2024年07月25日

不登校、対人恐怖症の妹が変わった不思議な理由・・・ 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム
今回は、『対人恐怖症の妹に
光を送り続けました』です。

(女性 30代)

私が大学1年の時、妹(当時、中学1年)が
不登校になりました。

私は中学、高校と頑張って勉強して大学に入りました。
勉強は一生懸命するのが当然だと思っていましたから、
そんな妹を理解することができませんでした。

「学校に行かないで、社会に出たらどうなるのだろうか。
この子はこれからどうなるのか?」という
不安や恐れが次々に湧いてきたのです。

私だけでなく家族全員がそういう思いで妹に接するので、
妹はどんどん追い詰められていきました。

やがて、家族のちょっとした一言にもキレて、
部屋に閉じ込もるということを繰り返すようになったのです。

その後、何とか遠方の高校に受かったものの、
なかなか登校できず、通信教育で卒業の単位を取りました。
 
しかしその後も、自動車学校の入校式で「もう無理」とやめるなど、
挫折の多い人生が20代の後半まで続いたのです。


そういう中、私は自己牧会プログラムに出合いました。

同プログラムには「固定観念に気付く」ワークがあります。

私の妹に対する固定観念は何かなと考えたら、
「ちゃんと社会に出て普通の生活をしないと、妹も苦しいし、
親も苦しい」という気持ちだということに気付きました。

そこで、その固定観念を手放して、まずは、
ありのままの妹を受け入れるよう努力したのです。
そして、妹の気持ちに寄り添い、
妹の幸せを祈りながら、光を送り続けました。

すると不思議なことに、妹のほうから
「私、こうだったんだよね」と、
過去のいろいろな気持ちを話してくるようになりました。

妹が変わったというよりも、
私が固定観念を手放すことで、
それまで見えなかった妹の本性が
見えるようになったのだと思います。

こうして、家族の接し方が変わったことで、
妹は少しずつですが元気を取り戻していきました。


その後、妹は「ビーズ刺繍」に出合い、
急スピードで上達していきました。
才能が一気に開花したのです。

今では自ら店に出掛けていって、
「これを置かせてください」と、
委託販売の交渉をするまでになりました。

最近は、その道の有名なかたと一緒に
カフェで展示会を開く話まで出ています。

対人恐怖症だったのがうそのように、
好きなことを通してどんどん輝きを増していく妹に、
周りが驚いています。

私の心の中にいる神様 59
対人恐怖症の妹に光を送り続けました


とても素晴らしい証しですね。

私自身も含めて、
問題のない個人、家庭など、
存在しないのだと思います。

「〇〇でなければならない」
という固定観念に縛られていることも、
一つの要因かもしれません。

詳細は控えますが、私も子供に対して、
同じような思いがありました。

まず、ありのままを受け入れ、
気持ちに寄り添い、幸せを祈り続ける。。。

誰にでも創造本性があることを信じて、
見つめなおしていこうと思います。
私も、光を送り続けます。


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2024年07月12日

「パパ、グッジョブ!」 良心の声をきき、妻に「ありがとう」と言ってみたら・・・ 《自己牧会プログラム》



210305.jpg
〈天正宮から見える景色〉


自己牧会プログラムの証し。
今回は、「パパ、グッジョブ!」です。

(男性 50代)

ある朝の出勤前のことです。
妻がるんるん気分で鼻歌を歌いながら掃除を始めました。

これは以前なら、わが家においてはまずいケースでした。
というのも、掃除が進むにつれて妻は、
それまでの機嫌の良さはどこへやら。

「どうして、ここにこれが置きっぱなしなの!」
「片付けておいてと言ったのに!」
とヒステリックに周辺を責め出すのが、
お決まりのパターンだったからです。

言い返せばさらに言い返されるので、そういうときには
家族全員、黙ってやり過ごすのが習慣になっていました。


でも「自己牧会プログラム」を知ってからは、
私の対し方が変わってきました。

「心の目で見る」ワークをしながら、
「真の愛を中心として、妻の本当の姿を
正しく見させてください」と祈るようになったのです。

そして、その日の朝はこんな良心の声を感じました。
「妻は本当に責任感が強いんだな、ありがたいな」

私は妻に感謝の思いを伝えたくなり、
「いつもありがとう」と素直に言うことができました。
そんな自分がうれしかったです。

すると妻がニコーっと笑ったのです。
娘(小学生)もうれしそうに私を見ていました。
「パパ、グッジョブ!」とでも言っているようでした。

こんなふうに心が転換されてくると、
駅までのいつもの道のりも輝いて見えます。
自然万物の中で生かされている自分というものを新鮮に感じました。

いつもは早く通り過ぎたい駅の人混みも、
その一人一人が慕わしく感じられました。
何だかいいことが起こりそうな一日となりました。



私の心の中にいる神様
「パパ、グッジョブ!」
(blessed lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


「相手の心を変えることはできない
しかし、自分の心は変えることができる」

同じ事象を見た場合でも、
どのように捉えることができるかが
とても重要だと思います。

私の見方が変わると、
相手も変わりますし、
夫婦が笑顔なら、家庭にも波及するでしょう。

妻に対する詳細なコメントは、ここでは控えますが(笑)
私も同じような経験があります。

ブログを二人で継続して書いていること、
また、最近では、夜の徹夜精誠を
ともに参加しております。
それで心情が近くなったようです。

そうはいっても、感情の起伏も
山あり谷ありです。

何をするかよりも、
何を動機とするかが重要なので、
さらに良心を求めて行くことで、
心が解放されたり、充電されたりしていくのだと感じています。

今後もさらに良心を先立てる生活を心がけ、
「グッジョブ!」と言われるような歩みを
成していきたいと思っています。


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2024年07月02日

うつ病だった私が幸せになるまで 7年目で祝福、3年目で妊娠 《自己牧会プログラム》



240116.JPG


自己牧会プログラムの証し。
今回は、「うつ病だった私が
幸せになれた理由」です。


自己牧会プログラムを実践し始めて4年目になります。

私は過去にうつ病になった経験があります。

学生の頃に伝道され、特に思い悩むことはなかったのですが、
28歳頃から、起きづらい、体がつらいと感じるようになってきました。
会社も休みがちになり、その後、診療内科でうつ病と診断されました。

それから1年、ほとんど実家で寝込んでいました。

み旨を歩めない、働き盛りなのに両親に申し訳ない、
結婚も無理かもしれないと感じ、非常につらかったです。
不安で苦しく、消えてなくなりたい気持ちでいっぱいでした。

その間、心療内科で処方された薬も服用しながら、
静養していました。


心配した父がある宗教に相談に行ったところ、
「3年で良くなります」と言われたそうです。

私はその話を聞き、「そうか、3年で良くなるのか」
と半信半疑ながらも希望を持つことができました。

その3年間、信仰の親が私の不安な思いをよく聞いてくれました。
「無理せずに、できることからでいいんだよ」と、
いつも寄り添って受け止めてくれていました。
それが何より支えでした。

家族も同様に接してくれました。
私の実家は飲食店をやっていたので、
体調が良い時は少しずつ手伝うようにしました。

その後、外にアルバイトに行けるようになり、
地元の教会に通えるようになりました。

それもこれも、信仰の親や両親が、
焦らず温かく見守ってくれたおかげです。
結局は、これが回復への一番の近道だったのだと思います。


そして、35歳で祝福を受けることができたのです。
うつ病になってから7年目でした。
振り返ると何か蕩減のような意味があったのだと思いました。

心情の上り下がりが激しい私ですが、自己牧会プログラムに
出会ってからは、その教えに従って生きることで、
とても平安に、地上天国を感じながら生活できるようになりました。

家庭を出発してからも、なかなか子供ができず、
落ち込むこともありましたが、「神様の願いだから
必ず成される」と自分に言い聞かせてきました。

夫と見詰め合って妊娠を喜ぶ瞬間をイメージしたり、
おなかの赤ちゃんが大きくなっていくのは
どんな感じがするだろうとイメージしたり……、
とにかく良いことを、たくさんたくさんイメージしました。

すると、「きっと成される」と安心感が出てきて、
「子供ができたら忙しくなるから、
今は夫婦ふたりの時間を楽しもう」という思いで、
平安に過ごすことができました。

またその間、信仰の親や姉妹が
基台を組んで条件を立ててくれました。

そうしているうちに、ついに身ごもることができたのです。
家庭を持ってから2年と7カ月目でした。

今妊娠7カ月で、赤ちゃんに会うのを楽しみに過ごしています。
神氏族メシヤ活動もこれからで、難しいことも多いですが、
それに囚(とら)われるのではなく、
「必ず成される」と信じて取り組みたいと思います。

(女性 30代)

私の心の中にいる神様 56
うつ病だった私が幸せになれた理由
再編集 文責:ten1ko2


本当に良かったですね。。。
周りの人たちの支え、
人が大変な時には、寄り添ってあげる、
そのことがとても大事だと感じました。

そして、だんだん回復していく中で、
自己牧会プログラムとの出会いで、
さらに覚醒され、祝福、そして
幸せな結婚生活となったのだと思います。

数年前の証しですので、もう立派な
お母さんになっているでしょうか。

私がいつどんな状況にあっても、
神様は、人を通し、私の心を通して、
私を善なる方向に導いてくださっている、
そのことを確信して歩んでいきたい、と思うのです。


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