2024年12月29日

「獄中にある今ほど、神を身近に感じたことはありません」《ダンベリー精神》



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「宗教の自由」ページェント(1984年7月25日、ワシントン)


ダンベリー精神の続編です。
「獄中にある今ほど神を身近に感じたことはありません」です。


 真のお父様の収監直後の7月25日、ワシントンのコンスチチューションホールで、お父様を投獄した米国政府に抗議する「宗教の自由ページェント」が開催され、全米の各教派の指導者2000人を含む約7000人の宗教人が集結しました。うち約4000人は会場に入れず、場外で待機となりました。

 今回は、その大会に獄中から寄せられた真のお父様のメッセージ(要旨)を紹介します。
「宗教の自由」のページェントでの文鮮明師のメッセージ
「獄中にある今ほど神を身近に感じたことはありません」

 神の愛する兄弟姉妹の皆さまへ
 私は現在、獄中にいて皆さまの大会に参席できないことを残念に思います。宗教の自由のために立ち上がり、アメリカの首都に集まった皆さまに、私は心からのお祝いを述べたいと思います。

私は獄中での仕事を天の父のためにしています

 私は十代の頃から、貧しい韓国にいて真理を探究し、神を求めてきました。そうしたことから、私は常に宗教の自由の尊さを実感してきたわけです。

 北朝鮮の共産主義者によって逮捕され、殴られてほとんど死の寸前までいった時も、またその後に共産党の死の強制労働所(興南〈フンナム〉刑務所)に送られた時も、私は何も恐れませんでした。神が共にいてくださるという確信を持っていたのです。

 私は強制労働所にいた約3年間、神を極めて身近に感じ、毎日神と会話をしていました。決して、神に救い出してほしいなどとは祈りませんでした。
 天の父は既に私の苦労を知っておられるので、神を安心させるために「このような苦しさには負けない」と毎日の一秒一刻を使いました。

 私は現在、アメリカの刑務所の中にいます。アメリカに来て以来12年間、今ほど神が身近におられることを実感したことはありません。私はこれまで以上にアメリカを愛しています。

 もし私の入獄によって神のみ旨がなされるならば、私は喜んでそうします。
 私が他の受刑者のため給仕し、食事の後に食器を洗い、台所の床を掃除する時、私はそれを天の父のためにしているのです。
 そして、私は神の子女たちのためにそれをなし、アメリカと世界のためにそうしているのです。

 1971年に私は神の命令によってアメリカにやってきました。
 神は、アメリカは終末時代における無神論共産主義との闘いに備えられた貴重な宝石であり、最後の希望であると述べられました。真理と愛は勝利しなければなりません。

 しかし、アメリカは助けを必要としています。アメリカは神に背を向けつつあります。神はアメリカを失うことはできません。
 神は私に、アメリカに行き、無神論共産主義が世界を支配する前に、アメリカ国民を眠りから覚ますようにと命じられました。
 そのような課題を持って、私はアメリカにやってきました。人気投票で1位になるために来たのではありません。

 私は発言し、立場を明らかにしました。私はアメリカに、私の持てる全ての魂を投入しました。その過程で私は不人気となり、迫害を受け、現在こうして刑務所につながれているのです。
 このようなことは、私にとって何の驚きにも値しません。私はこのような十字架をほとんど予知していました。

神は私を使ってアメリカを覚醒させようとしています

 私はこうした私の立場を神に感謝しています。神は獄中の私を使って、これまでにないほど強力にアメリカを覚醒させることができるのです。

 神のみ業は人知では計り知れません。アメリカ宗教界は宗教の自由を守るために団結しなければなりません。この集会のような私たちの努力のみが、アメリカの存続を可能にするのです。

 私は獄中で、私の分担を果たす決意です。皆さまには皆さまの分担を果たしてほしいと思います。共にアメリカを覚醒させるのです。

 私はいかなる屈辱にも耐え、いかなる距離も進み、いかなる労働も行い、いかなる十字架も喜んで負っていきます。
 私はもし神のみ旨がなされ、アメリカと世界の生存が保証されるならば、喜んで私の生命をもささげる決意があります。

