2022年04月05日

大阪で見つけた神戸の種火 「ひらめき」そして果敢に行動すると 《松本ママ奮戦記》



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松本ママと山路美知子さん☆


松本ママの「信仰は火と燃えて」
今回は、『神戸の種火』です。

大阪では、クリスチャンセンターにおいても
すでに多くの否定を経験していた
松本ママですが──

 
またある日のことです。

河津さんと一緒に、いつものように路傍伝道をしていると、
クリスチャンセンターにたくさんの牧師夫人が集まって
集会をしている、という情報が入りました。

私は、これはチャンスだ、とピンとひらめくものがあったので、
河津さんを先に帰し、
その牧師夫人の集会に参加することにしたのです。

けれども、このままの格好ではとても行くことはできません。
そこで急いで近くのデパートに、洋服を買いに行きました。

並んでいる服を見るとどれも4、5000円近い値段がついています。
ところが、私の手元には2500円しかお金がないのです。
しかしなんとかしなければならないので、
そこの責任者に会って話をしてみました。

「私はいつも駅の前で路傍伝道をしている伝道師ですが、
実は急遽(きゅうきょ)行かねばならない所がありまして、
あの服を着て行きたいのですが、今手元には2500円しかありません。
残りはきょうの夕方かあす必ず持ってきますから、
ちょっと貸していただけませんでしょうか」

デパートで服を貸してくれるはずがないとは思いましたが、
無理を承知で、当たって砕けろとばかりにぶつかってみたのです。

すると即座に「いいでしょう。
あなたのことはよく知っています」という返事が返ってきました。

とても意外なことだったので、天にも昇る気持ちで感謝して、
さっそく着替え、顔を洗って、髪をとかし、
ちょっと口紅をつけて出掛けて行きました。

 
クリスチャンセンターに着くと、約100人ぐらいの婦人が集まっていて、
平和運動をしている野々宮さんという婦人が、
東南アジアを旅行した時の話をしているところでした。

彼女は「仏教はいろいろな派を越えて、
みんな和合統一する方向へ行っているのに、
キリスト教はいつも分裂ばかりしていて、
これは本当に嘆かわしい」ということを言っているのです。

私は「そうだ」と言って拍手をしました。

その時、私の方を見て“なんだあの女、ここにも来たのか”
という顔をする人もいましたが、
話を真剣に聴いている人は一緒に拍手していました。

私は拍手をしながら、
「そうです。先生の話はもっともです。
キリスト教は今や統一されなければならない、
宗教が一つにならなければならない時が来ていると思います。
先生は本当に素晴しいことをおっしゃってくださいました。
ありがとうございます」と言って、
野々宮さんのそばに行って握手を求めたのです。


そんな私の態度を見て、つかつかと
私のそばに寄ってきた婦人がいました。

神戸の教会から来ている山路美知子さんという人で、
お互いに自己紹介をし、名刺をもらって、
またいつか改めて会うことを約束して別れました。


この山路さんと会ったことが、
その日の大きな収穫だったのです。

何日かしてから電話をしてみると、すぐ来てください
と言うので、さっそく出掛けて行きました。

そして、その日は一日山路さんと神様の話をして、
最後に「『統一原理』を聴いてください」とお願いし、
序論だけを話して帰ってきました。

ところが、山路さんはその序論だけで心が満たされ、
すぐにも全部聴きたいと言い出したのです。
私は大阪から神戸まで、講義に通うことになりました。

松本 道子(1916〜2003)・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

信仰は火と燃えて 12
神戸の種火
(blessed lifeより)


松本ママの実践力は本当に素晴らしいですね。。。
時には落ち込むことがあっても、
すぐに翻って、また前に突き進んでいく。。。
これだけの突破力があれば、
恐れるものはないといえますね。

デパートで服を買うのではなく、
借りるというのも、松本ママならではのことですね(笑)

『ひらめき』というのは、
神様と善霊が働かれるものだと思います。
霊的に敏感になっていきながら、
また、松本ママの実践力を相続しなければと思います。


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posted by ten1ko2 at 10:02 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月25日

牢獄の第2弟子は総監督、「これから私は絶対に主に従う」 《金元弼先生》



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朴正華氏


金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
「朴氏、弟子となる」です。


先生は、牢屋の中ではなかなか語られませんでした。
しかし、神によって備えられた人には、
冒険をしてでも、話しかけられました。

昼食の時に、ミスター朴(朴正華(パク チョンファ)氏)に近寄りました。

この朴という人は、二〇〇〇人近い囚人の中で、
総監督をしていた人です。

しかし、初めて会う人ですから、
その人がどういう人であるか、
先生には全然分からないはずです。

ところが彼に話したことは、洗礼ヨハネは
自分の責任を果たしえなかったという内容でした。

彼は、「そんなことはありえない」と反対しました。
道を直くする立派な人であると信じていたからです。

この朴さんという人は、若いころに勧士(伝道師)という
職分をもっていた熱心なクリスチャンでした。
共産党が北の方の主権を握ると、そこに入っていって、
彼らに協力して働いていました。

