2023年03月29日

小さな子供に「神様っているの?」と聞かれたら、「いるよ!」と答えたい



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世界家庭 編集部員のブログから、人気の記事の一つ
「『神様っているの?』と聞かれて」を紹介します。
 

今から10年以上前の、独身時代の話です。

二世の友達が知人を招いてホームパーティーをするというので、
私は子守役として参加し、4歳から10歳くらいの
子供たち8人と風船やしゃぼん玉で遊んでいました。

やがて探検ごっこをすることになり、
子供たちは家の中をあちこち見て回って、
最後に2階の祈祷室にたどり着きました。

すると、中に入るやいなや、友達の子供(三世)たちが
真の父母様の真尊影を指さして、
「見て! 神様の写真だよ!」と、
他の子供たちに説明し始めたのです。

そして、「神様が僕たちをいつも見ているんだよ!」
と、喜々として語りだしました。

しかし、真の父母様を知らない子供たちは、
急な展開に戸惑い、困惑しているようでした。

そして、その中の一人の女の子が、
「神様っているの?」
と、真剣な顔で私に聞いてきたのです。

曇りなき目で見詰められ、
私は一瞬言葉に詰まってしまいました。

なぜなら、彼女の父親は妻子に手を上げる人で、
家庭に非常に難しい事情を抱えていたからです。

「神様がいるのなら、なんで私とママのことを
助けてくれないの?」と、言われたらどうしよう
と思ってしまいました。

かろうじて、「うん。神様はいるよ!」
と言った瞬間、

「みんな、ケーキを食べましょう!」
という声がキッチンから聞こえてきました。

わーっと子供たちが祈祷室を出ていき、
この話はおしまいになりました。

しかし、私は、彼女への返答に詰まった自分が悔しくて、
何と言えばよかったのかをずっと考えていました。

 
あれから時は流れ、現在、
2人の息子の子育てに奮闘中です。

先日、長男(5歳)に、
「(お父様は)天国にいるんだったら、
目には見えないの?」と聞かれました。

「そうだね。でも、
『会いたいです』ってお祈りしたら、
きっと夢で会えるし、
ずっと見守ってくれているよ」と言うと、
「じゃあ、いつも一緒にいるのと同じだね」
という言葉が返ってきました。

息子が純粋に、そう思ったことが伝わってきました。

きっと、あのときの女の子も、純粋に、
「神様はいるのか」について
知りたかっただけだったのでしょう。

なのに私は、彼女がどう思うかをかってに想像して、
伝えるのをちゅうちょしてしまったのです。

今考えると、私の中に、
神様のことを深く聞かれたらどうしよう
という戸惑いがあったのかもしれません。
思い込みが強すぎたと反省しています。


今、み言を伝えたい友人がいます。

あの女の子に神様のことを十分説明できなかった分、
その友人には、
怖がらずにまっすぐ伝えたいと思います。

「神様っているの?」と聞かれて
世界家庭 編集部員のブログ(光言社)
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2


子供は本当に純粋で素直です。

うちの子供たちも
小学生になる時まで、
サンタクロースを信じていました。

いつの間にか、友達からの
「サンタなんていないんだ」
という言葉に影響を受け、
信じないようになりましたが。。

神様に対しても、親から
神様の存在を教えられ、信じていても、
教育の問題、ネットの影響などで、
いつの間にか、教会を否定し、
神様を否定する場合もあるでしょう。

それでも、幼い頃に信じた思いは残っているので、
実感はないからわからないけれど
いるのだろうと思っているようです。

子供の前には、私自身が正直で、
素直な思いで接しなければ、と思うのです。





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2023年02月04日

「お父様が青年になって一緒に暮らしてあげたい!」 日本の2世の未来を予見 《竹内大陸副会長》

「尋訪」は「神訪」!



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竹内啓晃・大陸副会長の、
「尋訪(シンバン)プロジェクト」について
語られたメッセージ。

その中で、真のお父様(文鮮明先生)が
日本の中高生の2世たちに
直接語られた貴重なみ言が
紹介されています。

真の父母を代身して愛する親となろう

真のお父様が晩年、韓国の天福宮教会で合唱を捧げた
日本の成和学生(中高生)に語られたみ言をご存じでしょうか。

未来を担う二世たちを見詰められる思いを
吐露されるように語りました。


「このような子女たちを見ると、
 私が青年になって、
 一緒に暮らしてあげたいのです。

 私が火のごとく燃え、狂ったように。
 この子女たちに、そのようなひとかけらの時間でも
 見せてあげられる時代を失ってしまった
 『恨(ハン)』を抱いて生きていることを、
 皆さんは忘れないでください。

 あなたたちは何よりも貴いこの時代を
 喪失しないように努力しなければなりません。
 先生より、以上に。

 先生は、若い青年期をみんな失ってしまいました。
 もう若くもない。
 先も無いんですよ。

 そのような先生の立場から見れば、
 今から養育されるべき
 青少年たちが自分自身の・・・。

 どうか聴衆の皆さんは、
 このような若い子女たちを守ってくれる、
 神様に代わる父母になってください。

 (家庭が互いに)兄弟、親戚と
 なることを願いながら、
 きょうの祝いの一つの記憶として
 残るように祈りつつ...。

 では、一生懸命に勉強して!
 未来の希望が待っていますから」


(2010年3月7日、天福宮家庭教会)

二世園復帰にかける天の願い

真の父母様の勝利の中で共に歩むことができる「今」を、
真のお母様は「摂理の春」「黄金期」とし、
私たちと共に六千年の神の復帰摂理に
終止符を打とうとされています。

お母様は誰よりも、その伝統が今こそ、
未来を担う二世・三世圏へと
相続されていくよう願われています。

真のお母様のそのような心情と
誰よりも一つになって歩まれる方相逸・大陸会長は、
就任当初から「全ての二世・三世が戻ってこられる
教会にならなければならない」と、
成和圏のリーダーたちを指導してこられました。

そして、夏には全国を巡回しながら、
「二世圏復帰のために公職者たちが
立ち上がらなければならない」と訴えられたのです。


尋訪プロジェクト

現在、二世圏復帰のために本部と現場が
一丸となって取り進んでいるのが「尋訪プロジェクト」です。

日本人には、「尋訪」と言われても、なじみが薄いかもしれません。
その意味は「訪れて尋ねる」ということであり、
具体的には牧会者や教会スタッフが
所属信徒の家庭を訪問することを言います。

それは単なる家庭訪問ではありません。
韓国の教会では、「尋訪」を「神訪」とも表現します。
『人が人の家を訪ねる』のではなく、
『神が人を訪ねる』ことでもあるからです。

教会から足が遠のいた二世の親は、誰もが心を痛めています。
しかし、もっと心を痛めておられるのが、
親である天の父母様(神様)ではないでしょうか。

教会から離れている二世も、神様にとっては愛する子女です。
神様は切なる思いで、その二世たちに
愛を伝えたいと願われているに違いありません。

そのような天の父母様の思いを胸に、
牧会者や教会スタッフは皆様の子女を尋訪する準備をしています。

父母の皆様も、天と同じ思いを抱きながら、
できる限りの捧げて準備していただきたいと思います。

教会スタッフは、二世の子女たちを尋訪する前に、
その父母として面談して状況を確認し、
心を一つにして臨めるよう努めています。

父母の皆様も尋訪者と家庭や子女の事情をよく共有し、
祈りの基台を整えたうえで、
尋訪の日を迎えていただきたいと思います。

きっと大きな天の役事が起こると信じます。


未来を担う二世・三世たちは、天の父母様が六千年間、
待ち焦がれた息子・娘たちです。

真の父母様が愛してやまない子女であり、
私たちの祝福家庭の結実です。

どうか、二世圏復帰プロジェクトを、
単なる訪問活動、数的目標の測られるものと
捉えないように願います。

父母の愛が、水が流れるように
自然と子女たちに流れていく、
私たちの運動の『真の愛による内的刷新運動』
となるように願ってやみません。

世界家庭2021年10月号
『ぽちゃんぽちゃん石を投げよう
〜私から始まる真の愛の実践
拡がれ日本の隅々まで〜』
(※一部割愛、編集。
み言の部分を先にしました)


「尋訪プロジェクト」が始まった2021年の
ものですが、編集し、再度掲載させて頂きました。

竹内副会長が紹介してくださった
お父様のみ言。
このみ言は、二世青年のために語られた
歴史的なみ言だと思います。

特に最後は日本語で語られていますので、
より心に深くしみ込んできます。
(上の写真は、実際に語られた時のものです)

本当に二世たちを我が子のごとく愛される、
お父様の痛切なる思いを
私たちがしっかりと受け止めていかねばと思います。

以前、太田洪量先生が父母向けのセミナーで、
「荒漠たるサタン世界で二世たちは一人で戦っている・・・
父母の皆さんが守らないでどうするんですか」
涙ながらに訴えておられました。

また、昨今の宗教2世の問題がクローズアップ
されている中では、さらに深刻に
捉えるべきでしょう。

お父様のみ言は、
胸の奥に突き刺さるようです。
本当にそうです。
子供たちを守ってあげないと・・・

尋訪プロジェクトは、言われて動くものでなく、
本心の叫び、神様の懇切なる願いだと感じます。

今、尋訪活動が全国で取り組まれています。
対象は、二世だけでなく、全食口です。
そこでの牧会者と食口の交わりを通して、
復興がなされるように心から願います。

尋訪を進めてきた、ある教区の教会長の
インタビューが心に残りました。
「本当に畳がぼろかったりとか、
廊下がミシミシいったりとかですね
本当にいとおしいというか
でも神様を大事にしていらっしゃるので
義人ですよね
毎日義人に会いに行っている感じなんです」


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2022年11月19日

「神様、私の罪がわかりました!」スーパーで慟哭した証し 《蝶野部長*精誠篇2》B




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「神様は言葉ではなく、
実感を通し、罪を教えて下さる」

だから、心が痛ければ痛いほど、
それが神様のメッセージ。
心が痛くない人は、そのとき
それを蕩減する立場ではない──

蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長の
「精誠篇(せいせいへん)」の続きです。


ですから、神様は、自分の罪を、私たちの罪を
言葉で教えないのです。

「神様、私が罪人だということを教えてください。
私はどんな悪いところがあるでしょうか」
と言ったら──

「お前はこんなところが悪い、
こんなことがある、こんな癖がある」
と機関銃のように言われたらですね、
もうなんか信仰生活いやになってくるんですね。

神様は教育のプロなので
祈ったら、実感で教えます。


あるご婦人は「罪がわからない」
といって半年間に祈り続けて、
「自分は人よりもいい人間だ。
罪人だっていうのは理解できない」
と言っておられました。

ところが、半年間祈って、
あるときスーパーに入ると、
食品売り場で、障害を持っている子供さんが
大根とか人参を振り回して暴れていました。

その息子を、お母さんが抱き締めて泣いてる
シーンを見たのです。

まさしくその息子は、
お母さんがなぜ泣いてるかわからない、
障害があるんだからしょうがないでしょう。

しかし、お母さんは、もう自分の力では
どうすることもできない、
そして恥ずかしいのもあるし、情けないのもあるし、
でもお母さんとしてできることは、
泣きながらその暴れる息子を抱きしめるしかない。。。

その時にそれを見たご婦人は、
あの暴れてる息子が自分だと思いました。

自分の罪がわからない、自分が何をやってるかわからない、
このことでお母さんがどれぐらい、
憐れみの愛と哀しみと恥ずかしさと複雑な心で
自分を抱きしめて泣いてるか分かっていない。

実はそのお母さん(の姿)が神様だったんだ、
ということで、そのスーパーで
もう慟哭して、「神様、自分の罪が分かりました」
と、こういう風な実話があります。


そうやって祈祷の答えを得たわけですよ。

私たちも祈祷の答えを、耳で聞こうとするのです。
言葉で聞こうとしますけれども、
言葉で教えられたものは流れていきますが、
実感を通して教えたほうが
その人のものになるのです。

