小山田先生の自叙伝。
「神様の心情圏に通じる釣り」と
「真のお父様に釣られた、『私』」です。
☆
神様の心情圏に通じる釣り
改めて、真の父母様にとって
釣りとは何かを考えてみます。
真のお父様は、
「精神統一を成し、生死を超えてやる。
ほかのことを考える余裕がない。
だから釣り竿の竿先を見ながら、宇宙を描くのである」
とおっしゃいました。
真の父母様は、正眼の構えで
竿先をご覧になるのです。
その瞬間、「神様の心情圏と通ずる」
というのです。
☆
さらに、釣りは
「人の運勢を見る身近な方法だ」と指摘されます。
釣りをしてみると、運がある人、
ない人の違いがはっきり分かります。
技術は二の次で、まず運があるかどうかが重要です。
それは釣り竿によっても違います。
きょうはこの竿に運があり、こちらの竿にはないというのです。
大きな魚が釣れるならば、運があることが分かるのです。
そして、大きな魚を釣った人には、
大きな仕事を任せるというのです。
☆
真のお父様に釣られた、私
私は約五十年間、釣りをしてきましたが、
私の釣りの師匠は真の父母様です。
かつて、ベルベディアでの 礼拝のあと、
お父様が「きょう、釣りに行きたい者?」
とお尋ねになったので、私が手を挙げました。
お父様は、いかにも軽蔑するようなまなざしで
私をご覧になり、「おまえなんか、
船に乗れば嘔吐(おうと)して
甲板を這いずり回るのが関の山だ」とおっしゃったのです。
頭にきた私は、「いくらメシヤであっても、
言って良いことと悪いことがある」と思ったのです。
しかし、それが、お父様の釣りでした。
私が釣られた、のです。
私は、いつもお父様から叱られ、頭にくることで
釣られてきた、のです。
お父様は本当に私たちのことをよくご覧になっています。
☆
船上で私は「酔うものか」と強く意識していました。
すると、徐々に体が慣れて酔わなくなりました。
おなかに水分が溜まっていると酔います。
酔わないためには、余分な水分を取らないことです。
また、波で船が揺れる角度も影響します。
揺れる場所にも慣れることです。
☆
かつて久保木会長からは
船酔いのつらさをよく聞かされました。
それであえて「釣りをしよう」という気にはなれませんでした。
聖書に「あなたの見た水、すなわち、
淫婦のすわっている所」(ヨハネの黙示録十七章5節)と書いてあることから、
クリスチャンで、泳ぎの下手な私には
海に行きたいという思いは湧いてきませんでした。
しかし、真の父母様が釣りをされるのには
何か大きな理由があるのではないか、
機会があれば私も釣りをしてみたいと思っていたのです。
☆
私は周りから、「お父様のいる所を、
いつもついて回るのが小山田だ」と言われました。
そのことを聞かれたお父様は、
「なぜおまえを連れて回るのか。
おまえは何ももたない男だ。
何もない男だから、先生に
ついて回ったことだけが、おまえの宝物だ。
それでおまえを連れて回るのだ」
とおっしゃったのです。
第十章 人類の食糧問題を解決する海洋摂理
神様の心情圏に通じる釣り
真のお父様に釣られた、私
神様の心情圏に通じる釣り
真のお父様に釣られた、私
☆
釣り竿の竿先を見ると、
「神様の心情圏と通ずる」
と言われる真のお父様。。。
釣りをしないので、全く分からないのですが、
それが釣りの境地なのだと思います。
また、お父様に「釣られた」小山田先生の証しは、
前にも一度紹介したことがあるかもしれません。
まさにお父様は「釣りの天才」ですね。
私たちも見えないお父様=神様に「釣られて」
ここまでやってまいりました。
これからも、神様の御意のままに
歩んでいきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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