しかし、その職務を怠ったという罪で、
牢屋にぶち込まれた人でした。
囚人の中の監督となったのはそのゆえであると思います。

もし彼が先生に反対し、“これは良くない”
と思うようになると、先生の立場は
非常に難しくなったでしょう。

それでなくとも、先生は刑務所の中で
要注意人物として注目を集めている立場でした。

そこで先生は彼に、「そんなふうに言ってはいけないのに」
というひと言を残して別れました。

 
ところが、その夜の出来事でした。
朴さんは、体が非常にきつくなって、
寝ようとしたら白いおじいさんが現れて、
「お前、五九六番が誰か知ってて反対するのか」
としかるのでした。

体が苦しくて苦しくてたまりませんでした。
「お前はその人の話を聞かなければいけない」
と厳しく言われ、「すみません」と
悔い改めたらすっかり体が良くなりました。

それは生涯において、初めての出来事でした。

 
先生は次の日にも、昼食の時に彼を訪ねました。

彼に会うとすぐ、「あなた、昨日
こんなことが起こらなかったのか」と聞きました。

彼はびっくりして、昨夜の出来事をお話ししました。
そうしたら、先生が今度は、
「イエス様を生んだマリヤは
よく使命を果たしえなかった」
ということをお話しされました。

これはもっと信じられませんでした。
彼は、「イエス様を生んだマリヤが
使命を全うできなかった」とは、
何のことだろうと考えたのです。

そこで彼は、昨日よりもっと怒りました。

 
その夜は、昨日よりももっと苦しい目に遭いました。

白いおじいさんが現れて、またきつく話しました。
「五九六番がどういうお方であると思うのか。
お前は、絶対に服従していきなさい」と言って、
今度は本当に耐え難いような苦痛を体に与えるのでした。

もうちょっとしたら息が絶えてしまいそうな苦痛なので、
監督は、「あのお方のお話を絶対信じるから
許してください」と言って悔い改めました。


彼は次の日に、先生に前日の夜のことを話しました。
そしたら先生は、もっと信じ難いお話をされたのでした。

今、その内容は覚えていませんが、
とにかく彼には信じ難かったのです。

二回もひどい目に遭いながらも、彼は
「とても信じきれない」と強く激しく反対しました。

それから三日間、本当に苦しい目に遭いました。
それで彼は心から悔い改めて、三日目に
“これから私は絶対に先生に侍る”と決心しました。

そして後、彼は牢屋の中での二番目のお弟子になりました。



朴正華氏が導かれた時の証しは有名ですよね。

それにしても、夢で先祖が三度も出てきて痛い目に遭い、
そのことをお父様がご存じであった、というのですから、
お父様はまさに霊能者ではないか、と思わされます。

そして神様も、劣悪な環境でありながら、
ちゃんと義人を準備していたのです。

お父様の信念と精誠によって、
このような出会いがあったのだと思います。

私たちも、どんな環境にあったとしても、
神様は準備されておられるのだ、
そう信じて歩んでいきたいと思うのです。




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2022年03月11日

私の体で神様が泣き、そしてサタンの声が・・・自然屈服の証し 《松本ママ奮戦記》



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松本ママの「信仰は火と燃えて」
今回は、『試練と導き』です。

 
広島に行く人も九州に行く人も、
みんな一度は大阪に立ち寄るので、
私のいる所はおのずと出入りが激しくなりました。

当初借りていた部屋は二階でしたので、
階下のおじいさんが迷惑がり、
いつもいまいましいと思っていたのでしょう。

日曜日に聖歌を歌うと決まって
「うるさい! やめろ!」とどなるのでした。

ですから、私たちは遠慮して小さな声で歌わなければならず、
水道も下にしかなかったので、
とても不自由な生活をしていたのです。

けれども、お金がないので、すぐ引っ越すこともできず、
しばらくそこで我慢をしていました。

 
ところがある朝のことです。

私が伝道に出掛けようと思って下りていくと、
おじいさんが下で待っていて「松本、きょうすぐ出てくれ、
すぐ引っ越してしまえ」と言うのです。

けれどもそれはあまりにもむちゃな話で、
12月の寒い季節にすぐ出ろと言われても行く所がありません。

そこで、「おじいさん、それは無理な話です。
1カ月余裕をくれませんか」と頼んでみました。
けれどもおじいさんは「すぐ出ろ」の一点張りで、
何を言っても聞き入れてくれません。

揚げ句の果てに「理屈を言うんじゃない、
このバカヤロー!」と言って、
思いきりこぶしで殴りつけたのです。

おじいさんは、軍人あがりなので力が強く、
私は脳震盪(のうしんとう)を起こしたようになってしまいました。

 
その時の惨めさ、無念さに耐えかねて、私は、
はらはらと涙を流しながら立ちすくんでいました。

神様のことで論争して殴られるたら我慢もできますが、
「出て行け」と言って、神様のことなど何も知らない
無知な男に殴られたと思うと、たまらなく
無念な思いが込み上げてきて、絶叫したいほどでした。

