2024年02月08日

三大欲を自制する──そのためには、寝食を忘れるほど夢中になる 《生活伝道》



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篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『自己主管と心と体の統一
〜眠りと食欲と情欲〜』です。


伝道の勝敗を決する大きな要因として、
自己主管できるかどうかが挙げられます。

自己主管してこそ、自らに神様を迎え、
霊界の協助を受けることができるのです。

信仰生活における自己主管と心と体の統一について、
ポイントをまとめてみます。


『原理講論』には、

「信仰生活は、自身を供え物の立場に立てておいて、
 善と悪に分立させ、神が喜ばれる
 いけにえの供え物としてささげる生活である。
 ゆえに、我々が常に、神のみ旨を中心として、
 自身を善と悪に分立させないときには、
 そこにサタンの侵入できる条件が成立するのである」

(338〜339ページ)
とあります。

正しい信仰生活を習慣化することによって、
サタンに侵入されないようにすることができるのです。


しかし、神のみ旨を中心に自身を善と悪に分立し、
神様と一体となった心に体を従わせるというのは、
簡単ではありません。

聖パウロも、

「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、
 わたしの肢体には別の律法があって、
 わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、
 そして、肢体に存在する罪の法則の中に、
 わたしをとりこにしているのを見る。
 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」

(ローマ人への手紙七章22〜24節)
と慨嘆しています。

私たちの本心は、常に自分を監視し、
悪いことをしようとすると、
「やってはだめだ!」と警鐘を鳴らします。

それにもかかわらず、体は
悪のほうに引っ張られていく、弱い存在なのです。
サタンは私たちの弱さを熟知しており、
常に狙いを定めています。

眠りと食欲と情欲

そのような私たちに対して、
真のお父様は次のように指導されました。

「自己主管は、肉身(体)を中心とした自分の命を、
 徹底して否定していく生活です。
 このような自己否定の自己主管においての
 三大困難(三大怨讐〈おんしゅう〉)は、
 眠りと空腹と情欲です」


(『宇宙主管を願う前に自己主管完成せよ』6〜7ページ)


まず、眠りの主管です。

自らに願われた責任を果たそうとするなら、
寝る時間さえ惜しいものです。
神様の事情を考え、眠りたいという思いを克服して、
精誠を捧げるのです。

また、眠りを主管することは、
摂理的な時をつかむ訓練でもあります。

摂理的運命を決定する瞬間を逃さないことによって、
天運をつかみ、神様の役事を受けられるようになるのです。

 
次に、食欲の主管です。

おなかがすいても、み旨を果たそうとする切ない心で、
そのことを忘れて歩むのです。

目の前に楽な道と苦労の道の二つがあれば、
大部分の人が楽な道を選択するでしょう。

しかし、私たちの本心は、蕩減(とうげん)のために
苦労の道を行くべきときがあることを知っているのです。


最後に、最大の難関である情欲の主管です。

『原理講論』の総序に

「人間の努力をもってしては、いかんともなし得ない社会悪が一つある。
 それは、淫乱の弊害である。
 ……現代人が陥っていくこの淪落への道を
 防ぐことができずにいるということは、
 何よりもまた嘆かわしい実情といわなければなるまい」

(27ページ)
とあるように、
人類は絶えずこの課題で苦しんできました。

信仰生活において、情の問題は本当に恐ろしいものです。
たった一度の過ちで、それまで積み上げてきた精誠は
一瞬にして崩れてしまいます。


真のお父様は、誤った方向に流れる情は
すべて否定するように指導されました。

「情緒的な面、愛の問題をどのように
 コントロールするかということです。

 それが今まで、体が支配することに対する
 宗教世界の重要なブレーキというものです。

 それゆえ、自分を全的に否定せよというのです。
 否定。
 これは、なぜそうすべきなのか?
 堕落したためです」

(『宇宙主管を願う前に自己主管完成せよ』9〜10ページ)

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
六、自己主管と心と体の統一

blessed lifeより(53)
再編集 文責:ten1ko2


原理講論の総序には、以下のようにあります。
「人間はだれでも、自己の欲望が
 満たされるとき、幸福を感ずるのである」


しかし、その欲望が自己中心的な欲望や
肉欲だったりすると、
喜びを感じたとしても一時的で
逆に罪悪感を感じたりします。

真のお父様は、「天宙主管の前に、自己主管を完成せよ」
このみ言を徹底的に守っていかれました。

お若いころは、一日二食で生活をされ、
早稲田の学生時代には、多くの女性たちからの
誘惑もありましたが、分別していかれました。

三大欲は、人間が生きるにおいて、
必要な欲望ではありますが、
正しく主管しないといけないものですね。

睡眠も、真のお父様は、
2、3時間以下の睡眠だったと聞いていますし、
真のお母様も、ほとんど休まれないといいます。

超人だからできるのではなく、
私たちも「み旨を果たそうとする切ない心」で
精誠を捧げていくならば、
睡眠や食や情欲(性欲)を自制していくことが
できるのではないでしょうか。

伝道ができる人は、
伝道が好きな人だったりします。

天を慕う切実な思いによって、
気づけば、寝なくても食べなくてもそれが喜びになり…
そうすると、摂理に合い、時を逃さず、
天に使われる者となる、つまりそういう人は
神が共にある、神が働くのだと思います。

やはり、真の愛、孝情ですね。
ですから、天心修行、天寳生活、
これを心掛けたいと思うのです。




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2024年02月05日

マフィアのように復讐したい・・・でも、神は絶対殺さない 《史吉子先生》



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史吉子(サ キルジャ)先生
「原理に関するみ言の証」より、
『メシヤの能力と責任 』続編です。