神様は実感を通して教える。
ですからこの時にこの罪感をこの人が感じるためには、
このようなものとしてみるという条件が必要なんですよ。


この瞬間、悔い改める(【悔改)。

【神は私たちにの中にある罪を、
周りの人を通して見せてくれているのです。
周りの人はその役割を演じていると考えるべきなのです。】


と、これは、金元弼(ウォンピル)先生のみ言です。

「演じている」んですって、皆さん。
「えーそれ嘘でしょう」と思うかもしれません。

実際その人たちが、演じているわけではなく、
本気でやってます。
この目撃したいじめも(スーパーでの出来事も)、
(彼らは)演じているわけではありません。

だけど、私がなぜそれを見るのかという、
自分を中心人物の立場に置くと、どうでしょうか。

自分のために演じているという、
霊的な位置になるというのです。
ここなんです、皆さん。


そして、更に言うならば

【先生は他人を苦しめる人に対して、
原理がこうであるから
こうしてはいけないとは忠告されません。

こういった人の為にいかばかり神は
苦しまれたことだろうかとかと、
神の心情を慰められるのです】
と。

さらに段階を超えれば、見た瞬間に、
お父様は神様を慰めるというのです。

これ、【神様の立場を思う】
というのが、さらに上の段階です。


簡単に言いましょうか。
いじめをしているシーンを見たら、
神様を慰めるということです。

お父様は完成されているから
これが反射的にできる。

私たちはみ言で理解してできる。
やがては自然にできる。

だから20年30年の訓練で、人格を成長していく
というよりも、わずか数十日数カ月の
こういう生活によって激変していくわけです。

まるっきり変わってしまいます。
まず家族の見え方が変わります。
心が変わっているのです。

つまり神様を愛する。
人の罪を見て神様の立場を思いながら、
神様を愛する。

これを反射的にされておられるのが、
真のご父母様であられましたよ。

このことを通して
【人間に対する深い愛を持つ
神様の胸の痛みを知る】


痛いですよね、自分が一生懸命作った人間が
こんなことをしているんだから。
神様はどれだけ胸が痛いかと、
【神様の立場を思うのです、こうやって。

完成人間は、そうです。
私たちは、復帰原理を理解してできるというのです。
何回も言いますが、忘れなければ(できます)。
(しかし、)忘れちゃうんです。


で最後、
【蕩減を通して親子が
心情一体になってゆく摂理】
でもあるのです。

いじめを見せられたことで、
神様と私が一つになっていくということもあるのです。


だいたい蕩減というのは、
蕩減されればされるほど、どうなるかというと、
二つのものが一つになっていきます。

カイン・アベル、心と体、神様と人間、
二つのものが一つになっていく。

堕落というのは、一つのものが
二つになったことを堕落といいます。

蕩減復帰というのは、二つになったものを
一つにしていくことです。

ですから内面が蕩減されればされるほど、
心と体が一つなっていきます。
人間関係も一つになっていきます。


一つになっていくということは、
統一のことです。

家庭連合という看板が変わっても、
統一という言葉が残ったというのは、
これは原理のおおい(覆い?)だからです。

私たちの目指すところからだからなんですね。
キリスト教を統一するのではなくて、
家庭の統一であるし、
心と体、私の統一なのです。

蝶野知徳・精誠篇2 

父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
2018年に蝶野部長が広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られた講義より
(文責:ten1ko2)


スーパーで慟哭した証し。。。
胸に突き刺さるようでした。

このような思いを持つことができれば、
物事に対する捉え方が、全く変わってきます。

これを文先生は、即座に感じることができる、
それは素晴らしいことですが、
私たちも忘れても思い出して
神様を思うように心掛けていけば、
変わっていくことができるということが
とても希望です。

おそらく、これを語られている、
蝶野部長ご自身も、
神様の立場に立って、物事を見つめる、
そのような心情圏に至っておられると思います。

決して自分の感情で物事を判断するのではなく、
これも自己牧会プログラムの取り組みのごとく、
良心を先立たせ実践していくことが
大事なのだと思うのです。



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