2022年12月28日

真のお母様は、未来がはっきり見えている 私たちとの違い?! 《厳選・妍娥ニム》




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中和文化祭東日本大会2015.11.7


今年は、次男の信興様のご家庭にも
お子様が誕生され、
お祖母さまになられた文妍娥(ムン ヨナ)様。

以前来日された時のみ言より、
抜粋してご紹介します。


(今年(2015年)、ヨーロッパ宣教50周年を記念し訪欧した際も、)
行く先々でお母様は、
「お父様はこの場所に座ってコーヒーを飲まれた」
「朝はソーセージを召し上がった」
などとお父様との思い出話をされました。

また、景色の良い所に行けば、
「お父様とここに座ってあそこを眺めた」
などという話もしてくださいました。


風光明媚(めいび)な所に行けば、私であれば、
まず「ああ、本当にきれいだ。
早く写真を撮らなければ」と考えます。

自分がこの美しい景色の中に足を踏み入れたという
証拠を残したいし、
カメラに収めて観賞したいと思うでしょう。

ところが真のお母様は開口一番、
「天の父母様が私たちのために、このように準備してくださったのだね。
どれほど苦労されただろうか。
本当にありがたい」とおっしゃるのです。

そのようなお姿を生活の中で拝見しながら、
「これが真の父母様と私の違いなのだな」
と思うようになりました。


過去3年間(文先生聖和からの3年間)、
私は夫を霊界に送った者として、
真のお母様のお気持ちが少しは分かると思っていました。
傲慢だったのです。

しかし、真のお父様の聖和2周年が過ぎて、
そうではないことに気づきました。

孝進様が霊界に行かれた後の私と、
真のお父様が霊界に行かれた後の真のお母様では、
まず心の持ち方が違い、生活態度が違いました。

お母様は常に前進されました。
全世界の子女のために、ご自分は何を準備するかを
考えながら、日々、精誠を尽くして過ごされました。


真のお母様を拝見していると、
真のお父様は霊界に行かれましたが、
「お母様は私たちに関心もない。
お母様はご自分のことだけを考えながら生きていらっしゃる」
とは全く感じません。

お母様はお目覚めになれば、いつも一日の始まりとして、
「全世界の子女たち、祝福家庭はどのように過ごしているか」
について報告を受けられます。

五大洋六大州、多くの大陸の至る所で食口(シック)が努力していること、
喜ばしいこと、悲しいことを全て聞かれながら、
お母様も喜んだり、悲しんだりしていらっしゃいます。
本当です。

きょうの皆様のことも、真のお母様は
きょう遅くか明日には耳にされるでしょう。

「集まりはどうだったの?
どのようなことを感じたと言っていたの?
元気に帰っていったの?」と、
お母様は興味津々に聞かれるのです。
そのように生活していらっしゃるお母様です。

真のお父様が霊界に行かれた後、私たちが
お父様のことが慕わしくて胸を痛めていたときも、
真のお母様は絶えず前進されました。

それは、お父様を失った悲しみなどないからでしょうか?
違います。違うのです。


私は今も、先のことを考えて不安になることがあります。

ところが真のお母様は、
「あなたは10年後、20年後、
30年後の心配をなぜするの?
そのとき私たちはもっと発展しているから、
心配することはない」
と言われます。
確信していらっしゃるのです。

なぜでしょうか?
中心がはっきりしているからです。

天の父母様のみ旨がはっきりしており、
天の父母様の目的がはっきりしており、
天の父母様の摂理的な原則がはっきりしているので、
ただそのとおりに行けば、私たちは発展せざるをえないからです。

私が心からそのように感じられるようになったのは、
最近のことです。

第14地区*特別集会2015年10月10日
(『世界家庭』2016年1月号「文姸娥様のメッセージ
学んでも学んでも到達できない真のお母様の深い愛と心情の世界」より)

