金元弼(ウォンピル)先生の平壌開拓時代のお話の途中ですが、
今日は、信仰講座的な内容になります。
「自分のこととして話を聞く」
霊能者の話の続きです。
☆
霊能者に啓示があった時には、自分にはなかったとしても、
そういう人たちの啓示を自分に与えられたものとして
受け入れてくださるようにお願いいたします。
それが知恵のある人なのです。
皆さんは、いろんな先輩たちや
諸先生方の証を聞いていると思います。
その人たちが、二時間にわたって証をしているとすれば、
今まで三十年、四十年、五十年の生涯をかけて積み上げてきたものを、
たった二時間でお話ししているのです。
それを聞くことによって、その人を通じて
神がどのように苦労なさったのか、
どのように導いてくださったのかという、
その神を私の神として受け入れることは、
非常に大事なことと思います。
その人の幼い時から今までの話を聞きますと、
自分がその人と共に生まれて、一緒に育ってきたように、
そういう親近感を感じるようになるのです。
☆
ここに一人の人がいるとしましょう。
今までは何も分からなかったので、
この人は普通の人だと思っていたのに、話を聞いてみれば、
お父さんが王様であるということが分かったとしましょう。
そうしたらそれから後は、この人に対する態度が
どんなにか変わっていくことでしょう。
キッチンで働いている人がいるとしましょう。
この人は、かつて死にかかっている人を救うために、
自分のすべてを投入して助けたという
経験をもっている人だとしましょう。
そうしたら、皆さんはどんなふうに考えるようになりますか。
それと同じように、人を知るということは大事なのです。
そうすれば兄弟を大事にするという考えが出てくるのです。
最も大事なものは、心の中にすべてあるのです。
目に見えるものだけを見て知ろうとするだけでは、
その人の価値がよく分かりません。
秘められているものを知ることによって、
初めてその人の価値をはっきりと知るようになるのです。
ですから、いろいろと聞くお話は、その人のこととしてではなく、
自分のこととして受け取るようにしてほしいのです。
そういう人は、啓示を受ける人よりも、
もっと大事なことをすることができるのです。
☆
イエス様が亡くなって、復活してお弟子様たちに現れた時に、
イエス様は生きていないと考える人と
生きているという人がいました。
疑った人の代表はトマスでした。
それでイエス様が「それでは、
私の傷あとに手を当ててごらんなさい」と言われたのです。
このようにしてみますと、直接啓示を受ける人は、
実際に見て信じる者と同じです。
人の話を聞いて信じる人は、見ないで信じる人と同じなのです。
啓示を受けて信じた人と啓示を受けないで
他人の話を自分に告げられたものとして聞いた人と、
神はどちらを最も信仰ある者と見るでしょうか。
分かりますね。
I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「自分のこととして話を聞く」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第一章 平壌開拓の日々
「自分のこととして話を聞く」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
再編集 文責:ten1ko2
人の話を自分のこととして、
受け取ることができる人は、
「啓示を受ける人よりも、
もっと大事なことをすることができる」
このみ言はとても重要だと思います。
一人一人は個性真理体です。
無限分の一の個性を
神様から与えられているわけです。
その人が通過した心情は、
神様もともに通過してこられたのです。
以前、ある婦人が、その当時の教会長との面談で、
「3時間しか話せなかった・・
もうちょっと話したかったのに」
と言っていたそうです。
3時間も話した、と誰もが思いますよね。
3時間、話を聞いていた教会長は、
本当に素晴らしいと思いました。
「人の話を自分のこととして聞く」
そのことにより、多くの恩恵が与えられます。
心して、実践していきたいと思いました。
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