス晩餐会」
(25日)に招かれて渡韓しました。

お母様は集った日本の先輩家庭を前に、
40分にわたってみ言を語ってくださいました。

中でも印象的だったのは、
「私がまだ地上に生きているのが、
どれだけありがたいことでしょうか。
そのことを皆さんは分からなければなりません」
というみ言でした。

お父様の願いである全人類の救いのために、
堂々と立たれるお母様と心情を一つにして、
自らの責任を果たそうと決意して帰ってきました。

帰国した翌日の12月27日、かねてから
自宅の物置小屋を改装して準備していた
家庭教会の開所式を行いました。

お母様の激励を受けて、都家の
神氏族メシヤを出発できたことを感謝しています。

240301-2015.0830.png
▲天宙聖和3周年記念式でみ言を語られる
真のお母様(2015年8月30日)

【お父様がお母様について語られたみ言】
お母様は、第二教主の
資格がありますか、ありませんか。

大講堂に立って凜々しく、
男性のような度胸をもって
お母様以上に講演できる人は
手を挙げてみてください。

お母様から多くのことを学んだのではないですか。
お母様がここまで立派にできるとは
夢にも思わなかったでしょう。
大いに尊敬しなければなりません。


(『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』118ページ)

「お父様、心配しないでください」
都 惠子(あやこ/777双)
(光言社・刊『真のお母様、感謝します』より)

スマホで立ち読み Vol.19
『真のお母様、感謝します』29
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=18428
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


今回、御聖誕日の記念行事に、
元老の先輩たちがお母様に呼ばれ、
特別ツアーをされたそうです。

そこに証しをしてくださったお姉さんが、
参加されているかは定かではありませんが、
お母様のみ言は、とても厳しかったと聞いています。

お母様ご自身も摂理の最前線に立たれているし、
何よりも、一つになっておられる、
お父様の思いを含めてのみ言だったのだろう、と思うのです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

2024年02月29日

親族から理解されず、非難された私の家庭・・・現在の姿は 《旧統一教会*私たちの声》



231107.jpg


2022年7月8日以来、国家的迫害ともいえるような
バッシングを受けている、家庭連合の信徒の
「心の叫び」をまとめた
『私たちの声を聞いてください』より
「激しい反対や葛藤の向こうに神様の祝福」です。

激しい反対や葛藤の向こうに神様の祝福
(65歳男性)

1996年10月、私の妻は生後まだ8ヶ月だった娘を
私に預けてグアテマラへ
海外ボランティアの活動に出かけました。

妻は、幼い娘を残して旅立つことに
相当、葛藤していましたが、世界平和のために
尽くそうと決意して出発しました。

このことは、世間の人たちからは
理解できないことかもしれません。

残された私は妻の故郷に戻っていたため、
妻の親、妹、親戚から
あらゆる悪口を言われました。

正月に実家に行こうとすると、
妻の父親から「もう、おまえは
二度とここに来なくていい、
おまえの故郷の九州へでも行け」
とまで言われました。

義父に殴られることを覚悟して、
実家に娘を連れて行くと、ありがたいことに
孫のかわいさに家に入れてくれました。

親戚宅へ行くと、「乳飲み児をおいて
海外ボランティアの活動に行くなんて、
あんたたちがやっていることは人間のやることではない、
二度とウチには来ないでほしい」と言われました。


その後、24時間、子供を預かってくれる
乳児院を見つけました。

そこは1歳以上なら預かるということでしたが、
特別に預かってくれることになりました。

そのとき、他の子供たちは走り回ったり、
歩いたりしているのですが、
私の娘はまだハイハイしかできませんでした。

私はそれまで苦労して苦しいと感じたことは
ありましたが、このときは心が痛いと感じたのです。
苦労する本人より、子供の苦労する姿を見つめる親は
もっと苦しいんだということを悟りました。

そのときイエス様の十字架の場面が思い浮んで、
イエス様の十字架を見つめながら、わが子を
助けられなかった神様がどれほど苦しかったのか、
本当に“血の涙を流された”ということが分かりました。

そして、苦労していかれる真の父母様
(文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻)を見つめる
神様の心情も感じました。

それからはイエス様に思いがいき、
イエス様の映画を見ては泣き、
殉教者の物語を読んでは泣きました。


そして1年後、妻は元気で日本に戻ってきました。
そしてすぐに身籠(みごも)り、
元気な男の子を生みました。

この子は「為(ため)に生きる」心が強く、
小学3年の頃、昼ご飯を一緒に食べていると、
「お父さん、足りなかったら、俺のあげるよ」
と言うではありませんか。

私は驚いて、これは親が子供に
言う言葉ではないかと思いました。

その子も、今は就職して毎月献金をし、
時々妹たちや親を食事に連れて行ってくれます。

あのとき乳飲み児だった娘は二世祝福を受けて
結婚し、高校時代からの親友にも
夫婦で会うほどに仲が良く、夫婦とも
「祝福を受けられてとても幸せだ」といいます。

そして実家の妻の父にも会ってもらい、
父も喜んでいました。

天の願いに従う道は、時に理解されずに
反対やバッシングに遭い、苦しむこともありますが、
それを越えた後には大きな福を
神様が下さることを感じています。

https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=23292
私たちの声を聞いてください 25
激しい反対や葛藤の向こうに神様の祝福
再編集 文責:ten1ko2


今回証しをされた方と同じく、
私の妻も海外派遣員として、ヨーロッパに旅立ちました。

ちょうどその時に、私は二度目の拉致監禁に遭ったのです。

命からがら逃げだした時、
妻は海外で活動していました。

私を助け出すために、「日本に帰ろう」
そのように思う時もあった、といいますが、
お父様からは「何があっても3年は日本に帰らないように」
と言われたこともあり、現地に残って活動したのでした。

振り返ってみれば、妻が海外で活動したことも
私が戻ってくる条件になったのだ、そんな風に思います。

私はまだ家庭出発前でしたが、
証しの方のように、乳飲み子を置いて、
海外に派遣された人もいました。

地の事情を超えて、
そういう活動をしたメンバーがいたのだということも
世間の人達に知っていただきたいと思うのです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

2024年02月20日

「神様は悪いようにはされない」 雪で困った出来事 《続・夫婦愛を育む*橘先生》



240220.jpg


Blessed Lifeの人気エッセイスト、
橘幸世さんによるエッセー
「続・夫婦愛を育む」をお届けします。

  
先日、倒木による停電により、
乗る予定だった特急列車が運転見合わせとなりました。

再開見通しが立たぬまま、
駅の待合室で待つこと2時間半。
暖房はありません。

電車を諦めて長距離バスに乗ろうか、
席はあるか、バスは運行できるかと、
思い巡らせていると、倒木場所の先の駅まで
代行バスが出るとのアナウンス。

着いた駅でさらに待つこと1時間、
特急列車が手配され、予定より
4時間余り遅れて無事帰ることができました。

突然の不運にも、よその国だったら
どうなっていただろうと思いました。

また、雪で困った過去の出来事が
あれこれ思い出されました。

 
子供たちがまだ2歳と1歳の頃、
下の子をおんぶして上の子の手を引き、
保育園から帰ろうという時、
バス停で待てど暮らせどバスが来ません。

突然の大雪に東京の交通機関がまひしたのです。

携帯もない時代。
辺りには誰もいない、ぼたん雪が降る暗い中、
幼い娘は疲れて抱っこをせがみますが、
こちらの体力にも限りがあります。

たまに通るタクシーに手を振るも、
既に乗客がいます。

途方に暮れていると、
一台のトラックが止まってくれました。
若いお兄さんが家の近くまで乗せてくれたのです。

降りる時に渡そうとした薄謝を受け取ることもなく。
本当に救われました。

 
アメリカで活動していた時、夕方雪が降る中、
ガソリンスタンドの前で迎えを待つこととなりました。

そのガソリンスタンドは午後5時に閉まるのですが、
寒かろうと、オーナーが暖かい事務所の中で
迎えが来るまで待たせてくれました。

私に付き合った従業員さん、
見も知らぬ者のために残業です
(手当が付いたか分かりません)。

雪関連以外にも、助けられたエピソードは
いろいろあります。
振り返れば、ただただ感謝です。


自分の人生、予想もしなかった
展開がたくさんありました。

「私の人生、そうなる?」
「なぜこんな事が起こるの?」
と思わぬ方向にかじが切られます。

不安や心配が湧いてきますが、
そんな時、自分に言うのが、
「神様は悪いようにはされない」。

絶望や大きな悲劇に襲われた時は、
とてもそうは言えないと思いますし、
そんな中にいる人にかける言葉ではありませんが…。

「必ず勝利するぞ、天が付いている」的な
波動はちょっと苦手です。

でも、これまでも何とかなってきたので、
次の試練が来ても、「神様は悪いようにはされない」
と事態を受け止めるようにしています。

神様のご計画を尋ねながら、歩むよう努めます。

不確定要素が増すばかりと思われる昨今、
どのような展開が待っているのか
知る由もありませんが、天に尋ねつつ、
真の父母様のもと、家族・兄弟姉妹と
支え合いながら、歩んでいきたいと思います。

続・夫婦愛を育む 15
神様は悪いようにはされない
ナビゲーター:橘 幸世
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


まさに、「捨てる神あれば拾う神あり」ですね。。。

先日、ナイジェリアの兄弟と米日家庭の祝福二世3人と
ライン電話で授受する場を持ちました。

そのナイジェリアの兄弟は、日本で伝道されたあと、
事情により、強制出国されました。
今はアメリカにわたり、祝福を待っているような立場です。

もともとイスラムの信仰もあり、その土台で導かれているので、
神様はともにある、という信念の持ち主でした。

絶望的な状況でも、絶対にあきらめない、
神様は必ず導いて下さる、という確信の中で
奇跡的に導かれていきました。

本当にとても学ばされることがとても多いです。

橘先生の証しを聞いて、
そんなことを思い出しました。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。