その瞬間に、「ああ無念だ。なさけない! 悲しい!」
と、絶叫する涙の声が聞こえたのです。

「ああ残念だ、わが娘よ」という神様の声が、
ザーッと迫ってくるのです。
私の目からはらはらと出てくる涙が、
神様が泣いている涙のような気がしました。

神様の悲しい叫びと涙を見て、とっさに私は、
「お父様、泣かないでください。
大丈夫です。こんなこと問題じゃありません。
過去に多くの殉教者がいるではありませんか。
イエス様は十字架にかかったじゃありませんか。
このくらい殴られたって痛くありません」
と神様を慰めていました。

 
そんなことをしているうちに、三回目、
四回目の拳がとんできました。
おじいさんは、真っ青になって「ハッハッ」と
あえぎながら殴っているのです。

私は、おじいさんを抱え、部屋の中に連れて行きました。
そして、水を飲ませ、背中をさすりたがら、
「おじいさん、きょう中に家を探しますから我慢してください。
気を鎮(しず)めてください。
すぐ出て行きますから」と言ってなだめ、その家を出ました。

外に出ると、殴られて髪も着物もくしゃくしゃに乱れた自分の姿が、
ドアガラスに映っていました。

その格好を見ると、再び無念の思いが込み上げてきて、
惨めでたまらなくなってくるのです。

路傍伝道用の旗を持って立っている自分の格好が、
乞食(こじき)のように思えてきて、
伝道に出掛ける力も出ず、どこかの公園のベンチで、
一日中でも泣いていたい気持ちでした。

 
私の運命はどうしてこう惨めなのだろう。
どうしてこんなに殴られなければならないのだろう。

食べる物も食べられない。
着る物も着られない。
こんな惨めな格好をして伝道なんかできやしない。
人に笑顔で話もできない。

神の国が来るといって人に希望を与えることができない。
こんな惨めな私がどうして他人に
希望を与えることができるだろうか。
どこかへ行ってさんざん泣きたい。

そんな気持ちで、しばらくとぼとぼ歩いて行きました。
そのうち、「これはサタンの声だ!」とハッとしたのです。

 
私は天宙復帰という偉大な使命を帯びているのに、
このくらい殴られけられたからといってそれが何だ。

イエス様は十字架にかかったじゃないか。
さっき、「天のお父様、泣かないでください。
私は痛くありません。
こんなこと問題じゃありません」
と言ったくせに、まさしく今の思いはサタンの声だ。

サタンよ退け!
どこかに行って座って泣きたいなんて
もってのほかだ。

  
そう思い直すと私の心は強くなり、
訓練に来ていた河津さんを連れて
一日の歩みを始めました。

まず、くず屋を3時間ぐらいやってから関西大学に行って伝道し、
夕方は、梅田駅と天王寺駅で路傍伝道、
夜は他のキリスト教会の集会に参加して、
その日は特に一生懸命に働きました。

サタンの声に負けないで、自分の悲しみを押しのけて、
「お父様、心配しないでください」と言って、
夜の11時ごろまで頑張ったのです。

夜、そっと部屋に帰ると、黒板の前に座って
きょう一日やったことを神様に報告し、祈りました。

「天のお父様、私は負けませんでした。
あすも負けないでしょう。
あさっても負けないでしょう。
あすもこのおじいさんが私を殴っても、
私はくじけません。
早く他の家を探しながら、一生懸命やります。
絶対にサタンに負けて座ったりしません。
お父様、安心してください」
と、泣きながら祈ってその夜は休みました。

  
その翌朝、6時ごろになると、また下のおじいさんが私を呼ぶのです。
私は「困ったな」と思いながら下りていきました。

ところが、きのうとは全く様子が違っているのです。

きのうは心臓まひを起こすほど怒ったおじいさんが、
きょうは私を抱き抱えるようにして、
「きのうは年がいもなくあんなことをして、
本当にすまなんだなあ。
あんたは神様の仕事をやっているのに、
私はそういうあんたを殴ったりして、堪忍しておくれ、
堪忍しておくれ」と泣くではありませんか。

あまりに意外な出来事に、私はただ驚くばかりでした。

その一週間後、思いの外早く家が見つかり、
引っ越すことができるようになりました。

引っ越しの日、手伝いに来ていた田中さんに、
そのおじいさんは「私は60年の人生を過ごしてきたけれども、
松本さんのような人格者は見たことがない」
と言っていたということでした。

西川先生にこのおじいさんの話をすると、先生はとても喜んで、
「向こうが謝ったということは、サタンの息子が
神の娘に自然屈服したということだ。
松本さん、本当によく忍耐したね」と言って褒めてくれました。

私の心が喜びに震えたことは言うまでもありません。

松本 道子・著(光言社・刊
『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
「試練と導き」

https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13570
(blessed lifeより) 11
 

おじいさんの迫害を乗り越えた松本ママ。。。
マイナス的な思い、弱気になることもあったのですね。

それでも強い信仰をもって、
見事に乗り越えていかれたのでした。

松本ママのような方がおられたので、
今の家庭連合がある、ということを思った時、
本当に感謝なことであると、切に感じるのです。

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