2025年03月17日

今日、聖和17周年 文孝進様、45年の孝の生涯! 



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「文孝進様の孝の生涯
〜聖和17周年を記念して〜」ということで
Blessed Lifeで特集が組まれていましたので
ご紹介します。


2025年3月17日、文孝進(ムン・ヒョウヂン)様の
聖和17周年を迎えます。

真の父母様のご長男である文孝進様は、
2008年3月17日午前9時43分、
満45歳で聖和されました。

孝進様を追慕し、その“孝の生涯”を
写真と共に振り返ってまいります。


孝進様は、1962年12月29日に真の父母様の家庭の長男として、
ソウル市龍山区青坡洞の旧本部教会で誕生されました。

1967年6月12日に、真の父母様
日本巡回のために初めて来日されました。
 
1972年12月、11歳の時に渡米し、
アメリカの学校に転校されました。


1984年から1992年まで初代世界原理研究会会長を務め、学
生、青年の指導に尽力されました。

1987年8月2日〜8日に西ベルリンで
「第4回原理研究会世界大学生総会」が開催され、
最終日の8月8日には文孝進・世界原研会長(当時)を
中心にデモ行進が行われました。

当時、西ベルリンは共産国家の東ドイツの領土に囲まれており、
ベルリンの壁が自由主義と共産主義の対決の最前線でした。

共産主義の誤りをアピールした原理研究会の学生デモは、
西ベルリン市の中心を出発し、ベルリンの壁に達しました。

この大会は、共産主義の限界についてアピールをして
ドイツ国民の注目を浴びました。

左翼勢力が妨害する中、「ベルリンの壁は
取り除かなければならない」と東西ベルリンの統一なくして
人類の真の幸福がないことを世界の人々に訴えました。

1989年11月9日に壁は崩壊し、
それを契機に東欧の自由化が進みました。


1990年7月22日に千葉幕張メッセで開催された
「統一教会全国学生1万人大会」では、
孝進様は世界原理研究会会長としてスピーチをされました。

そのスピーチの中で、

「人間は、愛を受けたいという思いを持っている。
人から愛を受けようと思うのであれば、
自分が100パーセントために生きることが必要である。
宇宙の原則がそうなっている。

この世界を改革するには、正しい愛がなければならない。
それができるのは、統一教会の学生以外にはない」


と語られました。


また学生、青年の指導だけでなく、音楽やメディアを通して若者を復興させる活動も続けられました。

 1986年にはアメリカでマンハッタン・センター・スタジオを設立され、1988年から1997年にかけて、自ら作詞作曲して歌われた17枚以上のアルバムを制作。2002年には、さまざまなジャンルの音楽、1万曲を直接作曲および演奏して、録音まで完了されています。

 1990年からは、「イエスの肖像画」をはじめとする十数編のドキュメンタリーを制作し、宗教・家庭・社会問題が発生する原因を分析して、その代案を提示する社会教育プログラムを進められました。

 1999年2月5日には、崔姸娥(チェ・ヨナ)様と聖婚されました。


 孝進様は、日本の教会員の復興を願いながら、2003年から毎年コンサートを行われていました。

 1万以上の曲を作詞作曲し、コンサートでは常に全身全霊を込めて歌われ、聴く者の魂を揺さぶりました。


 2004年4月23日から5月7日には日本全国4カ都市で、2005年3月6日から29日には全国7カ所で、2006年4月6日から20日には全国6カ都市でコンサートを行い、日本全国を回られました。

 また2007年3月24日から4月7日にかけても、全国5カ都市でコンサートを行われています。


 2008年3月17日の午前9時43分、文孝進様は聖和されました。

 19日、世界昇華式(現在は「聖和式」と呼ぶ)が韓国・天宙清平修錬苑(現・HJ天宙天寶修錬苑)で挙行され、世界中から約2100人が参列しました。参加者は、天に忠孝を尽くされた孝進様を偲(しの)び、別れを告げました。


 祭壇には、17日に真のお父様が贈られた「深天開放苑 忠孝開門主」の揮毫が飾られました。



 式後は真の父母様に見送られ、家族、兄弟と共に元殿(ウォンジョン)に向かわれました。


 孝進様が作られた「再生」の歌詞の一部をご紹介します。

再生


さあ今、笑わなくては、この悲しみを捨てて
さみしさ沈黙もすべて過去の日のこと
さあ今、あの空を翼はばたかせながら
あなたのいるあの世界へ
私はもう旅立ったんだよ
心残りや未練はすべて洗い流して
残ったものはただ私の愛


