2024年11月07日

曾祖父はクリスチャンだった?! 良心に聞いて分かった内村鑑三との接点 「良心は私の全てを知っている」 《自己牧会プログラム》



210612-1918.J.Nakada,K.Uchimura、S.Kimura.jpg
1918年頃内村鑑三と再臨運動メンバー


自己牧会プログラム
今回は、「良心は私の全てを知っている」。

良心はこんなことまでできるのか、という
素晴らしい証しです。

(男性 50代)

2016年に自己牧会プログラムに出合いました。

「自覚を取り戻す」ワークや「心の目で見る」ワークなどを
実践する中で、自分の中でモヤモヤしていたものが
スーッと溶けていく感覚がありました。

それまで道がないように思われていたところに
道が見えてくる、そんな恩恵を受けました。

ただ、同プログラムを実践している人がよく証ししていた
「失くした物を良心に尋ねたら、出てくる」という内容には、
当初、葛藤していました。
「なんと、次元の低い話だろう」と思ったのです。


ところがある時、必要に迫られて、
失くした物を良心に尋ねるはめになったのです。

子供を連れて車で釣りに行った時のこと、
釣り場に着いたら携帯電話が見当たりませんでした。
慌てて車に戻って探したのですが、見つかりません。

諦めて釣り場に向かって歩いている時、
「そういえば、良心に聞いたら、失くした物が
見つかるって言っていたな」と思い出しました。

だまされたと思って、「私の携帯電話はどこに行ったのでしょうか?」
と良心に聞いたところ、ある光景が心の中に映ったのです。

それは私が釣り道具を下ろした場所の光景でした。
あまりにもはっきり映ったので、とても驚きました。

その場所を探してみたら、ちゃんとそこにありました。
朝方で暗かったので、一度探したときには見えにくかったのです。

尋ねたら「ポン」と答えが来たという、衝撃的な体験でした。

 
その後、自己牧会プログラムを学ぶ中で、
「良心との対話を通して、過去について
ひもとかれなかったことがひもとかれることがある」
ということを聞きました。

私は携帯電話の体験を土台に、自分にとって長年、
疑問に思ってきたことを尋ねてみることにしました。

それは、私の曽祖父のことでした。
曽祖父は1918年10月10日に北朝鮮の平安北道で亡くなっています。
どういう経緯でそうなったのか、父も知らないとのことでした。

1918年頃に日本人が北朝鮮に行っているというのは、
あまり良いイメージはないと思います。
何かしら讒訴(ざんそ)されるような出来事が
あったのではないか──。
そういう不安がずっと私の中にありました。

それで、曽祖父の本籍地を訪ねて、同じ姓の人を
探して聞いてみたり、古いお寺に行って尋ねたりと、
いろいろ手を尽くしたのですが、分からずじまいだったのです。


そこで、「曽祖父はなぜ北朝鮮に行ったんでしょうか?」
と良心に尋ねみました。

すると、携帯電話の時と同じような感覚で
「ポン」と浮かんできた答えがあったのです。

それは、「クリスチャンだった」という、
全く予想だにしなかった答えでした。

「本当でしょうか?」と尋ねたら、
今度は「内村鑑三」という言葉が浮かびました。

そこで、曽祖父の本籍地と内村鑑三の関係を
ネットで調べたところ、一発で資料が出てきました。

1905年、内村鑑三は「神の愛による理想共同体の実現」を目指して、
「教友会」という組織を立ち上げていますが、
その出発の場を持ったのが、
まさに曽祖父の本籍地だったことが分かりました。

その立ち上げは、石を投げられるという
厳しい環境の中での船出だったということです。
一般のキリスト教からも理解されない中で、
その運動が進められていったことが伺えました。

教友会の構成メンバーは「18歳から
40歳までの青年と壮年」と書いてあり、
曽祖父の年齢は1905年当時、ちょうど40歳でした。

ここまで分かったとき、長年の疑問が解けたという感覚がありました。
さらに、これによって神氏族メシヤ勝利への道が
一歩前進したように思えたのです。


この体験を通して、私の良心は私について全て知っている、
失くした物から、過去の歴史まで全て知っている
ということを実感しました。

そして、私が天の願いに生きることができるように
応援してくれていることも確信したのです。

自己牧会プログラムは、今後私たちが
新しい時代を築いていくに当たって
必要なものであると実感しています。

私の心の中にいる神様 72
良心は私の全てを知っている

(blessed lifeより)


