浅川先生の「『平和の母』13の道しるべ」
今回は、『孝情の光が世界を照らす』です。
☆
子女が父母のために生きることを「孝」といいます。
自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』を書かれた韓鶴子夫人は、
「孝は、人間にとって何よりも重要な
実践徳目であり、
人生における永遠の柱です」
(韓鶴子総裁自叙伝
『人類の涙をぬぐう平和の母』308ページ)
『人類の涙をぬぐう平和の母』308ページ)
「父母のために自分は何をするか悩み抜き、
その道を勇敢に進んでいく人が孝子です」
(同307ページ)
と言われています。
☆
孝で生きた娘の物語があります。
韓国の古典文学の代表作、「沈清(シムチョン)伝」です。
沈清の母は沈清を生んで7日後にこの世を去ります。
盲目の父は毎日、近所の母たちにお乳を頼みました。
成長した沈清は、針仕事や家事をして父の世話をしました。
父のために生きる孝行だけが生きがいでした。
ある日、父はお坊さんから
「仏様に米三百石を供えれば、目が見えるようになる」
と言われ、喜んで約束をしてしまいます。
しかし米を買うお金はありません。
父の悩みを知った沈清は、米三百石を得ようとします。
そんなある日、船乗りが難所を越えるために、
いけにえの娘を探しているのを知ったのです。
「海を支配している竜王が、いけにえとなる娘を欲している。
身をささげる娘がいれば、何でも望みをかなえてあげる」
沈清は「お米三百石で、私を連れて行ってください」
と頼みました。
沈清は「父の目を見えるようにしてください」
と叫んで、海に飛び込みました。
竜王は沈清の孝行に感動して、
ハスの花に入れて海に浮かべました。
ハスの花を見つけた漁師たちは、それを王様にささげます。
王様が手を触れた瞬間、花が開いて沈清が現れたのです。
王は感動し、沈清と結婚します。
しかし沈清は、毎日父を思って泣いています。
王は父を探すために、国中から盲人を招き宴を開きました。
ついに父が現れました。
そして沈清と再会した瞬間、父の目が開いたのです。
そればかりか、集まった盲人たち全ての目が開いたのです。
沈清は「王妃」であり、国民の母だったからです。
沈清は、盲目で悩む人々と家族の苦しみを
国母として救ったのです。
人類の涙をぬぐう「平和の母」韓鶴子夫人は、
世界平和のために誕生され、人類の真の母となられました。
☆
韓鶴子夫人にとって親は、天の父母様、神様です。
子女である人類が戦争、貧困、飢餓で苦しむ姿をご覧になる
神様の顔は悲しみと苦悩の涙で溢れています。
その神様の涙を拭おうとされる韓夫人は、
孝情に生きる現代の沈清です。
全人類は、真理と真の愛に盲目であり、
世界平和の道が見えません。
その目を開かせ、平和の道を開く、孝情の光なのです。
「孝情の光は、韓国から出発して
アジアを越え世界を照らす光として
輝いています」
(同308ページ)
『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ 11
孝情の光が世界を照らす
浅川 勇男
(「平和の母」シリーズ第2弾。
自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による
「『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ」をお届けします。
Blessed Lifeより)
孝情の光が世界を照らす
浅川 勇男
(「平和の母」シリーズ第2弾。
自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による
「『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ」をお届けします。
Blessed Lifeより)
☆
韓国には「親孝行」を題材にした昔話が数多くありますが、
なかでも「沈清伝」は一番有名な昔話ではないでしょうか。
私は、ユニバーサルバレエの「沈清」で
知ったのですが、始めてみた時、
本当に感動したことを覚えています。
さて、日本の昔話に、親孝行を題材にしたものがあるだろうか、
そう考えた時、すぐに浮かんでこないんですね。
親孝行の心情が根付いている国、韓国。
その国に現れた真のお母様を
「現代の沈清」として証ししている
浅川先生はさすがだなぁ、
と思いつつ読ませていただきました。
孝女の中の孝女として伝わっている
沈清が、最後お父さんに再会する時
あまりに喜んで、その喜びの中で、
お父さんの目が見えるようになり、
それだけでなく、その場に集まっていた盲人たち
すべての目がみな、開き見えるようになりました。
めでたしめでたしということですが、
私はこれまで単に、沈清が親孝行だから
その気持ちが天に通じたのだろうと考えていました。
何で他の盲人たちまで奇跡を受けたのか
不思議だったのですが、
今回浅川先生がさらっと種明かしをしていました。
韓国では、王妃のことを「国母」といいます。
(日本では、王の母を言うと思うのですが。)
「国母」だから、盲人たちを救うことができたのだと。
平和の母、真のお母様は、
だから世界中の人々を
真理の光で霊的に開眼させる
世界の母、天宙の母に違いありません。
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あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
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無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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