2023年07月27日

45年前の中高生とアボジとの一問一答 *SLAM DUNKの1シーン 《中高生のためのWeb礼拝 本山局長@》



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U-ONE TV(公式YouTube)に
本山局長のWeb礼拝がアップされています。
「真の父母様と成和学生をつなぐ夢」です。
数回に分けて紹介します。


今日は真の父母様と成和学生をつなぐ夢
というテーマでお話をしていきたいと思います。

皆さんは真のご父母様のことをどう思いますか。

もしかしたら直接お会いしたことがない、
成和学生の皆さんにとって、
真のご父母様は、自分とは遠いところにいる存在
もしくは自分の人生とあまり関係がないと
感じている人もいるかもしれません。

しかし考えてみれば2世という存在は
1世から導かれてきた存在です。
皆さんのお父さんお母さんが真の父母様に出会ったがゆえに、
私たちはここにいると言えます。

中高生期は自分の人生をどう生きていくのか
考えないといけない大切な時期です。

自分の人生をどのように生きていくのか、
そんな重要なことを考えるときに
「私と真の父母との関係」というのは、
実は重要なテーマなのではないでしょうか。


今回引用させてもらう、『真なる子女の道』の中の
「み旨の道を行く2世たちの取るべき姿勢」

これは、1978年清平にその当時の中高生が集まった修練会で、
中高生の(2世の)子たちがお父様に質問を投げかけます。
お父様がそれに応え、親しく語りかけるシーンが掲載されています。

皆さんのお兄さんお姉さんたち、45年前の中高生のみんなが
どんな質問を父母様に投げかけたのか興味がありませんか。
少し見てみましょう。


質問
『お父様が今まで過ごされた中で嬉しかったことや
悲しかったこと大変だったことを少しお話ししてください』

成和学生から真のお父様への質問
『真なる子女の道』p144


きっと質問したお兄さんお姉さんたちも、二世として歩む中で、
大変なこと悲しかったこと、たくさんあったのかもしれません。

皆さんはどうでしょう。
真のお父様なら、そんな時どうされるんだろうか。
こんな質問は皆さんにとっても関心がある内容じゃありませんか。

お父様どのように答えられたのでしょう。


「悲しかったことと嬉しかったことと、
そして何のことだって?」

「大変だったことです」


大変だったことが何かあったかな。
人は自分の目的を定めて仕事をすれば、
大変なことも大変ではなく、
悲しいことも悲しみではなくなるのです。

自分の目的を持って進めば難しいこともありえないし
悲しいこともありえないのです。
悲しんでいたらその目的をどうやってなせますか。


真のお父様のみ言
『真なる子女の道』p144



目的がはっきりあればすべてのことは
そこに向かっていく中で起こりうることだ。
だから決してそれは悪いことではないんだ,
とお父様は語りかけられます。

成和学生の皆さんにとってもどうでしょう。
大変だなあと感じること
悲しいなと感じることたくさんありませんか?

しかしお父様が語られるように
何か目指す目的がはっきりとあれば、
それを果たすために苦しいことや悲しいことがあっても、
それは決して悪いことではなく
楽しむことができるんだというわけです。

例えば皆さんは部活動に励んだり、
受験勉強するときどうでしょう。
もしかしたら辛いことや苦しいことも、
たくさんあるかもしれません。


私が青春時代によく愛読した
SLAM DUNK(スラムダンク)という漫画があります。

それは高校のバスケットボールの部活動を描く漫画ですが、
(登場人物の一人に)赤木くんというキャプテンがいます。

彼は高校1年生の頃から全国制覇という目的を、
明確に持って厳しい練習を自らに課します。
しかしそんな彼についていけない友達たちは、
お前と俺は違うんだ、お前にはついていけないよ
と言って、彼を嫌います。

