2024年08月22日

旧統一教会、どうして否定ばかり受けるのか 最愛の人を失い続けた文先生の生涯 《史吉子先生》




神様のみ旨がある所には、
必ず道があります。


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史吉子(サ キルジャ)先生
「原理によるみ言の証」より
『自己否定の意義と秘訣 』を紹介します。


天使長が神様から愛されようとして犯した自己中心が、
エバに伝えられ、アダムに移されて、
これが結局は全ての子女たちに遺伝され、
堕落の末裔である人間は皆、
自己中心になってしまいました。

人類が神様のもとに帰るためには、結論的に言うと、
自己中心の反対の経路を行かなければなりません。
すなわち、徹底的に
「自己否定」の位置に進まなければなりません。

自己を中心とする人から、サタンは決して離れないそうです。
ですから、完全に自己を否定し、
神様を中心とする生活をしなければなりません。


自己を否定する方法には色々ありますが、
人から迫害をたくさん受けることが、
自己否定に最も役に立ちます。

厳しい迫害を耐えてそれに勝てば、
自然と自己否定になるそうです。


また、自分がやりたくないことをしながら
お父様について行くことも、
自己否定の重要な方法であり、
最高の精誠を尽くすことも、
自己を否定するもう一つの方法であるそうです。

お父様が私たちにできることはさせないで、
できないことを何度もさせるのは、
私たちに自己否定をさせるためです。

私たちはどうせなら、短期間に多くの苦労をすることで、
自己中心から脱しなければなりません。


お父様がアメリカで、

「天使長の自己を中心とした利己主義が人間に移ったが、
 天使長から受けた邪心と
 自分だけを考える利己主義を無くして、
 先に相手のことを考える利他主義へ変えるのに、
 神様の復帰摂理が6千年もかかった」


と語られました。


前にも述べたように、自己中心と
自己否定は、意味が正反対です。

自己中心は何かと言うと、
「自分がやりたいことはやれる!
自分がやりたいことはやってもいい!」
と言う態度のことを言います。

このように、天使長は自分がやりたいことをやりました。

自己否定は、自己中心とは反対に、
「自分がやりたくないことだが、やる。
やれないことだが、必ずやってみせる!」
と言う態度です。

ですが、 自己否定は容易ではありません。


では、誰が一番多くの自己否定の訓練を受けたかと言うと、
お父様自身だと語られました。

お父様が神様からどんなに徹底的に自己否定の訓練を受けたのか、
今までご自身のやりたいこと、できることを
神様がさせたことは無かったそうです。

ただ、 常にやりたくないこと、
できないことをやらなければならない
自己否定の訓練を受けられたそうです。


お父様が、例を挙げられました。

「私が自己否定の試練に遭った中で一番難しかったことは、
 私の最も愛する8人の人が私の側から離れたことだ」
と語られました。

お父様が大変愛していた妹が、幼くして亡くなったそうです。

また、ある友達に出会いましたが、
「この友達には、本当に自分の心を打ち明けて話したい」
と言う思いを持たれたそうです。
しかし、その友達は病気で急に亡くなってしまったそうです

このようにお父様が愛された人、 8人が行方不明になったり、
関釜連絡船に乗って行く途中、水に溺れて亡くなりました。


お父様は、「ああ、私はなぜこのような試練を
受けなければならないのか?
なぜ、神様はこんなにもひどく訓練されるのか?」
と思われたそうです。

後からよく考えてみると、

「そうだ! アダムは地上で完成して、
神様と愛の一体を成すことができなかった。
しかし、神様と私が愛で完全に一つになるまで、
神様と私の間に髪の毛一本も挟んではいけないから、
そうされたのか」

と言う悟りを得られたそうです。

このような猛訓練を受けて考えられたのが
何であるかと言うと、

「よし、神様が私をこんなにも徹底して
自己否定させることでサタンを分立させ、
この過程を経てから私を引っ張って行かれるように、
統一教会の指導者たちも徹底して自己否定させながら、
私が神様に引っ張っていかなければならない!」

とのことでした。


皆さん、統一教会に入教する時、
喜んで入って来ましたよね?
原理が素晴らしく、神様のみ旨も素晴らしく、
希望を抱いて入教しましたよね?

ところで、入教したみたら、どうですか?
教会ではやりたくないこと、
できないことをしきりにやらせますよね?
なぜでしょうか?

それは、サタンが好きなことはどこまでも
サタンと一緒にいなければならないし、
私たちはそれとは反対に、やりたくないこと、
できないことをして自己否定をしなければならないからです。

すべて自己否定の訓練、神様へと帰るための訓練です。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第2章 創造原理
一部割愛しています
再編集 文責:ten1ko2


自己否定の道・・・
真の父母様も、神様が信頼され、
愛される立場であるがゆえに、
神様ご自身が歩まれた道と
同じような道を行かれました。

神様と出会い、神様の愛を知ることで
喜びと希望の人生を送ることを行けると思ったのに、
誰かが行かなけばならない道ではありますが、
為に生きる犠牲と奉仕の道であり、
「自己否定」、と言わざるを得ない道を
私たちは進んできました。

親や家族が理解し、応援してくれるどころか、
反対されることの方が多いでしょう。

大切な人たちに理解されない、ということは、
本当に苦しいことでありますが、
しかし、神様が見つめてくださっているのです。

今、日本の教会全体が否定の道を歩んでいますが、
これが真の父母様が行かれた道であり、
必ず未来のために、世界のために、
神様のために、行く道であるということを、
自負しつつ歩んでいきたいと思うのです。


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2024年07月09日

旧統一教会の家庭に、なぜ問題が起きるのでしょうか? 人生が美しく彩られるのは 《入山局長》



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今年の5月より、本部教育局を
束ねておられる入山局長。

就任礼拝「私の宗教」より、
後半部分を抜粋して紹介します。

祝福家庭になぜ、 問題が起きるのか


今は、真の父母様についていきさえすればいい時代ではありません。
信仰的な自立が求められています。

教会の維持も、人任せにするのではなく、
「私」が責任を持つのです。
「私の宗教」は、自分自身で守っていきましょう。


祝福に対する疑念という話をしました。
祝福家庭になぜ、さまざまな問題が起きるのでしょうか?

「原理」では、重生されることで
原罪が清算されると説かれています。

アダムとエバがサタンと血縁関係を持って堕落した
長成期完成級まで、 蕩減条件を立てながら
サタンを分立して進み、祝福を受けるのです。

では、祝福を受けたら終わりでしょうか?
違います。

メシヤに従ってさらに成長し、創造目的を完成しなければなりません。
これが、侍義の信仰の意味するところです。

祝福家庭に問題が起きるのは、罪(原罪)のせいではありません。
私たちが成長する必要があるからです。

厄介なのは、堕落による大きな副産物が残っていることです。
それは、成長を妨げようとする
心の癖のようなものであり、堕落性本性と言います。

「罪と堕落性は違う」と聞いても、
残念ながら、ごちゃ混ぜになっている人が多いようです。


皆さんにとって幸せとは、どんなイメージですか?
もし、悪いことが何もなければ幸せだと
思っているのなら、大きな勘違いです。

健康で病気一つしたことがなく、
出会ったときから夫婦はずっとラブラブ。
親子関係は良好で、苦しいと感じたことがありません。

そのようにイメージされる幸福な人生像は、極端に表現すると、
”生まれました。何の波風もありませんでした。
死にました≠ニなります。

それを、意味があり、勝利感のある人生だと言えますか?
私はこれツルツルの人生"だと考えています。
面白くも何ともないからです。

ある思想家は、「今振り返ってみると、
私の人生で最も困難なとき、
必死に生きようとしていた私が、
いちばん美しかった」と言いました。

困難に遭遇すれば、それを乗り越えるために必死になります。
そのとき、人生が美しく彩られるというのです。

人間は、何もないことで幸せを感じるのではなく、
試練を一 つ一つ乗り越えて成長した分だけ、
幸せになれるのです。

これも、私たちが教わってきた
原理観の一つではないでしょうか。

再編集 文責:ten1ko2


神様は私達人類に愛と恵みを与えてくださいました。
幸せになるための道筋が開かれたのです。

祝福を受けた私たちは、
そのことで救いを受けたことを感謝して、
確信を持たないといけないのだな、と思います。

ですから、「私の宗教」に誇りを持つこと、
その点は一つもブレてはいけないと思うのです。

しばらく続きます。


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2024年06月30日

私は、宇宙のごみとして消えていくのか?! 「これがみ旨だ」と錯覚していました 《梶栗会長3》



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私の思いと行動、実績が
神様と関係ないものであれば、
宇宙のごみとして
消えていくのです。


梶栗玄太郎(第12代会長)


故・梶栗会長の説教より、続編。

2回は証しを紹介しましたが、
最後、この説教の核心部分、
会長の魂の叫び、遺言のようなみ言です。


今、私は自分の一生涯を総反省しているのです。
お父様のそばに侍っているという錯覚に陥っていたのです。

人間は思想で動いているのです。
「自分はこう思う、だからこうする」と。
善悪の基準も。

位置としては、縦横、東西南北の交点のここに
自分はいるのだと確認しながら生きているのです。
今で言えばGPSと同じです。

東西南北、それはだれが決めたのですか。
人間が決めたものでしょう。
自分はどこにいるかというのは、
「私」が決めているのです。

善悪の基準も、「これが絶対だ」と思う、
つまり実は「私」が決めているのです。
結局は「私」が入っているのです。

お父様のそばにいると言いながら、
実際は自分を中心として動いていたのです。
そう思いませんか。

「これがみ旨だ」と思って実践してきたのです。


ところが最近になってお父様は、
「神様の軸と人間の軸は必ずしも一致しない」
とおっしゃるのです。
それはそうでしょう。

地球レベルだったら何とかプラス・マイナス、
東西南北は一致しますが、宇宙規模になると、
どこに東があって、どこに西があるのですか。
考えたことがありますか。

また、光はまっすぐ進むものだと思っているでしょう。
ところがアインシュタインが相対性理論を発表しました。
その理論の実証のために天文学が使われました。

皆既日食のときに天文学者が太陽を見たら、
太陽の向こう側にある星が見えたのです。
それで光は太陽のような大きな質量のある所では
曲がるということがわかるのです。
光も曲がるのです。


私の思いと行動、実績が神様と関係ないものであれば、
宇宙のごみとして消えていくのです。
何だ、私はごみか。

人生なんてうそばっかりなのです。
なぜか。
自己中心から出発しているからです。
だから結果も自己中心にならざるを得ないのです。

世の中には良心が破壊された人たち、
どうしようもない人間が四分の一いるといいます。

しかし、その人たちと私はあまり変わりないと思うのです。
なぜなら、いつでも裏切る可能性があるからです。
ですから、人のことを批判できません。


お父様のそばにいるから近いのではないのです。
完全に一つにならなければならないのです。
そうなる方法がわからないで、
自分はなっていると錯覚して生きてきたのです。

しかしもうこれからはだめです。
真の父母様の直下にいる人間にならなければならないのです。
それが今の時代に生き残っていく道です。
もう一度反省しなければなりません。

お父様の近くで接していたけれども、
単にそれだけでは意味がありません。
お父様の縦横の軸に合うように生きなければならないのです。


皆さん、祝福を受けましたね。
祝福は重生、復活、永生の三段階です。

み言を訓読して実践することによって初めて、
体も聖化していくのです。

自分が成長して、そう感じるようになるのです。
継続して実践しなければ、一瞬はなるが、
次の瞬間には真っ暗になります。
持続しなければなりません。

お父様は伝統として、訓読会をずっとやっていらっしゃいます。
それを相続しなければならないのです。

統一教会 第12代会長
 梶栗玄太郎
 <2010 夏季 牧会者説教集 P.31~37>
「真の父母様の軸に合った人間になろう」
世界平和統一家庭連合 公式説教ブログより
再編集 文責:ten1ko2


梶栗会長は、ご自身の歩みにおいて、
晩年になって、
すべて自分の思いであったと反省されています。

梶栗会長ですらそうなのです。
必死で真の父母様に従ってきて、
でも、外的に近くにいることが問題ではなく、
真の父母様の軸に合うように
生きなければならない。。。

私たちが、真の父母様と
一つになることしか、
神様と一つになる道がない。。。

そのためにも、訓読と祈りと実践を
継続していくということですが、
今は、天心苑精誠祈祷を通して
天と一つになることができますので、
感謝して臨んでいきたいと思うのです。


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