浅川先生の自叙伝書写講話。
今回は、「意志さえあればできないことはない」です。
☆
文鮮明(ムン ソンミョン)先生の意志は
自分の能力を発揮して成功したスポーツ選手や
経営者たちとは一種異なるようです。
文鮮明先生の意志は、「人を幸せにする」という心なのです。
文鮮明先生は、少年の頃から並外れた自然観察力がありました。
そのため、科学者になろうという志もあったようです。
しかし、それを断念しました。
それは、あまりにも、不幸で苦しむ人々を思いやったからです。
☆
「私は人々の流れる涙をぬぐい、
心の底に積もった悲しみを吹き払う人に
なりたかったのです。……
人々に幸福をもたらす者になろうという
心だけは固まっていきました」
(自叙伝58ページ)
☆
十五歳のときに、イエス様と出会って、
その志は天命となりました。
イエス様は、
「苦しんでいる人類のゆえに、
神様はあまりにも悲しんでおられます。
……苦しんでいる人類を救い、
神様を喜ばせてさしあげなさい」
と命じられたのです。
☆
あまりにも大きな天命です。
自分と家族を救うだけでも大変なことです。
文鮮明先生の青少年時代、朝鮮半島は
日本の統治下にありましたから、
民族を救うことだけでも至難の業だったのです。
しかし、イエス様は、
「人類を救って、神様を喜ばせてさしあげなさい」
と言われたのです。
人類の中には怨讐(おんしゅう)であった日本人も入ります。
この大きな困難を伴う天命を文鮮明先生は、
イエス様の悲しい顔が胸に刻まれたがゆえに決意されたといいます。
☆
最初に文鮮明先生が取り組んだのは、
「幸福の原理」を解明することでした。
人類を救うためには、不幸の根本を突き止め、
永遠の救いの道を解明しなければなりません。
幸福の原理とは、誰でも実践すれば、幸福になれる法則です。
科学者や哲学者が、その分野の原理を解明するためには、
思索に没頭できる研究室などの環境が必要です。
多くの発見は、大学教授として研究している過程でなされています。
当然、生活の安定も不可欠です。
生活に追われていては、研究に集中できないからです。
また、多くの支援者も必要です。
しかし、文鮮明先生には、真理を探究するための
研究室もなければ安定的な収入も一切なく、
支援者もいませんでした。
施設もお金もなく、支援者もいなかったのです。
むしろ、迫害する人のほうが多かったのです。
☆
1950年代、朝鮮戦争のさなか、北朝鮮から脱出した
文鮮明先生は釜山(プサン)で「統一原理」をまとめ始めました。
環境は最悪です。
その当時のことを、自叙伝で触れられています。
「釜山の地は避難民でごった返していました。
朝鮮八道の人が全部集まったかと思えるほどで、
人が生活できる所は軒先までぎっしりと詰まっていて、
お尻一つ入り込める隙間も残っていませんでした。
仕方なく、夜は林の中に入って木の上で眠り、
昼になるとご飯を求めて市内に下りていきました」
(自叙伝122ページ)
このような過酷な環境の中で、
人類を救う『原理原本』を執筆されたのです。
☆
「その頃、草梁(チョリャン)の労務者用の宿舎に
入ることができました。
部屋が呆れるほど小さくて、
対角線で横になっても壁に足が当たります。
その後、知り合いの家に泊めてもらい、
その部屋で鉛筆を削り、心を尽くして
『原理原本』の草稿を書きました。
極貧の生活だろうと何の問題もありませんでした。
たとえゴミの山の中で暮らしたとしても、
意志さえあればできないことはないのです」
(自叙伝124─125ページ)
☆
文鮮明先生は、神様と人類を愛する意志で
幸福の原理を体系化されたのです。
文鮮明先生の「意志」は、神様と人類を愛する、
真の愛のほとばしりだったのです。
真の愛の実践力だったのです。
自分の欲望を満たそうとする意志ではなく、
人類を幸福にしようとする真の愛そのものだったのです。
「真の意志」には次の三つの心がありません。
“できない”という心。
“諦(あきら)める”という心。
“何かのせいにする”心。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ〜心のあり方』より)
第九章 意志さえあればできないことはない
人を幸福にする意志
(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ〜心のあり方』より)
第九章 意志さえあればできないことはない
人を幸福にする意志
☆
若干16歳で真理(原理)解明のために
献身された真のお父様。
一般の成功者と比較にならないような
強い意志をもって行かれました。
これは無理だ、不可能だという心、
あきらめの心、
人や環境のせいにする心
三つの心をなくしていったと言います。
お父様の強い意志が
多くの困難を乗り越えさせました。
それは、神様のご心情を
誰よりもご存じであったからでしょう。
お父様が未開の地を切り開き、
天国への道筋を示してくださいました。
そして、お母様が7年路程を勝利されたのも、
神様とお父様に贈り物をお捧げしたい、という、
強い信念があったからだと思います。
次元は違えども、
私たちに与えられたみ旨においても、
真の父母様に喜びをお返ししていく強い意志を
父母様に見習うべき時であると思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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