赤城君は孤独にバスケットボールを
続けていきますが、いつの日か同じように
上を目指す目的を持った仲間たちに出会い、
高校3年生の時に、大会で勝ち進んでいきます。

全国制覇をするような日本一の高校とぶつかったとき、
そのチームと互角に渡り合いながら、
彼は共に歩む仲間たちに、
「お前たちは最高だ」と語りかけるのですが、
非常に感動したのを覚えています。

これは一つの例に過ぎないかもしれませんけれども、
目的をはっきりと持つこと、
そしてその目的に向かって共に歩む仲間がいること、
それは皆さんの人生にとって大きな力になるに違いありません。


さらにお父様はこのように
成和学生のみんなに語りかけます。


人が何かの目的を定めたとすれば
その目的を成し遂げるためには、
時間を投入しなければなりません。

1年、2年、時間を投入しなければならないのです

その次に、努力をしなければなりません。
いかに多くの努力をするかということなのです。

その次に精誠を尽くさなければなりません。


「真なる子女の道」p144〜145


このようにさらに目的を定めたならば
そこに向かって時間と努力と精誠を投入していくならば
その中で経験する苦しいことや悲しいことが
むしろその目的を果たすための財産になっていくんだよ、
と教えてくれています。

中高生のためのWeb礼拝 第157回
「真の父母様と成和学生をつなぐ夢」
U-ONE TV
再編集 文責:ten1ko2




お父様が成和学生たちの質問に
正直に答えられる場面、とても興味深かったです。

お父様にとっては、悲しく苦しいこともあったとしても、
明確なる目標があったがゆえに、
それを乗り越えていかれたのでした。

余談ですが、局長が例題にあげている
「スラムダンク」ですが、
私がまだ若いころにとても人気のあったアニメでした。

それが最近、再燃していて、
息子たちは先日、映画を見に行ったらしいです。

やはり、一つの目標に向かって、困難を越えて
突き進んでいくというのは、
世代を超えて、人に感動を与えるのだと思います。

真の父母様の生涯路程も、
同じようなことなのだな、と思いました。
次回も続きます。
お楽しみに。
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2023年03月29日

小さな子供に「神様っているの?」と聞かれたら、「いるよ!」と答えたい



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世界家庭 編集部員のブログから、人気の記事の一つ
「『神様っているの?』と聞かれて」を紹介します。
 

今から10年以上前の、独身時代の話です。

二世の友達が知人を招いてホームパーティーをするというので、
私は子守役として参加し、4歳から10歳くらいの
子供たち8人と風船やしゃぼん玉で遊んでいました。

やがて探検ごっこをすることになり、
子供たちは家の中をあちこち見て回って、
最後に2階の祈祷室にたどり着きました。

すると、中に入るやいなや、友達の子供(三世)たちが
真の父母様の真尊影を指さして、
「見て! 神様の写真だよ!」と、
他の子供たちに説明し始めたのです。

そして、「神様が僕たちをいつも見ているんだよ!」
と、喜々として語りだしました。

しかし、真の父母様を知らない子供たちは、
急な展開に戸惑い、困惑しているようでした。

そして、その中の一人の女の子が、
「神様っているの?」
と、真剣な顔で私に聞いてきたのです。

曇りなき目で見詰められ、
私は一瞬言葉に詰まってしまいました。

なぜなら、彼女の父親は妻子に手を上げる人で、
家庭に非常に難しい事情を抱えていたからです。

「神様がいるのなら、なんで私とママのことを
助けてくれないの?」と、言われたらどうしよう
と思ってしまいました。

かろうじて、「うん。神様はいるよ!」
と言った瞬間、

「みんな、ケーキを食べましょう!」
という声がキッチンから聞こえてきました。

わーっと子供たちが祈祷室を出ていき、
この話はおしまいになりました。

しかし、私は、彼女への返答に詰まった自分が悔しくて、
何と言えばよかったのかをずっと考えていました。

 
あれから時は流れ、現在、
2人の息子の子育てに奮闘中です。

先日、長男(5歳)に、
「(お父様は)天国にいるんだったら、
目には見えないの?」と聞かれました。

「そうだね。でも、
『会いたいです』ってお祈りしたら、
きっと夢で会えるし、
ずっと見守ってくれているよ」と言うと、
「じゃあ、いつも一緒にいるのと同じだね」
という言葉が返ってきました。