(HJ MOON)
(参考:『ファミリー』『グラフ新天地』『中和新聞』「U-ONE TV」)


【特集】文孝進様の孝の生涯
〜聖和17周年を記念して〜
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=28495
↑上のサイトから写真をご覧ください
再編集 文責:ten1ko2


孝進様の生きざまを何度か紹介してまいりました。
今夜の徹夜精誠でも、特集が組まれると思います。

孝進様を偲び、追悼する
そんな一日にしていきたいと思います。




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2025年03月14日

神だけが本当の目撃者 存在自体が犠牲、孝進様の負った傷を目の当たりにして 《聖和17th》



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3月17日の文孝進(ムン・ヒョウヂン)様の
聖和17周年記念のシリーズより、
音楽を通して孝進様に侍った
日本人男性の証し2回目、
「み旨を進めるため、生きたまま
祭物になられた」です。

神だけが本当の目撃者だ

孝進様のそばに残った私とTさん(日本人)は、
来る日も来る日も孝進様と一緒に音楽を作る中で
多くの恵みを頂きました。

しかしながら、同時に耐えがたい苦しみにも直面したのです。

というのも、当時の孝進様は、その心に
あまりにも深い傷を負っていらっしゃいました。

幼い頃から、真の父母様の愛を
直接受けることができなかっただけでなく、
愛する者からの裏切り、差別、迫害と、
ありとあらゆる理不尽な扱いを受けてこられたのです。

それは世の中からだけでなく、
教会の食口(シック)からも同様でした。

「自分の愛したものは必ず裏切る。犬や馬までも」
とおっしゃいました。

信頼できる人は一人だになく、孤独でした。

「神だけが私の本当の目撃者だ」
と涙ながらに語られるのを何度も聞きました。

 
12歳でアメリカに来てからは、学校で
先生からも生徒からも迫害を受けました。
「サタンの子」と呼ばれてさげすまれました。

しかも、そういう傷を抱えて帰ってきても、
家には聞いてくれる人も慰めてくれる人もいませんでした。

真の父母様から受けられなかった愛を、
本来は祝福家庭が補うべきだったのですが、
それも十分にはなされませんでした。


興進様とギターだけが友達だった

 
そういう中で唯一の友が、
弟の興進(フンヂン)様とギターだったといいます。

興進様とは一つの部屋で寝起きし、共に遊んだのだそうです。

「興進が生きていたら、私の人生も
少しは楽になっていただろう」と語られたことがあります。


真のお父様が食口たちに、「孝進を保護しなさい」
といつも語っておられたことを思い出します。

それは現実的に、孝進様が暴漢から攻撃を受ける
危険性があったということもあるのですが、
私にはむしろ、「孝進の純粋な心を保護せよ」
という意味ではなかったかと思えてならないのです。

それほどに孝進様の心は、まるで
雪の結晶のように繊細だったのです。


食口であったとしても、頭で思っていることと、
口で言うこと、あるいは行動が違うことがよくあります。

聖書に、サタンを二枚の舌を持つ者に表徴していますが、
それはよく言ったものです。

堕落人間はまさしくその後孫です。
孝進様は非常にピュアであられましたから、
そういう存在に対応していくことが
難しかったのではないかと思われます。

裏と表がある人間を理解できなかったのです。


メシヤの息子としての苦悩

孝進様には食口の中に、どうしても許せない人がいました。
そのことが孝進様を苦しめました。

真のお父様に何度も相談されたようですが、
お父様はそのたびに、「許しなさい」
としかおっしゃらなかったのです。

真のお父様は、そばに侍る人がどういう人かを
全てご存じのうえで、用いておられます。

たとえその人が陰で神様を裏切るような
行為をしていることが分かっても、
変わらずに愛を与えておられるのです。

そういうお父様のことを孝進様は、
「愛のスーパーマン」と表現されました。

孝進様は、メシヤの息子としてあるべき
基準の高さをよくご存じだったので、
そこに到達するために身もだえされました。

その闘いがあまりにも壮絶だったがゆえに、
孝進様は愛にあふれたおかたであったにもかかわらず、
その愛が外に出てくるときには怒りに形を変えていました。

 
孝進様は毎日、私とTさんにその怒りをぶつけてこられました。
もちろん、その怒りは私たち個人に対してではなく、
許せない食口に対するものであったり、
世の中全体に対するものであったりしました。

毎日、その怒りの言葉を聞くのが私たちの仕事でした。
とにかく黙って聞くのです。
一日に何時間にもなりました。

それはとても苦しく、疲れるのですが、
一つ救いだったのは、私たちの母国語が
英語ではないということです。

外国語でその激しい言葉を聞きますから、
心にぐさっとくる度合いが緩められるのです。
おそらくアメリカ人だったら、
3日も耐えられなかったと思います。

そういう日々の中で私たちが目撃したのは、
あまりにもかわいそうで惨めな孝進様のお姿でした。

怒ることでしかご自分を表現できない、
ずたずたに切り裂かれた心でした。

私たち祝福家庭の罪がそこに堆積され、
心情の十字架の上で血を流しながら泣き叫んでおられたのです。

孝進様の存在自体が犠牲です。
み旨を進めるために、
生きたまま祭物になっておられたのです。


私にももちろん、日本に帰りたい思いはありました。
自分なりの音楽に対する夢や考えもありました。

でもそんな孝進様のお姿を目の当たりにして、
真のお父様に先に愛された者が、
なぜ見て見ぬふりができるでしょうか。

私たちがいなかったら、一体誰がこの怒り、
悲しみの受け皿になってさしあげられたでしょうか。
それを思うと、私たちには孝進様を置いて
去って行くことなどできなかったのです。

文孝進様の孝情に学ぶ 4
証し 文孝進様の思い出
「真の父母様の解放のために身もだえされた生涯」
https://www.kogensha.jp/news_web/detail.php?id=28414
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


とても胸を締め付けられるような証です。。。

孝進様は、とても純粋でありながら、
お守りする基台がなかったので、
多くの苦痛を受けなければなりませんでした。

昨日の徹夜精誠において、孝進様・興進様の映像が流れましたけど、
ベルリンの壁の前で熱い思いを語られている場面がありました。

まだ壁が崩れる前の時でしたし、
共産主義者もその場にいるような危険な状況でした。
お付きの方が、「防弾チョッキをつけてください」
と言われたのに、「私は要らない」というエピソードもあったそうです。

神様を愛する心情、共産主義の間違いを訴える、
篤い心情をもっておられた孝進様・・・

霊界においても、その思いをもって、
ご活躍されているに違いないのです。


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2025年03月10日

(証し)文孝進の1万曲プロジェクトに携わって 《聖和17th》



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ベルベディアのスタジオで曲作りをされる孝進様(2000年頃、米国・ニューヨーク)


3月17日の文孝進(ムン・ヒョウヂン)様(享年45)の
聖和17周年記念のシリーズより、
音楽を通して孝進様に侍った日本人男性
(36万双)の証し「真の父母様の解放のために
身もだえされた生涯」です。


マルチメディアによる真の父母様の解放を決意された

ベルベディアで音楽制作に没頭

 文孝進様は1980年代に入ってから、ニューヨークのマンハッタンセンターを拠点に、マルチメディア(文字、画像、映像、音楽など複数の情報を扱うメディア)を通して世界に善なる影響を与えようと決意されました。孝進様は「マルチメディアは人間の精神部分に最も強く影響を及ぼすものであり、その道で成功することが、真の父母様を解放することである」という信念をお持ちでした。

 1980年代後半からギターと作曲を始められ、最初に30曲を3ヶ月で作る条件を立てられ、食口(シック)の音楽家等とバンドを結成してファーストアルバム「再生」が作られました。さらに1990年代に入ると、世界中から音楽やアートに携わってきた食口や2世がマンハッタンセンターに集められました。音楽スタジオを3つ、ビデオスタジオを2つ造られ、孝進様はそのメンバーたちと共に、様々なマルチメディアのコンテンツを作っていかれました。

 当時、孝進様は日本のカープ所属のバンドだった「サンライズ・オーシャン」のアルバムをマンハッタンセンターで製作するよう指示され、バンドメンバーだった私は、キーボードプレイヤー・アレンジャーとして渡米することになりました。それが最初の渡米です。1991年のことです。

 私が行った頃は、ニューヨーカーホテルやマンハッタンセンターは、まだ廃墟のような状態のフロアも多く、壁の補修やペンキ塗りなどから出発させていただきました。日本人メンバーは私を入れて4人でした。
 当時、孝進様はマンハッタンセンターの責任者でしたが、1995年に辞任することになりました。同時にマンハッタンセンターでの私の音楽制作は終わり、それを機に日本に戻ったのです。

 孝進様はマルチメディア制作の拠点を失われたわけですが、音楽へのスピリットはいささかも衰えることはありませんでした。2年後の1997年、場所をベルベディア修練所の敷地内に移して、音楽制作を再開されたのです。

 孝進様のレコーディングエンジニアをしていたRさんから突然、日本にいる私に電話がかかってきたのは同年6月のことでした。「孝進様がまた音楽をされるぞ。おまえ、来る気、あるのか?」

 その頃、私は池袋の近くにアパートを借りてアルバイトをしながら生活していたのですが、「そうか、分かった。じゃあ行く」と即答しました。そしてアパートをたたみ、再びアメリカの地を踏んだのです。

 こうしてベルベディアで、孝進様が2008年に聖和されるまで、共に音楽制作に没頭する生活が始まりました。マンハッタンセンターを開拓したのと同じスピリットで音楽を作ろうと、ベルベディアの一角にこもったのです。


1万曲プロジェクト
 当初は、ドラマーやレコーディングエンジニア、何人かのサポートメンバーもいて、バンドという形が残っていました。それが2、3年たつうちに次々にメンバーが辞めていき、最後にバンドとして残ったのはキーボードの私とベースのTさん(日本人)の2人でした。

 その時のスケジュールはというと、大体、朝9時にはスタジオに集まり、夕方の5時か6時くらいまではずっとそこにいました。何をするかというと、ひたすら音楽を作る、それだけです。誰が聴くとか、いつ発表するとかいうことは一切関係なく──。
 私はメロディーと和音、アレンジ、ドラムからベースから、全てコンピューターで作ることができますので、キーボードに向かって、その作業に没頭しました。

 孝進様は、私たち一人一人も作曲することを望まれ、私たちも個人個人で音楽を作ってゆきました。歌詞まで作ることは期待していらっしゃらなかったので、とにかくメロディーを作ることに集中しました。作ったら、毎週日曜日に孝進様に聴いていただき様々な点で指導していただきました。

 1997年に私が渡米した頃には、100曲の曲作りが既に始まっていました。ところが100曲を作り終えると孝進様は、「ゼロをもう一つ足してみよう。どうしてやれないことがあろうか、やろう!」とおっしゃるのです。そこから1000曲、そして最終的には1万曲の作曲がスタートしたのです。

 2002、2003年あたりは1万曲プロジェクトの真っ最中でした。孝進様は私たちがそばにいようがいまいが、ひたすら作曲をされます。私たちがいればいたで、「せーの」で一緒に作るのです。

 どういうふうに作っていくかというと、まず孝進様が私たちに「次の曲は何をやりたい?」とお聞きになります。「ロックバラードはいかがですか?」「キーは何だ?」「Aマイナーでどうでしょう」「OK」という具合です。「ワン、トゥー、スリー、フォー」の掛け声で始まり、孝進様がメロディーを歌う、私たちがそれに合わせる。マシーンからドラムビートが出てきて、それを同時に録音するのです。リハーサルなしの一発録りです。この調子で、一日に100曲作ったこともあります。孝進様はとにかく、1万曲という数にこだわっておられました。

 タイトルは、最初の100曲くらいはありますが、その後はナンバーのみで、歌詞もありません。音楽の素材に近いもので、スケッチレベルです。将来は、それを基にリアレンジして、多くの曲が作られていくことでしょう。

トゥデイズ・ワールド ジャパン』2015年9月号掲載



真のお父様のみ言

良心心情啓発のための革命宣言

孝進が出す歌声は、深刻な時は
血を絞り出す音のようです。

それが和音となっています。
破裂しないまま和音となっているのです。
だから、相当な水準に到達したと言えます。

一万曲を作りました。
今やっていることも学んでやったのではありません。
自らが創り出したものは、忠臣の心情と
父母の心情と神様の心情と王の心情圏を追慕するときに、
足りないという悔い改めの宣言であり、
自体蕩減の宣言であり、さらには、
良心心情啓発のための革命宣言となったというのです。


(2005年3月29日、米国・イーストガーデン)

https://www.kogensha.jp/news_web/detail.php?id=28314
文孝進様の孝情に学ぶ 3
証し 文孝進様の思い出
「真の父母様の解放のために身もだえされた生涯」
再編集 文責:ten1ko2


孝進様の1万曲制作の証し、凄まじいですね。
ほとばしる情熱、決意というものを感じます。

1日100曲を作るなんて、
ある意味、霊的にならないと作れないと思います。

その心情は、まさにお父様が語られた
み言のごとくだと思うのです。


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