2025年02月22日

なかなか孫ができない! 待ちに待った祖母に、宝物2つ 《橘・夫婦愛》



230510-2023.0402.jpg


橘幸世さんのエッセー
「続・夫婦愛を育む」より、
今日は、夫婦のお話ではなく、
孫を待ちわびていたお母さん(お祖母ちゃん)
の心温まる証しです。

 
先日、Yさんが最近味わった心情を話してくれました。

Yさんの娘さん夫婦に待望の第一子が誕生しました。
結婚から5年がたってのことでした。

今のご時世、「子供はまだか?」といった
類いの言葉は発せず(子供たちもいい大人です)、
遠方で暮らす娘さんからの吉報をひたすら待ったYさん。

その間、夫婦いずれにも妊娠に問題はない
との診断を受けました。
安堵(あんど)したものの、吉報はなかなか届きません。

こればかりは天の御心(みこころ)、
何年も待った人たちもいる、と自分に言ってきたそうです。

晴れて妊娠の知らせを聞いた時は、胸躍らせましたが、
まだ実感は今一つ湧きません(言葉にこそしなかったものの、
本当に自分たちにもその喜びが訪れるのだろうか、
と内心思うこともあったそうです)。

時がたつのを指折り数えて、いよいよ出産間近の一報に、
ろうそくをともし、祈祷を始めました。

 
口から出た言葉は「待って、…待って、…待って…」。

それに続く(この日を迎えました)という言葉が出る前に、
それまでの黙して待ち続けた日々が
思い起こされて、熱い涙がこぼれたそうです。

その涙は単なるうれし涙ではありませんでした。
この瞬間を迎える感謝と感動を超えて、
別の思いが降りてきました。

自分はたった数年待つのも長く感じたのに、
失われた子女、人類が帰るのを
気の遠くなるような歳月待ち続けた神様。

どれほどの切ない心情を、たったお一人で
かかえてこられたのか(自分には共に待つ夫がいた)、
真の父母が地上に誕生した時、
どれほどの感動と喜びの涙を流されたのか、

…神様のことが思われて胸が詰まり
熱い涙がポロポロとこぼれました。

  
娘が結婚してすぐに子供を授かっていれば、
神様とのこんな心情的出会いはなかったかもしれない、
とYさんはしみじみ言いました。

待つことも、過ぎてみれば神様の恵みだったんですね、
神様から宝物を一度に二つ頂きました、と。

宝物を二つ。
一つはもちろん、新しい命です。
もう一つYさんが宝物と呼んだのは、
神様の心情に触れたことです。

家庭人としては孫の誕生に歓喜し、
信仰者としては天の心情に触れたことに感動しました。

私たちは導きを感じた時も夢で天に接した時も感動しますが、
神様、あるいは真の父母様の心情に触れた時が、
最もその存在を身近に感じ、癒やされ、
力を頂くのではないでしょうか。

何よりも忘れ難い、自分と神様だけの出会い
――信仰者にとっての宝物、
たくさん集められますように。

続・夫婦愛を育む 11 宝物二つ
ナビゲーター:橘 幸世
Blessed Life
再編集 文責:ten1ko2


新しい命が生まれるということ。。。
これ以上に嬉しく、幸せな瞬間はないと思います。

また我が子以上に、
孫が生まれるというのは、
本当に感慨深いものがあるでしょう。
(我が家はこれからですが・・・)

私が感動する背後に
神様もともに喜んでおられるのだ。。。
そのことを常に意識しないといけないな、
改めて感じるのです。


最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名と記事URLを記載して頂くようにお願いいたします。
(このブログ記事に飛べるようにして紹介してください)

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

posted by ten1ko2 at 09:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月04日

妻が姑の愚痴、夫のあるあるNG発言 私が救われた一言 《橘先生♡夫婦愛》



230729.jpg


橘幸世さんによるエッセー
「続・夫婦愛を育む」より、
『義母への不満を夫に言う? 言わない?』です。


朝ラジオをオンにして台所の片付けをしていると、
『夫のトリセツ』などの著書で知られる
黒川伊保子さんが、リスナーに
アドバイスしているのが聞こえてきました。

妻が姑(しゅうとめ)の愚痴を言ってきた場合、
夫にありがちな返答は、(正確な言葉は忘れましたが)
「おふくろにも悪気はないんだよ。
良かれと思ってやったんだ。
大目に見てやってくれ」といったもの。

間を取り持とうと、一見優等生的な
反応ですが、これはNG。
妻の不満は消えません。

正解は、「そうだよな。
俺も本当に腹立つことがあるよ」。

これで妻の留飲(りゅういん)が下がる
(不平・不満
・恨みなど、胸のつかえがおりて、気が晴れる)

と言っていました。


このやりとり、私にも覚えがありました。

幸運なことに、私の義母はとても
できた人ですし、大きな不満はありません。

義母以外の主人の家族とも、
これと言った確執もなく平穏です。

引っかかることが何もないわけではありませんが、
育った環境も違えば、性格も違う、
相手もさまざまなことを背負いながら
頑張って生きているのだから、
と消化するよう努めています。

主人も自分の家族を悪く言われるのを
聞きたくはないだろう、という思いもあり、
ささいなことは自分の胸の内に収めてきました。


義母を病院に車で送り迎えする時、
「あ、そこ右だよ」「次、左」などと
助手席から指示が出ることがままあります。

初めて行く所ではありませんので、
私も道はよく分かっています。

それでも言ってくるのは、私が運転免許を
取るのが遅く、今の土地に来てから取ったため、
言いたくなるのかと思っていました。

取って間もない頃は、
「バックも上手になったね」などと
義母に言われていましたので。

それでも、頻繁に言われると
ちょっと心穏やかに流せないので、
ある時主人に言いました。

「お母さん、“そこ右だよ”とか、
よく言ってくるんだよね」

「そうなんだよなぁ。
自分の時もしょっちゅうだよ」
 
主人の返答にびっくりした私。
「えっ? お父さんの時も?」と思わず聞き返しました。

どうやら家族誰の運転の時もその傾向があるようです。
長年自営業を営んで人を使ってきた
名残もあるのかもしれません。
つい、指図の言葉が出るのでしょう。

「それで○○がおふくろとけんかして
何日か口きかない時もあったよ」と、
主人の兄弟のエピソードも話してくれました。

私の気持ちが楽になったのは言うまでもありません。

今回は、ご主人向けのエピソードでした。

続・夫婦愛を育む 5
義母への不満を夫に言う? 言わない?
ナビゲーター:橘 幸世
再編集 文責:ten1ko2


妻の愚痴に相槌を打つ。。。
意外に簡単そうに見えて、なかなか難しいものです。

こちらの事情もあるのに、
一方的にしゃべり続けることには、
ちょっと辟易します。

うまく相対していくことも、
愛することの一歩なのだ、と思っています。


最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名と記事URLを記載して頂くようにお願いいたします。
(このブログ記事に飛べるようにして紹介してください)

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

posted by ten1ko2 at 09:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月18日

想像を超えるストーリー 妻の陰に夫(そして義母) 《橘先生の夫婦愛♡講座》



241218.jpg


橘幸世さんによるエッセー
「夫婦愛を育む」より
『義母の度量』です。

 
都会から地方に移住した若者に焦点を当てた番組、
NHKの『いい移住』。2月28日放送分は
愛知県豊田市の山里が舞台でした。

冒頭古民家カフェから始まったので、移住して始めたんだな
と、少なからず既視感を覚えました。

が、実はそこは単なるカフェではありませんでした。
カフェの主である女性がそこに至るまでの
ストーリーは、全く想像を超えるものでした。


市街地で働いていた彼女でしたが、
数年前膵臓(すいぞう)がんと診断され、
余命3カ月を言い渡されます。

膵臓がんは、がんの中でも生存率が
低いことで知られています。

そんな彼女に、プロポーズする男性がいました。
全てを承知で。

それだけではありません。
当然親には反対されるだろうと覚悟して、
二人で彼の実家に報告に行くと、
彼の母は彼女にこのように話します。

「うちの息子と結婚してやってください」


息子の器も大きいけれど、母親の器は
さらにその上をいっている!

番組では若い二人がそのシーンを述懐するのみで、
当時の母親の思いを尋ねるところはなかったのが、
私としてはとても残念です。

あるだろう複雑な思いをのみ込み、
若い二人の思いを尊重して、
結婚することを受け入れるだけでも、
十分“できた”親だと思います。

彼の母親は、別次元でした。

あくまで私の想像ですが、お嫁さんが
病気のことで負い目を感じることがないように、
親の側から頼み込んだという形を取ったのかもしれません。

自分が配偶者として、あるいは親として
同様の立場に立ったら、…どうでしょう?


晴れて夫婦となった二人。
とはいえ、妻の治療は続きます。
一時は体重が30s台に落ちたこともあったそうです。

妻の体調が良い日には、夫は気分転換にと
自然の中に連れて行きました。
すると少しずつ体調が回復していきます
(大きな愛が起こした奇跡、と私は勝手に思っています)。


稲を植える農業体験にも夫婦で参加しました。

ところが、自分たちが植えた稲が収穫直前に
イノシシに荒らされてしまいます。
そこで深刻な獣害問題を身近に知ることとなりました。

田畑を荒らすイノシシや鹿など害獣を駆除する手が、
その山里では圧倒的に不足していると知った彼女は、
それならば自分がやろうと、未知の世界に飛び込みます。

ハンターの資格を取って移住したのです。


“もらった”命を人のために役立てたいと、
創意工夫を凝らし、さまざまな形で山里に貢献しています。

人間の都合で奪った命は極力無駄にしたくないと、
駆除した動物を破棄するのではなく、
解体し自身のカフェで料理として提供。

命の尊さを教える場を設けたり、獣害自体を
減らす工夫を地域の人と行ったりしていて、
見事というばかりです。


番組では妻にスポットライトが当たっていましたが、
忘れてならないのは、そんな妻に寄り添い続ける夫。

夫あればこその今の妻です。

続・夫婦愛を育む 3
義母の度量
ナビゲーター:橘 幸世
再編集 文責:ten1ko2


橘先生が紹介されていた番組。
一度見たいものですね。。。

それにしても、カフェを開くまでに至った背景、
その道のりには、様々なものがあったのですね。

余命3か月の女性と結婚するという男性。
この男性もどんな動機で結婚されたのか、
とても気になるところです。

ただ橘先生は、
「義母の度量」というタイトルにもあるように、
お義母さんの器にも目を向けておられます。

一つの出来事を深掘りしていくと、
いろいろなことが見えてくるものですね。。。

最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名と記事URLを記載して頂くようにお願いいたします。
(このブログ記事に飛べるようにして紹介してください)

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 


posted by ten1ko2 at 11:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする