2022年01月27日

ムラッとくる出来事に、家で愚痴ると、夫の一言・・・! 《橘先生*夫婦愛講座》



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橘先生のエッセイ「夫婦愛を育む」より
「一緒に怒る」です。


わが家の道路の斜め向かいに簡易郵便局があり、重宝しています。

年賀はがきを買い足しに行くと、あいにく先客がいました。
中は幅1メートルほどの狭さですので、密にならないよう
ドアを開けたままにして外で順番を待っていました。

結構時間がかかっています。
そのうち、年配の男性がシニアカーでやってきて、
中に入って奥に一つだけある椅子に座りました

ようやく先の人が終わり、はがきを買えると思ったら、
後から来た男性が涼しい顔をして窓口に立ってしまいました。
驚き、あきれて腹が立ちました。

お年寄りの無謀な行動は時々メディアでも
話題になっていますし、レジで割り込みをされたことも
ありましたが、この時は自分でも意外なほどに
腹立たしさを覚えました
(おまけにこのご老人の要件もなかなか終わらない!)。

疲れていたせいもあるでしょう。
これだけ済ませたら休憩しよう、と少し無理をしていたのです。

夕食時、主人にそのことを話すと、
「それはひどいね!」と言ってくれました。

実は内心「お母さん、そのくらいのことは
大目に見てあげようよ。お年寄りなんだし。
そんなことに相対しちゃだめだよ」
みたいな言葉が返ってくるかな、
と思いながら話していたのです。

アンフェアなことをされた上に、
怒ったことに対してみ言で正され(裁かれ)たら、
ある意味踏んだり蹴ったりです。

でも、「それはひどいね!」のひと言でスッキリしました。
それ以上文句を言い続けることもなく、それでおしまい。


何の時だったか忘れましたが、
「人が怒っているのを見ると、(同じ対象に対する)
自分自身の怒りがそれほど強くならないからね」
といった内容のことを娘が言っていました。
過去に自分にも経験があったので、妙に納得しました。

知人から無神経なことを言われて傷ついた時、
話を聞いてくれた友人がものすごく怒ったのです。

「ひどい! その人はどういうつもりで
そんなことを言うの?!…」

その憤慨ぶりに私の方が「そこまで怒らなくても…」
と思ったほどです。
慰められて、私自身の怒りはずいぶん静まりました。


郵便局の一件の二日後、新聞にタイムリーな記事が載りました。
「グチコレ」という活動をしている大学生たちについてです。

「グチ」は「愚痴」、「コレ」は「コレクション」、収集の意味です。
仏教を学ぶ学生たちが、道行く人たちから不満を聞き取ります。
聞くだけで助言はしません。

個人が特定されない表現で内容をネットで公開しているそうです。
 
「否定的な印象が強い愚痴を本音と前向きに捉え、
気軽に話せる場や共感できる機会を作りたい」
との狙いで2012年から続けているそうです。


ネガティブなことを聞いて、気持ちがそれに相対し、
いわゆる悪の授受作用をしてはいけませんが、
相手の負の感情を否定して正そうとするのは
賢明ではないかもしれません。

受け止めてもらってスッキリしたら、
人はちゃんと良い方向に向かうようになっていると思うのです。

夫婦愛を育む 177
一緒に怒る
ナビゲーター:橘 幸世


「グチコレ」面白い活動ですね。

負の感情をどう受け止めるか、
本当に大事なことだと思います。

受け止める側の器が問われますよね。

良き授受をしていきたいと思うばかりです。



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posted by ten1ko2 at 08:00 | Comment(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月29日

「やっぱり謝れない夫たち」の行動パターンから「愛」を見る 《橘先生*夫婦愛講座》



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橘先生のコラム
「やっぱり謝れない?」です。


「講座で聞いておいてよかったわ」

ショッピングモールでばったり出会った友人が、
あいさつもそこそこに、こう言ってきました。

どの講座かと聞けば
「男性はプライドがあって謝れないって言ってたでしょ」
と彼女。

大半の男性は一般的に、気持ちはあってもプライドが邪魔して、
妻に対して「ごめん」「悪かった」がなかなか出てきません
(深刻な問題の場合は別です)。

私自身、このことを知って20余年、わが夫を見れば
思い当たることが時折あります。

男女の心理の違いを知らなかったら、
内心責めていたかもしれません。


友人が話してくれたのは、こんなエピソードでした。
 
ある件で話をしている時、旦那さんがイライラし始めて、
ついには強い口調で何か言い放って部屋を出て行きました。

彼女は、「どうして怒るの?」と理解できません
(よくあるパターンです)。

やがて気が収まらないのか、旦那さんは出掛けてしまいました。

彼女は、「え〜っ? そんなに怒っているの?」
とあぜんとします。
「私の言い方が気に入らなかったのかしらねぇ?
他に考えられない」。


男性は怒ると、

@手が出る、
A物に当たる(壁をたたく)、
Bその場を離れる、

と覚えていたので(これを聞いたある男性は
“3パターンともよく分かります”と言っていました)、
彼女は夫の気が鎮まるのを待つばかりです。

「講座を受けていない若い頃の自分だったら、
もっとあたふたしていたと思うし、
うちの主人は出て行くタイプなだけよかったわ」


数時間後、旦那さんはブスッとしたまま帰ってきました。
手にはしゃれたデザートの入った袋があります。

「あ、これも聞いたとおりのパターン!」と心の中で思う彼女。
男性は悪かったと思うとき、言葉ではなく態度で表すのです。

女性は「ごめんね」の一言を聞きたいかもしれませんが、
その行動自体が「ごめん」と言っているのですから、
男性なりの謝罪を受け入れるのが肝要、
と知っている彼女は、ぎこちないながら受け取ります。

「でも今は便利な時代ね。
翌日仕事先から謝罪の絵文字を一つ、
ポツンとLINEで送ってきたの。
私も絵文字で返したわ」


時には、子供に対してもなかなか非を認められないことも
あるかと思います。

子供としては納得しかねるかもしれませんが、
男性の(父親の)プライドを考慮に入れると、
少し受け止めやすいかもしれません。

神様は男性と女性に異なった特性を与えられました。
「堕落性だ」などと責めるのは控えて、
愛を見るようにしましょう。

夫婦愛を育む 165
やっぱり謝れない?
ナビゲーター:橘 幸世

(blessed lifeより)


これは、お恥ずかしながら、
自省の念を込めて紹介させていただきました。

とともに、「男性というのは、往々にして
プライドが高いんだな・・・」
とちょっとホッとしたような気持にもなりました。。。

自分が正しいことを主張しても、
相手は(間違っていることを自覚したとしても、)
非を認めようとしない、ということがあります。

思春期真っただ中の我が家の三男は、親からは
「お小言しか言われない」と思う節があり、
何かあるとすぐにその場を離れてしまいます。
食事をとる時くらいしかじっくり話せません。

相手を愛する気持ちを先立てて、
より良い家族関係を築いていきたいものです。
もちろん、自分の非は棚に上げないように・・・





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2021年06月10日

虹は半分しか見えていない! 天から見れば・・・ 《橘先生》



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橘先生のコラム「夫婦愛を育む」
今回は、『虹は半分しか見えていない』です。


車を走らせていると、ラジオからNHKの
『子ども科学電話相談』が流れてきました。

「虹は本当は丸いけど、半分しか見えない。
残りの半分はどこにあるんですか?」という
小学1年生の男の子の質問に答えているところでした。

理系の知識に乏しい私は、「へー、そうなんだ〜!」と驚きます
(後で主人に話すと、常識だよ、とあきれられましたが)。

下の部分は地球に隠れていて、私たちが平地に立っている時は
上半分しか見えないけれども、飛行機からとか
高いビルの上からなら下の部分も見えますよ、
と解説者が答えていました。

新しい知識に、何とも言えない新鮮な感動を覚えました。


もう一つ、虹がよく見えるのは太陽の位置が低い時、
すなわち朝と夕と話していました
(考えたことはありませんでしたが、言われてみれば…ですね)。

大半の人が、虹を見るとうれしくなったり
祝福を感じたりすると思います。

朝ならば、「あ、今日は何かいいことありそう」と
一日の始まりに励ましてくれているように受け止めるでしょうし、
夕方に見れば、「一日お疲れさま。頑張ったね」
と慰労してくれているように感じるかもしれません。

朝と夕に見せてくださるとは(科学的には光の角度の問題ですが)、
神様の粋な計らいではありませんか。

 
旧約聖書では、虹は人間に対する神からの「契約のしるし」です。

ノアの箱舟で知られる大洪水の後、神がノアとその子孫、
全ての生き物に対して立てた永遠の契約として、
地を滅ぼす洪水を二度と起こさないという約束の証しとして、
虹がかけられたとあります(創世記 第9章)。

この約束の背後にあるのは、神様の愛。

希望・平和・祝福の象徴ともされる虹は、
砂漠以外のほとんど全ての陸地と
ほとんど全ての海で見られるそうです。
神様の愛が全世界に及んでいるんですね。

 
中学の国語教科書に載った吉野弘さんの
『虹の足』という詩では、こんな光景が描かれています。

山路を登るバスの中で現れた虹に感動し、
目を投じると虹の先が眼下の村に届いています。
でもそこに住む人は虹に気付いていません。

その位置では見えないのです。
太陽を背にした位置にいる人にしか虹は見えません。

作者はこの現象を、
“他人には見えて本人には見えない幸福の中で、
格別驚きもせずに生きている”様子に例えています。

太陽を背に、すなわち神様と同じ目線に立たなければ、
恩恵は見えないのかもしれません。

その上、見えたとしても半分しか見えていない…!
どんなに神様の愛に感動していても、
半分しか感じ取れていないのだ、
分かっていないのだ、と思わされました。

つらい中にあっても、大きな大きな愛で覆われている、
まあるい虹の中にすっぽり入っていることを
想像できたならいいかもしれません。

夫婦愛を育む 161
「虹は半分しか見えていない」
ナビゲーター:橘 幸世


昨日、本当にちょっとしたことではありますが、
家計に響く「ある出来事」があり、
気が滅入っている時にこの記事を目にしたので、
載せてみました。

虹も久しく見ていないな、と思った先日、
女性連合で活動していた妻を迎えにいった夕方、
雨上がりの空に虹が見えたのでした。

虹を見ると、何とも言えない感動が押し寄せてきます。
虹は、民族を問わず、時代を問わず、
人々に感動を与えてきたのではないでしょうか。。。

今、生かされていることに感謝して、
毎日を精一杯歩んでいこう。。。
真の万物の日に新たなる出発を期したのでした。



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