2025年01月28日

「みんなハンサムだね」 接見予定を、3日も早められた理由 《2世牧会者*ピュアウォーター》



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2世牧会者の説教、「ピュアウォーター」

先回は、姸娥ニムのみ言の紹介でしたが、
今回は、真のお母様(韓鶴子総裁)に
お会いされた時の部分です。

■真のお母様の愛

6月8日、天正宮博物館で、真のお母様をお迎えして、
特別集会の場が持たれました。

正に、母の愛で日本の牧会者たちと接してくださいました。
通常であれば、お母様は壇上でみ言を語られるでしょう。

ところが、壇上に上がられず、中央通路を歩かれ、
牧会者一人一人の顔をごらんになりながら、
「みんなハンサムだね」と語られ、時に、
『久しぶりに会えたねえ』という表情までされたのです。

このようなことは想定外のことでした。

お母様の警護も、慌てて誘導しようとしますが、
お母様は壇上に上がられず、
下に椅子をご用意することになりました。


真のお母様は、親しくみ言を語り始められ、冒頭では
「こんなに集まっているのに、
2世は40人にしかならないのですか?」
という話もされました。

そして、このように語られたのです。


「中心人物と一つになれなかったイスラエル民族は、
荒野で40年という歳月を過ごしました。
カナンの地は短い期間で行ける距離だったのに、
なぜ40年かかった

2世圏を教育できなかったために、
摂理は延長されるほかなかったのでしょうか。
中心人物と一つになれなかったからです。

特に、1世はそうなったとしても、
2世圈、3世圏を教育できなかったために、
摂理は延長されるほかなかったのです。

そうして天は苦労し、4千年を経て、
堕落した人類の中から、堕落と関係のない、
『私の息子である』 と言うことのできる独り子、
イエス・キリストを誕生させました。

しかし、イエス・キリストを誕生させたマリヤやヨセフ、
ザカリヤ家庭、ユダヤ教、イスラエル民族は、
イエス様の本質が分かりませんでした」

(『世界家庭』2024年8月号11ページ)

最後に、真のお母様は、「もっと話しますか?」
とお尋ねになりながら、次のように続けられました。


「皆さんの中に、私に対して
気になることがある人もいることでしょう。
そのようなことがあれば、
この時間に話してみてください」

(同21ページ)


真のお母様は全部ご存じなのです。

お母様と一つになれていない牧会者を責めることなく、
受け止め、愛してくださいました。


実は、真のお母様が登場され、そのお姿を見た瞬間、
「ああ、すみませんでした!」
「申し訳ありませんでした!」と心から思い、
お母様の心情が痛いほど伝わってきました。

ワンオンマの無条件の愛を受ける恩恵とともに、
自分自身を筆頭に私たち牧会者が一つになれていないし、
一人一人が真のお母様に頼り切っている、
甘えてしまっていると感じたのです。

