2023年10月15日

「いちばん悲しい時は笑うのよ」 最愛の息子が事故に、その時、父母様は 《興進様聖和のエピソード》



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「オンマ、絶対に
悲しい涙を流してはいけない。
泣くんじゃないよ」




阿部公子夫人の証しより、
興進様(文鮮明先生ご夫妻の次男)が
聖和(逝去)された時のお話しです。

先日、訪韓修練会に参加された方が、
この証しを聞いて、
「とても感動した」と言われていました。

今、この時に、この心情を共有することが
とても大事なことだと思い、紹介させていただきます。


一九八三年十二月、興進様が米国で交通事故に遭われました。
真のお父様による韓国八か都市、最後の光州大会の日でした。

十二月二十三日、光州に行かれるとき、
真のお父様は「きょうが最後の大会で大事な日だよ。」
と言って出発されました。

わたしも一緒に行くようにと誘われたのですが、
留守番をするために残りました。

そのとき、興進様が事故に遭われたという
信じられない連絡が入り、何度も耳を疑いました。

体の調子が悪くて、残っておられた金元弼先生に
胸をドキドキさせながらお伝えすると、
「そんなことありえないでしょう。
わたしは信じません。」
と目を閉じて、黙ってしまいました。

わたしも震えが止まらず、
金元弼先生と二人でお祈りをしました。


もちろん、この知らせは光州にいらっしゃる
真のお父様の元にも伝えられていました。

光州大会が大成功に終わり、
多くの責任者が集まる新門路の館に戻って来られた
真のお父様は、真のお母様にみんながいる前で

「オンマ、絶対に悲しい涙を流してはいけない。
泣くんじゃないよ」

と言われたのです。

真のお父様は、さらに真のお母様に
「自分の部屋に入ってもいけない。
みんなとここにいるんだよ」
と言われると、お母様は
お父様の言われるとおりにしておられました。


真のお父様は、韓国八大都市で行われた
「全国勝共決起大会」の報告を受けられたり、
み言を語られたりされていました。

その間、興進様のようすを心配されて、
容体がどうであるかは一言も聞かれませんでした。

最後の光州のようすを聞かれて大満足され、
満面に喜びの笑みを浮かべて、
この間のすべての勝利をお祝いされました。

そして初めて、真のお父様はぽつりと、
「興進君はどうなの?」と尋ねられたのです。

最後の報告を聞かれて、真のお母様の方を見られ
「オンマ、偉いね。泣かないで」と言われました。

真の父母様が行かれる道が、どれほど厳しく
天情に徹する道であることかをかいま見ました。


真の父母様が、韓国ですべきことを済まされ、
十二月二十七日、生死の境をさまよわれている
興進様の所へ帰られる日、
わたしたちはどのような心情で父母様を
お見送りすればよいのか分かりませんでした。

それで、みんなで泣かないで
お見送りをすることにしたのです。

そのとき、真のお母様は玄関先で
「いちばん悲しい時は笑うのよ」と言われ、
にっこり笑って出発されました。

そのとき、わたしたちは号泣したい心情でしたが、
涙をこらえ笑いながら、
「行ってらっしゃいませ」と敬拝をして、
真の父母様が乗られた車が見えなくなるまで
お見送りをしたのです。

その後、みんなで抱き合って泣きました。
しばらく涙が止まりませんでした。

そして、「もう泣くのはやめましょう」を
合い言葉にしながら、心配な日を過ごしました。


それから間もなく、新年を迎えて
興進様がお亡くなりになったという知らせが届き、
ご遺体が一九八四年一月五日に新門路の公館に到着されました。

そのときは、真の父母様はすでに漢南国際研修院にお住まいでした。
興進様の帰歓式は、新門路公館で行われました。

わたしたちは、精誠を尽くし徹夜でその準備をしたのです。
韓日家庭の日本の女性たちも、次々と集まって来てくれて、
だれ一人寝ることも食べることも忘れて、
尊い帰歓式のために真心を込めて準備をしました。

文聖進様がご遺体の横にずっと座っていらっしゃって、
あいさつを受けておられたことが忘れられません。

その後、真のお父様は
「葬式ではなく昇華式である」とおっしゃり、
第一回の世界昇華式がリトルエンジェルス芸術会館で、
盛大かつ荘厳に執り行われたのです。

阿部公子

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真の父母様は、人類の親であり、
救い主であられるので、
私的な思いを持つことができないといいます。

公的な立場を24時間持ち続けておられるのが、
真の父母の立場です。

お父様は、お母様に対して、
「もし、自分の子供のために泣くのなら、
全人類が同じような状況にあった時に
泣かないといけないんだよ。
だから自分の息子のことで泣いてはいけない」
そのように話されたと言います。

この境地はご本人でないとわからないのは当然なのですが、
まさに「心情の十字架の道」だと思います。

真のお母様は、今後のこともすべて考慮されながら、
今、最善の道を歩んでくださっています。

そんなお母様と一つになることが
私たちに願われている道であり、
今は、より一つとなる時であることを感じます。





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2023年06月02日

欧米でも大歓迎! 酸素ボンベを準備し臨んだ、海抜4千mの高山都市etc. 《真の母の人生*鄭元周秘書室長》



200704-1993.7.28.jpgアメリカ国会議事堂1992.7.28


鄭元周秘書室長の「真のお母様の人生」
今回は、「海抜4000メートルの高地での
講演では酸素吸入器を準備」です。

韓鶴子(ハンハクジャ)総裁(真のお母様)は、
世界各地を何度も巡回されていますが、
1992〜1993年の世界講演ツアー、
欧米でのエピソードです。


【欧米巡回】
海抜4000メートルの高地での講演では酸素吸入器が準備された

この日本巡回の後、お母様は休む間もなく、
アメリカ8か都市(10月)、ヨーロッパ8か都市(11月)、
世界5か国(11〜12月)の巡回講演をなさいました。
さらに、1993年の春にお父様がアメリカで
12か都市巡回講演をなさった土台の上で、
お母様のアメリカ44か都市巡回講演が行われ、
同年9月7日の国連での講演も大成功を収めました。

講演文は通常、お父様が草案を定めてくださり、
お母様が仕上げをなさいました。

英語の原稿の場合には、子女様が翻訳を手伝われます。
その原稿を、お母様は自信がつくまで
読んで、読んで、読み込みながら、準備なさるのです。


南米ボリビアの最大の都市ラパスでは、
海抜4000メートルの高山地帯のため、
酸素吸入器を舞台横に準備しておいたこともありました。

講演後、非常にお疲れの中でも、
遠くから来た食口(シック/家庭連合の教会員)たちを思われ、
祝勝会の場でみ言を語り続けられました。


ヨーロッパ巡回のとき、風邪で喉(のど)を痛め、
講演の途中で咳(せき)をなさったことがあります。

すると来賓の元国家元首が進み出て、
お母様にのど飴を差し上げたのです。

お母様は「Thank you」と言われ、
ほほえみながら優雅にその飴を口にして
講演をお続けになりました。

東洋人のお母様が英語で講演される
お姿を拝見すれば、
誰もが協助してさしあげたくなります。

お母様に接して敵対心を抱く人はまずいません。
お母様にお目にかかれば、誰であっても
その愛によって心が溶かされてしまうのでした。

(『TODAY'S WORLD JAPAN』2014年1月号
「証し お父様、子女様、統一家食口のために
歩んでこられたお母様の人生〈後編〉」より)

真のお母様の人生9
「海抜4000メートルの高地での
講演では酸素吸入器を準備」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19677
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


1992〜93年の真のお母様の世界巡回路程は
とても凄まじいスケジュールでこなされ
その一つ一つに
様々なエピソードがあったことでしょう。

※1992年は、韓国21ヵ都市、日本8ヵ都市と
上記の米8ヵ都市(10月)、欧8ヵ都市(11月)、
世界5ヵ国(11〜12月):全40ヵ都市
1993年は、上記の全米44ヵ都市(5月〜7月)、米国議会(7.28)、米国連(9.7)
さらに日本27ヵ都市(9月)、韓国40大学(10月)、韓国国会議員会館(10.31)
そして世界40ヵ国巡回講演(11.2〜12.22):全113ヵ所


ボリビアの大会のことは、
真のお母様の自叙伝には、
1996年に行われたと書かれています。

立っているのもやっとの状態の中、
グラグラの演台をスタッフが支えながら
行われたということでしたが、
あらためてその場におられた人の話を聞くと、
どれだけ大変な大会だったかと思います。

み言を語るだけでも大変なのに、
それぞれの国に行き、精誠を捧げるのは、
簡単なことではありません。

天のため、そしてお父様のため、
また何よりも人類を愛する心情にあふれ、
ご自身の内外の限界を何度も何度も
越えてくださっています。

このように、私たちと世界が今あるのは、
真のお母様の愛と犠牲ゆえだと思うのです。




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2023年05月23日

アボジとオモニのネット中継通話、そのきっかけとなったのは 《真のお母様の人生*鄭元周秘書室長》



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鄭元周秘書室長の「真のお母様の人生」8
今回は、『アラスカのお父様が電話で
お母様の講演をお聞きになる』です。


【日本巡回】
アラスカのお父様が電話でお母様の講演をお聞きになる

真の父母様の摂理の中で、世界を
巡回しながら行われた講演会ほど
苦労の伴うものはありませんでしたが、
同時に最も偉大な業績であり、
摂理発展の歴史であるといえます。

1990年以前の世界巡回では、主にお父様が
み言を語られ、お母様はそこに同行されました。

お父様は、夕方の時間に国家的指導者に向けて
講演され、食口(シック/家庭連合の教会員)たちには
夜の集会を通してみ言を下さいました。

1991年9月、アラスカでお父様が突然、
お母様の日本4か都市巡回講演(信徒大会)を
決定なさったとき、準備期間は
1週間しかありませんでした。

お母様のご講演は、それ以前の
1980年代にもありましたが、
お一人での巡回講演はこのときが初めてでした。

お母様は、横で拝見しているのが
痛々しいほど必死に準備なさいました。


9月14日、お父様の熱い愛を受けながら、
お母様は孝進(ヒョウジン)様と共に
アラスカを出発し、日本に到着されました。

東京の本部で食口の歓迎をお受けになりながらも、
お父様の日本入国が許されていないことを
思われてか、お母様は
非常に複雑な心情であられたと思います。

食口の前では慈愛に満ちたほほえみで、
お父様の愛とともにみ言を下さるお母様でしたが、
寝室に入られた後は、ベッドに腰掛けて
静かに祈りながら、人知れず涙を流されました。

そのお姿を拝見したとき、私は、
責任を果たせず父母様の心を痛めてしまった
不孝に対して、胸がつぶれるようでした。

 
でも、しばらくしてお父様に電話されるときは、
明るく語られました。

「お父様、日本に無事到着して、食口に話をしてきました。
一緒に来られたらどれほど良かったか……」。

そして愛に満ちた美しいお声で、
「海に出るときは、服をしっかりと
お召しになってくださいね。
お父様、愛しています」と言われ、
電話を切られるのでした。


そのときは、お母様の初めての巡回講演ということで、
お父様はひたすら講演の時間を待ちながら、
そわそわなさっていたそうです。

当時は、電話中継や映像中継など、
誰も考えることもできませんでした。

ご講演の時間となってお母様が登壇されたとき、
アラスカのお父様から当時の会長の
携帯電話に電話がかかってきました。

どうやら携帯電話を通して音声を
送ってさしあげることになったようで、
携帯電話が大型スピーカーの前に置かれました。

「お父様、お母様のお声がよく聞こえますか」と
お尋ねすると、お父様は非常に喜ばれ、
1時間ほどのお母様の講演(韓国語の講演の後、
朴普熙〈パク・ポーヒ〉会長の通訳が続く)を
全てお聞きになりました。

講演を終えて壇上から降りてこられたお母様は、
お父様が最初から最後まで電話を通して
講演を聞かれたことを知って、大変喜ばれました。

この時に始まった歴史的な電話中継が、
今日の映像中継に受け継がれているのです。

 
その後、本部に戻り、指導者たちから
感想をお聞きになったお母様は、
不足な点があれば鋭く指摘なさり、
食口の苦労した点については
称賛と激励を惜しまれませんでした。

お母様の濃(こま)やかで深い愛を近くで感じると、
食口はさらに一生懸命に頑張らなければ
という決心と覚悟を持つようになるのです。

1992年9月から10月にかけて行われた、
2回目となるお母様の日本巡回講演(7か都市)も
アラスカで突然決まりました。
しかも、日本語で講演なさることになったのです。

普段からお使いになっているわけでもない日本語で、
そのうえ東京ドームのような大きな会場で
講演をしようというのですから、
その準備はどれほど大変だったことでしょうか。

鄭元周(チョン・ウォンヂュ)総裁秘書室長
「韓鶴子総裁還暦記念文集」第2巻に掲載(2003年)
(『TODAY'S WORLD JAPAN』2014年1月号
「証し お父様、子女様、統一家食口のために
歩んでこられたお母様の人生〈後編〉」より)

真のお母様の人生 8
アラスカのお父様が電話でお母様の講演をお聞きになる
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19587
(Blessed Lifeより)
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集しました
さらに括弧書きで注釈を加えたり、
プライバシーに関わる部分は省略等することがあります
文責:ten1ko2


ご自身の準備で精一杯でありながらも、
お父様には、ご心配をかけまいと、
明るく、慰労の言葉をかけられるお母様。。。

お母様の巡回公演のエピソードですが、
本当にお母様の愛の器を感じさせられます。

東京大会に向けてのエピソードは
これまでも様々聞いたことがあることでしょう。

摂理の発展は、「世界巡回」を通して、
成されていった、と秘書室長は語られますが、
もう一つは、「祝福」を通して
摂理が進展していきました。

いずれにしても、歴史を塗り替える
世界的な摂理の一つひとつ、
その背後には、どれだけの父母様の精誠があるのか、
その精誠があったから、成し得たことだったのだ
と、改めて思うのです。




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