2021年03月29日

プラスαの奇跡 人を愛すると、神様が何倍にもして返してくれる?! 《橘先生》



210329.jpg


橘先生のコラムから、
「再び、プラスアルファ」を紹介します。


時々通る道には片側にスーパー、
向かい側にその駐車場があります。

当然両者をつなぐ横断歩道は頻繁に買い物客が使用します。
おまけに高齢の利用者が多いスーパーとあって、
歩道の前で車を停めることはしばしば。

先日も男性が一人立っていたので、停車しました。

すると比較的若そうなその人は渡る時、
帽子を取ってこちらを向いて会釈したのです。

ビックリしました。
そして感動しました。
ちょっとした仕草ではありますが、
義務でしたことに真心が返ってきた感じです。

片手を挙げるか軽く会釈するくらいが一般的ですし、
何もせず渡る人も珍しくありません。

以前のコラムでも取り上げ、講座でもお話ししてきましたが、
改めて“プラスアルファ”の威力を感じました。


世間一般や日常生活の“普通”にプラスアルファ、
すなわち、ひと手間加えて
ちょっぴりグレードアップしたものを相手に渡すと、
惰性や義務でやっているのではないと伝わり、
受け取った側は愛情や真心を感じてうれしいものです。

私の講座は婦人向けですので、当然話は
夫に対してのプラスアルファに焦点が当てられます。

でも、横断歩道での数秒の出会いでも
人を気持ちよくさせてくれるのですから、
配偶者に限らず、出会う人たちに
プラスアルファの心遣いができたら、
小さな幸せが日常の空気に満ちていくのではないでしょうか。

 
そんな時訓読で出合ったみ言が、
天の父母様を中心とした兄弟姉妹との関係についてのものでした。


「…ここ(教会)は、互いに
 愛し合うために集まったのです。

 …では愛する方法はどこから習うのでしょうか?
 先生(文鮮明先生)から習うのです。

 先生に会って、先生を愛したい
 という思いが生じなければなりません。

 ただお互いに会いたくて、与えたい愛を、
 兄弟たちにあげるべきです。

 そうすれば神様は、その何倍にもして
 返してくれようとなさるでしょう。
 父母は、兄弟が互いに
 愛し合うのが好きだからです」


(成和出版社『文鮮明先生のみ言主題別精選 人の生涯』234ページ)

 
ある婦人は、教会で会っても彼女の家で会っても、
お昼前ならば誰に対しても「食べていってください」と言います。

こちらが遠慮しても「ぜひぜひ」と勧め、
何もなければ「すぐできますから」と手間を惜しまず作り始めます。
そんな行動で愛を示してくれる彼女には、頭が下がります。

長く信仰を持った者同士の場合、ややもすれば
安心して気を抜いて、相手にぞんざいに
接してしまうことがあるかもしれません。

それが常態化してしまえば、
居心地の良い空気は生まれづらいでしょう。

改めて原点に返って、兄弟姉妹と関わる際、
彼女のような、帽子を取って歩道を渡った男性のような
姿勢を心掛けたいと思いました。

夫婦愛を育む 155
再び、プラスアルファ
ナビゲーター:橘 幸世


総務をしている婦人の机に、
「いつもお姉さんに癒されています・・・」
と書いてあるメモ書きが貼られていました。

ある婦人が電話でのやり取りか何かで、
感動したので、彼女がいない隙に
メモ書きを置いていたのかもしれません。

これも「プラスアルファ」の効果ですよね。
このコメントを励みとして、
頑張っている総務の姿が思い浮かびます。

帽子をとってお礼をした人、
家に訪問すると必ずお昼をごちそうする婦人、
どちらの方も素晴らしいと思います。

天一国主人として、
私たちが見習うべき姿、だと思います。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 09:45 | Comment(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月12日