私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜学んでも学んでも到達できない
真のお母様の深い愛と心情の世界(1)〜(4)
(blessed life)
*第14地区は以前のもので今の1地区の一部です


千葉で語られた妍娥ニム(ヨナ様)のみ言、
これは何度も紹介していますので、
長文の中から一部を厳選してご紹介しました。

あらためて、真のお母様(韓鶴子総裁)って、
本当に素晴らしいですね。。。
このように感じました。

また、謙遜しておられますが、妍娥ニムの立場も
簡単なものではなかったことでしょう。
しかし、そうであるからこそ、
お母様の素晴らしさが理解できたのだと思います。

私たちの真のお母様です。
客観的に見つめるのではなく、
主観的に見つめることが重要なのではないでしょうか。

お父様が聖和されたという痛みは
いかばかりでしょうか。

しかし、「中断なき前進」という
み言を聖和すぐに語られたように
どんな困難があっても、
前進していかれるお母様です。

私たちを本当に子女として見つめ、
愛してくださっている
真のお母様に心から感謝するとともに、
妍娥ニムを始め、真のお母様を支えられている
真のご家庭や側近の方々に感謝申し上げます。





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2022年11月03日

車の隣に乗っていたのが私だったとしたら、興進様は・・・ 《お母様と興進様A:池生蓮先生》




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池生蓮(チ センニョン 지생련)先生の
お母様の証しの続き、
興進様のエピソード続編です。


興進様は、本当に周囲のすべての食口たちに
真の愛で対されました。

常に食口たちの精誠と献身をありがたく思われながら、
お互いに一つの心になって真のご父母様に待って
み旨の道を行こうと激励なさいました。

お互いに一つになる努力の中で興進様は、
食口たちがあたかも
自分の実の兄弟姉妹であるかのように対されたのでした。

イーストガーデンのスタッフの中で
興進様がくださったプレゼントと、
そのかたと共にした楽しかった思い出を
もっていない者がほとんどいないほどです。

当時の興進様の肉身の年齢を考えると、
ちょっと信じ難い
成熟した知恵と感性を抱いて生きられた
天の息子であられました。


このように太陽のように明るく美しい息子、
興進様に対するお母様の期待と愛が、
果たしていかばかりだったでしょう。

この息子が天賦の資質を完全に
花咲かせることもできないまま、
あまりにも早くこの世を後にされたのです。

お母様の悲しみと永遠に癒されない心の深い傷を
どのように言葉で表現できるでしょうか。

お父様は摂理史の霊的な背景を説明されながら、
興進様がお父様の代わりに
犠牲の供え物の立場で逝かれたことを明らかにされました。

極度の悲しみは、いかなる形であれ
外に率直に解き放たれてこそ心が癒されるといいますが、
お母様は、お父様が明らかにされた摂理の基準に傷が付くのではと、
いかなる感情表現もなさることができなかったのです。

心の内でのみ、かみしめる苦痛と煩悩の時間を、
お父様と共に全身で忍ばれました。

食口たちの前では少しも乱れることなく
平静を保たれましたが、
数日の間、食事を口にされず、
一人で部屋に入っておられる時間が多かったです。

お父様は「オンマ、つらいだろう?」と言われて、
しきりにお母様をお慰めになりました。


私は、興進様が昇華されたことと関連して、
真のご父母様におそれ多さと申し訳なさを
拭うことのできない罪人の身となりました。

当時、事故が起こった興進様の車の中には
私の二人の息子の珍福と珍吉が乗っていたのです。

問題のトレーラーと衝突する瞬間、興進様は
ご自身の右側に座っていた珍吉と
後部座席に座っていた珍福が
より安全な方向にそれるように
瞬時にハンドルを右側に切られました。

トレーラーが左側から突っ込んできたので、
車を右側に向けたら珍福と珍吉の位置が
衝突地点から遠ざかるためでした。

しかし、その方向は左側の運転席で
ハンドルを握っていた興進様ご自身にとっては、
正面から突っ込んでくるトレーラーに
全身でぶつかる角度だったのです。

あたかもトレーラーと私の二人の息子が衝突する中間に
興進様が挟まった状況になったのです。

結局、興進様はあまりに大きな負傷から
回復なさることができずに昇華され、
私の二人の息子は数度の手術を経て息を吹き返しました。

興進様は、父親なしに育つ
私の二人の息子を不偶に思ってくださいました。
興進様は常日頃、珍吉と珍福をしきりに呼ばれて、
恐縮にも彼らのまたとない良い友となってくださったのです。

私の二人の息子に対する興進様のこのような憐憫と愛が、
全く予期しない形で
ご自身の体を犠牲にする立場に行かれる結果となり、
私は生涯、興進様のご家庭と真のご父母様に
頭を上げることができません。

(2003年4月発行の証し集「真の愛の勝利者」より
『真のお母様の愛の世界』)
日本語として自然になるように
一部編集しました。
文責:ten1ko2


池生蓮先生の貴重な証しでした。。。
興進様の車には2人の祝福二世が乗っていた、
ということは皆さんもご存じだと思いますが、
池先生の息子さんだったのですね。

昔、お世話になった先輩から
こんな質問を受けたことがありました。
「もし興進様の車に乗り合わせたのが、あなただったら、
興進様は同じ行動を取っただろうか」
答えは、「イエス」です。

ほとんど反射的に、瞬間の判断で
興進様はハンドルを切ったのだといいます。

真の父母様、真の御家庭が歩まれた道、
まさに真の愛を貫かれた道です。
言葉には言い表すことのできないほどの
あまりにも貴い愛を受けている私達です。
心から感謝いたします。




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2022年10月27日

女性として生涯一番の苦痛、最愛の息子を失って。。。 《お母様と興進様@:池生蓮先生》




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皆様ご存知のように、今回大きな人事が成され、
私たちの教会長も二世教区長の一人として、
栄転になります。

しかし、発令された日の夜は
一睡もできなかったと聞きました。
大きな決意の中での出発であることでしょう。

ふと、御子女様のことを思わされ、
興進様の顔を思い浮かべました。

池生蓮(チ センニョン 지생련)先生の証し。
興進様のエピソードを紹介します。



興進様の昇華を前後して

1984年1月2日、ご父母様の家庭の次男である
興進様が昇華(聖和)なさった事件は、
お母様にとって一生で最も大きな苦痛だったと思います。

お母様は、女性が生まれて経験しうる最大の苦痛の時間を、
み旨に対する絶対的信仰とご自身の忍耐と沈黙で忍ばれました。

興進様の昇華(聖和)を通じて
霊的な勝利の基台を争奪していくお父様の道に、
少しも乱れることなく同参なさいました。


ご父母様の家庭のご子女様たちは皆、
ずば抜けた容貌と素晴らしい資質を備えておられます。
その中でも、お母様は興進様を格別に愛されていました。

ある時、お母様と興進様が、
数人の周囲の食口たちと外出されようと準備しておられました。

興進様は涼しげに白い半袖ワイシャツを着ていらっしゃいましたが、
幼かったそのかたが、16歳となり高等学校に通っていて
とてもすらりとしてずっしりしておられたので、広く張った肩の線が、
決して小さいとは言えないお母様の背丈を越えていらっしゃいました。

興進様がお母様と腕を組んで
子供らしく親しげに横にくっ付かれます。
今やとても大きくなった息子が少し気恥ずかしく感じるのか、
お母様は、そっと微笑みを浮かべながら
興進様をちらりと見上げられます。