 私は常に皆さまのために祈っています。獄中からの祈りは強力であるはずです。
 今度、私たちは新しい出発をしましたが、まだ仕事はこれからなのです。

 共にイエス・キリストの精神によって手を取り合い、前進し、神の世界とアメリカのために輝かしい勝利を宣言しようではありませんか。

 神の祝福が皆さまにありますよう、また、神の祝福がアメリカにありますように。

1984年7月25日
コネチカット州・ダンベリー刑務所より

再編集 文責:ten1ko2


ダンベリー獄中で書かれた
お父様のメッセージ、
ありきたりな言葉ですが、感動します。。。

どんなときにも神様を愛し、
感謝する思いで、生活をされるお父様に、
神様も思わず、抱きしめたくなるに違いありません。

常に神様を慰めようとされる、
お父様の孝情の心情を、
相続する者にならねば、と思うのです。


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2024年12月20日

この時オモニを偉大だと知りました 夫を刑務所に送った妻の日々は 《ダンベリー精神》



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真のお父様(文鮮明先生)をダンベリーまで
見送られた真のお母様(韓鶴子総裁)。

「ダンベリー精神」の続き、今日は
側近の方々の、お母様に関する証言です。

精誠の極みを尽くされた真のお母様

◆朴普熙氏(36家庭)
万古の歴史に稀に見る烈女


ダンベリー入監の期間中、(文鮮明〈ムン・ソンミョン〉)先生に
力と勇気と慰めを差し上げた方は、
改めて言うまでもなく令夫人の韓鶴子(ハン・ハクチャ)女史であった。

令夫人はこの間、万古(ばんこ)の歴史にも稀(まれ)に見る
烈女(れつじょ)の伝統を立てられた。

入監の翌日から一日も欠かすことなく、
雨が降っても雪が降っても面会室に通われた。

令夫人が特に心配されたのは、
先生の周辺警護と食事の内容であった。……

令夫人は食べ物を持っていくことができないのを
非常に残念がられた。……

しかし、これらのすべてのことより大切で重要だったのは、
令夫人のこの上ない精誠であろう。

寒かろうが暑かろうが、あるいは夏だろうと冬だろうと、
たたひたすらに刑務所に駆け付けられた。

朝、面会に来られる頃になれば、
先生は外に出て自動車の到着を待たれる。
夕方帰られるときには、また外に出て
令夫人の車が見えなくなるまで見送られる。

文夫人が万古の烈女ならば、
先生もまた万古の“烈男”であった。

先生は朝5時になって祈祷を終えると、
すぐに公衆電話の所に行って
「オンマー(お母さん)!」と電話をされる。
これが毎朝の日課である。

この御夫妻の姿は、一時の熱烈な恋愛に浸っている
若い男女の間にしか見られない甘いロマンスを彷彿(ほうふつ)とさせる。

先生御夫妻は、この真の夫婦愛の精神を
一時だけではなく、一生にわたって生きられるのだ。

(朴普熙著『証言(下巻)』154〜155ページ)

◆史吉子女史(36家庭)
お父様ご不在の穴を埋めてくださった


真のお父様がダンベリーに行かれるとき、
真のお母様は、とても泣かれました。……

ところが、真のお母様は、真のお父様をダンベリーに送られて
帰って来られると、“いつ泣いておられたのか?”
と思われるほど、きぜんとした態度で、
沈着冷静に、このような内容を語られました。

「このようなときは、最善を尽くして、
真のお父様がいらっしゃらない分を、
私たちが埋めていかなければなりません。

気を引き締め、み旨の前に一糸乱れずに、
しっかりと歩んでいかなければならないのです」


感動的に、情熱的に、理論的にお話をされたのです。

私たちは、真のお母様が帰って来られたときに、
再び泣いたのですが、真のお母様が、そのように
落ち着いて冷静沈着にみ言を語られるので、
いつの間にか涙が乾き、真のお母様を拝見しながら、
新しい感動と決意がわいてくるのを感じました。

そして、“真のお父様がいらっしゃらなくても、
真のお母様は、空いた所を埋めてくださる
おかたであられる”という信頼感と尊敬心が、
わき上がってきたのです。

(『ファミリー』2003年4月号38ページ)

◆鄭元周補佐官(当時)
毎日ダンベリーに“通勤”


お父様をダンベリーにお見送りし、お一人で帰ってこられてから、
お母様は食口を集めて語られました。

「お父様は旅行に行かれるかのように、
 “行ってくるね”と言いながら笑って出発されました。
 本当にりっぱであられました」
と。

それからお母様は毎日、2歳の情進様を連れて
ダンベリーに“通勤”されたのです。

当時、お母様は子女様がたと共に、
聖地での徹夜祈祷をとても熱心にしていらっしゃいました。

孝進(ヒョウヂン)様も聖燭(せいしょく)祈祷を一生懸命なさいました。

お母様は正に、精誠の極みであられました。

そのときから始まったイーストガーデンの聖燭祈祷は、
スタッフによって一日も欠かさず、
今に至るまで続けられています。

(『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2013年12月号45ページ)

ダンベリー精神 7
「神の召命に従い、信仰の炎を燃え上がらせよ」
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


本当に感動する証しです。

ダンベリーに堂々と入られた
お父様も立派であられますが、
お母様は、留守をただ守るという以上の
「精誠の極み」を立てられたとのこと。

イーストガーデンの徹夜精誠は、
孝進様が率先して立てられたと思っていましたが、
もちろん、お母様も共に立てられ、
孝進様がその精神を受け継いで勝利されたのでしょう。

その伝統が、現在、天心苑祈祷に
引き継がれている、そのように思います。

真の父母様の精神を受け継いでいく場が
与えられていることが、どれだけ貴いことか
本当に感謝いたします。


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2024年10月25日

悲しむ時間はありません 地獄の世界の門を開くために私は行く 先生に会いたければ、ここに来て祈りなさい 《ダンベリー精神》


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▲み言の最後に万歳をする教会員たち


1984年7月20日、ダンベリーへの出発に当たり、
イーストガーデンに集まった教会員に
語られた激励のみ言(要約)のラストです。

「東の空に太陽が昇ってくるように、前進、前進、前進」

先生は統一の勇士として、先駆者として行きます

先生が入監する時、神は死ぬのではありません。

皆さんの働きいかんによって、
復活の国と復活の世界が成立するのであり、
個人ではなく120カ国が復活することのできる
世界史的なペンテコステとなるでしょう。

先生は世界人類を統一する勇士として、
先駆者として行きます。
また天と地を代表して行きます。

ですから皆さんは先生と歩調を合わせることのできる
一人一人にならなければなりません。

真の父母様の息子、娘であるならば、
父母様が行かれる伝統の思想を受け継いで
一つとならなければなりません。

統一教会(現・家庭連合)のメンバーは
今、皆一つの心です。一つの心です。


そしてその目的は、神様のみ旨を成就することであり、
神様のみ旨は人類を統一して解放することです。
簡単なことですね。

私たちはそのために前進いたしましょう。

受難の道はもちろんのこと、
十字架を背負う道であるとしても、
死が妨げる道であっても、
もし、ぶつかって壊れる時には、
神様が私たちを凱旋(がいせん)将軍として覚えてくださるのです。

死の道であるとしても復帰のために行くのです。

神様が「統一の勇士」としての碑(いしぶみ)を建ててくださるのです。
その時は、直接神の国へ直行するのです。
垂直なのです。


ですから心配しないでください。

イエス様も十字架にかかりながら、
「私のために泣かないで、あなたがたの子孫のために泣きなさい。
イスラエルが一つになることができなかったので
未来の悲惨なるイスラエルとローマのために泣きなさい」
と言われました。

ムーニーであることに
自信と誇りを持たなければなりません

きょう、イーストガーデンに集って
先生の話を聞いている人は少ない数ですが、
きょうこの日のために、世界中で
涙をもって祈ってくれている多くの人たちが
いることを知らなければなりません。