「自分なんて必要ない」と10年間口走っていた私に、妻が… 《橘先生・夫婦愛講座》

『自分を愛することは、家族を愛すること』



210312.JPG


橘先生のコラム「夫婦愛を育む」
今回は、『自分を愛することは、家族を愛すること』です。


日本語検定委員会の「日本語大賞」入選作の発表がありました。
存在すら知らなかった私ですが、小学生の部
入選作を新聞で読み、目頭が熱くなりました。

つられるように他の部の入選作の概要に目を通すと、
一つの言葉が私の興味を引き、ネットで全文を読みました。

一般の部で入選した、10年間心身の病と闘う
30代男性の作品です。
テーマは「私を動かした言葉」。
抜粋してまとめたものを紹介します。

 
原因不明の体調不良が続き、やがて心が折れた。

長引く中で、心の病の方が酷くなった。
頑張っている、よそのお父さんたちの話を聞くと、
自分と比較して落ち込んでしまう。

「自分なんていない方がましだ」
「もう無理だ。消えたい」と口走ったりしてしまう。

そんな自分を一生懸命励まし支えてくれたのが、
妻や子供たちだった。

ある日、私が「自分なんて要らない。
終わりだ」と口走った。

すると、いつもは黙っている妻が私に向かって静かに言った。
「もう聞きたくない」
 
常に私を受け入れてきた妻が、初めて否定の言葉を口にした。
そして意を決したように話し出した。

「私はあなたが病気になってずっとそばにいるから、
あなたが頑張っていることも、
それでも報われずに辛いこともよくわかる。

でも、あなたが自分を蔑む言葉を発し続けることで、
支えている私や子どもたちまで
価値を下げられているように感じてしまうの。

もしも、本当にそんなに価値のないあなただったら、
それを必死で看護している私や子どもたちは一体何なの?
私たちまで辛くなる...... 」

自分で消化できずについ口走る衝動で、
妻子までも傷つけていることが全くわからなかった。

家族は運命共同体、互いの自尊心や自己価値を共有していて、
自分の価値を下げることは、相手の価値までも
下げているということに初めて気づかされた。

病気になって以来、「自分を愛してあげて」と
言われることは稀にあったが、どうしてもできなかった。

「自己を愛する」ということが、何か後ろめたく、
自己中心的な考えのように思えたからだ。

しかし、妻が教えてくれたこの考え方なら、
「自分を愛すること」は、「家族を愛すること」と同じになる。

たとえ自分を愛することが苦手でも、
支えてくれる家族を愛することはできる。

自分と家族がイコールなら、家族を愛することが
私を愛することにつながる。
これは、新しい発見だった。

私はできる限り前を向いて、家族と共に闘ってゆく。

 
10年間、夫を否定せず支えてきたなんて、素晴らしい女性です。
その土台があればこそ、響いた言葉なのかもしれません。

ちなみにこの作品のタイトルは「妻の否定」。

自分が嫌い、自分を受け入れられない、自分を許せない…
そんな葛藤を抱えている多くの人に
力を与えてくれるメッセージではないでしょうか。

夫婦愛を育む153
自分を愛することは、家族を愛すること
ナビゲーター:橘 幸世


橘先生がつけられた題目、
「自分を愛することは、家族を愛すること」
まさにこの言葉がピッタリですね。

以前、心理学を紹介していましたが、
愛されてこなかった人、愛を感じてこなかった人は、
自分に価値をもてない、つまり
自尊感情が低いのだそうです。

そうすると環境に立ち向かっていく力をもちにくく、
心の病も治りにくいといいます。

どんなに自分に自信がなく、
自己を蔑(さげす)んでいる人でも、
自分を愛してくれる人がいて、
そのことを心から感じたならば、
自尊感情が生まれてくるのですね。

そう考えた時、
私のことを常に愛し、見守ってくださる、
神様、そして、真の父母様がおられること、
どれだけ素晴らしいことでしょうか。

さらには、そのことを頭で知るだけでなく、
心から信じ、実感していくことが重要だと思います。
また、具体的に家庭や社会で
為に生きていく、愛の実践をしていく。。。

そうして、万民が心から愛を感じていったなら、
素晴らしい世界が到来することは間違いありません。
そんな日が早く来ることを願ってやみません。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 08:12 | Comment(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月14日