私はそのときにお母様の顔に現れた満足と幸福の表情を
いまだに鮮やかに覚えております。
どれほど微笑ましく誇らしげに見つめられたことか…。

立派に成長する息子を見つめるお母様の微笑ましい表情が、
私の目にもとても幸福そうに見えました。


興進様は、ご自身の秀麗で輝く外貌だけでなく、
人並み外れた活気と愛情のこもった言行で
数多くの食口たちの記憶の中に永遠に生きておられます。

アメリカの食口と祝福された後、アメリカに来て
あまりたたない一人の韓国の女性食口がいました。
初めは英語も話せなくてアメリカの社会も充分に分からず、
家にばかり引きこもっていました。

そうこうするうちに、なんとかご父母様の家庭で
奉仕したいという意向が教会から承認され、
イーストガーデンで衣類の洗濯及び手繕いを担当する
奉仕生活を始めることになりました。

この女性は、すべてのことが不慣れで、
真のご父母様の邸宅の雰囲気が注意深いので、
毎日地下の洗濯室で仕事ばかりしていました。


これを興進様が少し痛ましく思われたようでした。

ある日、興進様がこの食口が働いている
地下の洗濯室の階段を急いで降りてこられて
何か大声で言われました。

英語がほとんど分からないこの女性は、
何のことか分からず急いで興進様の方に顔を向けると、
興進様が左腕を右手で白い布切れで覆うようにしておられましたが、
布切れには血の跡のようなものがじっとりとにじんでいました。

間違いなく左腕に大きな傷を負われたようでした。

この女性はそれまで興進様と一度も話すこともできないで
注意深い限りだったのですが、
突然の救急事態が起こったので、我知らず飛び出して
興進様の腕をつかみました。

「興進様、大変なけがをされたのですか?」と、
この女性は目を大きく開けてとても驚き、
興進様が覆っていた白い布切れを注意深く開いて傷口を見てみると、
血の色が少しおかしいのです。

当時12歳の中学生だった興進様は
ハハハと大きくお笑いになりました。
真っ赤な絵の具を白い布切れににじませて、
少し意地の悪いいたずらをなさったのでした。

ところが、女性はとても驚いてから安心したので、
妙にこれまで凝り固まっていた心が一度に溶けたそうです。
明るくハハハと笑われる興進様につられて一緒に笑いました。


そのように一緒にひとしきり笑ったら、
興進様が近しく感じられるのは当然です。

興進様のほうから
まず自分と親しくなりうるきっかけをつくってくださったのが、
イーストガーデンの生活を始めたばかりのこの女性にとっては、
とてもありがたい関心と心配りでした。

翌日、興進様が学校から帰ってこられる頃、
果物一皿を準備してお部屋に入れておきました。

これを知られたのか、興進様は時々、
彼女が仕事する地下の洗濯室に降りてこられました。

とくに多くの話はされませんでしたが、
地下の洗濯室がとても安らかな休息の場であるかのように、
そこにあるソファーでしばらく休まれたり、
時折、居眠りして行かれたりしました。

興進様にいかなる警戒や、感情の壁も
感じなかったといいます。


女性が最近、この話を聞かせてくれて、私は涙が出ました。

興進様が周りの食口たちと親しく過ごされるのは
大体このような具合であり、
そのかたを心よりお世話して侍った食口たちの純粋な心は
おおむねこのようなものでした。

(2003年4月発行の証し集「真の愛の勝利者」より
『真のお母様の愛の世界』)

日本語として自然になるように
一部編集しました。
文責:ten1ko2


この後、孝進様、そして文先生の聖和を
見送られたお母様でありますが、
この興進様を亡くされたことは、
女性として生涯で最大の苦痛だったに違いありません。
何度そのような境地を越えていかれたのでしょうか。

お母様と興進様のお姿。。。
お母様から信頼されていた興進様、
お母様を愛しておられた興進様。

興進様が今、地上におられたなら、
どれだけお母様を支え、
お母様のために歩んでおられただろう、
そんな思いをもつのは私だけではないと思います。

しかし、霊界で活躍しておられる興進様であり、
お父様の代身として、先駆けて霊界解放の道を
歩まれた興進様であることを思うと、
お母様も誇りに思われているに違いないと思うのです。




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