予定より3日早く、お母様にお会いすることになったのですが、
お母様にスケジュールが入ったからではないかと、
自分の事情や視点で捉えてしまっていました。

改めて、お母様が見詰めておられるビジョンや
ゴールに焦点を合わせていくことができていなかったという、
距離感を感じる時間でもありました。


多くの恵みを受けた集会後、私に与えられた
悔い改めの時間が、讃美礼拝でした。

霊性アカデミー修鍊生約60人と共に讃美を捧げる中で、
私の人生で2度目となる体験をしました。

「私ひとり」「私たちが成し遂げます」を讃美するとき、
その歌詞の中に、真のお母様のみ言がありました。

 荒れた砂嵐が吹き
 一寸先も見えないが
 探さなければならぬ 私の子供
 懇切にあなたを呼びます


砂漠の中で針1本を探し出された真のお母様。
2世たちをその針のように見詰められるお母様。

みんなと一緒に勝利して、一緒に霊界で暮らしたい。
その日を迎えたいというお母様。

この歌を共に讚美したとき、真のお母様の心情と一つになって
純粋な心で讚美する霊性アカデミー修錬生の実体に触れ、
それが要因となって大号泣していました。

『真のお母様の絶対相対圏に立って、
どんな道、どんな所でも私は行きます!』

そのような心情になり、心が洗われ、
新しい出発をすることができました。

孝情礼拝
ピュアウォーター
世界家庭より
再編集 文責:ten1ko2

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日本牧会者特別集会2024.6.8


お母様が想定外のことをされた・・・
田中会長もこの時の様子を以前、語られていましたが、
現場のスタッフは大変だったことでしょう。

接見予定も3日早められましたし、
先日も、お母様はアメリカで精誠を尽くされました。

何より、心情を中心として動かれる
そのようなお母様であることを感じます。

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2025年01月25日

どちらがお得? 「ありがとう」を言わない人、毎日を感謝で生きる人 《誌上説教》



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柴沼邦彦 特別巡回師の誌上説教、
「感謝して一つになったとき大きな奇跡が起きる」
続編になります。


1984年7月20日、お父様はダンベリー連邦刑務所
(米国・コネティカット州)への入監を間近に控え、
悲しみ嘆く食口たちに向かって、

「不平を言ってはならない。
 立てられた立場で感謝し、感謝することによって
 完全に一つになった時、大きな奇跡が起きるのである」

(『真の母のまなざし』285ページ)と語られました。


お父様と思いを一つにしておられた真のお母様は、
お父様がダンベリーに出発されてからしばらくして、
ニューヨーク・ベルベディアで、指導者たちを前に、
次のように胸のうちを明かされました。

「私の一生の目的は、ただ一つだけです。すなわち、私はいかにしてきのうよりきょうをより感謝する心で生きていくかということです。きょうをきのうよりもっと感謝し、あすはきょうよりもっと感謝しながら生きるために努力してきました。日々感謝する心をもつことが私の人生の目標でした」(同283ページ)

 自らを刑務所に送った米国を一切恨むことなく、その境遇を甘受していかれたお父様。「感謝する心をもつことが私の人生の目標」として、お父様と常に心情を一つにしていかれたお母様。感謝することの大切さを、自らの生涯を通して教えてくださった真の父母様を慕い、私たちも日々、感謝の思いにあふれた生活を送るようにしていきましょう。


一生の目的が感謝であると語られる真のお母様

 皆さんは朝、どのような気持ちで起きますか。一日の始まりを当然のこととして、慌ただしく生活をスタートしますか。それとも、心静かに「新しい朝を迎えられて、本当に感謝だな」と感じてから出発しますか。

 寝る前に一日を振り返り、「ああ、無事に歩み終えて感謝だな」と心を落ち着けて床に就きますか。それとも、多くの不平不満を抱えたまま休むのでしょうか。

 私は、感謝の思いが心に湧き上がったとき、初めて、天地を創造された神様を、理論や理屈、真理を基に信じる段階から、心霊的に感じる段階に至るのだと考えています。心の中に生じる感謝の思いの度合いが、神様との心情的な距離を測るバロメーターになるということです。

 朝起きて妻(夫)の顔を見たときに、「ああ、あなたがいてくれて感謝だ」という気持ちが湧いてきますか。家に帰って子供が迎えてくれたとき、町を歩いていて美しい草花を見たときに、「ああ、神様、ありがたいな」という気持ちが湧きますか。そのような気持ちで満たされている人は、神様を生活の中で実感していると言えるでしょう。

 神様を信じ、信仰生活を送っているにもかかわらず、感謝することがなく、常に不平不満を漏らしているようであれば、その人の“神を信じる”という意味が、本質からどこかずれているのです。

一生の目的が感謝であると語られる真のお母様は、あらゆる場面で神様を感じながら歩んでこられました。お母様のように、当たり前だと思えることの中に神様を感じることが大切です。

信仰生活の真髄は感謝を数え上げること

 聖書には、してもらったことに対して感謝の気持ちを表さない人がたくさん出てきます。ここでは、ルカによる福音書に描かれた物語を紹介します。イエス様が、洗礼ヨハネや祭司長たちから見捨てられ、5000人の群衆を解散させて12弟子と地方を転々と歩まれていた頃の話です。

 「イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、声を張りあげて、『イエスさま、わたしたちをあわれんでください』と言った」(ルカ17・11〜13)