もしも夫が弱音を吐いたら・・・ 《橘先生》



201214.jpg


橘先生のコラム
「初めて吐いた弱音」です。


去る日曜の夕方、珍しく頭痛がして横になりました。
前日のカレーが残っているので夕食の心配はありません。
テレビをつけるとNHKで
「青年の主張2020」という番組が始まるところでした。

コロナ禍でさまざまな壁に当たった若者8人が、
自分の体験を率直に語りました。

厳しい中でも前向きに生きる彼らの姿勢は
感動的で、涙を誘われました。

中でも、司会者はじめ出演者の、そして
私の涙を一番誘ったのが
「生まれて初めて弱音を吐きます」という
23歳の元力士のメッセージでした。

恵まれた体格で、「強いね」と褒められたのがうれしくて、
彼は強くあることだけを是とし、体を鍛えてきました。
地元では一度も負けたことがなく、
皆の期待を背負って相撲の世界に入ります。

それまで「自分が一番強い」と思ってきた彼でしたが、
飛び込んだ世界では自分よりも強い人を大勢目の当たりにします。

力士として結果が出ず、故郷に錦を飾れないまま歳月が過ぎ、
今年コロナ禍で地方巡業などがなくなります。

相撲以外何も知らない彼は、先の長い人生を考え、
区切りをつけて故郷に戻ります。
とは言え、何をしようという考えもなく家にこもる日々。

かつての恩師が気にかけて連絡してきます。

関取になれずやめて帰ってきたことについて
「恥ずかしいか?」と尋ねられると、
彼は正直に「恥ずかしいです」と答えました。

続いて恩師の「でも、帰ってきてくれてうれしいよ」
という言葉に、彼の心に変化が起こります。
そして、コンビニで働き始めたのでした。

「強い自分」、そのイメージに沿って、
彼は強い部分しか見せずに生きてきました。
23年間、一度も弱音を吐いたことがなかったと言います。

そんな彼がカメラの前で、親に向かって、
家族、友人、元親方や同僚に向かって、
弟子時代のつらかったことを言いました。

「自分は強がっていた」
「本当は、勝てなくてつらかった。集団生活もきつかった」
等々、湧き上がるものをこらえながら吐き出します。

どれほどの勇気が要ったでしょうか。
誰かが「つらい時につらいと言える強さ」と言っていました。

そして、その叫びに多くの人が涙しました。
おそらく、各人が味わってきたつらい思いや体験が共鳴したのでしょう。
胸の内にしまっていたものが揺さぶられたのかもしれません。

「ああ、誰もがしんどいところを
通過してきているんだなぁ」と改めて思いました。

彼のみならず、一般的に男性は、簡単に弱音を
吐きませんし、弱いところを見せません。

もし夫など身近な男性が弱音を吐いてきたら、どうしましょう。

まずは「余程の事」と受け止めましょう。
じっくりと聞いて、共感を心掛けます。

「大したことないじゃない。
もっと大変な人もいる」などと言うのはNGです。

「こんなにもろい人だったのか」と
落胆する必要もありません。

それまで見てきた強さも、今見せている弱さも、
どちらも彼の一部です。

信頼していればこそ勇気を出して打ち明けたのですから、
「話してよかった」と彼が思えるよう努めましょう。

解決を急がず(助言などせず)、
ただじっと彼の気持ちを受け止め、
励ますだけでよい場合が多いです。

弱音も含めて本音を言える関係を大切に育みましょう。

夫婦愛を育む 142
初めて吐いた弱音

ナビゲーター:橘 幸世


元力士のメッセージ、聞いてみたいですね。

弱音を吐く、自分をさらけ出すことは、
簡単なことではありません。

大事なことは、その本音を
受け止めてくれる人がいる、ということです。

元力士も恩師が受け止めてくれたので、
立ち直ることができました。

やはり、身近な人、
特に夫婦においてそういう話ができたら、
さらには、ちゃんと受け止めてくれたら、
どれだけ解放されるか知れません。

幸いにも、私の妻は、
肝心なことは、受け止めてくれるので、
とても有難く思っています。

ふと、真の父母様はどうだったのかな、
お父様もお母様に弱音を吐いたことがあったのかな、
そんなことを思わされました。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 07:02 | Comment(0) | 夫婦講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする