2024年12月04日

どうしても気持ちが収まらない・・心の中で尋ねると・・・オモニの名回答 《自己牧会プログラム》



241204-2024.1030.png


自己牧会プログラムの体験談。
「答えは『忘れなさい』」です。

(女性 50代)
「自己牧会プログラム」に出合い、感謝しています。

私には、すぐに相手の非を責め、
否定してしまうクセがあったのですが、
ワークのおかげで、それが少なくなったような気がします。

最近、扇風機が壊れてしまいました。
そばにあったのれんに羽が絡まったのが原因でした。

私は、夫が扇風機をつけっ放しにしたままその場を
離れてしまったからだと、カーッとなり、
いつものように夫を責めてしまいました。

でもこれまでと違うのは、次の瞬間、
「またやってしまった」と気付けるようになったことです。

私は洗濯物を干しながら、
必死で「自覚を取り戻す」ワークをして、
意識を「今ここに」置くように努めました。

心の中で「ごめんなさい、許してください、
ありがとうございます。感謝します」
と何度も唱えて、
無理やり笑顔を作ったりもしました。

でもその時は、なかなか気持ちが治まらなかったのです。

すがるような思いで、真のお母様に
「どうしたらいいですか?」とお尋ねしたところ、
すぐに心に答えが返ってきました。

それは一言、「忘れなさい」でした。
 
驚きました。
自分の考えでは到底出てこない答えでした。

お母様もこれまで、どれだけの
思いどおりでないことを、忘れてこられたことでしょうか。

お母様はいつも、「全てを下ろしなさい。
自分中心の考えを下ろしなさい」と語られますが、
このことだったのかと思いました。

そのあと私は何ごともなかったように、
夫に接することができました。
普段の私を知っている娘は、
びっくりして見ていました。

その娘が、その日のうちに扇風機を買ってきてくれました。
以前の物よりずっと最新式の、
素敵な扇風機がわが家にやってきたのです。
神様からのプレゼントだと、心から感謝しました。

相手を否定しない訓練を積み重ね、
家庭においても職場においても、
それを実践していく中で、
見える景色が変わってきたように感じています。

これからも努力していきたいと思います。

私の心の中にいる神様 84
答えは「忘れなさい」
(blessed lifeより)


「忘れなさい」

与えることは忘れずに、
受けたことは忘れてしまう。。。
さらには、恨みも忘れない。。。

私たち、堕落人間の性(サガ)ともいうべきものですが、
何か非があったとき、
相手のせいにしていたらきりがないですね。

常識で考えたら、相手に非があることは当然だとしても、
そのことを指摘しても、仕方がない、というか、
結果的には意味のないことも多いと思います。

私も立場上、よくそういう場面に出くわします。
非を指摘することなく、
受け入れることは大変ですが、
そのことによって、いろんなメリットがあります。

お母様の声はすなわち良心の声。
「忘れなさい」これは、
まさしく真の愛の実践であり、
親の姿ですね。

私も、心掛けていきたいと思うのです。



最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 



posted by ten1ko2 at 08:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月24日

私は毎日、真のお母様と会話をしています 良心の声はTM 《自己牧会プログラム》



210806.jpg


自己牧会プログラムの証し、
今回は「良心の声はお母様のみ声そのもの」です。

(男性 50代)

息子(祝福二世)が持っていた
「自己牧会プログラム」の本を読んで、
「これを探していた、これを待っていた」と
とても感動したのが、初めての出会いでした。

以来、少しずつですが、心と体の統一、
そして良心の声を聞くことを意識しながら生活しています。


3月のこと、所属する地区の希望前進礼拝を
目前にしながら、良心との対話がうまくできず、
行き詰まってしまいました。

その時、以前に伝道前線を歩んでいた頃、
真の父母様に報告するよう意識して、
責任者に電話連絡をしていたことを思い出しました。

公衆電話の受話器を取って番号を押した後、
受話器の向こうに真の父母様がいらっしゃって、
本当に電話に出てくださっていることを
イメージしながら報告していたのです。

こういうことを言ったらこういう答えが
返ってくるだろうなという予想に反して、
思いがけない言葉が返ってくることが多く、
真の父母様が直接、指導して
くださっていることを実感する日々でした。

その体験を思い起こしながら、
真のお母様にお電話するような意識で、
良心と対話してみたのです。

すると、思ってもいなかったような、
お母様との深い心の交流をすることができました。


私「日本の第○地区◯◯教区〇〇家庭教会の◯◯と申します。
 今度の希望前進礼拝、よろしくお願いいたします」

お母様「はい、よろしくね」
(笑顔で優しく応えてくださった)

私「天寳勝利家庭を目指し、
  伝道を勝利したいと思っています」

お母様「分かってるわ」

私「親族を導く勇気と決意がありません」

お母様「私が愛しているから大丈夫よ」


この時、このような足りない者を無条件に愛してくださる
お母様の深い愛が伝わってきて、
また私と私の家庭の全てを知ってくださっているんだ
と感じて、涙があふれました。

さらに対話を続けました。

私「家庭を持ってから27年、信仰の子女を
  生かすことができず、霊的に死なせてしまいました」

お母様「私は子女を失いました」

そのみ言の中に、真の子女様を霊界に送った
とても深い痛みと、それを超えてこられた
計り知れない愛と涙が込められているのを感じ、
私はしばらく言葉を失いました。

するとお母様はこう言って、励ましてくださいました。
「全てを母に委ねて歩んでみなさい。
あなたが成すのではなく私が成すのよ。
私を信じて委ねていくのよ」


以来、祈りの中でお母様と対話しながら、
答えを頂いています。
 
きょうもお母様から、
「あなたたちには愛の種を渡したのよ。
 それを咲かせて愛を与えに行きなさい」
と言われました。

私にとって、良心の声はまさしく、
お母様のみ声そのものであると思っています。

私の心の中にいる神様 82
良心の声はお母様のみ声そのもの

(blessed lifeより)


「良心の声はお母様のみ声・・・」
なるほど、良心に語り掛けるのでなく、
良心とともにある、お母様に、
語り掛ける、ということなんですね。。。

お母様とともにある生活は、
どれほど恩恵があることでしょうか。

貴重な証し、ありがとうございます。
実践あるのみ、今日から行っていきたいと思います!


最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 


posted by ten1ko2 at 14:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月14日

「祭壇に祈れない?!」 いまどきの家庭連合信徒の祈り方 《自己牧会プログラムQ&A》



210802-2020.7.05.jpg


自己牧会プログラム事務局に寄せられた
質問に答えるコーナー。
「祭壇の前で祈るのが苦手です」

(女性 30代)

昔から祭壇の前に座ってのお祈りが苦手でした。

時には天に通じて祈れることもありますが、
ほとんどは雑念で祈れず、
定型文を読み上げているような感じでした。

ところが、自己牧会プログラムのワークを
始めてみると、驚くことに、
祭壇の前で祈っているわけではないけれども、
生活の中で天に心が通じている
感覚が持てるようになったのです。

しかしそれで満足してしまい、
祭壇の前で祈ることが以前より少なくなりました。
これはあまり良くないことですか?
アドバイスをお願いします。


家庭祭壇は、天の父母様と真の父母様の象徴ですから、
そこを中心に生活することはとても重要です。

苦手であったとしても、家庭祭壇の前で、朝と夜、
そのほか事あるごとにあいさつして過ごすことを、
これからも意識して実践していただきたいと思います。

一方で、内的な本質としては、
食口(シック/家庭連合の教会員)一人一人が
生きた祭壇であるということです。

食口の中にある良心こそ、生きた聖殿なのです。

そこに気付いて、生きた聖殿である良心に侍って生活することが、
天一国時代における信仰生活であると思います。

ですから、お便りのかたが、「生活の中で
天に心が通じている感覚が持てるようになった」
というのは素晴らしいことです。

「祈る時間がなければ、歩き回りながら祈りなさい」
(天一国経典『天聖経』1010ページ)というみ言もあります。

生活自体が祈りであることを意識して、
これからも生活の中で
神様と通じる体験を積み重ねていってください。

私の心の中にいる神様 80
「お便り&コメント」シリーズH
祭壇の前で祈るのが苦手です
(blessed lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


とても的確なアドバイスだと思います。

質問された方は、
心のワークを実践することを通して、
「生活の中で天に心が通じている
感覚が持てる」ようになった。。。

まさに、『生活信仰』
そのものではないか、と思います。

今は、徹夜精誠という最大の武器があります。
祭壇で祈れない、という方には
苦痛かもしれませんが。。。

ただ、3時間祈り続けるわけではないし、
集中して祈る時間は短いものです。

また、共鳴することに価値があるし、
心情一体化を通して、
勝利圏を相続することができると思います。

天に連結できる貴いひととき、
最大限、活用していきたいです。


最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 


posted by ten1ko2 at 07:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする