2022年05月01日

牧師たちに囲まれて、「羊どろぼう」と責められた松本ママは・・ 《松本ママ奮戦記》



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▲和動会で(1964年7月)


松本ママの『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より
今回は、「羊どろぼう」です。


そのころ東京では、西川先生が日本への入国手続きの件で、
入国管理局から事情聴取をされました。

いまだ正式な国交がなかった時代に、天のみ旨を伝えるために、
死を覚悟して玄界灘を越えてこられた先生でしたので、
改めて正式な手続きを必要とされたわけです。


私は大阪でその話を聞き、
“私たちがしっかりしなければ!!”と
心のひもを締め直して、夏の開拓に出発したのでした。

私自身、朝早くから夜12時まで、
訓練に来ている青年を連れて走り回りました。

“電撃のように走りなさい”“電撃のように伝道しなさい”と
柱や壁に書いて教会員たちを刺激し、
私自身が先頭にたって伝道したのです。

 
1963年から64年の間に、大阪教会は
著しく発展し十数箇所に教会ができましたが、
それらの人々を指導するためには、
まず指導者である私が一生懸命汗を流し、
外に出ていかなければなりません。

ですから、いつも青年たちの先頭に立って、
午前中はくず屋をし、午後は路傍伝道、訪問伝道、
そして夜は他の教会の集会に参加したり
講義をして、休む間もなく働きました。

青年たちも、暑い夏の最中、扇風機もないのに、
みんな苦労しながらよくついてきてくれました。

 
こうして各地に教会が増えてくると、
関西地区全体が集まる場が必要になってきました。

そこで、月に一度、全支部教会が集まって
大和動会をすることにしたのです。

場所はクリスチャンセンターで、説教、講義、
そして各支部教会から寸劇や独唱など、いろいろな出し物をやり、
にぎやかに心情交流をするのです。

そうして一日中楽しく過ごし、次の和動会の日を楽しみにしながら、
来月は新しいメンバーを何人連れてこよう!
と決意してそれぞれの教会へ帰っていくのでした。


私が大切にしている活動の一つに、
クリスチャンセンターの早天祈祷会がありました。
これには5年間毎週欠かさず参加していたのです。

イエス様は、神が選び導いてこられたイスラエル民族に、
誰よりも先にみ言(ことば)を伝えようとされました。
それと同様に、私は、2千年間殉教の道を歩きながら、
イエス様を愛し、神様を愛してきたクリスチャンに、
一番先にこの「統一原理」を伝えたいと思ったのです。

そうした神様の願いを思う時、どんなにばかにされ侮辱されても、
8回転んでも10回転んでも、11回目には起きて
必ずクリスチャンに伝えてみせるという信念をもって、
頭を下げて毎週祈祷会に通ったのでした。

行くたびにいじめられて、泣きながら帰ることもたびたびでしたが、
それでも忍耐して通い続けていくうちに、
その中から次第に私の話に興味をもち、耳を傾ける人が出てきました。

 
そうした5年目のある日のこと、
いつものように青年を2人連れて早天祈祷会に行ったところ、
帰りがけにいきなり「松本、マテー!!」
と言って12人の牧師が私を取り巻いたのです。

その牧師たちのただならぬ雰囲気に、
私は恐ろしくて足がぶるぶる震えていました。

150人もいるかと思われる信徒の前に立たされて、
さも審判を受けているような不安に駆られ、
すがるような気持ちで辺りを見回していました。

一緒にいた青年は、私を見捨ててどこかに行って見えません。
私はたった一人でした。

目は意地でもって牧師たちをじっと見ていましたが、
心の中では「天のお父様、急いで来てください。
助けてください」と必死で祈っていました。


その時、一人の牧師が、「お前たちは、朝鮮人、
どん百姓の文鮮明を再臨のメシヤと
信じているらしいじゃないか」と言ったのです。

その言葉を聞いたとたん、それまでぶるぶる震えていた私の心は
キュッと引き締まり、すっかり度胸がすわって
牧師たちを見据えていました。
憤りで髪の毛が逆立つほどでした。


「いいえ、そんなふうには考えていません。
私たちは、文先生をキリスト教会の使命を実現する、
世界でナンバーワンの偉大な指導者と思っています。

聖書に、ナザレからなんのよき者がいずるか、とあるように、
イエス様が生まれたナザレという町は、
東京の山谷のような貧困の町でした。

そこのどん大工の息子を、
あなた方はメシヤと信じているではありませんか。
朝鮮人だ、どん百姓だといって
人間を差別するなんて、牧師にあるまじきことです」

私がこう言い返すと、彼は黙ってしまいました。


すると、今度は他の牧師が、
「この羊どろぼう! お前は人非人だ!」
と言います。

「私はあなたの羊を盗んではいません。
羊を盗んだのは神様です。

神様の言葉です。
あなたがたは羊を預かる牧者であるのに、
羊になんの霊的な糧も与えず、
ひもじい思いをさせていたではありませんか。
苦しんでいる羊が、神様の言葉によって喜びを与えられ、
力を得て私についてきたのです」


「このきちがい女!
この女はクリスチャンの恥さらしだ。
毎日駅前で、世界基督(キリスト)教統一神霊協会なんていう
看板を持って、きちがいみたいに大きな声で叫んでいる」
と、牧師が言いました。

「キリストのため、世のために気が狂わずば
(わざわ)いなるかな、とパウロは言っています。

私は、神様のため、キリストのため、
日本を救うために気が狂っているんです。
神様が、やってほしいと言っている声が聞こえてくるんです。

あなた方は、どうして気が狂わないで、
そんなに冷静にしていられるのですか。
あなた方は何もしないで、2千年の殉教者の血の上に
あぐらをかいているではありませんか」


こうして、私は彼らの感情的な攻撃に対して、
一つ一つみ言で答えていきました。

すると群衆の中から、私の背中を
ドンと突き飛ばした牧師がいたのです。

私は振り向いて、
「隠れてそんなことしなくてもいいでしょう。
堂々と出てきて私を殴ってください。
私を殺してもいいですよ。
きょう、私は十字架にかかる用意がありますから。

あなた方は、私が気違いのように
神様を証(あかし)しているのを理由に
私を裁いているのです。
私がここで死んだら、神様とイエス様が証人になってくださるでしょう」


すると他の牧師がまた言いました。

「あんた、統一なんて言っているが、
キリスト教の統一など人間にできるわけがない。
とんでもないことだ」

「そうです。
人間の力でどうして統一できますか。
私は、神様から統一しなさいという命令を受けたから、
その願いに向かって努力しているのです。

『からし種ほどの信仰があれば山動き海に入る』
とイエス様は言われました。

私たちは、神様がこの地上のすべての宗教を統一し、
思想を統一して、世界を神様のもとに
統一するんだという天の啓示を受けたから、
それを信じてやっているのです。
人間の勝手な気持ちでやっているのではありません。

あなた方は長生きして、統一できるか
できないか見ていてください。
神様が共にいれば栄え、いなければ滅びるでしょう」

私はドンと机をたたいて言いました。


すると、
「ああ、分かった。分かったから、
ここでなくてほかのところで神様を証しなさい」
と言うではありませんか。

私の心は、もう義憤でいっぱいでした。

「いいえ、神様が私に、クリスチャンセンターに行って
ラッパを吹きなさいと言っているのですから、
吹かなければ私に責任があります。

私は天から啓示を受けて来ているのです。
あなた方にばかにされても、いじめられても、
あなた方に伝えたくて来ているのです。

私は神様の言うことを聞くべきでしょうか、
あなた方の言うことを聞くべきでしょうか。
判断してください」

私は目から涙をばらばら流しながら訴えました。


そして、「分かった、分かった」と
いい加減な返事をする牧師に対して、

「あなたはイエス様を愛しています。
神様を愛しています。
あなたは私を怒ったり、侮辱したりしていますが、
あなたは本当はそんな人ではありません。

それは、あなたの背後に潜(ひそ)んでいるサタンが言っているのです。
あなたの目はまるで蛇みたいです。
鏡に映して見てごらんなさい」と言ったのです。


するとその時、西村という牧師が、

「まあ松本さん、忍耐してください。
みんなけんかしないでください。
いいじゃありませんか。
松本さん我慢してください」

と言って、
グレープジュースを持ってきてくれたのです。
その牧師は今も健在です。


私は、それを一息に飲んで気を鎮めると
「先生、握手しましょう」と言いました。

ここでけんか別れをしてしまったら、
もう彼らとは永遠に離れてしまいます。
それでは神様の願いに反すると思ったので、
仲直りをしておこうと思ったのです。

「あなた方はイエス様を愛しています。
私もイエス様を愛しています。
イエス様は敵をも愛しなさいと言われました。
私たちは兄弟姉妹じゃありませんか。
仲直りするのはイエス様が願っていることです。
さあ、握手しましょう」

そう言って、みんなの手をとって握手してしまいました。
そして、「けさのけんかはなかったことにしましょう。
西村先生、ありがとうございました」
と、にこにこ笑いながらあいさつをして帰ってきました。


なんという神様の導きでしょう。

門を出ると、今度はうれし涙があふれきて、
「天のお父様、ありがとうございました」
と感謝の祈りをささげつつ、
いつになくさわやかな気持ちで駅へと向かいました。

この日は、電車の中でも教会に帰るまで泣いていました。
この時の人たちは、今でも懐かしく思い出します。

松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「羊どろぼう」
(blessed lifeより)

「烈女(れつじょ)
この言葉は、松本ママのために
あるのだな、とつくづく実感します。

本当に感動的な証しです。
12人の牧師の迫害にあっても、
怯むことなく、勝利していかれました。

ただ、神様のため、真の父母様のために、
気が狂ったように歩まれた、松本ママでした。

憤怒の思いを牧師にぶちまけていますが、
証しを読みながら、
今の私たちに対して、霊界から叫んでいる、
松本ママのメッセージのようにも感じました。

私の本心に響く証しでした。。。
口先だけで、「頑張ります」
という者にはなりたくない、と思わされています。






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2022年04月12日

生きているものは、みんな愛し合っている! 泣かない日がなかった大阪時代 《松本ママ奮戦記》



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松本ママの「信仰は火と燃えて」
今回は、『寂しかった神様』です。


名古屋開拓の時は、いろいろな出来事を通してイエス様の心情を知らされ、
イエス様を思って涙することが多かったのですが、
大阪では、何かにつけて神様の愛を実感する日々でした。

クリスチャンセンターで山路さんと会ってからというもの、
彼女を通して多くのクリスチャンたちに
「統一原理」を伝えたい心情でいっぱいでした。
ですから、朝の5時半には起き出して、朝拝を済ませ、
それから一日のスケジュールを組んで一人一人に指図をし、
7時には教会を出て、神戸の山路さんの家へと向かいました。

ちょうど冬にさしかかっていて、早朝は冷え冷えとしています。
そうしたある朝のこと、阪急の駅の構内に入った瞬間、
軽やかな元気のあるメロディーが、
電車から降りたった群衆に向かって流れてくるではありませんか。
そして、「皆さん、きょうも一日頑張ってください」
という温かい言葉が衿(えり)を立てて職場に急ぐ人々を激励していました。

人々はその言葉に力を得て、元気良く東西南北に消えていきます。
その光景を見ていると、まるで親が子供を激励しているように思いました。
すると、天のお父様の声なき声が「お前もきょう一日元気で頑張れよ」
と励ましてくれるのが実感として感じられるのでした。

また、たくさんの人を乗せて走っている電車が物言う人間のように見えました。
しかも、人間は自由意志をもって勝手なことをするけれども、
電車は、素直に従順に、自分のやるべき責任を間違いなく果たしているのです。
レールの上を走っているその姿を、何と原理原則にかなっているのかと、
私は不思議な感を抱きながら見ていました。

すると、電車がとてもかわいく思えてきて、
物も大切にして愛してあげなければいけないなあ、
という気持ちが起こってくるのです。
そんなことを考えながら電車を見ていると、
今度は自分の責任分担を失った惨めな人間のことが思われてくるのでした。

神様は、人間には人間だけのルールを与えたのに、
どうしてそれを失ってしまったんだろう、
そういう思いが脳裏をかすめた時、
「天のお父様、まことに申し訳ありません。
遅ればせながら私は今、一人の命を救うために神戸に向かいます。
どうか山路姉を立たしめ、この一人の姉妹を通じて、
その背後にいる多くのクリスチャンに
『統一原理』を伝えることができますように」と祈っていました。
そう祈りつつ、毎朝同じ道を通ったのです。

山路さんはとても行動力のある人で、原理を聴いて感動すると、
自分の行っているナザレン教会の牧師を連れて来たり、
方々に出掛けて行っては人々に証(あかし)していました。
また時には、待ち合わせをして一緒に伝道に行くこともありました。

ある日のこと、それはどんよりと曇った日でした。
大阪と神戸の間の支線の小さな駅で、
山路さんと会う約束をしていました。
午後3時半の約束でしたが、4時になっても彼女は姿を見せません。
それでも1時間ぐらいは待ってみようと思い、
道行く人を眺めながら忍耐強く待っていました。
5時近くには空はもう今にも降り出しそうな雲行きになってきました。
どうしたものかと少々困っていると、
頭の上でピーピーという小鳥の鳴き声が聞こえてきます。
目を上げると、軒下につばめの巣が見え、
お母さんつばめが虫をくわえてきて、
ひなの口に入れているところでした。
そのほほえましい光景を、私は不思議な面持ちで眺めていました。

