2024年10月04日

人が受けた啓示を、自分のものにインプット 恩恵を受ける聞き方 《金元弼先生のベストアンサー》



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金元弼(ウォンピル)先生の平壌開拓時代のお話の途中ですが、
今日は、信仰講座的な内容になります。

「自分のこととして話を聞く」
霊能者の話の続きです。


霊能者に啓示があった時には、自分にはなかったとしても、
そういう人たちの啓示を自分に与えられたものとして
受け入れてくださるようにお願いいたします。
それが知恵のある人なのです。

皆さんは、いろんな先輩たちや
諸先生方の証を聞いていると思います。

その人たちが、二時間にわたって証をしているとすれば、
今まで三十年、四十年、五十年の生涯をかけて積み上げてきたものを、
たった二時間でお話ししているのです。

それを聞くことによって、その人を通じて
神がどのように苦労なさったのか、
どのように導いてくださったのかという、
その神を私の神として受け入れることは、
非常に大事なことと思います。

その人の幼い時から今までの話を聞きますと、
自分がその人と共に生まれて、一緒に育ってきたように、
そういう親近感を感じるようになるのです。


ここに一人の人がいるとしましょう。
今までは何も分からなかったので、
この人は普通の人だと思っていたのに、話を聞いてみれば、
お父さんが王様であるということが分かったとしましょう。

そうしたらそれから後は、この人に対する態度が
どんなにか変わっていくことでしょう。

キッチンで働いている人がいるとしましょう。
この人は、かつて死にかかっている人を救うために、
自分のすべてを投入して助けたという
経験をもっている人だとしましょう。

そうしたら、皆さんはどんなふうに考えるようになりますか。

それと同じように、人を知るということは大事なのです。
そうすれば兄弟を大事にするという考えが出てくるのです。

最も大事なものは、心の中にすべてあるのです。
目に見えるものだけを見て知ろうとするだけでは、
その人の価値がよく分かりません。

秘められているものを知ることによって、
初めてその人の価値をはっきりと知るようになるのです。

ですから、いろいろと聞くお話は、その人のこととしてではなく、
自分のこととして受け取るようにしてほしいのです。
そういう人は、啓示を受ける人よりも、
もっと大事なことをすることができるのです。

 
イエス様が亡くなって、復活してお弟子様たちに現れた時に、
イエス様は生きていないと考える人と
生きているという人がいました。

疑った人の代表はトマスでした。
それでイエス様が「それでは、
私の傷あとに手を当ててごらんなさい」と言われたのです。

このようにしてみますと、直接啓示を受ける人は、
実際に見て信じる者と同じです。
人の話を聞いて信じる人は、見ないで信じる人と同じなのです。

啓示を受けて信じた人と啓示を受けないで
他人の話を自分に告げられたものとして聞いた人と、
神はどちらを最も信仰ある者と見るでしょうか。
分かりますね。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「自分のこととして話を聞く」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


人の話を自分のこととして、
受け取ることができる人は、
「啓示を受ける人よりも、
もっと大事なことをすることができる」

このみ言はとても重要だと思います。

一人一人は個性真理体です。
無限分の一の個性を
神様から与えられているわけです。

その人が通過した心情は、
神様もともに通過してこられたのです。

以前、ある婦人が、その当時の教会長との面談で、
「3時間しか話せなかった・・
もうちょっと話したかったのに」
と言っていたそうです。

3時間も話した、と誰もが思いますよね。
3時間、話を聞いていた教会長は、
本当に素晴らしいと思いました。

「人の話を自分のこととして聞く」
そのことにより、多くの恩恵が与えられます。
心して、実践していきたいと思いました。


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2024年09月20日

再臨主を受け入れない人が、運勢を失う理由とは? 《金元弼先生のベストアンサー》 



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ダビデを殺そうとするサウル☆


金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「よく話を聞かれる先生」です。


私は先生にお会いして以来、
たくさんの霊能者たちがつまずくのを見ました。

いろいろな所から霊能者が来たり、あるいは霊能者でなくても、
新しい人たちが人って来ますと、
先生は丁寧に迎え入れてもてなします。

そしてその人の話を全部聞いてあげるのです。
夜遅くなってもかまいません。
全部御存じの話であっても聞き入れてくださいます。

また、その人たちが神の前に心を尽くした善の実績、
功績を先生は大事にしてあげました。
たとえそういう実績をもっていない人であっても、
先祖が尽くした実績、功績を認めてくださいました。

それさえもない人でも、神が長年の間、
その人を導くために尽くした神の心情がその人に残っている、
そういう神の心情を受け入れてくださったのです。

こういう人たちが入ってまいりますと、
先生は必ずよくもてなし、お金がない人であればお金をあげ、
着物がない人には着物をあげたりして助けてあげました。

このように先生は、相手の人をよく理解してあげました。
神がその人に対する以上に、先生は待遇してあげました。


授受作用の原理によりまして、このようにしてあげますと、
逆に今度は、相手の方が先生のことを
分かってあげなければならない段階に入ります。

しかし、このようにしてあげたにもかかわらず返さないときには、
神はその人のすべての祝福を奪って、取り出して
こちらの方に全部あげるのです。

つまり、自分の今までの功績を全部置いて、
自分は空になって帰っていくことになるのです。
ですから神が、ない者から奪い取って、
持てる者にもっとあげるということは、
全部そこに起因するのです。


どういう人を通じて、神は私に啓示するか分からないのですから、
霊能者がしくじり、つまずいたようなことが、
私たちにないよう注意しなければいけないと思うのです。

ですから皆さんも、霊能者が失敗したようなことにならないよう、
幼い人の口から出る言葉であっても慎重に受け止め、
先生のごとく、神が私に何か啓示をしているのではないか、
というメンバーに対する謙虚な心が必要だと思います。


サウルとダビデのお話は分かりますか。
第一代の王様であったサウルは、
聖書を見ればよく分かりますが、
サムエルによって油を注がれ、王になった人でした。

ところが彼は、神のお告げを守りませんでした。
その時に、神の心はサウルからダビデに移りました。
ダビデはサウルの部下として
大変よく従い、忠義を尽くしていました。

しかし神の手が自分からダビデに移ったことが
サウルには分かりました。

そこでサウルは何回もダビデを殺そうとしたのです。
ダビデは逃げ出して、大きな洞窟の中に身を隠しました。
サウルはもう主君ではなく、敵のようになりました。

ところが、サウルはそこまで追いかけて来ました。
ちょうどその時、彼はおしっこがしたくなって、
その洞窟の中に入ったのです。

ダビデはその時、刀でサウルの着物の一すじを切り取りました。
サウルはそれに気付きませんでした。

ダビデは、「なぜ追いかけてきて殺そうとするのか」と反問しました。
そこでサウルは、非常に深い悔い改めの心をもちました。

なぜならば、私を殺すいい機会であったのに、
お前はなぜ殺さなかったのか、お前を殺そうとする私を
なぜ殺さなかったのか、と思ったのです。

ダビデは、「神が油を注いだその方を、
どうして私が殺すことができようか」と答えました。

 
私たちも、神が祝福された人を大事にする、
そういう心掛けが必要です。

ですから、足らない私たちですけれども、
非常に大切にしてくださるという先生の心掛けがお分かりと思います。

だからこそ、そのようなお方がおられるならば、
すべての人はいつまでもいつまでも
そういう人のところにいたいと思うのです。
その人の主管を受けたがるのです。

皆さんは、主管されるのはいやだという
考えをもっているかもしれませんが、
自分のために本当に尽くしてくれた人には、
主管されたいのが人間の本性です。
そういう人に主管されることを願うのです。

絶対的に主管されればされるほど、
私は平和になり、また幸せになるからです。
今までは、そういう人がいなかったために、
主管されるのがいやだったのです。

 
先生は、お一人だけで語られるのではなく、
常にメンバーたちの証をお聞きになりました。

二十人の証を聞いたら、たくさん学ぶことができます。
先生は結論を出されません。
メンバーたちの証によって、結論を出させるのです。

先生が原理を語られますと、それを聞いた人は、
み言が正しいということを自分の霊体験を通じて、
霊界を通じて、証を通じて裏付けられるのです。

ですから、証をする人たちは、
ちょうど原理を証明するような役割をしていました。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「よく話を聞かれる先生」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


お父様が愛を投入しても、その人が受け入れないと、
その人は今まで受けた祝福をすべて置いていく
この話は興味深かったです。

私たちが100%投入して尽くしたうえで
その人が受け入れず、裏切るようなことがあれば
その人のもっていた徳は、私たち、教会の徳となり運勢となる。。。
その人は、運勢がなくなるわけです。

これは、原理原則だから仕方がありません。
だから、とにかくできる限りを尽くすことは、
私たちにとって、大切だと思います。

真のお父様は、どんな人が来られても
愛しつくされた、といいます。
これが教会に新しく来られた方を
お迎えする私たちの基本姿勢ですね。

どんな人も愛する・・・
それは神様の心情を思ってのことです。

また、サウルとダビデの話にあったように
神様の愛する人を愛するということ、
王のように立派な立場だとしても、
若い相手を見くびったり、嫉妬するのではなく、
幼子の言葉も聞く耳を立てる、
謙虚な心を持つこと。
これも本当に重要なことだと思います。

真の父母様の歩みを相続する
そのような者になっていきたいと思います。

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2024年09月11日

今も昔も、義人が立つのが難しい理由 多くの反対を受けた霊能者たち 《金元弼先生のベストアンサー》



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1940年代の平壌市内☆


金元弼(ウォンピル)先生の
平壌開拓時代(1946年頃)の証しより、
「霊能者の入信と悩み」です。


先生は直接街頭に出て伝道されたのではなく、
先生に出会った人が伝道をして連れて来ていました。

その伝道も、その人たちはお祈りをして、
神のただ一つの言葉を聞いただけで、
神のお告げで入信するという状態でした。

その人たちは既にそういうお祈りの準備をしていたからです。
ですから心を決めるのが非常に早いのです。

しかし、神の啓示によって入信しても、難しい問題がありました。


その人たちは家族を持ち、また既成教会の中心者でした。

それゆえに、神の啓示によって
真理が分かって統一教会へ入ったけれども、家庭の反対、
その次に教会からの反対を免れることができませんでした。

家の中で、いてもいなくてもいい
という存在であればまだいいのですが、
家の中心者になっていて、また尊敬されている人たちでした。

また教会のすべての人たちがその人によって伝道され、
育てられたのであり、彼らによって教会が建てられたという人たちです。

ですからこそ迫害が最も大きかったのです。

教会に入ると決めたのですけれども、迫害が大きかったので、
どのようにこれを調和していくのか、
縁を切るのか妥協するのかという点で悩んだのです。


それは私たちが最初にみ言に触れて決心したその当時を考えてみれば、
少しくらいは理解できると思います。

皆さんは、今お話ししたような人たちとは事情が違い、
家族の(中心というわけではなく)一員でありますし、
また教会の中心者でもないのですから、
その人たちとはやや事情を異にすると思います。

しかし、自分がいままで情を結んでいた
その友達と離れなければならないことや、
深く関係している学校を辞めることや、
職業を辞めなければならないということもあったりして、
その人たちとは事情を異にしているものの、
今まで情を結んでいたのにその縁を切るという点においては、
全く同じ内容をもっていると思います。

皆様がかつて学校をどうするかと悩んだことを考えれば、
その人の事情が理解できると思います。

親から離れるのか、友達から離れるのか、
それとも学校を選ぶのか、職業を選ぶのか
職を離れるのか悩んだ過去があったと思います。


その人たちは霊能者たちです。
そういう人たちは、そのような悩みを
どのように解決したらいいのか分からないときに、
先生を訪ねるのです。

先生はいちいち牧会しなければなりませんでした。
その悩みは、その人にとっては非常に深刻なものです。

天の啓示は、いつもいつも自分が困難な局面にいるときに
教えられるというものではありません。
天の啓示は、そんなにいつもいつも与えられるものではありません。

もしそのように啓示をすることができるならば、
そもそも人間の堕落はありえないのです。

ですからそういう人が訪ねてきたときに、
先生がもしそれをテイク・ケア(*世話、この場合は牧会)しないならば、
彼らは悩みのために教会活動を
長く続けることができなくなってしまいます。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「霊能者の入信と悩み」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


私たちは、それぞれ、導かれ方も違いますし、
使命もその大きさも違うところがあります。

私たちなりに、み旨を最優先するために、
過去の事情を振り切って、
み旨にやってきた一人一人ではないでしょうか。

昔の大先輩たちは、様々な事情を乗り越えて、
み旨に献身していかれました。
その困難は壮絶なものだったと思います。

また、特に霊能者の方は、
困難な時ほど、霊界からの協助がなく、
自ら決めなければなりませんでした。

神様が準備してくださいますが、
人間一人ひとりに課せられた
責任分担をクリヤしなければなりません。

最近、世界的に大きな
義人たちが立ち上がってきていますが、
自らの責任において、
この道を優先し、お母様を優先したがゆえに、
義人として立っておられるのだと思います。

平壌開拓の時代も大変でしたが、今の日本の現状を見れば
難しいと考えてしまうかもしれません。
しかし、神様は、しっかり準備してくださっていることでしょう。

私たちは、それぞれ天と真の父母さまから、
願いをかけられています。

その願いに生きていくことを通して、私たちも
小さな義人になっていくことができるし、
また、それぞれの国や地域の
義人たちを探し出すことができる
そのように思うのです。


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