2024年09月25日

お母様には、胸に秘めたまま語れないことが多くある 「母だから」 《文ヨナ様》



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文鮮明・真の父母様9周年記念式☆


文姸娥様のメッセージの続き
今回は、「二世たちの未来のために
『天一国の実体化』を願われるお母様」です。


真のお父様(文鮮明師)のご聖体を前にして、
真のお母様(韓鶴子総裁)は
「命が終わる日まで天一国(てんいちこく)の実体化のために
最善を尽くします」と約束なさいました。

なぜ、「天一国の実体化」なのでしょうか?
子女様たちのことでも、ほかのことでもなく、
なぜ「国」なのでしょうか?
その答えがこのみ言の中にあったのです。

真のお父様の願いは何でしたか?
「たった一日でもいいから、神の国で
生活すること」だったでしょう?

その願いが分かるから、その願いを
かなえてさしあげたい真のお母様なのです。


しかも真のお母様は、ビジョン2020までに
国を建てることを決意されました。

それを伺ったとき、私は「果たして韓半島の統一が
2020年までにできるだろうか」と、疑いの心を持ちました。

そして「2020年は真のお父様の聖誕百年を迎えるから、
そこに意義を置いて、おっしゃっているのだろう」
と単純に考えたのです。

ところが、真のお母様のお考えは、はるかに高い次元のものでした。

お母様は韓半島の情勢や世界情勢をご存じないでしょうか?
誰よりもよくご存じです。
それでも「2020年までに」とおっしゃいます。

そのうえで、私たちに神氏族メシヤの祝福を下さり、
後ろから激しく鼓舞しておられます。

 
真のお母様は73歳(数え)です。
もう心安くお過ごしになって、そのまま霊界に行かれても、
誰か責める人がいるでしょうか?

なぜそのように多くのことを抱え込んで悩まれ、
ひとときも気楽に休むことができずに、
世の中のことを心配しておられるのでしょうか?

この疑問に対して私が出せた唯一の回答はこれでした。
「真のお母様が父母だからだ、母だからだ」

もし百年後、千年後に神の国ができていなければ、
子供たちがどうなるか分からないのです。

そう思えば、どの父母が気楽に過ごせるというのでしょうか?
「どうにかして、子供や孫たちが安心して生きていける
国を探さなければならない」と死に物狂いになるでしょう。

真のお母様はそういうお気持ちなのです。
だからこそ、子供たちを追い立ててでも一緒に行こうとされるのです。
父母なので、次の世代を考えながら、
惜しみなく苦労してから逝こうと思われるお母様なのです。

こう考えたとき、天一国憲法にしても、天一国の歌にしても、
天一国経典にしても、真のお母様は、全て
「国を求める」という目的の中で推し進めてこられたのだ
ということが、よく分かったのです。


真のお父様の聖和以降、父親を失った私たち子供は
皆、さまよっていました。
そのうえ、真のお母様までさまよっていたら、
どうなったでしょうか?

この期間、お母様は、ある意味でお母様のようではなく、
とてもお強かったし、恐ろしくさえ感じられたこともありました。
そのように固い決心をしなければ行けない道だったからです。

真のお母様は、真のお父様聖和千日記念礼拝(5月30日)で
渡米された際、イーストガーデン(ニューヨーク)での
訓読会で、いつもより多くの涙を流されました。

「お父様が悲しまれているようだ」とおっしゃいました。
しかしその後、「たくさん泣きすぎた」と後悔なさったのです。

個人の感情や痛みよりも子女たちのことをお考えになり、
自分が悲しんでいるときではないと思われる
お母様でいらっしゃるのです。


私も孝進様が聖和されたとき、子供たちの前でも
皆様の前でも、泣いたり悲しんだりしないように努力しました。

そういう私を見て、
「あまり笑わずに、少し印象を考えたほうがいいですよ」
とアドバイスしてくださるかたもいたのです。

では、私が人前で泣かないからといって、悲しんでいないのでしょうか?
私が笑って暮らしているからと言って、
孝進様のことを忘れたとでもいうのでしょうか?
そうではありません。


真のお母様もそうです。
真のお父様のことを口にされない時があるからといって、
お父様のことを忘れて生きておられるのでしょうか?

お父様のことが分からないままに摂理を進めておられるのでしょうか?
決してそうではないのです。

真のお父様には、私たちには明らかにできなかった、
どれほど多くのご事情、曲折、つらい
蕩減(とうげん)復帰の歴史があったことでしょうか?
私には到底分かりません。

お父様はそれを教えてくださらないままに聖和されました。
なぜでしょうか?
それを知った人はその道を行かなければならないからです。

知ったとしても、私たちがその道を行くのは
不可能だから、教えないでいてくださったのです。


真のお母様もこう話されたことがあります。
「私には語れないことが多くある。
全体のためには話をしないほうがよいので、
胸に秘めたまま逝こうと思う」と。

私は、真のお母様が誰かのことを「間違っている」と言って、
非難なさるのを見たことがありません。
多くのことを胸に納め、常に愛で包んでくださいます。

そしてただ、「天の父母様に孝行しよう」と激励してくださいます。
それだけでなく、「真のお父様に記憶されなければ、
霊界でお会いできない。どうするのか」と言いながら、
私たちの永遠の世界までも心配してくださるのです。


南北統一に関しても、真のお母様以外に
誰ができるというのでしょうか?

お母様が地上にいらっしゃる運気の強い時に、
何としてもその軸を立てなければならないのです。
それが現実にいつ、どのような形で現れるかは別としても、
あらゆることを準備しておきたいと思われるお母様なのです。

真のお母様はこうおっしゃいます。

「私は生涯を本当に父母の心で生きてきた。

 あなたたちが過去に何か過ちを犯したとしても、
 今、熱心に努力していれば、その姿を見て、
 過去の過ちを赦(ゆる)し、忘れてきた。

 そして今後も熱心に努力し、うまくいくよう願ってきたよ」


世の中には、私たちよりもはるかにりっぱな人たちが
たくさんいます。

私たちが真の父母様と共にいることができるのは、
祝福を受けたことでサタンが手をつけることが
できなくなったという、その一点ゆえです。
私たちは皆、同様に足りない者たちなのです。

国際祝福家庭の集い
2015年8月15日東東京教区新宿教会
(『世界家庭』2015年10月号に掲載)

私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか(4)
(blessed lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


真のお母様は、「母だから」
その一点の動機で、天一国を建てる歩みをしておられます。
私たちの「父母」であられる真の父母様に
心から感謝したいと思いました。

また、だからこそ私たちは、
子女として、孝行の道理を立てるべきなのだと思います。
それがまさに「孝情」です。

そして、真の父母様が父母として歩まれるので、
すべてが導かれた歩みをしておられるように、
私たちも孝情を動機として歩むならば、
すべてが導かれていく、と思うのです。


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2024年09月18日

まず神の国と神の義を 独生女の摂理が、霧が晴れるようにわかる父のみ言 《文ヨナ様》



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文姸娥(ムン ヨナ)様の2015年の
メッセージの続き、
ヨナニムが感銘を受けた
真のお父様のみ言が紹介されています。

お父様は「神様の国」で暮らすために犠牲と投入の道を歩まれた

私は、真のお父様が聖和(ソンファ)されて以降、
おそばにいたときには分からなかったことが
少しずつ見えてくるようになった気がするのですが、
それを可能にしてくれたのが、み言の訓読でした。

それでより一層、熱心に訓読をするようになったのです。
そういう中で出会ったのが、次のみ言でした。


「神様は、歴史を通して国を探し求める摂理をしてこられたのです。
国が協助しなければ、神様の人類復帰に対するみ旨は
成し遂げられないからです。

真の宗教を中心とした真の国家が存在しなければなりません。
したがって神様は、ある一時を迎えて
特定の国を探し出されました。
それが選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とした歴史でした。

皆様が望まれる神の国とは、どのような国ですか?
その国は、今日、皆様が暮らしているこのような国ではありません。
このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。

私たちには、まだ神の国がありません。
国のない人には本籍地がありません。

国がなければ国籍をもつことができないのです。
国がなければ入籍できる基盤もないということです。
ですから、現世において私たちがすべきことは、
国を探し出すことです。……

