浅川先生の「『平和の母』が流した七つの涙」
今回は、『【第四の涙】祖国に流した涙』です。
☆
誰もが自分が生まれた故郷を慕っています。
山や川、春夏秋冬に彩る花や木々の色鮮やかさ…。
韓鶴子夫人の故郷は、朝鮮半島北部の安州です。
「私の故郷、平安南道安州の美しい風景や、
自然が奏でる音色は、七十年以上経(た)っても、
私の心の中にそのまま残っています。
必ずまた訪ねたい、慕わしい故郷です。
私がいつかは帰るべき、本郷の地です」
(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』46ページ)
☆
韓鶴子夫人が誕生した時、朝鮮半島は日本の統治下にありました。
1945年8月15日、朝鮮半島は解放されますが、
北部にソ連と中国と連携した共産主義勢力が浸透して
北朝鮮国家を、南には自由主義国家が建国され、
北と南に分断されてしまいます。
熱心なキリスト信者だった韓鶴子夫人の祖母と母は、
弾圧を受けて一時牢獄に入れられますが、
解放されて南に向かいます。
幾多の困難と奇跡的な神様の守護によって脱出できました。
1950年6月25日、軍備を整えた北朝鮮軍は
一挙に38度線を越えて南に侵攻します。
大混乱の中、九死に一生を得て、家族は命を守られました。
この時、韓鶴子夫人は数えで8歳。
戦時下の悲惨な光景を目撃したのです。
「私は幼い年でしたが、戦争の残酷さを直接目撃し、
悲惨な避難民の生活を経験しました。
純朴な人々がまるで虫けらのように死んでいき、
親を失った子供たちが泣き叫びながら
街頭をさまよっていました。
私は数えで八歳にして、
戦争は地上から永遠に消え去らなければならない
という思いを強く持ちました」
(同85ページ)
☆
韓鶴子夫人にとって、世界平和と祖国統一は
単なるスローガンではありません。
幼い頃に目にした悲惨な光景が
揺るぎない決意と信念を醸成しているのです。
故郷は北朝鮮共産国家の支配下にあり、
祖国は分断国家となっています。
東西ドイツが統一されて自由主義国家になった今でも、
分断されています。
朝鮮半島は、世界平和のために重要な役割をもっています。
東洋と西洋の文明が出合い、
大陸文明と海洋文明が出合う場所です。
これまで栄えてきた大西洋文明が過ぎて、
新しく環太平洋文明が開き、
その中心はアジアであり、朝鮮半島なのです。
各国の利害関係が衝突する朝鮮半島が、
世界平和の重大な役割を担わなければならない時が来ています。
韓鶴子夫人の祖国朝鮮半島は、国を奪われ、
分断された悲しみの中にありますが、
祖国に流す涙は、統一のための悲願だけではなく、
世界平和のためでもあるのです。
「文鮮明総裁と私は、
神様の祖国光復のために
一片丹心の生涯を生きてきました。
決して振り返ることなく、
ひたすら前だけを見つめて歩んできたのです」
(同402ページ)。
「平和の母」が流した七つの涙 4
【第四の涙】祖国に流した涙
浅川 勇男
【第四の涙】祖国に流した涙
浅川 勇男
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今、天正宮博物館において、
特別祈祷室を作られ、そこに韓国の地図と
世界地図を貼られて、お母様は
毎日祈りを捧げておられるそうです。
韓半島を一つにするための涙の祈りは、
ただ、自国のためだけに祈るのではなく、
世界平和、天一国実現のための、
涙の祈りであると思います。
それが、親なる天の父母様の
切なる願いであることを、
心に刻んでおられるので、
神様の解放のために、
心血を注いで歩まれるお母様であると思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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