浅川先生の
「平和の母」が流した七つの涙 の最終回。
第七の涙:神への涙 です。
☆
戦争、飢餓、貧困に苦しむ人類のために涙し、
国境と民族を超えて世界平和のためにまい進した
女性指導者たちがいました。
しかし人類のために涙しても、
神のために涙する女性はいませんでした。
人類の苦痛を見つめて、顔が腫れ、
涙が枯れるほど泣き続けた
悲しい父母である神を慰める女性はいませんでした。
それは、人の悲哀を感じることはあっても、
神の悲哀を感得する本性的感性がなかったからです。
神が人を通して誕生させた独り娘ではなかったからです。
韓鶴子夫人は生まれながら神の心情を感得できた、
神の独り娘でした。
「私も子供の頃から、神様といつでも
会話を交わすことができました。
困難にぶつかったり、決断を迫られたりするたびに、
神様は私を導いてくださったのです」
(韓鶴子総裁自叙伝
『人類の涙をぬぐう平和の母』112ページ)
『人類の涙をぬぐう平和の母』112ページ)
☆
神は宇宙を創造した後、エバと名付けた独りの娘を生みました。
神が父母として初めて抱いた女の子だったのです。
娘は神の愛を受けて成長し、やがて聖婚し、
聖なる子供を出産して人類の真の母となるはずでした。
しかしエバは堕落して、神に悲痛をもたらす女となってしまったのです。
原罪を宿す堕落人間を生み、人類罪悪史をつくり出していったのです。
それ以来、神は痛ましい心を慰める本然の独り娘に出会えませんでした。
神の心には、純粋だった16歳までのエバの姿だけが
むなしく残存しているだけでした。
韓鶴子夫人の誕生と成長は、神に比類のない希望を抱かせ、
神の独り子・文鮮明先生との聖婚は歓喜をもたらしました。
☆
韓鶴子夫人は聖婚に際して決意されています。
「私は文総裁を独り子として迎え、
神様のみ旨を成し遂げてさしあげると決心しました。
それは神様が私に下さった、天の新婦、
宇宙の母としての使命でした」
(同114ページ)
韓鶴子夫人は見事に、エバによって傷つけられた数千年の傷痕を
神の心の底から払拭したのです。
ついに神が生きた母として人類を主導できる道が開かれたのです。
人類の涙を拭う「平和の母」は、
神の涙を拭う「独り娘」だったのです。
韓鶴子夫人は、孝女として神の恨(ハン/恨み)を溶かすために、
生涯をささげておられます。
「神様に対する孝情(ヒョヂョン)の精神で、
東から西、南から北へと飛び回りながら、
私は休むことなくみ言(ことば)を伝えました。
口の中がただれ、足がむくみ、時には
立っていることすらできないこともありましたが、
『必ず私が成し遂げる』という約束を守るため、
地球の至る所を訪ねて回りました。
神様の願いと理想を成し遂げるため、
一度としてまともに休むこともできないまま、
ひたすら歩いた涙の路程でした」
(同353〜354ページ)
「平和の母」が流した七つの涙 7(最終回)
【第七の涙】神への涙
浅川 勇男
「平和の母」が流した七つの涙 7(最終回)
【第七の涙】神への涙
浅川 勇男
☆
最近の真のお母様は、「神様」「天の父母様」
とみ言を語られる際には、いつも涙ぐまれます。
お母様には大変失礼かも知れませんが、
昔はそういうことがあまりなかった気がします。
もちろん、お父様が地上におられたときには、
いつもお父様がみ言を語られていましたし、
お母様が前面に出られることも少なかった、
そういうこともありました。
お父様が聖和され、お母様がすべての責任を負われる立場になり、
困難なことがあまりも多くありました。
神様御自身と同じような立場を通過されて、
さらに神様の心情が近くなられた。。。
そんな思いがしてなりません。
改めて感じることではありますが、
私たちは、孝情の心情で歩むのみ、だと思うのです。
浅川先生、七つの涙を解説してくださり、
本当にありがとうございました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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