2016年04月15日

お父様が釣りのチャンピオンになった理由?! 全ての釣り師が使う「ムーニー式」釣り方法?!  《お父様と海と自然1》



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文先生の
釣りに対する深い研究と
り強い忍耐心が、
だれも追いつけない立場に
至らしめた──



尹世元(ユンセウォン)元鮮文大学校総長による
真のお父様の証しを紹介します。

尹世元先生は真のお父様とともに1980年代
海や山でともに過ごされました。
一部、編集しています。


一九八三年夏、私はボストンとアラスカのコディアクの海で、
七十数日間、文鮮明先生とニューホープ号に乗って、海釣りをしました。

朝四時ごろに起きて、顔を洗い、食事を終えた後、
日が昇るのよりずっと前に、宿舎を出ます。

五時半に船に乗って、日が昇る東の空の雄壮な姿を見ながら、
一時間半くらい船に乗って進み、
陸地が見えるか見えないかぐらいのところに錨を下ろして、釣りを始めます。

そのころから熱い日差しを頭の上に受け、十二時間近く釣りをして、
夕方六時か七時ごろ船を引き返して宿舎に帰り、夕食は夕方八時ごろです。

文先生は、夕食後、すぐ休まれるのではなく、多くのみ言を語られます。
ですから、私は夜十二時、または明け方の一時になってから寝床に入るのです。


朝五時から夕方七時まで、船に揺られ、
日差しに苦しみ、風と波を何回も受けます。
それに、一日に三時間か四時間しか寝ることができません。
本当にこの疲れは、例えようがありません。

文先生はそれを、一日や一週間で終わるのではなく、
毎年三か月ずつ、十年間続けられています。


文先生との船の上での生活で、また夕食の食卓で、
多くのお話を聞くことができました。

文先生と皆さんに申し訳なく思うことは、
日差しが焼きつくように照りつけ、ゆらゆらと揺れる船の上で、
いつどのようなときに文先生のみ言があるだろうかと
予測することができなかったために、
み言を書き記すことができなかったということです。

また、食卓でも文先生は、いつもみ言を語られたのですが、
疲れていた私はみ言をただ耳で聞いて、頭で記憶しておくのがやっとでした。


文先生はご自身で釣り方を研究されました。
そして、アメリカで文先生はマグロ釣りのチャンピオンになりました。
だれも追いつけませんでした。

アメリカ人たちが、文先生の釣り道具や方法を
『ムーニー式釣り道具、ムーニー式釣り方法』だと呼んで、
今ではボストン沖合のほとんどの釣り人が
この『ムーニー式』の釣り方式を使用するようになりました。

文先生の釣りに対する深い研究と粘り強い忍耐心が、
文先生をしてだれも追いつけない立場に至らしめたのです。


ハドソン川の下流、ベリータウンにある神学校に行くと、
川岸にある広い倉庫にはさまざまな網をはじめとした
各種の漁具が掛けられています。

これらすべてのものは、文先生が自らの手で作られたものです。
文先生の海釣りは、文先生の動的な面を見せてくれるものですが、
倉庫いっぱいの漁具は、文先生の静的な面を見せてくれるものです。


文先生は、たくさんの網を自らの手で編みながら、
何を考えていらっしゃったのでしょうか?

海釣りそれ自体は動的なもののようですが、実際は無限に静的なものです。
魚が釣り針に食らいついて、これを引き上げるときは一瞬です。

何時間、何日でも揺れる船の上で、
波打つ海を見下ろさなければならない退屈さは、
到底耐えられるものではありません。

あるアメリカの青年は、文先生と海釣りに一日出た後、
一週間休んでやっと疲れがとれたと言いました。

その人は私を見て、「あなたは文先生と七十日間共に海釣りしたから、
二、三か月はゆっくりと休むべきです」と冗談を言いました。
文先生は、このように苦しいことを、毎年夏に丸三か月もされるのです。


文先生は、海に人類の無限な希望を持っていらっしゃいます。

人々は陸地を開拓して、生きる基盤と食糧を得ました。
人々が陸地を開拓したのは、本来、
地上に住むようになっているという理由もありますが、
陸地が海よりも開拓することが易しいからです。

ところが、二十世紀以後、増える人口と限られた土地は、
人類の未来を暗くしています。
一方、海は陸地よりもはるかに広く、無限な資源があります。


アラスカ沿岸には、長さ五十キロメートル、
幅十キロメートルくらいの魚が群れになり、あちこちに泳ぎ回っています。

ボストン沖では、イカの群れが海を覆うくらいたくさんいます。
南洋の海には、クリルという小さいエビの群れが無尽蔵にいます。

アメリカ人たちが好んで食べる魚介類は、
サケ、ハリバット、エビ、カキ、カニ、ハマグリなど幾つかの種類だけで、
大部分の魚は食べず、捕まえては肥料や飼料として使用します。
全世界の十億近い人口が飢えているのに、とんでもないことです。


文先生は、世界の食糧問題を恒久的に解決しようとするなら、
海を開拓しなければならないと考えていらっしゃいます。

たとえ険しく苦労に満ちたところであっても、海を開拓し、
豊かにせずしては世界を救う道がないと、考えていらっしゃるのです。

ですから、文先生は自ら海の困難を経験されて、
文先生に従う若い男女を海へと導いていらっしゃるのです。



真のお父様は、海が好きだからとか
釣りが好きだから釣りをされるのではありません。
人類救済のために、切実な思いを持って、開拓していかれたのです。

神のために人類のために、
海を愛し、魚を愛することを通して、
マグロ釣りのチャンピオンになっていかれたのだと思います。

本当に伝道の精神ですよね。
相続していきたいと思わされます。


明日に続きます。


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2016年03月27日

真のお父様は、マグロ釣りのチャンピオン! 霊界が働く5つのポイント 《金元弼先生の「お父様と海」》2



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昨日は、金元弼先生の講話、
お父様がマグロ釣りのチャンピオンであるという
5つのポイントのうち3つを紹介しました。

まず、マグロ釣りの目的が明確であること、
二番目にマグロについての知識、
三番目に心を投入されるということでした。

今日は、残りの2つのポイントです。


四番目は、すべてのエネルギーを投入することです。

普通マグロ釣りには朝の五時に出発します。
というのは、漁場まで二時間かかるからです。
しかし、先生は四時に出発されました。

そして、帰るのは普通夕方の五時か六時ごろです。
なぜならそのころには魚がエサをかまなくなるからです。
しかし、先生はそれよりさらに一時間長くそこにおられました。

このように先生がマグロを釣っていかれるなかで、
「釣れた」と言ったら先生の船なのです。
それで一般の人たちは、本当に先生の船に注目するのです。

そして、波の様子を見ると、自分たちよりも
一時間早く出ているということで、
彼らもそれに倣って四時に出発するようになりました。
そうすると先生は、三時に出発されました。

ある時、一日中やってもなかなかマグロが釣れませんでした。
するとシーズンの時には二百艘のボートが集まるのですが、
全部のボートが帰っていくのです。

その時先生は、船にいるメンバーに尋ねられました。
「ここでマグロを夜に釣ったという話を聞いたことはないか」と。
すると彼は、「そういうことは聞いたことがありません」と答えたので、
先生もそのまま帰られたのです。

というのは、先生は、そういう話があったとするならば、
徹夜してでもマグロを釣る覚悟でおられたのです。
このように先生は本当に力を投入し、熱心に働かれたのです。


マグロを一匹取ると、釣りをやめて
帰らなくてはならないという法律があります。

ある時は、二匹まで取ってもよいという許可が下りたのですが、
二匹を昼までに取ってしまったので、早く帰るようになりました。
ところが港で魚を下ろして、家に帰るのではなく、
そのあとで他のいろいろな魚を釣られたのです。

マグロ釣りの時というのは、朝三時に出港するとすれば、
二時に起きなければなりません。

そして一日疲れて帰ってくるのですが、先生は夜にお話をしてくださり、
十二時以前に寝ることはできません。
ですから、数時間しか眠ることができないのです。

こういうことですので、マグロを早く釣れば、
少しは休めるかと思っていたのに、またやるということですから、
かえって早く釣るのがうれしくないほどです。
これほどまでに先生は熱心に力を尽くしていかれました。


そしてあまりにもよく釣るので、
人々は望遠鏡で私たちの一つ一つの動きを見守るようになりました。

そんなある日、大きな警備艇がやって来ました。
というのは、彼らが警備艇に訴えたからです。
「ムーニーは何か不思議なエサを使っているのではないか、
行って調べてください」ということだったのです。

しかし調べてみても、何も不信なものはないのです。
同じものを使ってやっているのです。

そういう時に、マグロが引っかかったのです。
しかし、調査されている時だったので、それに対処することができず、
マグロはロープを切って逃げてしまいました。


このように、私たちがマグロをたくさん取るのが
不思議で不思議でならないのです。

そこで彼らが得た結論は、「ムーニーは魚までも洗脳する」
ということになったのです。
彼らは、エサを切るときに私たちがまじないをするのだと考えたのです。
そういうふうにしか、理解することができなかったのです。

マグロが釣れると先に港に帰るので、ツナを冷凍する人たちは、
最初に帰港する船はムーニーの船だ、あるいは他の船だと、
ビールを買って乾杯するようになりました。


先生は、このマグロを売っている人たちの生活をよく理解され、
マグロの販売価格を上げてあげなければかわいそうだと考えて、
そのマグロを高い値で買うようにされました。

また、先生が、何も釣れずに帰る場合、お母様を見ると本当に済まなく、
申し訳なく、そういう心を隠すことができなかったということでした。

それで先生は、魚で生活している漁師が釣れずに帰るとき、
それを迎える奥さんたちの心はどうだろうと、
そのような心を実感として分かったということでした。

ですから、先生はマグロが釣れないときには、
何か他のものでも釣っていくようにされたのです。


五番目は、祈りながら釣られたということです。

これら五つのポイントの基盤があればこそ、
霊界が働いてくれるということです。
万物復帰にしても、伝道にしても、
この先生の五つのポイントが適応されると思います。

そういうことですので、先生に倣って、まず目的意識をはっきりさせ、
その次に、知識と知恵のすべてを投入する。
三番目は、すべての愛の心を尽くしていく。
そしてすべての力を投入していく。
最後に、お祈りをささげる。
こうすれば、何事もできないものはないと思います。

先生はただチャンピオンになったのではなく、
結局サタンに勝利されたのだということを考え、
私たちはその伝統に倣っていきましょう。



お父様は、霊界の働くポイントをご存じであり、
それを実践していかれたので、マグロ釣りのチャンピオンになりました。

漁師たちが「魚を洗脳している」
そのように表現しているところが面白いですね(笑)

お父様はメシヤだから、なんの条件もなく勝利するのではなく、
原理原則通りに歩まれるから勝利されるのです。

マグロ釣りを通して、
海洋摂理を切り開いてくださり、
勝利のポイントを教えてくださった
真のお父様に感謝したいと思います。


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2016年03月26日

マグロ釣りは、神の解放、人類の解放、万物の解放?! 《金元弼先生の「お父様と海」》



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真のお父様は海を愛されました。
そして、魚釣りに精誠をこめられました。

金元弼先生が、お父様が
マグロ釣りのチャンピオンであると言う点を
5つにわけて解説してくださっています。


第一に、先生のマグロ釣りの目的ははっきりしています。

魚がたくさんいても、人々がどんどん魚を取り、また人口が増えると、
魚の資源はどんどんなくなり、食糧難が必ず襲ってくるようになります。
それで、先生は魚の養殖に非常に関心を示しておられました。

また今日のアメリカは、造船や水産業が非常に遅れている状態なのです。
それは、水産業に携わる人が一度海に出ると、三カ月以上帰ってこなくて、
奥さんたちがその帰りを待ち切れず、離婚率が高くなっていくからです。

ですから、離婚を恐れて若い人たちはなかなか水産業をやろうとしないのです。
それが水産業が振るわない、大きな理由の一つなのです。

そういう中で、アメリカを救い、世界人類の食糧問題を解決するという
遠大なる目的から、先生は水産業、造船業に早くから手を出されたのです。


先生は、生き物を殺すことに対して、
こういう理解を私たちにさせてくださいました。


「マグロは、いつかは年を取って死んでいく。
病気にかかって死んだり、事故で死ぬこともある。
また、他の魚に襲われて死ぬこともある。
いろいろな形でいつかは死んでいく。

しかし、万物には創造された目的があり、存在目的がある。
万物は、真の人によって愛の主管を受けなければならないのに、
人間が堕落したことによって、それを果たせずして死んでいくので、
万物には恨みがある。

真の人に主管され、その真の人に喜びを与え、
真の人の喜びを通して神に喜びを返すことができ、
それによって万物も神の喜びのためにあったということで、
その存在目的を達成していく」


ですからツナは、真の人のために犠牲になったという場合に、
その恨みは晴らされ、初めて存在目的を達成することができるのです。

こういう原理的な観点から見るときに、マグロを釣ることのできる人は、
メシヤと、メシヤによる真の子女しかいないということになるのです。

先生が取らなくても、いつかは全部死んでいき、
そうすると万物の恨みは全部残っていくのです。
それで先生において、その恨みを晴らしていくということが、
マグロを釣る目的の一つでした。


そして先生はそれを取るばかりでなく、どんどん養殖して、
人類の食糧難を解決するということにもかかわっていかれたのです。

オーシャン・チャーチの設立も、そういうきっかけからだったのです。
ですから先生がマグロを釣る目的は、神の解放、
人類の解放、万物の解放と、はっきりしているのです。


チャンピオンになった二番目の要因は、先生のマグロについての知識です。
先生はそれまでの知識に、常に新しい知識を加えていかれました。

まず先生は、ツナの生態から研究し始められました。
何が好きで、どういう所に好んで行くのか、
いつよくエサをかむのかということから始められたのです。

それは、多くの本を読まれたということではありません。
先生は、人の話を聞きながら考えられたのです。

次に先生は、釣るのに道具が必要ですから、まず釣り針を研究されました。
いろいろな釣り針を集め、どれが一番良いのかを常に考えられました。

そして先生が直接使ってみて、いろいろと構造を変えたり、
そればかりでなく、それにつなぐロープについても、
太さなどをいろいろ検討していかれました。
そのように、すべての道具を一つ一つ検討されたのです。

次に、エサを垂らすにも、いくつ垂らせばいいのか、
それもどのくらいの深さで垂らせばいいのかということも研究されました。
このようにして、すべての知識を得て、マグロ釣りにそれらを投入されたのです。


三番目に、先生は、マグロを釣るのに本当に心を投入していかれました。

というのは、先生はマグロを「魚の女王」だと言っておられ、
女王を迎えるためには、それ相応の道具を準備して
迎えなければならないと考えておられるのです。

魚を取ることを正業としている人は、
三週間かけて一匹取るのでは費用がたくさんかかって大変です。
それで彼らは、浮きの代わりに空きビンを使うのです。

しかし、先生は、そうしてはいけないということで、
当時四ドルほどの浮きをきちんと買って、
きれいにテープを巻いて使われました。

そればかりでなく、ロープを入れるかごにしても、
本当にお金をかけた良いものを使われました。
ロープも先生が買われ、直接深さを決めて使われました。

そして、エサをどんどんまかれるのですが、それは腐ったものではなく、
お金をかけて良いものを使われました。

世の中の人たちは、ただ切って投げるのですが、
先生はそれを喜ばれず、私たちがエサを切る時でも、
きれいに切って、真心をこめてまくことを願われました。

私たちがリンゴを切ってもらうとき、きれいに切ってあるのと、
でたらめにただ切ってあるのとでは、美しいほうを食べるでしょう。
万物も人間と同じで、魚もそうなのです。


また、船の上で動くときも、音を出して動くことを禁じられました。
その音が、マグロがエサに近寄るのを妨げるからです。
そして、エサなどを切っていると船の中が汚れるのですが、
先生は常にきれいにすることを願われました。

また、マグロがエサをかむ時間があり、
その時間帯が過ぎると、数時間は静かなのです。
そういう時間は疲れるので、ある時本を読んでいると、
「本を読むのではない」と言われました。
それは、釣りにすべての真心を尽くしなさいということです。

(月刊『ファミリー』一九八八年四月号掲載)



お父様は万物を心から愛しておられるのだと感じます。
それは、神様がどのようにマグロを創造していかれたのか、
その御心情を何よりもご存じだからではないでしょうか。

また、釣りをするときの精誠も本当に素晴らしいと感じます。
マグロは船の様子はわからないのですが、
マグロのためにもエサにも心をかけ、
船の中も整理整頓される真のお父様なのです。

釣りは伝道にも通じると言われます。
お父様の精神を相続していきたいと思わされます。

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