2025年03月29日

神様、私に「最期の7日間」をください! 妻のささやかな願い 《浅川先生*いのちの言葉》



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久しぶりに、自叙伝書写講師、
浅川勇男先生のお話を紹介します。


小腸がんで入院した余命少ない病床の妻に、
「家に帰ったら何がしたい」と夫が聞いた。
夫は、妻の口から出た言葉をノートに書き留めた。

「神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください」

「一日目には台所に立って料理をいっぱい作りたい 
あなたが好きな餃子や肉味噌
カレーもシチューも冷凍しておくわ」

「二日目には趣味の手作り、作りかけの手織りマフラー 
ミシンを踏んでバックやポーチ心残りがないほどいっぱい作る」

「三日目にはお片付け 
私の好きな古布や赤絹どれも思いが詰まったものだけど 
どなたか貰ってくださいね」

「四日目は愛犬を連れて 
あなたとドライブに行こう 
少し寒いけど箱根がいいかな 
思い出の公園、手つなぎ歩く」

「五日目には、子供や孫の誕生日会 
ケーキもちゃんと11個買って 
プレゼントも用意しておくわ」

「六日目には友達と集まって 
憧れの女子会をしましょう 
お酒もすこし飲みましょか 
そしてカラオケで十八番を歌うの」

「七日目にはあなたと二人きり
静かに部屋で過ごしましょう 
大塚博堂のCDかけて 
ふたりの長いお話しましょう」

2019年1月、最愛の妻が他界した後で、夫は
「妻が願った最期の『七日間』」の題で新聞に投書し、
多くの人たちに感動を与えた。

妻の愛用の手帳には
「病気はみんな私が背負うから、
健康で長生きするのよ」と書いてあった。


愛し合っていても、必ず別れが訪れる夫婦とは何だろう。
夫にとって妻とは、妻にとって夫とは何なのだろうか。

「平和を愛する世界人として」の著者・
文鮮明氏は、言われている。

「夫は父の代身であり兄の代身なので、
血のつながった父を捨てることができず、
また兄を捨てることができないように、
夫を捨てることはできないのです。
妻もやはり同じです」
(自叙伝232P)

妻にとって、夫とは、父であり、
兄であり、息子であると意義づけている。

妻は、夫を父のように慕って甘え、
兄弟のように頼り、息子のように愛する。

「最期の7日間」の詩には、そんな妻の愛が込められている。

夫にとっても妻は、母であり、姉妹あり、娘なのだ。
夫は妻を通して、母の愛、姉妹の愛、
娘の愛、要の愛を受けるのである。
それが夫の最高の幸せなのだ。

同様に妻も、父の愛、兄の愛、息子の愛を
夫から受けることが最高の幸せなのである。


だが、本来の夫婦愛のすばらしさは、これだけではない。
文鮮明氏は夫婦愛の真髄を語られている。

「真の家庭はー夫は妻を神様のように愛し、
妻は夫を神様のように深くする尊敬する所です」
(自叙伝232P)

夫は、妻から神様の愛を受け、
妻は、夫から神様の愛を注がれる。
宇宙を創造した神様の無限の愛が注がれるのである。

浅川勇男
家庭円満を招く”いのちの言葉”
妻が願った最期の「7日間」
Sunday世界日報より
再編集 文責:ten1ko2





この内容は、
新聞の「投稿欄」に掲載されていたものです。

浅川先生は載せていませんでしたが、
最後の文章はこんな感じです。

『妻の願いは届きませんでした。
詩の最後の場面を除いて。
≪私はあなたに手を執られながら静かに静かに時の来るのを待つわ≫
容子。
2人の52年、ありがとう。』


本当に仲の良かったご夫婦なのですね。。


先のことを考えると、
いずれはどちらかが先に霊界に旅立ちます。

そして、ともに霊界において、
永生していくのです。

夫婦が一つになるように、
さらに努力していきたいと思うのです。

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2024年10月16日

女性はなぜ化粧をするのか 美しくなって幸福を引き寄せ←← 《浅川先生》



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浅川先生の書籍より、
幸福を引き寄せる朝の生活
「妻の化粧は夫の喜び」です。

 
「化粧は何のためにするのですか」と尋ねれば、
大概の奥様は、「決まっているでしょ。
美しくなるためですよ」と答えるでしょう。

では、「誰のために化粧をして美しくなるのですか」
と聞けば、どう答えますか?

文鮮明(ムン・ソンミョン)先生のみ言(ことば)によれば、
妻が化粧をするのは、夫を喜ばせるためなのです。


「パウダーをたたき香水をかけても、
 女性はいつも美しくなければなりません。

 女性は、情緒生活において
 借りをつくってはいけません。

 また、夫の体や衣服などについて、
 いつも関心をもたなければなりません」

(『愛天愛人愛国』64ページ)


妻が化粧をするのは、夫に美しい笑顔を見せて、
喜ばせ元気づけるためなのです。

このため、妻は夫より早く起きて、化粧をほどこし、
夫が目覚めた瞬間、感動を与えなければなりません。

 
また、夫が職場に向かうのは戦場に向かうことだ、
と文先生は言われます。


「男性は朝、戦いに行くのです。
 そういう夫のために、妻は朝早く起きて、
 サービスをたっぷりしなければなりません」
(同、65ページ)


夫は美しい妻の笑顔を見て戦場に出かけ、
妻の姿を思い浮かべながら戦果をあげるのです。

ところが、夫が出かけてから、じっくり
時間をかけて化粧する奥さんもいます。
明らかに夫以外の人のために化粧をしているのです。

 
妻の化粧は夫に感動と元気を与える
「愛の装飾」なのです。


「家族生活において、様々な料理を作るのも、
 日常の生活も、服を作るのも、
 すべて愛のためです。
 愛を装飾するためなのです。

 料理を作るのも、愛の味を高めるためです。
 それが真の愛です」
(同、67ページ)


◎ポイント 妻が化粧をするのは
      夫に慰労と感動を与えるため。

浅川 勇男・著(光言社・刊
『幸福を引き寄せる家庭の生活習慣』より)
第一部 幸福を引き寄せる朝の生活
妻の化粧は夫の喜び
https://www.kogensha.jp/news_web/detail.php?id=26265
幸福を引き寄せる 13
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


そういえば、
今朝、見送られるとき、
いつもより、長めに見送られたような。。。
まぁ、化粧はしていませんでしたが(笑)

お父様のみ言は本当に奥妙ですね。
妻の愛の対象は夫です。
だから夫のために化粧をする、
そのことがどれほど貴いでしょうか。

しかし、外では気を張っていたので、
夫の前では、気を緩めてもいいだろう。。。
そんな思いをもってしまうのが、
私たちではないでしょうか。

女性は美の対象。
未婚の女性も、神様のために美しくあるべき。
そういう意味では、男性も
美しくあるべきかもしれません。

主人意識をもって歩む。
公私ともに心がけていきたいと思うのです。。。


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2024年10月07日

バナナの皮ひとつにも、捨てる前に掛ける言葉がある ごみ出しで幸運を引き寄せる 《浅川先生》



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久しぶりに浅川先生の紹介です。

「幸福を引き寄せる家庭の生活習慣」



「あなたはごみだ。だから捨てたのだ」
と言われたら、誰もが気分を害します。

「ごみ」「捨てる」の言葉には、
「不用で害になる」という情感が込められています。
そのため、人に対しては言ってはならない言葉です。

ところが、万物には平気で言っています。
ごみ捨て、ごみ箱、ごみ回収、
燃えるごみ・燃えないごみ、粗大ごみ……。

では、「ごみ」と呼ばれた万物は傷つかないでしょうか。

すべての万物には心があって、
人々に語りかけているのです。

人が愛情も感謝もなく食材を食べようとすると、
「食べ物が『口の中に入っていかない』と言って、
ぶるぶると震え……『私は悔しい』
と言いながら大声で叫ぶというのです。

彼らもみな、愛のために生まれたのです」

(『愛天愛人愛国』116ページ)


と文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は語られています。


バナナを食べ終わって皮を放置すれば、
悪臭がただよい、ばい菌が繁殖して、
生活に害をもたらします。

だから、「燃えるごみ」と称して捨てるのですが、
皮は、人に中身を食べさせるために、
苦労と精誠を捧げたのです。

夏の暑い日差しを浴び、風雨にさらされながらも
中身を守って育てたのです。
バナナの中身は皮の精誠の結実なのです。

だから、皮に対して心から感謝すべきです。

邪魔だから焼却するのではなく、
人間の食生活を豊かにするために、
天から来て使命を果たしてくれたので、
天にお送りするのです。

天から来たので天に送り返すのです。
焼却とは昇天儀式なのです。
ごみ箱は「送り箱」、回収日は「お見送りする日」、
回収車の奏でる音楽は“天送鎮魂歌”です。


文先生は言われます。

「自然を大切にして愛することは、
神様を愛することと同じです。

神様がつくられたすべての存在を、
愛の対象として感じなければなりません」
(『平和を愛する世界人として』341ページ)


◎ポイント
天命を果たした万物を、感謝して天に送る。

浅川 勇男・著(光言社・刊
『幸福を引き寄せる家庭の生活習慣』より)
第一部 幸福を引き寄せる朝の生活
ごみ出しは昇天儀式

https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=26175
幸福を引き寄せる家庭の生活習慣 12
(Blessed Lifeより)
*実行すれば誰もが幸せに。
身に付けたい生活習慣を紹介します!
再編集 文責:ten1ko2


ゴミ出しすることも、
幸福を引き寄せることができる・・・

私たちは、無意識のうちに行動していることが多いと感じます。
感謝の心情で生活していると、
当たり前のこと、小さなことにも、
感謝の思いで行動できる、ということなのだと思います。

何事も心掛けが大事だなと思うのです。
余談ですが、ゴミ係ですし、なおさらですね。

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