2016年03月15日

全否定のリベンジなるか?! メシヤの反応は…?! 《松崎先生の証し 2》



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お父様から、「ニシンの料理をせよ」
と言われて作った1日目は、全然食べてもらえませんでした。
全否定を越えて、悔い改めましたが。。。
松崎先生の証し、続編です。


聖書にあるごとく、
「主は再び臨まれました」(笑)

前日と同じくらいの時刻に
お父様は「松崎、ニシンの料理せよ」
全く同じように命ぜられました。

いやぁ、びっくりしましたね。
お父様の思いやりというのは、素晴らしいな、と。

その時の私は決意していました。
何が間違っていたのか、はっきりわかっていましたから。

ですから、ただ文字通り、一心不乱に、
ニシン料理を作りました。
そのとき、イカが千匹、万匹釣れようとも
全く眼中にありません(笑)

結果は面白いですよ。。。
「アボニム、用意できました」
「あ、そう」

お父様が食べること、食べること。。。
前の日は見向きもしませんでしたけど、
この日は、全部召し上がってくださいました。

このとき、お父様は日本語で
「たくさん食べたよ」

本当にうれしかったですね〜。
まさに、地獄と天国でした。


このことを通して、いろんなことを悟りました。

私は、前の日の夜に、聖書の一節を通して、
悔い改めることができましたけれど、
もし、そのことがわからなかったら、
また、うまくいかなかったかもしれません。

そうしたら、お父様は、
「こいつはダメだ」とレベルの低い弟子として、
扱われたかもしれません。

でも、お父様は説明されないんです。
それで、悟れなかったら、回路が切れたままです。

「メシヤという人は、勝手な人だな。
命令しておいて、こんなに一生懸命尽くして作ったのに、
本当に自分勝手な人だ」
このように思ってしまったかもしれないです。


でも、実は、こういう声を聴きますね。
「私はこんなに一生懸命やったのに、
メシヤは受け取ってくださらない・・・」

こういう風に思う人は結構いるんじゃないでしょうか。
これは問題ですね。

真のご家庭や、真のお母様のことを本当に
わからないにも関わらず、表面的なうわさで批判する、
こういった人たちがいます。。。
本当に悲しいことです。


イエス様の十字架のときもそうでした。
左側の強盗は、
「お前は、メシヤなんだってね。
だったら、俺を救ってみろ」
そんな風に言いましたね。

ですから、左の強盗になるのか、
右の強盗になるのか、
そういう分岐点に私がいるということだと思います。


お父様は、「原理とは何か」
アメリカの希望の日講演会で一言話されました。
「コーデットメッセージ」いわゆる暗号文なんだと。

聖書にはたくさんの暗号文がちりばめられています。
その暗号文を解けるのは、この世にたった一人、
メシヤしかいないんです。

どんな人でも信仰生活の中で
必ず試練が来ると思います。
そういう時には、
私のような経験がプラスになるんじゃないかと思います。


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松崎先生は、今年で、信仰生活50年を迎えるそうです。
いろんな試練があったけれど、
自分を中心としてみることなく、
天を中心として、自分を見つめながら、
また、真の父母様と縦的90度、
一つになることをいつも思いながら
乗り越えていかれたといいます。

今回も、料理は、「供え物」だと語られています。
純粋な供え物をささげなければ、
お父様が食することができない、
すなわち天が願う祭物にならないというのです。

私たちも日々の生活において、
神様がとってくださるように
善なる供え物を捧げられるように、
歩んでいきたいと思います。


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以前、松崎先生の証しを取り上げた時の記事です↓
  ただの釣りではない?! お父様がマグロ釣りに込めた熱き思い?! 《お父様と海 1》 
  海は、世界を救うため、神様が先生に残したもの! 《お父様と海 2》



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2016年03月14日

メシヤから全否定?! そんな時、どうする?! 《松崎先生の証し 1》



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今日は松崎先生の証しです。
松崎先生は、1972年6月23日、アメリカ宣教師
最初の12人の一人として、選ばれました。

真のお父様との出会い、
そして、大失敗の証しです。


1975年7月 真のお父様は
アメリカ、ボストンの北、グロースターの海で
40日間、マグロ釣りをされました。

40日期間中のある日、お父様から
ニシン料理を命じられました。
(少し加工して書いています)


ニシンは、マグロを釣るときの、餌なんです。
たくさんクーラーボックスに入っているニシンを見ながら、
「松崎、これはニシンだね。
韓国では、いい魚だよ。
これを料理しなさい」

「はい、わかりました。
お父様、どう料理するんでしょうか」
「煮るんだよ」

それで、料理をしたんですが、
釣りをしながら、料理をするので、
イカとか、サバとかが取れるんです。
ですから、ニシン料理とともに
イカの刺身、イカの天ぷら、
サバ料理をお出ししました。

「お父様、準備ができました」
「わかった」
そして、お昼を食べ始められました。

ところがお父様は私の作った料理には、
全く手をつけられませんでした。
お父様はご飯と、キムチか何かを食べられただけで、
私の作った料理には、見向きもされなかったのです。


私は、メシヤとお会いして、そして、メシヤに侍るため
このアメリカにやって来たのに、
そのメシヤに否定されてしまった。。。

このときは、本当に厳しい状態になりましたね。。。
言葉を失い、凍り付くような思いでした。
心の中は真っ暗闇。
まさに霊的地獄です。

悩みました。
苦しみました。
その状態で、真夜中になったでしょうか。
ハッと気づきました。
そして、ある聖句が浮かんできました。


旧約聖書のサムエル記の場面です。

サウル王は、神様から、アマレク人を絶やすように言われ、
アマレク人と家畜を殺しました。
しかし、自分にとって都合のいい肥えた牛
また、子羊とか、そういったものは、殺しませんでした。

