2024年06月06日

平和の母・武勇伝 「私が誰なのか知らないでしょう?」記者たちに独生女宣言 《真のお母様、感謝します》



2015.0510.jpg
ウィーンで行われた記者懇談会


Blessed Life 「真のお母様、感謝します」から、
安豪烈(アン・ホヨル)対外本部長の、
『記者懇談会で独り娘宣言』を紹介します。


2015年5月10日、真のお母様をお迎えして、
欧州統一運動50周年祝賀会が
オーストリアの首都ウィーンで開催されました。

翌11日、韓国の主要メディアから7人が参加し、
お母様を中心に記者懇談会が行われました。

私は対外協力本部長としてその場にいながら、
正直、緊張していました。

記者たちからどんな質問が出てくるか予想がつかず、
お母様の権威を汚すことがあってはいけないと思ったからです。


懇談会はしばらく、健康の話や
家庭連合の業績などの紹介が行われ、和やかに進みました。

やがて記者の一人がお母様に、
「総裁、194カ国で宣教活動をしておられるそうですが、
具体的に戦略があるなら、お聞きしたいです」
と質問しました。

そうしたら、お母様は「そうね」と言われた後、
「皆さんは、私が誰なのか、知らないでしょう?」
と切り出されました。

その瞬間、会場内が静かになりました。
皆が黙っていると、お母様はこう続けられたのです。

「私は、独り娘ですよ。
私が万人の真の父母です。
あなたたちも私を通じなければ、
霊界の良い所に行くことができません。

独り娘が誰であり、真の父母がどんな人なのか、
それを知るためには、
原理を勉強しなければなりませんよ」


私は気絶する寸前でした。
記者たちが強く出ると思っていたのですが、
お母様のほうがもっと強く出られたのです。

後に、参加していた一人の記者が
お母様のみ言をそのまま記事に書きました。

見出しは「神様の使命を受けた真の父母、
独り娘として、人類救援のために真の家庭運動を広める」
で、内容は

「インタビューに臨む韓(ハン)総裁の印象は、
カリスマ性あふれる宗教指導者というより、
慈愛に満ちた母のようだった」
というものでした。

私はこの記事を読んで、正直、
「この人の記者生命は終わった」と思いました。
韓国のキリスト教会が放っておくはずがないからです。

1週間くらいして、その記者に
「批判はなかったのですか?」
と聞いたところ、彼はこのように答えました。

「もう言葉にならないくらい、多くの人たちが反対してきました。
それで私は反対する人に対して、
『私がヨーロッパまで取材に行って韓総裁に
直接会ったとき、韓総裁が、私が独り娘であり、
救世主であり、私たちが真の父母だと言ったから、
そのとおりに書いただけです。

あなたの教会に、もし救世主、メシヤ、
再臨主がいるのだったら、
私がインタビューして記事を書きますから、
紹介してください。

あなたたちの教会には、牧師、長老、勸士(クォンサ)、
執事しかいないではないですか』と言ったのです。
そうしたら、二度と何も言ってこなくなりました」


【お父様がお母様について語られたみ言】

 見掛けはおとなしく見えますが、度胸があるのです。
 ……お母様の顔は優しそうに見えますが、
 手を見れば違います。
 分厚く、腹が据わっています。


(『真の御父母様の生涯路程』I 54ページ)


『真のお母様、感謝します』3
記者懇談会で独り娘宣言

記者懇談会で「私が独り娘、真の父母です」と宣言
安豪烈(アン・ホヨル、1982年既成祝福)
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=16254
光言社(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


アンホヨル本部長は、
左側真ん中あたり、眼鏡をかけた方です。

おそらく、この時は
本当にビックリされたと思います。

今は、毎日天心苑徹夜精誠に参加され、
「み旨の応援歌」のあと、代表祈祷をされ、
本当に精誠を込められています。

その精誠もあって、韓国のマスコミは
教会行事をふんだんに取り上げていますね。


「私は、独り娘(独生女)ですよ」
そのように語られるお母様。。
その時の心情は、母の心情だったと思います。

実際に記者が、
「慈愛に満ちた母のような印象だった」
そのように書いています。

お母様が地上におられるときに、
真のお母様のお姿をしっかりとお伝えすること、
そのことが天命であると自覚していきたいです。


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posted by ten1ko2 at 13:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月15日

「いちばん悲しい時は笑うのよ」 最愛の息子が事故に、その時、父母様は 《興進様聖和のエピソード》



180720 last birthday.jpg


「オンマ、絶対に
悲しい涙を流してはいけない。
泣くんじゃないよ」




阿部公子夫人の証しより、
興進様(文鮮明先生ご夫妻の次男)が
聖和(逝去)された時のお話しです。

先日、訪韓修練会に参加された方が、
この証しを聞いて、
「とても感動した」と言われていました。

今、この時に、この心情を共有することが
とても大事なことだと思い、紹介させていただきます。


一九八三年十二月、興進様が米国で交通事故に遭われました。
真のお父様による韓国八か都市、最後の光州大会の日でした。

十二月二十三日、光州に行かれるとき、
真のお父様は「きょうが最後の大会で大事な日だよ。」
と言って出発されました。

わたしも一緒に行くようにと誘われたのですが、
留守番をするために残りました。

そのとき、興進様が事故に遭われたという
信じられない連絡が入り、何度も耳を疑いました。

体の調子が悪くて、残っておられた金元弼先生に
胸をドキドキさせながらお伝えすると、
「そんなことありえないでしょう。
わたしは信じません。」
と目を閉じて、黙ってしまいました。

わたしも震えが止まらず、
金元弼先生と二人でお祈りをしました。


もちろん、この知らせは光州にいらっしゃる
真のお父様の元にも伝えられていました。

光州大会が大成功に終わり、
多くの責任者が集まる新門路の館に戻って来られた
真のお父様は、真のお母様にみんながいる前で

「オンマ、絶対に悲しい涙を流してはいけない。
泣くんじゃないよ」

と言われたのです。

真のお父様は、さらに真のお母様に
「自分の部屋に入ってもいけない。
みんなとここにいるんだよ」
と言われると、お母様は
お父様の言われるとおりにしておられました。


真のお父様は、韓国八大都市で行われた
「全国勝共決起大会」の報告を受けられたり、
み言を語られたりされていました。

その間、興進様のようすを心配されて、
容体がどうであるかは一言も聞かれませんでした。

最後の光州のようすを聞かれて大満足され、
満面に喜びの笑みを浮かべて、
この間のすべての勝利をお祝いされました。

そして初めて、真のお父様はぽつりと、
「興進君はどうなの?」と尋ねられたのです。

最後の報告を聞かれて、真のお母様の方を見られ
「オンマ、偉いね。泣かないで」と言われました。

真の父母様が行かれる道が、どれほど厳しく
天情に徹する道であることかをかいま見ました。


真の父母様が、韓国ですべきことを済まされ、
十二月二十七日、生死の境をさまよわれている
興進様の所へ帰られる日、
わたしたちはどのような心情で父母様を
お見送りすればよいのか分かりませんでした。

それで、みんなで泣かないで
お見送りをすることにしたのです。

そのとき、真のお母様は玄関先で
「いちばん悲しい時は笑うのよ」と言われ、
にっこり笑って出発されました。

そのとき、わたしたちは号泣したい心情でしたが、
涙をこらえ笑いながら、
「行ってらっしゃいませ」と敬拝をして、
真の父母様が乗られた車が見えなくなるまで
お見送りをしたのです。

その後、みんなで抱き合って泣きました。
しばらく涙が止まりませんでした。

そして、「もう泣くのはやめましょう」を
合い言葉にしながら、心配な日を過ごしました。


それから間もなく、新年を迎えて
興進様がお亡くなりになったという知らせが届き、
ご遺体が一九八四年一月五日に新門路の公館に到着されました。

そのときは、真の父母様はすでに漢南国際研修院にお住まいでした。
興進様の帰歓式は、新門路公館で行われました。

わたしたちは、精誠を尽くし徹夜でその準備をしたのです。
韓日家庭の日本の女性たちも、次々と集まって来てくれて、
だれ一人寝ることも食べることも忘れて、
尊い帰歓式のために真心を込めて準備をしました。

文聖進様がご遺体の横にずっと座っていらっしゃって、
あいさつを受けておられたことが忘れられません。

その後、真のお父様は
「葬式ではなく昇華式である」とおっしゃり、
第一回の世界昇華式がリトルエンジェルス芸術会館で、
盛大かつ荘厳に執り行われたのです。

阿部公子

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真の父母様は、人類の親であり、
救い主であられるので、
私的な思いを持つことができないといいます。

公的な立場を24時間持ち続けておられるのが、
真の父母の立場です。

お父様は、お母様に対して、
「もし、自分の子供のために泣くのなら、
全人類が同じような状況にあった時に
泣かないといけないんだよ。
だから自分の息子のことで泣いてはいけない」
そのように話されたと言います。

この境地はご本人でないとわからないのは当然なのですが、
まさに「心情の十字架の道」だと思います。

真のお母様は、今後のこともすべて考慮されながら、
今、最善の道を歩んでくださっています。

そんなお母様と一つになることが
私たちに願われている道であり、
今は、より一つとなる時であることを感じます。





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2023年06月02日

欧米でも大歓迎! 酸素ボンベを準備し臨んだ、海抜4千mの高山都市etc. 《真の母の人生*鄭元周秘書室長》



200704-1993.7.28.jpgアメリカ国会議事堂1992.7.28


鄭元周秘書室長の「真のお母様の人生」
今回は、「海抜4000メートルの高地での
講演では酸素吸入器を準備」です。

韓鶴子(ハンハクジャ)総裁(真のお母様)は、
世界各地を何度も巡回されていますが、
1992〜1993年の世界講演ツアー、
欧米でのエピソードです。


【欧米巡回】
海抜4000メートルの高地での講演では酸素吸入器が準備された

この日本巡回の後、お母様は休む間もなく、
アメリカ8か都市(10月)、ヨーロッパ8か都市(11月)、
世界5か国(11〜12月)の巡回講演をなさいました。
さらに、1993年の春にお父様がアメリカで
12か都市巡回講演をなさった土台の上で、
お母様のアメリカ44か都市巡回講演が行われ、
同年9月7日の国連での講演も大成功を収めました。

講演文は通常、お父様が草案を定めてくださり、
お母様が仕上げをなさいました。

英語の原稿の場合には、子女様が翻訳を手伝われます。
その原稿を、お母様は自信がつくまで
読んで、読んで、読み込みながら、準備なさるのです。


南米ボリビアの最大の都市ラパスでは、
海抜4000メートルの高山地帯のため、
酸素吸入器を舞台横に準備しておいたこともありました。

講演後、非常にお疲れの中でも、
遠くから来た食口(シック/家庭連合の教会員)たちを思われ、
祝勝会の場でみ言を語り続けられました。


ヨーロッパ巡回のとき、風邪で喉(のど)を痛め、
講演の途中で咳(せき)をなさったことがあります。

すると来賓の元国家元首が進み出て、
お母様にのど飴を差し上げたのです。

お母様は「Thank you」と言われ、
ほほえみながら優雅にその飴を口にして
講演をお続けになりました。

東洋人のお母様が英語で講演される
お姿を拝見すれば、
誰もが協助してさしあげたくなります。

お母様に接して敵対心を抱く人はまずいません。
お母様にお目にかかれば、誰であっても
その愛によって心が溶かされてしまうのでした。

(『TODAY'S WORLD JAPAN』2014年1月号
「証し お父様、子女様、統一家食口のために
歩んでこられたお母様の人生〈後編〉」より)

真のお母様の人生9
「海抜4000メートルの高地での
講演では酸素吸入器を準備」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19677
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


1992〜93年の真のお母様の世界巡回路程は
とても凄まじいスケジュールでこなされ
その一つ一つに
様々なエピソードがあったことでしょう。

※1992年は、韓国21ヵ都市、日本8ヵ都市と
上記の米8ヵ都市(10月)、欧8ヵ都市(11月)、
世界5ヵ国(11〜12月):全40ヵ都市
1993年は、上記の全米44ヵ都市(5月〜7月)、米国議会(7.28)、米国連(9.7)
さらに日本27ヵ都市(9月)、韓国40大学(10月)、韓国国会議員会館(10.31)
そして世界40ヵ国巡回講演(11.2〜12.22):全113ヵ所


ボリビアの大会のことは、
真のお母様の自叙伝には、
1996年に行われたと書かれています。

立っているのもやっとの状態の中、
グラグラの演台をスタッフが支えながら
行われたということでしたが、
あらためてその場におられた人の話を聞くと、
どれだけ大変な大会だったかと思います。

み言を語るだけでも大変なのに、
それぞれの国に行き、精誠を捧げるのは、
簡単なことではありません。

天のため、そしてお父様のため、
また何よりも人類を愛する心情にあふれ、
ご自身の内外の限界を何度も何度も
越えてくださっています。

このように、私たちと世界が今あるのは、
真のお母様の愛と犠牲ゆえだと思うのです。




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