ある時、私たちが反対を受けたありのままをご報告をすると、
お父様も報告を聞きながら、
「私もマフィアのように、
怨讐を打ちのめしたい」と言われます。

皆さん、マフィアを知っていますか?
イタリアで始まった殺人、強盗、麻薬密売
などを専門とする恐ろしい暴力組職です。
彼らにかかれば、死体も捜せません。

そのように怨讐を殺したい状況ですが、
殺すことができません。
神様は怨讐を殺しません。

お父様は、「神様の作戦は
愛で怨讐を屈服させることなのに、
私がそうできるか?」と言われます。

そして、「私も初めから良い人ではない。
私も気が短くて、復讐心もあり、気難しい性格なのに、
メシヤの道を行くために仕方無く、
私が私自身をしきりに訓練させながら、
歯を食いしばって舌をかみながらも、
ここまで来たのだ!」とおっしゃいました。

み旨の道はそうです。
そのために、お父様は今も
イエス様の生涯を歩まれておられます。

イエス様が怨讐を憎まず愛したので、
サタンの讒訴を免れました。
サタンが自ら退きました。

サタンはイエス様の肉身は奪って行きましたが、
讒訴はできません。
それで神様が全能力を発 揮して、
イエス様を復活させたのです。

イエス様が十字架で恨んで亡くなられたら、
神様がイエス様を復活させることができません。

このように、 神様によって復活された
イエス様を信じることによって、
霊的救いだけでも受けることができます。

復活したイエス様を信じることに救いがあるのであって、
十字架に架けら れたイエス様
それ自体だけでは、救われたとは言えません。

お父様はこのようなイエスの生涯路程を、
ずっと歩んでおられるのです。

お父様はまた、十字架上で失われたイエス様の肉身を探して、
イエ ス様が肉身で成すべき旨と使命を、
イエス様の代わりに成しておられるのです。

史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
再編集 文責:ten1ko2


文先生も最初から恩讐を愛する心情を
もたれていたのではなかったのだ、と思いました。

幼少のころから、直情型であり、
とても短気な部分もあったと聞いています。

やはり真なる神様との出会い、
そしてイエス様との出会いを通して、
深い愛の世界を持たれて行かれたのだ、と感じます。

私たちもそのような心情を共有しなければ、
神様の子女である、
と誇ることができないのではないでしょうか。


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2024年02月03日

惨めなことがあっても、朝起きるときは、必ず笑顔で起きる! 《凹んだときのみ言》



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篠ア先生の「喜びと幸せの生活伝道〜み言の原点に立ち返る」より
今回は、『真のお父様がされた生活指導』

すぐに実践してみたくなる
貴重なお父様のみ言が紹介されています。


真のお父様は、次のように
具体的に生活指導をしてくださっています。

「毎日の生活できのうはいくら気持ちの悪いことが
 あっても、惨めなことがあっても、次の朝起きる時は、
 必ず笑いながら起きるのです。

 これは宗教生活には欠かせない行為です。
 それが習慣になれば、
 自然といい顔立ちになってきます。
 ……鏡を見ながら訓練するのです」


「一日三回、朝と昼と夕の食事の時に笑って、
 朝起きる時も笑う、そのような生活が習慣になれば、
 その人の顔を見れば自然と深い考え、
 喜びあふれる印象が残るようになります。

 寝る時もそうです。
 その日にどんなつらいことがあっても、
 寝る時には笑いながら、神様いい夢を見せてください、
 と望みつつ床に就くと必ず夢を見せてくれます。

 次の日になすべきことを夢の中で教えてくれるのです。
 そういう喜びの生活をしていけば、
 神様は喜ぶ人を喜ぶし、万物を喜ぶ人を喜ぶので、
 その人は必ず良い方向に向かっていきます。
 それが原理の観点です」


「今からでも始めましょう。
 朝起きて笑う。
 花が咲き、香りを吹きかけるようにしながら。

 家庭でもお父さん、お母さんであれば、
 子供たちにとって、それは教育に一番いいことです。

 仕事で人に会う時もそうです。
 いい印象を与えるのです。

 伝道しているのに、渋い顔をしていてはできませんよ。
 何か内心から素晴らしいことがあふれるような
 円満な顔をして、今に希望をもって、
 未来に希望をもって伝道するのです」


「自分の中に逆らうものがあれば、
 それはサタンの好む要素だ。
 サタンの餌よ、さようなら。
 そういう生活をしましょう。

 ……きょうは頑張ったけど、少し様子がおかしくて、
 基準が下がったとしたなら、
 あすは一歩でも上げるようにするのです。

 毎日の生活の中で自分の心情の安定基準を
 平均化させないと、それが少しでも傾いた場合には、
 全体に影響してしまいます。

 しかしその傾いたり下がったりした基準を
 自分ながら整備し、反省し、
 あすのために祈るようにして
 マイナスを迎えていったならば、発展していくのです」


(以上、『伝道ハンドブック 第一集 みことば篇』19〜21ページ)

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
四、訓読生活と霊界動員
真のお父様がされた生活指導
(blessed lifeより)


今回は、お父様のみ言のみですね。
お父様ご自身が生活で実践された内容を
私たちに指導してくださっています。

まさに「生活伝道」ですね。
真の父母様のみ言は、とてもポジティブです。

まずは、笑顔の生活。
朝起きて、悪い時も心掛けていく、ということ。
実践していきたいと思います。



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