息子が純粋に、そう思ったことが伝わってきました。

きっと、あのときの女の子も、純粋に、
「神様はいるのか」について
知りたかっただけだったのでしょう。

なのに私は、彼女がどう思うかをかってに想像して、
伝えるのをちゅうちょしてしまったのです。

今考えると、私の中に、
神様のことを深く聞かれたらどうしよう
という戸惑いがあったのかもしれません。
思い込みが強すぎたと反省しています。


今、み言を伝えたい友人がいます。

あの女の子に神様のことを十分説明できなかった分、
その友人には、
怖がらずにまっすぐ伝えたいと思います。

「神様っているの?」と聞かれて
世界家庭 編集部員のブログ(光言社)
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2


子供は本当に純粋で素直です。

うちの子供たちも
小学生になる時まで、
サンタクロースを信じていました。

いつの間にか、友達からの
「サンタなんていないんだ」
という言葉に影響を受け、
信じないようになりましたが。。

神様に対しても、親から
神様の存在を教えられ、信じていても、
教育の問題、ネットの影響などで、
いつの間にか、教会を否定し、
神様を否定する場合もあるでしょう。

それでも、幼い頃に信じた思いは残っているので、
実感はないからわからないけれど
いるのだろうと思っているようです。

子供の前には、私自身が正直で、
素直な思いで接しなければ、と思うのです。





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2023年02月04日

「お父様が青年になって一緒に暮らしてあげたい!」 日本の2世の未来を予見 《竹内大陸副会長》

「尋訪」は「神訪」!



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竹内啓晃・大陸副会長の、
「尋訪(シンバン)プロジェクト」について
語られたメッセージ。

その中で、真のお父様(文鮮明先生)が
日本の中高生の2世たちに
直接語られた貴重なみ言が
紹介されています。

真の父母を代身して愛する親となろう

真のお父様が晩年、韓国の天福宮教会で合唱を捧げた
日本の成和学生(中高生)に語られたみ言をご存じでしょうか。

未来を担う二世たちを見詰められる思いを
吐露されるように語りました。


「このような子女たちを見ると、
 私が青年になって、
 一緒に暮らしてあげたいのです。

 私が火のごとく燃え、狂ったように。
 この子女たちに、そのようなひとかけらの時間でも
 見せてあげられる時代を失ってしまった
 『恨(ハン)』を抱いて生きていることを、
 皆さんは忘れないでください。

 あなたたちは何よりも貴いこの時代を
 喪失しないように努力しなければなりません。
 先生より、以上に。

 先生は、若い青年期をみんな失ってしまいました。
 もう若くもない。
 先も無いんですよ。

 そのような先生の立場から見れば、
 今から養育されるべき
 青少年たちが自分自身の・・・。

 どうか聴衆の皆さんは、
 このような若い子女たちを守ってくれる、
 神様に代わる父母になってください。

 (家庭が互いに)兄弟、親戚と
 なることを願いながら、
 きょうの祝いの一つの記憶として
 残るように祈りつつ...。

 では、一生懸命に勉強して!
 未来の希望が待っていますから」


(2010年3月7日、天福宮家庭教会)

二世園復帰にかける天の願い

真の父母様の勝利の中で共に歩むことができる「今」を、
真のお母様は「摂理の春」「黄金期」とし、
私たちと共に六千年の神の復帰摂理に
終止符を打とうとされています。

お母様は誰よりも、その伝統が今こそ、
未来を担う二世・三世圏へと
相続されていくよう願われています。

真のお母様のそのような心情と
誰よりも一つになって歩まれる方相逸・大陸会長は、
就任当初から「全ての二世・三世が戻ってこられる
教会にならなければならない」と、
成和圏のリーダーたちを指導してこられました。

そして、夏には全国を巡回しながら、
「二世圏復帰のために公職者たちが
立ち上がらなければならない」と訴えられたのです。


尋訪プロジェクト

現在、二世圏復帰のために本部と現場が
一丸となって取り進んでいるのが「尋訪プロジェクト」です。

日本人には、「尋訪」と言われても、なじみが薄いかもしれません。
その意味は「訪れて尋ねる」ということであり、
具体的には牧会者や教会スタッフが
所属信徒の家庭を訪問することを言います。

それは単なる家庭訪問ではありません。
韓国の教会では、「尋訪」を「神訪」とも表現します。
『人が人の家を訪ねる』のではなく、
『神が人を訪ねる』ことでもあるからです。

教会から足が遠のいた二世の親は、誰もが心を痛めています。
しかし、もっと心を痛めておられるのが、
親である天の父母様(神様)ではないでしょうか。

教会から離れている二世も、神様にとっては愛する子女です。
神様は切なる思いで、その二世たちに
愛を伝えたいと願われているに違いありません。

そのような天の父母様の思いを胸に、
牧会者や教会スタッフは皆様の子女を尋訪する準備をしています。

父母の皆様も、天と同じ思いを抱きながら、
できる限りの捧げて準備していただきたいと思います。

教会スタッフは、二世の子女たちを尋訪する前に、
その父母として面談して状況を確認し、
心を一つにして臨めるよう努めています。

父母の皆様も尋訪者と家庭や子女の事情をよく共有し、
祈りの基台を整えたうえで、
尋訪の日を迎えていただきたいと思います。

きっと大きな天の役事が起こると信じます。


未来を担う二世・三世たちは、天の父母様が六千年間、
待ち焦がれた息子・娘たちです。

真の父母様が愛してやまない子女であり、
私たちの祝福家庭の結実です。

どうか、二世圏復帰プロジェクトを、
単なる訪問活動、数的目標の測られるものと
捉えないように願います。

父母の愛が、水が流れるように
自然と子女たちに流れていく、
私たちの運動の『真の愛による内的刷新運動』
となるように願ってやみません。

世界家庭2021年10月号
『ぽちゃんぽちゃん石を投げよう
〜私から始まる真の愛の実践
拡がれ日本の隅々まで〜』
(※一部割愛、編集。
み言の部分を先にしました)


「尋訪プロジェクト」が始まった2021年の
ものですが、編集し、再度掲載させて頂きました。

竹内副会長が紹介してくださった
お父様のみ言。
このみ言は、二世青年のために語られた
歴史的なみ言だと思います。

特に最後は日本語で語られていますので、
より心に深くしみ込んできます。
(上の写真は、実際に語られた時のものです)

本当に二世たちを我が子のごとく愛される、
お父様の痛切なる思いを
私たちがしっかりと受け止めていかねばと思います。

以前、太田洪量先生が父母向けのセミナーで、
「荒漠たるサタン世界で二世たちは一人で戦っている・・・
父母の皆さんが守らないでどうするんですか」
涙ながらに訴えておられました。

また、昨今の宗教2世の問題がクローズアップ
されている中では、さらに深刻に
捉えるべきでしょう。

お父様のみ言は、
胸の奥に突き刺さるようです。
本当にそうです。
子供たちを守ってあげないと・・・

尋訪プロジェクトは、言われて動くものでなく、
本心の叫び、神様の懇切なる願いだと感じます。

今、尋訪活動が全国で取り組まれています。
対象は、二世だけでなく、全食口です。
そこでの牧会者と食口の交わりを通して、
復興がなされるように心から願います。

尋訪を進めてきた、ある教区の教会長の
インタビューが心に残りました。
「本当に畳がぼろかったりとか、
廊下がミシミシいったりとかですね
本当にいとおしいというか
でも神様を大事にしていらっしゃるので
義人ですよね
毎日義人に会いに行っている感じなんです」


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