 
先生がなぜ世界的な誰もできないことを
成そうとして懸命に闘っているのかと言えば、
全世界が先生の背後で団結し、
世界の祝福を迎えることのできる
その日が来ることを知っているからです。

これから皆さんが外に出て世界に向かって叫べば
必ず良心のある人たちの、その良心が呼び覚まされて、
そして全て眠っていた人々が起き上がって、
世界に向かって同じように叫び一つとなるでしょう。

このようにして、より大きな統一の道を
求めていく時に、必ず成功と繁栄と、
勝利の道となるでしょう。

ですから皆さんは絶対なる決意を持って、
外において四方八方に手を広め、
世界的な統一運勢圏の前に橋を架け、
そこでセメントの役割をしようと努力しなさい。


世界を見てごらんなさい。
私たちは決して一人ではありません。
今では私たちを支持してくれる
多くの友人や味方の団体がいます。

偉大なるムーニーの主人を知ったので、
ムーニーであることに自信を持たなければなりません。
誇りを持たなければなりません。

そして全世界の人たちを一つにするために、
新たに立ち上がらなければならない時です。

統一の時のために立ち上がって前進し、
目標を達成しなければなりません。

神様が自由であれば地上天国は成就できる

今や夜明けが来たのです。
東の空に朝の太陽が昇ってくるのと同じように、
統一の太陽が山を越え、個人、家庭、
氏族、民族、世界を越えて、
私たちを迎えてくれることを知って、
前進、前進、前進いたしましょう。

まず私たちは個人の太陽を昇らせ、
次に家庭の太陽を昇らせ、
氏族の太陽、国家の太陽、世界の太陽へと、
さらに大きな太陽を昇らせる
朝を迎え入れなければなりません。

休む間がありません。
悲しむ間がありません。
涙を流し絶望している間がありません。
ただ所望のために前進するのみです。
きょうを期して私たちは前進するのみです。


それはなぜですか?
神様を解放するためにです。

そこから全被造物を自由に主管することのできる時が
来るために私たちはやっているのです。

神様が自由であれば、そこから
地上天国が成就できることを私たちは知っているために、
その道を探し求めていくのです。

 
その間に私たちが精誠を尽くすことは無駄ではなく、
すべてが実のある器となるのです。
今まではただ器を準備するだけが、
これからはその器に実質的なものを入れなければなりません。

先生は前線に立つ兵士として、皆さんの先頭で、
この器に実のあるものを入れるために闘っていく決意です。

だから先生は皆さんの先頭に立っています。
皆さんのためにも行かなければなりません。
皆さんと先生の間には世界統一という課題が残っています。

地獄の世界の門を開くために私は行きます。
後は皆さんにお任せします。
統一いたしましょう。
統一いたしましょう。
これが私たちの課題なのです。

そのために私たちは前進しましょう。
それを願う人は立ってください。
そこに向かって前進いたしましょう。


先生は個人時代に監獄にも行きましたが、
それは世界的家庭を探すためでした。

また家庭時代にも監獄に行きましたが、
それも世界のためでした。

そして国家時代にも監獄に行きましたが、
やはり世界のためでした。

今は世界時代の監獄にも行くのですが、
これは天と地のためです。


ですから皆さんも個人的資格で訪ねてくることはできません。
イエス様も自分に付いてくるものは
十字架を背負ってきなさい、と言われました。

先生と一緒に十字架を背負いますか?

皆さんがその十字架を背負って勝利するならば、
先生はそう長くなく自然に出てこられるようになります。

先生に会いたければこのイーストガーデンに来て祈りなさい。

では万歳をしましょう。

하나님 만세!!
참부모님 만세!!
아버님 승리 만세!!

(『ファミリー』1984年10月号より)

ダンベリー精神6 ダンベリー出発に際してのみ言B
「東の空に太陽が昇ってくるように、前進、前進、前進」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=25711
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


「先生と一緒に十字架を背負いますか?」
お父様は、今の私たちに尋ねられているような気がします。

イエス様もお父様も背負わなくてはいけない十字架、
まったくもって理不尽な十字架を感謝して受け止めていかれました。

そういう心情で今を乗り越える
私たちになるべきだと思うのです。


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