 2000年前のイエス様の時代、ユダヤ教において、ハンセン病患者(らい病人)は“神から見捨てられた人”でした。彼らには礼拝に参加する資格もなく、周りの人から「見るだけで汚れる」と言われていました。そのため、町のはずれでひっそりと暮らし、生活のために時々出てきては、物乞いなどをしていたのです。人が近づいてくるときは、自分たちが病にかかっていることが伝わるように、「汚れた者」と叫ばなければなりませんでした。

 彼らが歩いているとき、遠くに、12弟子と共に歩かれていたイエス様を見つけました。彼らは、イエス様が奇跡を起こされていることを知っていたので、救いを求めて「イエス様!」と叫んだのです。

 「イエスは彼らをごらんになって、『祭司たちのところに行って、からだを見せなさい』と言われた」(ルカ17・14)

 当時、ハンセン病が治ったかどうかを確認するのは祭司でした。ですから、安心して祭司の所に行きなさい。その間に病は治ると、イエス様はおっしゃりたかったのでしょう。

 彼らはそのようにして癒やされました。苦しみ続けた病から解放されたのですから、どれだけ感謝なことでしょうか。どれだけ喜ばしいことでしょうか。恩恵を受けた彼らは、奇跡を起こして治してくださったイエス様のもとに行き、「イエス様、あなたによって治りました。ありがとうございます」とお礼を言うべきでしょう。

 しかし、堕落人間の多くは、自分だけ喜んで、与えてくれた人に対する感謝の心を持ち合わせていません。長年の苦痛から解放されても、治った10人のうち、たった1人しかイエス様のもとに訪ねてきませんでした。

 「そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった」(ルカ17・15〜16)

 サマリヤ人はユダヤ人と敵対関係にありました。そのため、ユダヤ人たちから「あの、サマリヤ人は何だ。異邦の神々を信じて」と非難され、蔑まれていました。イエス様によって病が癒やされた、あとの9人はユダヤ人です。彼らは誰一人、イエス様のもとに行きませんでした。

 堕落した人間が天からの恵みを流さず、定着させるためには、生活の中で感謝を数え上げ、天に報告する必要があります。そのように意識的に確認しなければ、夫婦や親子の関係、教会の人間関係を通して神様から受けた恩恵を当たり前だと思い、感謝の思いに至りません。そうして、サタンに奪われていくのです。

 夜、休む前、天に祈りを捧げながら、「きょう一日、どれだけ感謝なことがあっただろうか」と数え上げるようにしましょう。それが信仰生活の真髄です。

『世界家庭』2020年12月号

天一国特別巡回師に聞く第21回
神霊と真理に満ちた教会を目指して

紙上説教 試練を超える秘訣〜感謝〜A
当たり前だと思えることの背後にいらっしゃる神様
天一国特別巡回師 柴沼邦彦
https://www.kogensha.jp/news_web/detail.php?id=27694
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


イエス様の癒しの奇跡を受けた人々。
その姿勢を見て、自分の信仰の在り方を
見つめさせられます。。。

清平で按手の恩恵で
体の悪いところが癒される、
奇跡的な証しをしている人たち。

その中には、み言を聞いていない、
食口ではない人たちもいます。

そういう人たちは、役事の恩恵を受けた後も、
教会に連結されているのかな、
そんなことを思ったりします。

『一生の目的が感謝である』
お母様のみ言を胸に刻まなければ、と思うのです。


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2025年01月19日

*TMの健康の秘訣* 「当たり前」ではなく、常に感謝の心で一日を出発 《柴沼先生》



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都内のホテルで行われた訓読会(2006年3月22日)

常に感謝する心で一日を
始めなければなりません。

健康に最も大切なことは、常に肯定的で、
喜んで、感謝の心で生きることです


韓鶴子


柴沼邦彦 特別巡回師の誌上説教、
「感謝して一つになったとき大きな奇跡が起きる」
を、何回かに分けてご紹介します。

感謝することの大切さを教えてくださった真の父母様

信仰生活において欠かすことのできない
「感謝」について考えてみます。

まず、1970年10月25日、真のお父様が
韓国の前本部教会で語られたみ言を拝読します。


「神様が下さるものをいつでも感謝して受け取り、
いつでも有り難くもらえることが私たちの誇りであり、
また、有り難く与えられる心をもったということが
私たちの誇りです。

このような伝統を立てていく皆さんであるならば、
その伝統は、世界の歴史とともに切れることがなく、
永遠であることでしょう。

そのように生活する人のみが、
神様に感謝する生活をなす人です。

私たちが世界に残ることができる道は、
すべてのことに感謝する生活をする道
だけであるということを、皆さんは
はっきりと知らなければなりません」
(『訓教經(下)』193ページ)

そのようにしてあらゆる環境を乗り越えてこられたお母様は、
2006年3月22日に都内のホテルで行われた訓読会で、
食口たちの健康を気遣い、次のように指導されました。


「常に感謝する心で一日を始めなければなりません。

時代が次第に良くなるとともに、
高齢化もしてきています。

すべての人々が健康に関心をもっているのですが、
健康に最も大切なことは、常に肯定的で、
喜んで、感謝の心で生きることです」
(『真の母のまなざし』128ページ)


感謝することの大切さを、
自らの生涯を通して教えてくださった
真の父母様を慕い、私たちも日々、
感謝の思いにあふれた生活を送るようにしていきましょう。

自然界に散りばめられた神様の愛を探し出す

「ありがたい(有り難い)」という言葉を辞典で調べてみると、
「めったにない、珍しく、貴重だ」
という意味が書かれています。

その意味から考えると、「ありがたい」の反対は
「当たり前」になります。

ですから、物事に対して「ありがたい」と、
感謝の心を持つということは、
それらを「当たり前」と、考えないことだと言えます。

人から何かしてもらったなら、
「ありがたい」と、感謝の心を持つ。

子供が小学3年生になるくらいまでに、
このようなことをきちんと教えることが理想です。

学校教育の中でも、感謝することの大切さを
教えていると思いますが、
それが、人格形成の基礎となるためです。


ところで、私たちが当たり前にあると
思っているものの中に、「自然」があります。

胸いっぱいに空気を吸い込めることも、
太陽や月が人々を照らし、木々が山を彩っていることも、
当たり前だと気にも留めなければ、
感謝の心を養うことはできません。

私たちは創造原理を通して、自然は、
神様が人間のために、真心を込めてつくられた
ものであると教えられています。

自然界に神様の愛が散りばめられているのですから、
それを発見して感謝することで、
心は喜びに満たされ、
生活はどんどん豊かになっていくでしょう。

皆さんは、花を見て美しいと思ったときに、
「ああ、神様、ありがとうございます」と感謝していますか? 

このような積み重ねが、
私たちの信仰生活の基礎になるのだと思います。

 
1999年、私はパラグアイのレダに開拓に行きました。
そこは、厳しい自然環境のゆえ、
人々から“捨てられた”土地でした。

電気や水道はなく、日本で、何の苦労もせずに口にできる
水道水が、どれほど貴重なものなのかを知りました。

水に対する感謝、水道に対する感謝の思いを、
日々、胸に抱き、電気の存在がどれほど
素晴らしいことなのかを実感しながら生活したのです。

 
お母様の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』には、
このように書かれています。


「自然と私たち人間は、不可分の関係にあります。
自然についてしっかり学んでこそ、
自然に表れている
神様の創造の神秘を悟ることができます。

神様が私たちのために万物をお造りになった時の
限りない喜びと愛を感じ取ることができるのです。

そうすれば、私たちも愛と感謝の気持ちを持って
一日一日を生きることができます」
(346ページ)


(『世界家庭』2020年12月号)

天一国特別巡回師に聞く 神霊と真理に満ちた教会を目指して 第20回

紙上説教 試練を超える秘訣〜感謝〜@
「感謝して一つになったとき大きな奇跡が起きる」
天一国特別巡回師 柴沼邦彦
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10190
(光言社・中和新聞より)
再編集 文責:ten1ko2
(一部のみ言等は、次回に紹介します)


お母様の根本は、「感謝する生活」なのだと思います。
親なる神様から、「常に愛を受けている」、
「愛されている」ことが全ての出発点だと思います。

その心情が本当に強いのだと思います。
私たちも学ばなければならない、
基本姿勢だと思います。

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