国があって初めて、千秋万代の私たちの子孫の前に、
そのまま残してあげられる伝統も残るのであり、
私たちの血と汗を流したすべての努力も残るのであり、
天の苦労を祝賀する記念塔がこの地上にできるのであり、
すべての栄光の痕跡がこの地上に残るのであって、
国を探し立てることができなければ、
すべて無駄になるのです。……

神様の愛は、国がなければ受けることができないのです。
サタンの王権に勝利したのちにこそ、
天の国が成立するからです。

私たちは、神の国を仰ぎ慕います。
それは、愛があるところだからです。
一時的な愛ではなく、時間を超越して
永遠の愛が存続できるところです。……

皆様。私は今、地上に羨(うらや)むものがありません。
世の中のものには関心がない人です。

ただ、『神様が保護できるその国において
死ななければならないのではないか。
私がそのように生きてから逝くことができなければ、
私の生涯は悲惨な生涯ではないか。

死ぬ前にその国を探し出し、一日だけでも
そこで暮らしてから逝かなければならない』
というのが私の願いなのです。

そのような一日のためには、数千日の犠牲を
投入しようという心で歩んでいるのです。
分からない皆様は休んだとしても、私は歩んでいます。……

皆様。私たちの信仰の目標は、果たして何でしょうか。
神の国の民になることです。

その国の民になることができなければ、自由自在に
万民、あるいは万物世界に誇り、
愛を受ける道が現れないのです。
国のない人は、いつも攻撃を受けるようになります。……

イエス様は、イスラエルの不信と迫害によって
彷徨(ほうこう)する立場になり、
霊肉ともの救いを成し遂げることはできませんでした。……

メシヤが成し遂げようとした目的の国が、
イスラエルの不信によって壊れたとき、
イスラエルは滅びました。

したがって、再び来られる再臨主には、
アダムを完成させ、メシヤの使命を完成させる責任があり、
アダムを中心とした家庭、氏族、民族、
国家、世界を完成させる責任があるのです。

神様が私個人を犠牲にしたとしても
感謝しなければならず、また私の家庭と氏族、
民族、国家を犠牲にしたとしても
感謝しなければなりません。

そのような私と国が現れてこそ、
世界はその国によって収拾されるのです。……

皆様。今日、私たちがこの地に生まれた目的は
どこにあるのでしょうか。
国を愛するためです。

神様が今まで摂理されてきた目的も、
その国を愛するためなのです。

主権のない国の国民は哀れです。
それで、イエス様が心配して……、
『何を食べようか、何を飲もうか、あるいは
何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。

あなたがたの天の父は、これらのものが、
ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう』
(マタイ六・31〜33)

とおっしゃったのです」
(『平和經』第一篇13「神様の祖国と一つの世界」
〈2002年10月16日〉から)


なぜ国を探さなければならないのでしょうか?
国のない民は保護を受けることができません。
天の父母様のみ意(こころ)のとおりに生きたくとも、
生きることができないのです。

ユダヤ人は国がなかったがゆえに、
ナチス・ドイツによって虐殺されたではありませんか。

では祝福家庭たちは大丈夫でしょうか?

真の父母様がいらっしゃるから、天一国(てんいちこく)が
宣布されて天一国の基盤が内的に立てられたから、
安全でしょうか?

そうでないことは皆様もよくご存じですね。
日々刻々と変化する社会情勢に翻弄されています。

また子女たちも多くがその影響を受け、悩み、さまよっています。
ところが、私たちを保護してくれる
国があるとしたらどうでしょうか?
全く違ってくるはずです。

実は私にも真のお母様のなさることが
理解できないことがあったのです。

でもこのみ言を読んでみると、真のお父様が聖和された後に、
お母様が語られた全てのみ言、そしてお母様が
決定された全てのことがらが、霧が晴れるように再び見えてきたのです。

国際祝福家庭の集い
2015年8月15日東東京教区新宿教会
(『世界家庭』2015年10月号に掲載)

私たちの真の父母様〜文姸娥様のメッセージ〜
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか(3)
(blessed lifeより)
再編集 文責:ten1ko2

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姸娥様のみ言は、とてもわかりやすいですね。
お父様が神の国、天一国を建てるために、
どれほど精誠を立てて歩まれたのか、
その思いは、お母様にストレートに受け継がれています。

また、近くで侍っておられた姸娥様ですが、
それよりも、み言を訓読することを通じて、
聖和された今のほうが、お父様の心情に
近く触れることができる、というのも、
私たちにとっては、救いのみ言だと思います。

やはり、条件的にではなく、
お父様にお会いする心情で、
訓読することが大事なのだな、と思います。

昨夜は秋夕のお祝いでした。
清平周辺は雲に覆われて、月が見えなかったそうです。

1200名が集まって、ワンオンマを叫んで、
懇切に願っていたら、いつの間にか
月が現れたといいます。

その月を見ながら、
お母様は、お父様を思い、
どんな話しをしておられたことでしょうか。。。

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みなが神の国を見るために、お父様は歩まれた、そしてお母様も 《文ヨナ様3》
posted by ten1ko2 at 11:08 | Comment(1) | TrackBack(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月09日

私とお母様にとっての「聖和」とは 孝進様との9年間、父母様の52年 《文ヨナ様2》



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2015.8.16


文姸娥(ムン ヨナ)様の2015年の
メッセージの続きです。


  52年もの間、喜びも悲しみも全てお父様と共にされたお母様

私たちが真のお父様から学んだ
「聖和(ソンファ)」の基準とは何でしょうか?

霊界においては新しい誕生日であり、
花嫁が嫁入りするときのような、ときめく気持ちで
霊界に入城する喜びの日であるということです。

私はそのみ言を守ろうと、孝進様を霊界にお送りしたとき(2008年)、
個人的な悲しみに陥るまいと多くの努力をしました。
孝進様の行かれる道を損なってはいけないと思ったのです。

ですから真のお父様が聖和されたとき、
私は夫を亡くしたという同じ経験を持つ身として、
少しは真のお母様のお気持ちが分かるはずだという
傲慢(ごうまん)な考えを持ってしまいました。
ところが、それは大きな思い違いだったのです。

そのことを知ったのは、真のお父様の聖和2周年
(2014年8月12日)の朝、天正宮(チョンヂョングン)博物館での
記念敬拝式で上映された映像を見たときでした。


それは、お父様がダンベリー連邦刑務所(米国・コネティカット州)に行かれる直前に、
アメリカの食口(シック)たちにみ言を語っておられる映像でした。

そのときの真のお父様のお姿は、これから刑務所に
入ろうとする人のようではありませんでした。

「この道を行けば、この山を越えれば、その後に
天が準備した新しい世界が開かれる」
という、
この上なく大きな希望とエネルギーに満ちたみ言を、
しかも笑顔で語っておられたのです。

そうして食口たちの勇気を奮い立たせてくださったお父様でした。


でも皆様は、真のお父様のお気持ちを
痛いほど分かっていらっしゃるはずです。

そのときのお父様の置かれた状況は絶望的なものでした。

右も左も分からない幼い食口たちを置いていかなければならないのです。
「どうにか生き残ってくれ、離れていくな」という切実なる思いが、
その笑顔の向こうにあったことを私たちは知っています。

しかも当時は、まだおむつをして、よちよち歩きの子女様も
いらっしゃったのです。
お兄様、お姉様に手を引かれて、真のお父様に
お別れの敬拝をささげる、あどけないお姿を覚えていらっしゃるでしょう?

父母であるならば、どれほど心配であられたことでしょうか。


そのような映像を見ながら、
「私は真の父母様を表面的に捉えて、
分かったつもりになっていなかっただろうか」
と考えさせられたのです。

私は、孝進様が聖和なさったときの自分自身について振り返ってみました。
私が孝進様と一緒に生活したのは9年余りにすぎません。

その間も孝進様は、ベルベディア(米国・ニューヨーク)のスタジオで作曲したり、
映像を制作したりと、いつも忙しく過ごしていらっしゃいました。
ですから実際に共に過ごした時間はさらに短くなるわけです。
そういう中でも私は、孝進様からたくさんの貴重な教えを頂きました。


孝進様は常々、「真の父母様のみ旨を
どんなことをしてでも助けてさしあげたい。
音楽と文化とメディアを通して、天のみ旨を
成し遂げるためにお役に立ちたい」と語っておられました。

孝進様が聖和された後、私はその願いを成し遂げてさしあげたい
という思いをずっと胸に抱いてきました。
にもかかわらず、それを進めることができずにいました。
なぜなら、私は音楽やメディアの専門家ではないからです。

それでも私が思ったのは、たとえ私ができなくとも、
子女たちのうちで素質のある子女が父親の遺志を
継いでくれるかもしれないということでした。

さらに、たとえ直系の子女ではなくても、
二世圏の中で継いでくれる人が出てくるかもしれない
という希望も持っているのです。
もしそういう二世が出てきてくれるならば、
私はどんなことをしてでも協助するつもりです。

こういう思いを持つのは、私が孝進様をおそばで見ていたからです。
1万曲を作曲するとき、どれほど精誠を投入されたか。
皆様の前で公演するとき、どれほど苦しみながら舞台に立たれたか。

よく知っているからこそ、その孝進様の願いを放棄できないのです。
9年しか共に暮らせなかった私ですら、そのような思いが強く湧いてくるのです。

 
では真のお母様はどうでしょうか?

真のお父様と共に金婚式を越えて
52年もの間、過ごされたではありませんか。

お母様は全ての良い瞬間、悪い瞬間を、お父様と共にされました。
お父様が喜ばれるときも泣かれるときも、
つぶさにごらんになってきたお母様なのです。

ご存じのように真のお父様は、
ただ温和なだけのおかたではありません。
み旨の前に、どれほど真剣で、すさまじいおかたであることか!

天の父母様と約束した「孝」の道を全うするためならば、
子供だろうが妻だろうが、全てを犠牲にしてこられた
お父様だったではありませんか。

そのような真のお父様のおそばで暮らしながら、
愛なしに越えていくのは容易なことではないでしょう。
そんな真のお母様が、お父様のみ意(こころ)を忘れることがおできになるでしょうか?

「どんなことがあっても、お父様が成し遂げようとされた
み旨の完成を見てからでなければ、
霊界に行くことはできない」と思われたに違いないのです。

私でさえ、孝進様の願われていたことを
何とか協助してさしあげたいと思っているのですから。

そう考えると、「ああ、真のお母様は、
真のお父様が聖和されてから、
『大変だ』と思う時間すらなかっただろう」と思うようになりました。

では、真のお父様の願いとは何でしょうか?
それが正に、「天の父母様が思う存分、運行したいと思われ、
主管したいと思われる国を探し立ててさしあげること」
であると思うのです。

国際祝福家庭の集い
2015年8月15日東東京教区新宿教会
(『世界家庭』2015年10月号に掲載)

私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか(2)

(blessed lifeより)


貴重な証しをありがとうございます。

真の父母様は、壮絶な歩みをしていかれました。
それは、妍娥様も同じような歩みをされたからこそ、
そのご心情がわかるのではないでしょうか。

私だけが苦労している、と思うのではなく、
真の父母様はどのような思いで乗り越えていかれたか、
父母様の心情を相続するための歩みであると思いつつ、
困難を乗り越えていきたいと思うのです。



今、清平では、天一聖殿入宮式に向け、
特別な修練会が行われています。

先日の徹夜精誠で、
宋龍天世界本部長が報告をされていました。

世界中の音楽性の高い食口たちを集め、
入宮式に向けて、天に捧げる
新しい音楽を発掘するのだそうです。

お母様が願われている中の一つに、
「霊界からの協助を受けるように」
という指示を受けているそうです。

日本のある指導者は、
「お母様とお目にかかった瞬間、
新しい音楽が頭の中で流れ続けた」
そのように証ししています。

また、他のメンバーも
「お父様が現れてメロディーをひとつひとつ、
具体的に教えてくださった」と言っています。

霊界におられる孝進様も、
具体的な指示を与えられながら、
素晴らしい音楽が生み出されるに違いない、と思います。


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