サウル王は、その家畜に目がくらんだのです。
そして、神様に燔祭をささげたのですが、
神様は怒られたのです。
そして、サムエルを通して、サウル王に言いました。

サムエルは言った、
「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、
燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。
見よ、従うことは犠牲にまさり、
聞くことは雄羊の脂肪にまさる」

サムエル記15章22節


そのことを前の日の出来事と結びつけたのです。
お父様は、「ニシンを料理せよ」と言われたわけです。
ニシンは料理しましたが、ほかの料理もしたのです。

不純ですよね。
ですから、手を出せないですよね。
私の作った料理は、
お父様の命令に反した自分なりの祭物なわけです。


そして、次の日になりました。
お父様は無言のまま、
再び釣りを始められました。

そして、お父様は昨日と同じくらいの時刻に
「ニシンを料理しなさい」と
再び全く同じ命令をされたのです。

いやぁ、主の愛というものは、
素晴らしいなぁ、そう思いました。



ここまで書けば、あとのことはわかると思います。
そうです。
松崎先生は、ニシン料理を作られ、
そして、お父様が食されるのでした。

そこで、松崎先生はいろいろなことを悟られました。。。
少し長くなるので、後半は明日に続きます。



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2016年03月05日

お父様からの最後のプレゼント! 巨文島の釣りの思い出



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地区長が、かつて真のお父様の招請を受けて
巨文島に行かれた時のエピソードを話してくださいました。
お父様が聖和される年の5月3日の話です。


今から4年前のことになります。
真のお父様が私たち日本の責任者たちを
巨文島に呼んでくださいました。
総会長はじめ、わずか20名くらいだったと思います。

その時、巨文島は本当に遠かったんですね。
ようやく到着して、真の父母様に敬拝を捧げ、
その次に昼食の時間になりました。

総会長に「昼食のあとはどんなスケジュールですか?」
そのように質問しても「わからない。
でも、お父様がいつ呼ばれるかもしれないから待機するように」
そんな風に語られたと思います。

それで、のんびり食事をしていると
とても慌しい雰囲気になりました。
総会長が突然、いなくなり、
そのあと、何人かがいなくなったと思います。

それでも、私はのんびり食事をしていたんですね。
そうしたら、「お父様が呼ばれている!」ということで
びっくりして、外に出ると、港で待っておられるというのです。

実は、その場所から港までは2キロ近くありました。
走って走って、港に着いたら、
既にお父様の船は出発していました。

私たちもお父様の船を追いかけました。
ようやくお父様の船に近づいたとき、
お父様は、「お前たちもう帰れ!」
それで、そのままUターンして、港に戻ることになりました(笑)

ところが、港に到着する直前に、お父様が
「戻ってくるように」と連絡してきてくださり、
再び、お父様のところに行くことになったのです(笑)

あとから、聞いた話では、
お父様の船には、古田先生が乗っておられて、
お父様から物凄く叱られたそうです。

なぜだか、連絡がうまく伝わっていなかったのだと思います。。。
それで、古田先生を叱りつけて、
お父様の気持ちがさっぱりしたのか、
また、戻るように言われたのでした。


このとき、お父様は私たちに
釣りの道具や、栗と胡桃の種をくださいました。

お父様は私たちを日本の代表として
プレゼントをしてくださったのですが、
まさか、このプレゼントが最後のプレゼントになるとは
思いもしませんでした。
しかし、お父様ご自身はわかっておられたのだと思います。


そして、巨文島で3日間過ごしたのですが、
何かお父様はそれでは物足りなかったのか、
天正宮に再び私たちを呼んでくださいました。

その時、疲れているお父様のお姿を見たのです。
お父様が食事をされながら、寝ておられました。
こんなお父様のお姿を初めて見ました。

そして、私たちに「歌ってごらん」
と言われて、一人ひとりに歌を歌わせました。
この時にもお父様は歌を聞きながら居眠りをされていたのです。

お父様は食口に歌を歌わせることはあっても
居眠りをされることなど一度もありませんでした。
ですから、肉体の限界で相当疲れておられたのだと思います。

そして、私たちが一曲づつ歌を歌い、
半分くらいになった時でしょうか。
お母様があまりにもいたたまれなくなったのか
「もういい」
ということで、残りのメンバー全体で
合唱をして、解散になりました。


お父様は、どれだけ日本の責任者を通して、
日本を愛しておられるのかがわかると思います。

先ほどの歌の時のこと、お父様は古田先生に
「君が代を歌いなさい」と言われました。
古田先生は君が代を歌い始めましたが、
途中、歌詞がわからなくなって、止まってしまいました。

そのとき、お父様が助け舟をだされて
君が代を歌われました。
そして、君が代の意味を解説してくださいました。
お父様は日本人以上に
日本を心から心から愛しておられることを本当に感じました。

そのようなお父様の日本に対する深い心情を
皆様にお伝えしたくてお話しました。



以前、そのときのことを記事にしたことがありました。
(当時の地区長は、偶然にも海に早く出て、
お父様と同じ船に乗ることができたのでしたが。。。)

今回、地区長を通して、
船のこと、プレゼントのこと、
詳しく聞かせていただき、本当に感謝でした。

お父様は日本をこよなく愛してくださっている・・・

今は、地上にはおられませんが、
霊界において、そのような愛情を持ちながら、
私たちを見つめておられるがゆえに、
そのようなお父様を、私たちは、
もっと意識していかないといけないな。。。
そんな風に感じさせていただきました。


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