2020年09月19日

永遠に戦争がこの世からなくなるべき。。。! 平和の母、幼き日の涙 《浅川先生》



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浅川先生の「『平和の母』が流した七つの涙」
今回は、『【第四の涙】祖国に流した涙』です。


誰もが自分が生まれた故郷を慕っています。
山や川、春夏秋冬に彩る花や木々の色鮮やかさ…。

韓鶴子夫人の故郷は、朝鮮半島北部の安州です。

「私の故郷、平安南道安州の美しい風景や、
 自然が奏でる音色は、七十年以上経(た)っても、
 私の心の中にそのまま残っています。

 必ずまた訪ねたい、慕わしい故郷です。
 私がいつかは帰るべき、本郷の地です」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』46ページ)

韓鶴子夫人が誕生した時、朝鮮半島は日本の統治下にありました。
1945年8月15日、朝鮮半島は解放されますが、
北部にソ連と中国と連携した共産主義勢力が浸透して
北朝鮮国家を、南には自由主義国家が建国され、
北と南に分断されてしまいます。

熱心なキリスト信者だった韓鶴子夫人の祖母と母は、
弾圧を受けて一時牢獄に入れられますが、
解放されて南に向かいます。
幾多の困難と奇跡的な神様の守護によって脱出できました。

1950年6月25日、軍備を整えた北朝鮮軍は
一挙に38度線を越えて南に侵攻します。
大混乱の中、九死に一生を得て、家族は命を守られました。

この時、韓鶴子夫人は数えで8歳。
戦時下の悲惨な光景を目撃したのです。


「私は幼い年でしたが、戦争の残酷さを直接目撃し、
 悲惨な避難民の生活を経験しました。

 純朴な人々がまるで虫けらのように死んでいき、
 親を失った子供たちが泣き叫びながら
 街頭をさまよっていました。

 私は数えで八歳にして、
 戦争は地上から永遠に消え去らなければならない
 という思いを強く持ちました」


(同85ページ)

韓鶴子夫人にとって、世界平和と祖国統一は
単なるスローガンではありません。
幼い頃に目にした悲惨な光景が
揺るぎない決意と信念を醸成しているのです。

故郷は北朝鮮共産国家の支配下にあり、
祖国は分断国家となっています。
東西ドイツが統一されて自由主義国家になった今でも、
分断されています。

朝鮮半島は、世界平和のために重要な役割をもっています。
東洋と西洋の文明が出合い、
大陸文明と海洋文明が出合う場所です。

これまで栄えてきた大西洋文明が過ぎて、
新しく環太平洋文明が開き、
その中心はアジアであり、朝鮮半島なのです。

各国の利害関係が衝突する朝鮮半島が、
世界平和の重大な役割を担わなければならない時が来ています。

韓鶴子夫人の祖国朝鮮半島は、国を奪われ、
分断された悲しみの中にありますが、
祖国に流す涙は、統一のための悲願だけではなく、
世界平和のためでもあるのです。


「文鮮明総裁と私は、
 神様の祖国光復のために
 一片丹心の生涯を生きてきました。
 決して振り返ることなく、
 ひたすら前だけを見つめて歩んできたのです」


(同402ページ)。


「平和の母」が流した七つの涙 4
【第四の涙】祖国に流した涙
浅川 勇男


今、天正宮博物館において、
特別祈祷室を作られ、そこに韓国の地図と
世界地図を貼られて、お母様は
毎日祈りを捧げておられるそうです。

韓半島を一つにするための涙の祈りは、
ただ、自国のためだけに祈るのではなく、
世界平和、天一国実現のための、
涙の祈りであると思います。

それが、親なる天の父母様の
切なる願いであることを、
心に刻んでおられるので、
神様の解放のために、
心血を注いで歩まれるお母様であると思うのです。







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2020年09月12日

この人の神様になってあげなさい 妻・夫がくじけそうな時に 《平和の母に学ぶ・浅川先生》



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浅川先生の『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ
今回は、「愛を生活の中心に据える」です。


物まね芸人のコロッケさんが真面目に歌う歌があります。
「人間って何だろう?」(作詞:岡田冨美子、作曲:杉本眞人)です。

歌詞がいいのです。

「人間はなぜ生まれるの 
 なんで生きているの 
 どうして愛するの」

「神様が決めたこの人と 
 おまえは結ばれる 
 神様が決めたこの人が 
 おまえの神様になる」

「神様が決めたこの人が 
 負けそうになった時 
 神様が決めたこの人の 
 おまえは神様になれ」


結婚して夫婦となったら、
伴侶は「神様となる」というのです。
 
年末年始になると神社に参拝に行きますが、
家の中に夫と妻という名の神様がいるというのです。

そうすると、家庭は夫婦神様が住みたもう
家庭神社ということになります。
家の玄関におさい銭箱を置いてもいいくらいです。

夫にとって妻は女神様です。だから妻におさい銭をあげて、
願い事をしなければなりません。
時には、手を水で清めてから妻に触れなければなりません。

妻を神様のように貴く接するのです。
妻神様に喜んでもらえば、福運が家庭に到来します。

もし妻神様が子育てで疲れ果て、
家事の忙しさで「負けそうになった時」、
夫は妻の神様になればいいのです。


神様は親です。
親とは父母です。

だから夫は、妻の父のように真理を教え、
人生の正しい生き方を諭すのです。

冒頭の歌詞にある
「人間はなぜ生まれるの 
 なんで生きているの 
 どうして愛するの」という、
それらの疑問を全て教え諭すのです。

また神様は母でもあります。
それゆえ夫は、妻の母となって
無条件にひたすら妻を愛すればいいのです。

母親は赤ちゃんに無私、無償、無条件にお乳を与えます。
妻がくじけそうになった時、夫は妻の母神様になるのです。
母なる神様になって、お乳を与えるごとく、
無私、無償、無条件で妻を愛するのです。

夫婦が互いに神様のように貴く接し、
神様となって愛し合ったら、
家庭はまさしく神様が住む家庭神社となるのです。

 
「平和の母」韓鶴子夫人は、
天の父母様の天母の愛を人類に注ぐかたです。

つらすぎた歴史を持つアフリカの黒人指導者たちが、
無条件に「平和の母」を歓喜して迎える理由はそこにあります。
無私の母の愛を感じ取ったのです。

平和の母は語られています。


「私はいつも、愛を生活の中心に据えました。

 …赤ん坊が泣けば、母親は
 どんなに疲れていても無条件にお乳を与えますが、
 そんな無私の愛こそ、最も偉大な愛です。

 …子女や家族のため、妻や夫のため、
 全人類のため、全世界のために生きている、
 という思いを持ってこそ、
 自分自身が幸福になれるのです」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』316ページ)


浅川 勇男
『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ 12
「愛を生活の中心に据える」
Blessed Lifeより


コロッケって、意外にいい歌を歌いますよね。
「人間って何だろう?」という歌もあるんですね。

いつも一緒にいる人が「神様」
真のお父様は、素晴らしい真理を解き明かしてくださいました。
そして、それを完成させたのは、
真のお母様ゆえでしょう。

私たちも、夫婦を「神様」だと常に思えればいいのですが、
そう思えない時もあったりして。。。

ブログは夫婦で作っているので、
この文章は妻に見られていますが、
やはり、神様、だと思えないのは、
自分自身の傲慢さのゆえであると思い、
謙虚に悔い改めないといけないですね。

真の愛を実践し、勝利し、それを
私たちに示してくださる父母様に
心から感謝して、
「夫婦一体」を目指していきたいです。








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2020年09月01日

最愛の真のお父様との「愛別離苦」 《「平和の母」が流した七つの涙・浅川先生》



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浅川先生の「平和の母」が流した七つの涙
今回は、「【第二の涙】最愛の夫、文鮮明先生に流した涙」です。
 

「私は…世の中のどの妻よりも、
大きな愛を夫から受けながら越えてきた」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』128ページ)

 
文鮮明先生より愛を受けた韓鶴子夫人は、
妻として大きな愛で夫を愛していました。

夫妻は「目を見るだけでもお互いを理解できる」(同128ページ)
ほど愛し合っていたのです。

しかし夫婦が引き裂かれる時が来ました。
1970年代、文鮮明先生夫妻はアメリカの復興に
全身全霊を投入されましたが、反対勢力の策謀によって、
文先生がダンベリー刑務所に収監されてしまったのです(1984年7月20日)

「一九八四年七月二十日は、私の人生の中から
 永遠に消してしまいたい一日でした」


(同170ページ)


「愛別離苦」という言葉があります。
紙の表裏のように一体となって愛し合いながら
離れて別れなければならない苦しみです。

毎日早朝5時の祈祷の後、夫は
刑務所から妻に電話し、あいさつを交わします。

妻は毎日、夫との面会に行きました。
夫は車から見える丘まで来て待っていました。

ある時、妻が面会室で待っていると、
床掃除や食堂の皿洗いを終わらせて
とても疲れ切った様子の夫が入ってきました。
その姿を見た妻は、心に涙が込み上げてきます。
それをこらえて明るい笑顔で語り掛けました。

「帰る時は涙がこぼれそうで、
 真っすぐに夫を見つめることができず、
 ただ手を振ることしかできませんでした」


(同175ページ)

ダンベリーから解放されて以降、
文鮮明先生夫妻は世界平和運動に邁進します。

ゴルバチョフ大統領と会談し、
ソ連の共産主義からの解放の道をつくり、
金日成主席と会談して南北統一の道を開門しました。
 
文鮮明先生は、90歳を過ぎても、体力の限界を超えて世界を回りましたが、
風邪をこじらせて一時入院したものの、すぐに退院されました。
2012年8月12日。

夫は妻に語り掛けます。

『きょうは、二人で向かい合って食事をしたいね』
(同27ページ)

しかし夫はスプーンを手に取らずに、
じっと妻の顔を見つめていました。

「おそらく、心の中に妻の顔を刻んでいたのでしょう」
(同28ページ)

 
翌日、清平の施設を巡回された文鮮明先生は、
この世で最期の時を迎えることになっていきます。
最後の祈祷をした後、

「少しの間、苦しそうに呼吸をした文総裁は、
 私の手をぎゅっと握りました。

『ありがとう! 頼んだよ!』息苦しそうにしながらも、
『本当にすまない。本当にありがとう』
 と立て続けに話す文総裁。

 私はその手をさらに固く握りしめ、
 慰労の言葉と眼差しで、
 安心してもらえるよう努めました。
『何も心配しないでください』。

 二〇一二年九月三日、文鮮明総裁は
 数えで九十三歳を一期として、
 神様の懐に抱かれました」


(同28〜29ページ)


「平和の母」が流した七つの涙 2
【第二の涙】最愛の夫、文鮮明先生に流した涙
浅川 勇男
(自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による
「平和の母」シリーズ第3弾。
Blessed Lifeより)


ダンベリーでお父様とお会いされた時、
出迎えと別れの時は、
涙しかなかったでしょう。。。

無実の立場でありながら、
獄中で僕の僕のような生活をされ、
ともに生活する囚人たちに、
真の愛をもって歩まれた真のお父様。

また、基元節を目前に控えながらも、
ご自身を供え物にされるかの如く、
地上の生涯を終えられた真のお父様。。。

お母様にとっては、とても言葉には
表せない思いがあったことでしょう。

だからこそ、「私の代でみ旨を終わらせる」
という悲壮なる決意に結びついておられるのだと思います。

お父様の「天宙聖和 8 周年記念式」が
いよいよ9月4日に迫ってきました。
心情を備えて、当日を迎えていきたいと思います。






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