なんという素晴らしい証しでしょうか。
良心の声に聴き従うと
携帯が見つかっただけでなく、
先祖の家系が由緒あるクリスチャンだった・・・
そんなことまでわかってしまったのです。

私たちに新たな希望を感じさせていただいた
証しでした。
ありがとうございます。


さて、私ももっと低い次元ではありますが、
良心の声に聴き従って感じた体験があります。

朝、教会に出勤するため歩いていた時のこと。
前からすれ違う男性と同じ方向に避けてしまい、
危うくぶつかりそうになりました。

その時、その男性は、わざと肘で
私の腹を押してきました。

結構な衝撃だったし、突然の行為にびっくりして、
思わず男性を見ると、
彼は私をにらんできました。

喧嘩になるのはこういうタイミングかもしれません。
私は「なんだ」と、反発の思いが出てきたので、
すぐさま良心に耳を傾けると、
良心は、「感謝しなさい」と返してきたのです。

ほんのちょっとしたことではありますが、
個人的には、「これで良かったんだ」
という思いになりました。

良心は、私自身が普段思ってもいないようなことまで
すべて知っている、
そして私たちの良さを引き出し
導いてくれると感じるのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 10:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月15日

苦しみは、今日まで 一般の結婚をした娘を祝福できない私・・・ 《自己牧会プログラムQ&A》 



241015.jpg


自己牧会プログラム事務局に届いた
お便りに答えるシリーズより、
「娘が社会結婚をしてしまいました」です。

〈自己牧会プログラム事務局に寄せられたお便り〉

二世の娘が社会結婚をしました。

娘に裏切られた、
神様に申し訳ない、
自分のせいだと心は乱れ、相手の男性ま
で恨む気持ちでいっぱいになりました。

愛して、許していくしかないと自分に言い聞かせても、
やはり「これは許してはいけないのではないか」
という気持ちが湧いてきて、
またそんな自分を責めては苦しんでいます。

(女性 50代)

〈自己牧会プログラム事務局からのコメント〉

子供さんもどれだけ自分を責め、
苦しんだことでしょうか

自分を責め、苦しんでいるという、
そのお気持ち、よく分かります。

しかしながら考えてみてください。
子供さんも、どれだけ自分を責めて苦しんだことでしょうか。


過去にこんなケースがありました。

ある先輩家庭Aさんのお子さんが社会結婚してしまいました。
Aさんは子供を責め、自分を責め、その結果、
喜んで結婚式をしてあげることが難しかったそうです。

それでお子さんは深く傷つき、ますます
教会に対して壁をつくってしまいました。

Aさんは、「これでは復帰の道が閉ざされてしまう」
と悟ったと証ししておられました。


この証しを聞いた別の先輩家庭Bさんにも、
やはり社会結婚をしたお子さんがいました。

BさんはAさんのケースを参考に、お子さんを否定せず、
喜んであげるように努めたそうです。

するとお子さんも安堵(あんど)し、
心を開いてくれるようになったのです。

そこでBさんが恩赦の祝福を勧めたところ、
相手のかたも快諾してくれて、
昨年10月10日に挙行された
「2020特別祝福式」に参加することができたのです。


一世は原理どおり、み言どおりでなければいけない
という思いが強く、そこから外れることは
許されないと思っています。

もちろん、信仰を守り、祝福を守らなければならない
という思いは大切です。

ですが、それ故に、起きてしまったことを
頭から否定してしまうと、
もっと大変になってしまうこともたくさんあります。

この先輩の体験談を、ぜひ生かしてほしいと思います。

二世もお母さんと一緒に
宣教をしていたのです

二世の中には、親が宣教などに行って
寂しい思いをしたことから、
教会を恨むようになった人もいます。

親はまだみ旨を理解していますから
苦しい道も甘受できるのですが、
子供たちは分からないのです。

でも分からないながらも、泣きながら
体を従わせて親についてきたのです。

親たちが頑張れたのは、この子供たちがいたからなのです。
つまり、二世たちも一緒に宣教をしていたということです。

親御さんもそういう視点で二世を、また二世も
そういう視点で親御さんを見ていくようになれば、
歩み寄れるのではないでしょうか。

喜んであげた分だけ、お子さんは解放されます

そういう幼い頃のつらい経験を引きずっている
二世の中には、その反動から、いろいろな形で
問題を起こしてしまうケースがあります。
社会結婚もその一つだと思います。

もちろん社会結婚を容認するわけではありませんが、
起きてしまったときには、もうみ言を聞かせたり、
祝福の意義を話したりというのは
難しい段階になっていると思います。

子供もいろいろと悩み苦しんだ末に、
そういう結論に至っているのです。

否定し責めることを天の父母様、
真の父母様は願っておられません。

全てを心の目で見て感謝し、許していけば、
否定すべきものは何もないことに気付くはずです。

ピンチがチャンスです。
まずは親御さんが、喜んであげてください。
喜んであげた分だけ、お子さんも
苦しみから解放されます。

そうなれば、親の願いに応えていきたい
という思いに転換され、
そこから次の道が開けてくると思います。

私の心の中にいる神様 68
「お便り&コメント」シリーズC
娘が社会結婚をしてしまいました
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=10902
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


この道を歩むにあたり、
自分が願わないことが起こるものです。

特に子供たちの信仰においては、
自分の足りなさを感じることが多いのではないでしょうか。

しかし、「それで良かったのだ・・・」
と思える私になること、そこからが出発なのだと思います。

「ピンチがチャンス」
しっかりと受け止めていきます。


最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

posted by ten1ko2 at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月10日

思い通りにならず、激昂して泣き叫ぶ息子と、共鳴した瞬間・・! 《自己牧会プログラム》



210601.jpg
天正宮の花


自己牧会プログラム。
今回は、「泣き叫ぶ息子と分かり合えた瞬間」です。

(女性 40代)

スマホの充電が十分でない状態で小3の息子がゲームを始めてしまい、
案の定、ゲームの佳境で動作が遅くなってしまいました。

息子はかんかんに怒って泣き叫び始めました。
「バッテリーがないから仕方ないのよ」となだめても
聞き入れず、息子はスマホをたたきつけ、
モノに当たり、暴れ始めました。

「小学3年にもなってゲームができないくらいで……」
「近所の人に丸聞こえだから、もう少し静かに泣いてほしいな」
 など、いろいろと息子を責める思いが湧いてきました。

その思いのまま、厳しく叱りそうになったのですが、
かろうじて踏みとどまりました。

そして、「私心をなくす」ワークをしながら、
「息子を責める思いで見ている私は、本当の私ではありません」
と唱えて、その思いを手放そうと努めました。

すると、「ゲームができない悔しさを、何の囚(とら)われもなく
見せてくれているのは、ありがたいことじゃないか」
という思いが湧いてきたのです。

その気持を味わいながら、さらにワークを続けていると、
やがて「この子と分かり合いたいな」という思いが
光のように心に浮かんできました。

その瞬間、息子がピタッと泣きやんだのです。
表現するのが難しいですが、何かが共鳴したような一瞬でした。

私は爽やかな気持ちになり、
「あなたの悔しい思いを分かってやれなくて、ごめんね」
と息子に謝りました。

すると、息子も納得したのか、
落ち着きを取り戻していきました。

数日後、その息子が、同じように思いどおりにならなくて
泣き叫んでいる妹に対して、「仕方がないんだよ」と、
兄らしく優しく諭しているのを見て、
何だかうれしい気持ちになりました。

私の心の中にいる神様 71
泣き叫ぶ息子と分かり合えた瞬間
再編集 文責:ten1ko2


共鳴・・・こういうことが
良心に働きかけると、
日常でもおこるんですね。

感情的になった時、
心のワークをすることが大事だな、と思いました。

家族、というのは、
心情が近い分、感情もぶつけやすい存在です。

感情的になりそうな時、
良心に尋ね求める習慣性をつけたいと
思わされた、よいエピソードでした。。。


最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

posted by ten1ko2 at 10:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする