2023年11月05日

「神様と海で5時に会う約束をしている」 今日は休みたいと思ったとき・・アボジの場合 《喜びと幸せの生活伝道》



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篠崎部長の「喜びと幸せの生活伝道」
原理のみ言と、具体的な証しを通しての
伝道勝利の秘訣や、
信仰生活に必要なエピソード満載です。

今日は
「天の信頼を勝ち取る」です。


真のお父様は心情の復帰段階について、
縦的八段階を示されました。

それは僕(しもべ)の僕、僕、養子、庶子、実子、
母、父、神の八段階です。

私たちが蕩減条件を立てながら復帰の道を真剣に歩むならば、
「嫌だけれどもする(僕の僕)」から、
最終的に「喜んでしてあげたい(実子)」に至るまで、
心情が変化していきます。

そうして、神様の心情と理想に近づいていくのです。


私たちがみ言を知ったとき、それを戒めのようにとらえ、
「やらなければならない」と感じることがあります。

たとえ「嫌だなあ」という思いを抱きながら
み旨を歩んだとしても、
それは僕の立場を通過しているのであり、
復帰路程を間違いなく歩んでいるのです。


堕落した人間はメシヤによって原罪が清算されます。
ところが、

「堕落人間が創造本然の人間に復帰するためには、
『メシヤのための基台』を完成した基台の上でメシヤを迎え、
原罪を取り除かなければならない」
(『原理講論』277ページ)

とあるように、メシヤを迎える
長成期の完成級までは、自らがサタン分立路程を歩み、
信仰基台と実体基台を立てて、
「メシヤのための基台」を造成しなければならないのです。

『原理講論』に、

「人間が堕落したのちにおけるこのような条件物は、
人間の側から見れば、それは『信仰基台』を復帰するためのものであるが、
神の側から見るときには、それはどこまでも
所有を決定するためのものであったのである」
(279ページ)

とあるように、人間が神様の信頼を得る条件を立てるとき、
神様はサタンから人間を取り戻すことができるのです。

 
み旨の最前線で、神様を疑いたくなったり、
置かれた立場から逃げたくなったりすることがあります。

しかし、そこで神様の愛を最後まで信じて疑わない
不変の心情を貫くとき、神様が私たちを抱きかかえてくださるのです。

信仰基台を立てるには、「数理的な蕩減期間」が必要なので、
ある一定期間、神様との約束を死守し、
サタンに奪われることなく無我夢中で一瞬一瞬を歩むのです。

たとえ神様から捨てられたような環境でも、
神様に対する孝の心情で信仰を全うし、約束を果たすのです。


神様との約束を守る道は、
神様に侍(はべ)る(愛し、仕える)生活です。

かつて真のお父様はアラスカで歩んでおられたとき、
毎日、夜遅くまで釣りをする精誠を捧げておられました。

あるとき、お父様がベッドの角で頭を打ち、
けがをされたことがあります。

それは、お父様が海から戻って食口にみ言を語られた後、
2時間もお休みにならずに、
翌朝4時に再び海に出発しようとされたときのことでした。

真のお母様が、
「きょうはお休みになったらどうでしょうか?」
と申し上げると、真のお父様は、
「私は神様と海で5時に会う約束をしているんだ。
行かなければならない」とおっしゃり、
そのまま出発されたというのです。


私たちは、信仰基台の中心人物であるアベルの立場です。

真のお父様は以前、
本然のアダムとして来られたお父様と一つになってこそ、
アベル(霊の親)として立つことができるとおっしゃいました。

真の父母様と一体となり、真のお父様のような
歩みをすることによって
神様の愛が分かり、サタンを分別できるのです。

私たちは父母様の伝統を相続し、
その代身者として伝道に臨んでいきましょう。

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第二章 主と出会った者の行くべき道
二、蕩減条件と責任分担
「天の信頼を勝ち取る」

氏族伝道講座
喜びと幸せの生活伝道〜み言の原点に立ち返る(17)
(blessed lifeより)


「神様と海で5時に会う約束をしている」
神様を愛するお父様の心情が表れていますね。

神様との約束を守る、
これは、私たちにとっても、
とても重要なことだと思います。

お父様は神様と心情が通じておられましたが、
私たちの場合は、神様は目には見えないので、
約束しても、曖昧になりやすいかもしれません。

別の言い方をすれば、
自己との闘いだと言うこともできるかと思います。

み旨においても、このような歩みをして、
天の信頼を勝ち取る者になっていきたいですね。




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2023年10月26日

人類の救い(復帰摂理)は、宇宙の法則(創造原理)で解かれる 《喜びと幸せの生活伝道》



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篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『時代的な恵沢』です。


私たちは、天一国基元節入籍祝福式を通して、
本然のアダムとエバの位置に立つという恩恵を受けましたが、
それにふさわしい実体になっているでしょうか。

  
『原理講論』の緒論に、

「復帰摂理とは、堕落した人間に創造目的を
 完成せしめるために、彼らを創造本然の
 人間に復帰していく神の摂理をいうのである。

 ……復帰摂理は、創造目的を再び成就するための
 再創造の摂理であるから、
 どこまでも原理によって摂理されなければならない」


 
(271ページ)
とあります。


また、真のお父様は、

「創造原理が分からないと、
 堕落論とか復帰路程が分からない。
 それは創造原理を適用して解いていくからだね」


 
(1967年、原理大修練会「蕩減条件と聖書」)
と語られています。

復帰とは創造原理によって再創造することです。

 
堕落した人間が本来の位置と状態に復帰するためには、
蕩減条件を立てる必要があります。

それは、復帰過程において
人間が果たすべき責任分担と言えます。

ところで、私たちがみ旨を歩むとき
「責任分担」という言葉を聞くと、
少し重荷に感じるのではないでしょうか?
蕩減の意味がそこに含まれているので、そのように感じるのです。

本来、責任分担は、親である神様が子女である人間を愛し、
その成長を願われるがゆえに、人間に与えたものです。

人間の責任分担は、み言によって自己創造し完成することです。
すなわち、神様の心情と理想に一致することなのです。


人間始祖の堕落から始まったため人類歴史は、
神様の復帰摂理歴史となりました。

神様は、堕落人間が蕩減条件を立てて神様の心情と理想に
一致することができるまで成長するのを待ち望まれました。

そして、原罪を清算するために、
真の父母であるメシヤを送ってくださったのです。


復帰摂理歴史において、神様はその時代ごとに
信仰のためのみ言を与えてこられました。

神様はモーセに「旧約のみ言」である
十戒(律法)を授けられました。

このとき、人間は堕落以降初めて、
神様から直接み言を受けることができたのです。

十戒には、神様への信仰姿勢と、
人間への戒めが示されていました (出エジプト記20章2〜17節、申命記五章6〜21節)

 
次に、神様はイエス様を通して
「新約のみ言」をお与えになりました。

イエス様は

「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、
 主なるあなたの神を愛せよ』。
 これがいちばん大切な、第一のいましめである。

 第二もこれと同様である、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

 これらの二つのいましめに律法全体と
 預言者とが、かかっている」


 (マタイによる福音書22章37〜40節)と語られました。

イエス様は福音によって、
神様と人を愛することを強調されたのです。

 
真のお父様は、
堕落人間が立てなければならない蕩減条件が
「信仰基台」と「実体基台」であることを解明されました。

創造原理に、霊人体は
神様から与えられる生素と
肉身から与えられる生力要素によって成長する
と述べられているように、
復帰摂理を歩む私たちは、
信仰基台と実体基台を立てることを通して
これらの要素を得、霊人体を成長させ、
完成させることができるのです。

お父様が解かれたみ言は、
神様の契約が成されるという意味で、
「成約のみ言」と言われます。

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第二章 主と出会った者の行くべき道
二、蕩減条件と責任氏族伝道講座
「時代的な恵沢」

喜びと幸せの生活伝道〜み言の原点に立ち返る(16)

(blessed lifeより)


み言が与えられていることが感謝であります。
また、何よりも真のお父様は、
創造原理を解明してくださいました。

人生の目標、ゴールをあたえられたことが
何よりも感謝であると思います。

明確な目標がなければ、
どこに向かって進んでいいのかわからくなります。

堕落論も復帰原理も
創造原理が解明されたからこそ、
解かれていきます。

原理のみ言を生活の中で、実践しながら、
まず自分を伝道し、教会の人同士も伝道し、
そして、多くの人に伝えていくことが
できることが感謝です。




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2023年10月22日

全ての人を愛したい神、私がなぜ先に選ばれたのか 神の想定内 《喜びと幸せの生活伝道》



210529-Gustave Dore - Cain and Abel offering their sacrifices.jpg


篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『なぜ私を先に選ばれたのか』です。


先に挙げた『原理講論』の
予定論の最後の記述を注意して見ると、
「その個体を先に選ばれるのである」とあります。

「先に」とは、後があるということです。
神様は私たちを召命するに当たって、
後に来る人を想定しているというのです。

私たちがその人々を復帰できると確信を持っているからこそ、
神様は私たちを先に召命しているのです。


聖書の中のアダム家庭における献祭について、
「主(しゅ)はアベルとその供え物とを顧みられた。
しかしカインとその供え物とは顧みられなかった」
(創世記四章4〜5節)
とあります。

憤るカインに対して、神様は、
「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。

正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。

もし正しい事をしていないのでしたら、
罪が門口に待ち伏せています。

それはあなたを慕い求めますが、
あなたはそれを治めなければなりません」
(創世記四章6〜7節)
と語り掛けています。

神様はアベルの供え物を取りながらも、
カインの心に関心を持たれていたのです。


神氏族メシヤとして立てられた
私たちにとって、後の人とは誰でしょうか?

それは夫、妻、両親、子供といった
家族をはじめとするアベル圏の氏族、
そして友人・知人をはじめとした
地域社会のカイン圏の氏族です。

神様はこのような氏族圏の復帰を
どれほど心待ちにしていらっしゃることでしょう。


それでは神様は、私をなぜ先に
アベルとして選ぶことができたのでしょうか。

サタンはこの世で社会的基盤を持った
実力者であるカインを手放したくありません。

だからといって、私たちが能力のない愚か者ということではありません。
神様の心情に通じる孝行心を持った善なる群れなのです。

神様はそれぞれの氏族、家系を復帰するために
「私」を召命されたのです。

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第二章 主と出会った者の行くべき道
一、召命と責任
なぜ私を先に選ばれたのか

(blessed lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


真の父母様は、
全人類の三分の一をかき抱こうと、
必死の歩みをしておられます。

安穏と生活している自らの歩みが
本当にいたたまれない思いに
苛まれてしまうことがあります。

真の父母様だけを見つめ、
侍る生活をしていきたい・・・
そんな思いにさせられることもあります。

先駆けて導かれたことに感謝して、
私が今、ここにいること自体が
天に愛されているのだ、ということを自覚し、
一歩踏み出せる者になっていきたいと思うのです。





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