2024年02月18日

実る前にあきらめていませんか── 「蕩減」は美しい言葉?! 《篠崎先生》

若き日の真の父が、「蕩減は満ちる」と気づいた瞬間とは



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篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『蕩減条件』です。

 
神様の復帰摂理は再創造の道です。
再創造ですから、創造原理と同じように、
人間が責任分担を果たしてこそ、
その目的を実現することができます。

神様のもとに人を復帰し再創造していく伝道も、
責任分担として蕩減(とうげん)条件を立てる生活を
することによって勝利する道が開かれるのです。
条件がなければ、神様も、
私たちを所有することはできません。

真のお父様が指導してくださった
「蕩減条件」について考えてみます。

「蕩減」は美しい言葉

真のお父様は、「蕩減」は美しい言葉であると語られました。
皆さんは蕩減が美しいと感じますか?
「本当にそうなの?」と疑問に思う人も多いのではないでしょうか。

一方、そのみ言どおりだと感じる人は、
蕩減の深い意味を悟り、み旨の妙味を
味わったことがある人に違いありません。

 
私が信仰の初期に、ある先輩から聞いた話です。

「真のお父様が若き日に朝霧の中で
精誠を込めて祈祷をされていた。
その霧は一枚の葉の表面をいっぱいに濡(ぬ)らし、
やがて一粒の滴(しずく)を結んだ。
その滴は葉からピタンと落ち、流れて一個の石にぶつかった。
滴はあたかも石に吸い込まれるかのように石の下を濡らした。

それが何度も繰り返され、水滴は
石の下いっぱいに湛(たた)えられた。

最後の一滴が葉から落ちて石にぶつかった瞬間、
石の下の水は表面張力を破ってタラッと流れた。
同時に、石もコロッと動いた。

真のお父様はこの瞬間をごらんになり、
霧が石をも動かすことを通して、
『蕩減には有限性がある』と悟られたのです」

 
真のお父様は、第二次世界大戦後のキリスト教
および民主世界の失敗を蕩減復帰するため、
40年荒野路程を歩まれ、勝利して、
1985年8月16日に「一勝日」を宣布されました。

お父様はその路程を、
「過ぎてみればすべて愛であった」
と振り返られたといいます。

お父様が示してくださったように、
どんなに困難に見える蕩減復帰の道も、
私たちが精誠を投入し続け、
蕩減条件が満ちれば必ず開かれるのです。

 
伝道も同じです。
まだ霊の子が立っていないという人は、
往々にして蕩減条件が満ちる瞬間を迎える前に
諦めてしまっているのです。

「忍苦の絶頂を越えて天に尽くす精誠は、
必ず祝福の実を結ぶ」
と信じるのです。
決して諦めてはいけません。

勝利は最後の瞬間にもたらされます。
そこに、蕩減復帰の醍醐味(だいごみ)があるのです。

伝道において、正しい立場で迫害を受ければ
蕩減条件になりますが、
サタンの讒訴(ざんそ)条件が少しでも残っていると、
勝利したように見えても、後で必ずサタンが奪っていきます。

ですから、どんなに難しい立場にあっても、
真の愛を持って精誠を尽くし続けるのです。

【編集部注】
 「霊の子(霊の親)」は「信仰の子女(信仰の親)」のこと

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
七、蕩減条件
(blessed lifeより(56))


雨乞いの祈りは、必ず聞かれる、といいます。
雨が降るまで祈るからです。

蕩減条件も、天は必ず聞かれています。
私たちも勝利するまで精誠を捧げる、
そんな思いをもっていきたいと思うのです。


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2024年01月23日

直接伝道とは直接「ために生きる」こと、まずは笑顔から *朴先生の「原理を1分で解説」 《喜びと幸せの生活伝道》



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篠崎先生のみ言、喜びと幸せの生活伝道より、
「笑顔、挨拶、親切」。

朴普熙先生の貴重なお話、
そして真のお父様(文鮮明先生)のみ言など
どこを切り取っても
宝のような、今回の内容です。

笑顔、挨拶、親切

真のお父様は、

「伝道は情緒が先立って
 万人を引っ張ることのできる
 心情的な磁石とならねばならない。

 常に心情的な引力を
 いかに補充していくかを考えなさい」


(『祝福家庭と理想天国(T)』332ページ)

と語られています。

人を引き付ける魅力を持つためには、
自らが神様を迎え、喜びと
希望にあふれた人になる必要があります。


私は、朴普熙(パㇰ・ボーヒ)先生(36家庭)に初めてお会いしたとき、
「『原理』は難しいとよく人から言われるのですが、
簡単に説明する方法はないでしょうか?」
とお聞きしました。

朴普熙先生は、
「『原理講論』を一分で説明してあげよう」
とおっしゃり、簡潔に説明してくださいました。

「創造原理は、
 神と霊界の存在がハッキリするから、
 絶対正直に生きること。

 堕落論は、サタンと罪の存在をハッキリと知り、
 絶対純潔に生きること。

 復帰原理は、人間が元の状態に戻っていく
 方法を教えているが、それが絶対奉仕である。

 絶対奉仕とは、人に対してまず『笑顔』、
 そして『挨拶』、
 次に『親切』である」


私はこの説明がとても心に残り、それ以降、
「直接伝道とは直接ために生きることです。
ために生きる最初の実践は笑顔です」

と指導してきました。


真のお父様は、

「人の一生における生活がどのようなものであるか
 といえば、食べて、寝て、行って、来ること
 ……この四つです。
 ……その一生はだれのためですか?
 自分のためではいけません。
 神様のためです」


(『ファミリー』1998年5月号、18ページ)


と語られました。

私たちは、日々、行ったり来たりしながら生活していますが、
神様を中心として、まず笑顔、そして挨拶、次に親切に
目の前の人のために生きることが大切なのです。

これが人として生きることの道理であり、
最もシンプルな伝道の秘訣です。

私たちは生活の中で、それらを自然に
できるようになることが願われているのです。


まず、笑顔です。

顔には、内面にある、喜び、希望、誇り、愛情
といったものが霊的な輝きを持って笑みとして表れるのです。
それは身なり以上に人の印象に残ります。

どのような環境でも誠実で、真実な人、
そして余裕のある笑顔の人に、人は引き寄せられてきます。
それが心情的な磁石となるのです。


次は、挨拶です。

真のお父様は、愛の絶対主体となって働きかけてこそ
相手は応じてくれる、だから
喜びと希望の心で挨拶をすることが
大切だと指導されました。

喜びや希望にあふれた挨拶は、対象者の心を
神様の愛で満たすことでしょう。

その人との出会いを永遠なものとするためにも、
最初の瞬間が重要なのです。


そして、親切です。

真のお父様は次のように語られています。

「いかに真心を込めてやるか、
 やるには強制的にしたり、嫌々やるんじゃない。
 自分が自ら慕いつつ、
 そうしてその言葉についてくるかという、
 それが問題である。
 
 そういうようにするには……
 味のある人間だね。
 四方八方どこにも必要な人間です。

 お婆(ばあ)さんにも、お爺(じい)さんにも、
 あるいは壮年たちにも、若者たちにも、
 子供にまで必要な……
 その行動とかいろいろの動きに対して、
 自分に関心をもたざるを得ない環境をつくるんだね」


(『伝道ハンドブック・み言編 み言に学ぶ伝道の姿勢』62−63ページ)

自分に関心を持ってもらえるまで、
真心を尽くして人に親切にするのです。

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
五、心がけるべき生活習慣
笑顔、挨拶、親切
blessed lifeより(50)
再編集 文責:ten1ko2


朴先生の「原理一分解説」
とてもシンプルですね。。。

絶対正直、絶対純潔、絶対奉仕。
そして、笑顔、挨拶、親切の生活・・・


昔お世話になったお姉さんが、
とても好きだという
お母様のみ言を送ってくれました。

「私が他の人のことをまず考えるようになるとき
真の人生が始まる」


そして、
「このお母様のみ言を瞬時瞬時に意識して
生活して行くなかで、やがて意識しなくても
創造本然の為に生きるのが当たり前に
なれるようになるときに、真の人生が始まる」

「家庭連合が、このみ言一つを徹底して実践していたら
もっと素晴らしい組織になると思う」
そんな風に後輩の私たちを鼓舞してくださいました。

私自身も悔い改めて、新年の決意を
固めていきたい、そのように思います。






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posted by ten1ko2 at 09:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 統一原理・統一思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月02日

講師ではなく、「統一原理」が鮮明に残る講義を! 原理の中に主の姿 《名講師・佐野邦雄》



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統一原理は私の生涯の記録でもあります。
それは、私自身の生活体験です。
この統一原理は私の中にあり、
私は統一原理の中にいます。


文鮮明



天一国特別巡回師となられた佐野邦雄先生の
証しを交えたお話、
「統一原理学習のポイント」の前編をお送りします。

統一原理が人類にもたらしたもの

『原理講論』の総序で述べられているように、
人類が長い歴史を通して苦悶(くもん)してきた
人間と宇宙の全ての疑問に、
統一原理は解答を与えてくれました。

個人の人生観と価値観に始まり、
歴史に登場した多くの思想・哲学・
宗教・科学が探し求めた究極の真理を解明して、
「統一原理」として人類に提示したのです。

その核心的内容が、人間と宇宙を創造された
「神の実在」を明らかにしただけでなく、
人類史上初めて、その神が「いかなるかたであるか
という実相」を解明することによって、
この広大な宇宙森羅万象と人間がどのように
創造され、存在し、発展し、そして完成するか
という究極の原理を明らかにしたことにあります。

旧約聖書の箴言1章7節に、
知恵の王ソロモンの言葉として
「主を恐れることは知識のはじめである」
とあります。

これは人生の教訓でありますが、神を知ってこそ、
人としての生き方や生活の知恵、
またそのために宗教や科学が探し求めてきた
内外の真理、つまり人間と宇宙に関する
知識に出合うことができることを述べており、
正しく統一原理の教えと軌を一にするものと思います。

佐野巡回師の原理講師としての証し

数多くの素晴らしい原理講師がおられる中にあって、
その一翼を担うことができることを、
心から感謝しております。

1965年に統一原理を最初に紹介してくださった
信仰の親から、毎日通教しながら講義を受けました。

未熟な倉山での「特別修練会」、
厚木での「百日修練会」など、
学びを重ねるごとに原理に対する確信が深まり、
その後1974年から本部教育部の原理講師を拝命し、
守山、宮崎台、そして千葉中央修練所にて、
百日修、21日修、40日修を400回以上担当しました。

講義を学び受講生たちがよみがえっていく姿を見ながら、
改めて神が実在されることを確信し、
統一原理の偉大さを実感させられました。

1990年代からは全国各地で伝道・教育・
祝福の前線を歩んできましたが、
いつどこにあっても統一原理が絶対的アベルであって、
どんな環境にあっても不動の信仰の柱として
導いてくださったことに何より感謝しています。


人間や組織や方法は変わっても、
絶対に変わることのない統一原理に
絶えず尋ねることができることは、
どれほど心強いことでしょうか。

原理講義をするに当たって、受講者の心霊に響く
確信に満ちた表現力が大切であることは
言うまでもありませんが、
最も重要なことは、講義内容の正確さです。

統一原理は、神様もその原則に従って
天地を創造なさり、復帰摂理を立ててこられましたし、
真の父母様もその原則を歩まれ、サタンを屈服し、
蕩減復帰摂理歴史を完結されたのです。

故に真の父母様は、
「統一原理は私の生涯の記録でもあります。
それは、私自身の生活体験です。
この統一原理は私の中にあり、
私は統一原理の中にいます」と言われるのです。

1991年、全祝福家庭が氏族メシヤ活動に出発し、
1994年から「世界平和統一家庭連合」時代を迎える時、
真の父母様から『原理講論』に赤線・青線・黄線の
三色付けをするように指示がありました。

この作業に私も加わったのですが、
これも統一原理の一言一句を尊重し、
正確に理解させようとする天の計らいでありました。

講義をする時、語った講師の姿が残るのではなく、
「統一原理」が鮮明に残らなければならない
といわれるのも、これと同じ意味であると思います。

統一原理学習のポイント(前)
統一原理を学ぶ意義と佐野邦雄
・天一国特別巡回師の証し
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=22565
再編集 文責:ten1ko2



真のお父様が命懸けで解明された統一原理。
それを体系化されたのが、劉孝元先生でした。

そして、先生の遺志を受け継がれたのが、
サモニムである史吉子先生であり、
日本においては佐野先生だと思います。

原理講論を三色刷りに分けられるのも、
決して簡単なことではなかったでしょう。。。

その精誠は『語った講師の姿が残るのではなく、
「統一原理」が鮮明に残らなければならない』
というお父様のみ言に象徴されているのが、
佐野先生であると思うのです。






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