そこへ電車が到着して、仕事から帰って来た人々を降ろすと、
パラつく雨に備えて傘を持って迎えに来た人々が、
「あなた」「お父さん」と声をかけて、仲むつまじく歩いて行きました。
その後ろから、犬の親子がとことことついて行くのです。
その光景を見ていると、なんて美しいのだろうと
激しい感動が込み上げてきて胸が熱くなり、今にも涙があふれそうでした。
その感情を抑えるために足元に目を落とすと、
何とその足元を黒いアリの群れが、
列を作ってぞろぞろとはって行くではありませんか。

ああ、なんと不思議なことだろうか。
雨が降りそうになると、誰も教えないのに、
命あるものたちはそれぞれ自分の家へと急ぎ、
つばめはせっせと餌(えさ)を運んでひなに食べさせている。
人間たちも、これから夕食を囲んで一家だんらんのひとときをもつのだろう。
そのような愛の営みをいったい誰が教えたのだろう。
その光景を見ながら、ふとそんなことを考えていました。

生きているものは、みんな愛し合っています。
誰も教えなくても本能的に知っているのです。
けれども、その愛をつくった源を知らないでいるのです。
では、その愛の法則の源なるお方を、
いったい誰が愛してあげるのでしょうか。
そんなことを思っていると、急に声を張り上げて泣きたい心情にかられたのです。
そして、「天のお父様、みんな自分たちだけ愛し合って、
親であるあなたの愛を誰も知らずにいますね。
お父様、寂しいでしょうね」と心の中で叫ぶと、
空の彼方が泣き出しそうになって、
「寂しかったよ」という声が、私の全身に響いてきました。
私は天のお父様がかわいそうで、「天のお父様!」と叫びつつ、
はらはらと涙を流して、しばらく泣いていました。

その日はついに山路さんは来ませんでした。
しかし、私はその小さな駅で、
あらゆるものに注がれる神様の愛をかいま見、
神様の心情の一端にふれて一日中泣きました。
そして、そういう神様の愛を実感すればするほど、
“神様のためにもっとやらなければ”という思いが、
私の全身にみなぎってきたのです。

一生懸命に伝道しながら、神の愛を実感し、研究し、
日中はひねもす夜は夜もすがら、立っても座っても
ただ一筋に神様のことばかり思い続けていると、
見るもの聞くものすべてが不思議に思えてきます。
花を見ても涙が流れ、木に生(な)っているリンゴを見ても驚きました。

どうしてあんな木に、赤い丸いリンゴが生るのだろうか。
どうして黒い土の中から、白い大根が出てくるのだろうか。
どうしてバナナもみかんもりんごも、みんな味が違うのだろうか。
あのような味つけは誰がしたんだろう。
自然はなんて不思議なんだろう。

自然を見て、神様がいないなんてどうしていえるでしょうか。
とんでもない話です。
私たちは、あらゆる方面から論を進めていっても、
絶対に神様を否定することはできないでしょう。
私たちの周りにあるすべての被造物、自然の中に、
神の神性と力がみなぎっていることは間違いない事実なのです。

こうして自然を通して神様の愛を実感すればするほど、
私たち人間が神様の愛を裏切って堕落し、
神様を悲しませてきたことが思い起こされてきて
胸をしめつけられるようでした。
考えれば考えるほど神様がかわいそうで気が狂いそうになり、
絶叫したくなってしまうのでした。

こうして大阪での開拓中は、神様の悲しい心情を思い、
毎日涙で祈る日が続きました。
泣かない日はなく、祈らない日はなかったのです。
“父の神の庭の中で……”という、自然の中に現れる神様の愛の歌を歌うとき、
関西大学と梅田駅の間を通いつつ涙した大阪の時代を思い出します。

松本 道子(1916〜2003)・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「寂しかった神様」13
(blessed lifeより)


松本ママが真を尽くして伝道された、
山路さんは、戻ってこなかったのでしょうか。。。

こんな経験を松本ママは、
何回も何十回も体験して来られたでしょう。

ただ、そんなつらい思いをされても、
乗り越えてこられたのは、
神様との絶対的な関係があったからだと思います。

松本ママは、『超』行動的な方だと思っていましたが、
その土台には、神様との親子の関係があり、
「絶対に神様を喜ばせていく」という
強い決意がありました。

そんな松本ママの心情圏を
少しでも相続する者になりたい、
そう思うのです。


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2022年04月11日

私だけが苦労したと考えてはいけない*前任と後任、神の前には一人?! 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「私の苦しみの前に神の苦しみがある」です。

 
先生の心を理解したならば、
もう一つ考えなければならないことがあります。

例えば、私が問題のあるチームに、
六か月あるいは一年、一緒にいたとします。

その時、彼らを導くのに、「あっ、これは私の間違いだ」
「こんなふうにしよう」
「こうして私は導いた」といって
自分だけが苦労したと思ってはいけません。

私を通じて、いろいろと教育するために、
苦しまれた神がいるということを忘れてはなりません。

 
そしてまた、完全なリーダーではないのですから、
メンバーたちを傷つけたこともあるし、
メンバーが話を聞かないので、
自分も傷つけられたこともたくさんあるのです。

チーム・リーダーがよく導けなかったがゆえに、
あるいは牧会できなかったがゆえに、傷ついて、
教会から去ったメンバーもいます。
それによって、リーダーもたくさん学んだのです。

今まで問題のあるチームを引きずってきたのは、
自分ばかりでなく、背後で
神も苦しんでこられたということを考えるのです。

新しいリーダーが来た時に、彼らの中には
メンバーを傷つけたり、
苦しむ人も出てくるだろうと思います。

けれども、私が神の心でその人をよく指導できれば、
そのチームを通じての摂理が延長されるのではなく、
短縮されるだろうと考えるのです。

 
アダムが失敗したときに、アダムの代わりの者を、
すぐ立てることはできなかったのです。

アダムの身代わりを立てるのに、何年かかりましたか。
ノアを立てるために、一六〇〇年かかったのです。
ノアが失敗したときに、何年かかりましたか。

それと同じように、Aというリーダーを出したけれども、
チームをよくリードできなかったとすると、
代わりの人を立てるには、それくらい必要だということです。

皆さんは、最初の人ができないと、すぐ次の人に代えてしまいます。
そうしたらメンバーも変わったと思います。
形状的には変わっても、内的にはまだまだ変わっていません。

最初の人よりも、後に来た人がもっと上の立場に
立たない限りは、引き継ぎが
まだ終わっていないものと考えなければなりません。

 
ですから、リーダーの立場を受け継ぐためには、
新しい人はチームを率いることのできる基台を造らないといけません。

そこには最初のリーダーとメンバーとの
心情のかかわりがあります。

その次の人もよくできなくて、
代わりに新しい者が引き継いだとします。
そうしたら最初のリーダーが
どのように導いたかを知らなければなりません。

また、最初の人がテイク・ケアした以上の熱心さ、
心情をもたなければなりません。
それによって初めて引き継ぎが始まるのです。

最初によくできなかった者がいれば、
新しく来た者が蕩減をしなければいけません。
神が中心者を通じて何かを願うときに、神の目的を中心として見れば、
最初の人と次の人は同一の人なのです。

だから最初の人がよくできたもの、できなかったもの、
それらが全部次の人に引き継がれるのです。

 
アブラハムが失敗したゆえに、
イサクがいけにえに立たなければいけなかったのです。

み旨を中心として見れば、
アブラハム、イサク、ヤコブは同じ人です。

最初のアダムが堕落したがゆえに、
第二のアダムとして来られたイエス様は、
アダムが間違ったすべての蕩減条件を負わなければいけません。

第三のアダムとして来られる再臨主は、
第一のアダム、第二のアダムの
すべての蕩減を払わなければいけないということになります。

前の人の責任は前の人の責任で、
私には責任はないということはありません。
皆さんはそれをはっきりと分からないといけません。

平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「私の苦しみの前に神の苦しみがある」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
 

再臨主として来られた
真の父母様の立場は、どれほど大変だったのか、
窺い知ることができるみ言だと思います。

神様ご自身も6000年間、
待ちに待った真の父母様でした。

今回のみ言は、リーダーとして立つ立場の人の
観点で語られている内容ではありますが、
私たちが中心者を見つめるとき、
また、一人ひとりが神氏族メシヤでありますから、
私たちにとっても必要なみ言であると思います。

やはり、題目にあるように、常に
「私の苦しみの前に神の苦しみがある」
このことを念頭に置いていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 08:46 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする