2024年07月08日

どうしたら文鮮明を理解できますか? 主の聖書は赤ペンだらけ 超アップダウン、金元弼先生の信仰初期 《ベストアンサー》



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青坡洞(チョンパドン)旧本部教会のお父様の机(平壌時代のものではありません)☆


家庭連合(旧統一教会)は、どんなところでしょうか?
そして、教祖である文鮮明夫妻を
いったいどのように理解したらいいのでしょうか。

金元弼(ウォンピル)先生の平壌時代
(統一教会ができる前)の証し。
今回は、『赤い線でいっぱいの先生の聖書』です。


(文鮮明)先生はみ言を伝えるとき、
聖書を通して統一原理を教えられました。

そうして神の願う人たちを集めました。
神のこれからの摂理の基盤をつくる時でしたから、
先生は心と力、霊魂を投入してこの人たちを教えたのです。

それは言うまでもなく、神の心情、神の伝統を
相続させるという仕事であったと思います。

『原理原本』というものはありませんでした。
それは先生の中にあり、当時は聖書を統一原理で教えていたのです。

先生の聖書を見ると、旧約聖書の創世記から
黙示録に至るまで赤い棒線が引かれているのです。
そしてたくさんのことが書き込まれていました。
その聖書には、涙が流れ、それが乾いた跡がたくさんありました。


先生は、再臨主は雲に乗ってくるのではなく、
イエス様が人の子として生まれたごとく、
人の子として生まれるという原理だけを教えました。
創造原理の内容とこの再臨論を話されたのです。

霊能者たちは牧師から雲に乗って
再臨すると教えられて信じているのですが、
神は「絶対に雲に乗ってこない」と啓示するのです。

イエス様が2000年前に一人の子として生まれたごとく、
肉身をもって必ず来ると教えてくれたのでした。

同時に、韓国に再臨すると教えられていました。
当時、特に平壌は、第二のエルサレムになる
という啓示を受ける人がたくさんいました。


先生は、御自身で原理を書かれるということも、
お話ししてくださいました。

もちろん先生が書かれた原本がありますけれども、
先生御自身が書かれると思います。
今、私が話していることを、皆様もお話ししてください。

私が統一教会の教会長の話をしたとしましょう。

私にはそう見えて話したとしても、
本人はそうではないこともあります。
違う点があるわけです。

ですから結局、先生が直接お話しされたのが正しいということです。

どうしたらレバレンド・ムーンを理解できますか?

それは、私が話していくうちに気付かれると思います。
私の話を聞きながら、私がどのようにして
先生を本当に理解できたのかが分かると思います。


メシヤに対する信仰を100としてみれば、
一の信仰をもってメシヤとして信ずるのも、
それはメシヤを信ずることです。
そして、どんどん高まっていくのです。

ですから、メシヤが分からない最初の段階から、
その次にメシヤのようだ、そしてメシヤに違いない、
メシヤであるという段階をたどると思います。

ですから、ある時にはそう信じながらも、
いやそうではないと思うこともあるのです。
心の中でいつもアップダウン、アップダウンしながらも、
辛抱して確立していくのです。

1から2に上がるときにも、
ダウンしてその次に2に上がるし、
3に上がるときにもダウンして3に上がるし、
このようにして上がっていくのです。

100まで上がるのに、非常に信仰心が篤くて
アップダウンがないというのではありません。
信仰が弱いというのは、弱いときに
アップダウンを見せる人が弱いというのです。
それをたまたま出している人を信仰が良くないというのです。

ところが、弱いときにこれをやらないで、
アップダウンを止めておいていく人を、
あの人は信仰が良いというのです。


(その当時の)私も皆様の初期のころと全く同じだと思います。

原理が本になって表れていたらいいんですけれども、
あまりに感動して恵みの中にいましたので、
人々を伝道する時に結論だけを話しました。
「再臨のメシヤが来ました」と。

しかし、それに対して証することができませんでした。
説明して結論を出したら理解しやすかったと思うのですけれども、
それが分からず、ただその結論だけが非常に大事ですから、
それだけを先に出してしまったのです。

そして、どうしてそうなのかと聞かれると、
なかなか説明ができなくて、詰まってしまったのです。
街頭伝道ではなく、因縁伝道が主でした。
自分の親、子供、一番尊敬する人を伝道したのです。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「赤い線でいっぱいの先生の聖書」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

再編集 文責:ten1ko2


赤ペンだらけの聖書。。。
お父様は、神様を愛し、イエス様を愛しされた、
その証拠でもある、といえるのではないでしょうか。

もっともっと聖書に通じ、
そして、原理のみ言に通じる、
そんな者にならなければ、と思わされます。

アップダウンの証しがありますが、
うまく父母様やみ言を証せなかったり・・・
誰でもそんな信仰初期のころがあります。
失敗や試行錯誤はあっても、嬉しさと熱意にあふれていた頃。。。

私も、初期のころは、お父様を知ることができた感動、喜び、
み言がはっきりわからなくても、
その思いをぶつけて伝道していきました。

真の父母様との出会いを忘れずに、
また、その思いを拡大して、
今の歩みに連結していきたいです。


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2024年07月01日

「6千年前も6千年後にもない」貴重な歴史的集団?! 《金元弼先生のベストアンサー》



19500000c.jpg

わたしについてきなさい。
あなたがたを
人間をとる漁師にしてあげよう


マルコ 1章14〜20節


統一教会が現れる前、
まだ10代の金元弼(ウォンピル)先生に
再臨主・文鮮明先生が
掛けられた言葉とは──

平壌時代の証しより
今回は、『真心で指導される先生』です。


先生はみ言を語られる時、冬は
綿の入った韓国古来の衣服を着ておられました。
説教が終わる時には、その綿の服を絞れば
水が垂れてくるくらいに、汗を流してみ言を語られました。

それゆえに、食口は毎週着物を洗い、
そして作らなければなりませんでした。

また韓国の着物は、洋服のようにただミシンに入れて回す
というのではなく、いちいち手縫いでしますけれども、
その後に、布は布なりに綿は綿なりに、
初めて作るごとくやり始めなければなりませんでした。

このメンバーたちは、長年神に侍り、
イエス様に侍る生活をしていた人です。

それゆえに神からいろいろなかたちで、先生に
どのように侍らなければならないかを教えてもらい、
本当に真心を尽くしたのです。

 
私たちは気軽に握手することもできますが、
当時は霊能者であっても、
先生の着物に触れることは難しいことでした。

先生は何も語られないのです。
もちろん、新しい食口が来た時には、
み言を熱心に語られますが、
個人的にはなかなか語ってくださいません。

皆さんは、私は先生と近くにいるから、
直接たくさんのみ言をいただくだろうと
考えるかもしれませんが、そうではないのです。

私が何も分からず、幼いからでありましょうけれども。


先生は礼拝が終わると、教会から離れた野外とか、
学校の庭とか、そういう所をたびたび訪ねました。

その時に、(私に)「何か聞きたいことがあったら
聞きなさい」と言われました。

しかし、私は先生の言われることを全部信じていましたし、
理解できていましたから、何ら質問の余地はありませんでした。
それで「ありません」と答えました。

先生は、私が何も分かっていないと言ったら、
もっと高い次元のみ言を語ってあげたい
と思っておられたと思います。

しかし受ける体制もなっていない幼い者と
見えたからでしょう、先生は私に

「この教会は六〇〇〇年前にはなかったし、
 六〇〇〇年後にもない。
 そういう集団であるということだけ
 分かればいいですよ」


とひと言だけ教えてくださいました。

その時は、統一教会という名前もなく、集まりであり、
群れであり、集団だと教えてくれたのです。

今考えてみますと、何を言っても私にはよく分からないから、
ただ結論だけ教えてくださったのでした。

短いみ言ですが、深く考えてみればみるほど、
六〇〇〇年という有史以来なく、これからもない集団である
というみ言に原理の結論を示しておられるのです。
私はその本当の意味が分かりませんでした。

 
先生は礼拝が終わると、よく和動の時間をもってくださいました。
当時の韓国の社会では、男女が同じ部屋で
一緒に話し合うということは、非常にまれなことでした。

女性は、男性の前を通るものではありませんでした。
食事も女性は他の所でしました。
そこにキリスト教が入って、そういうことは
徐々になくなっていったのです。

また、教会の建物自体もそのようになっていました。
今は男女が一緒の座敷に座りますが、
韓国のキリスト教会では、女性の席と
男の席が別々になっていました。

そして、男性の説教者は、両側全部を
見れるようになっていました。
しかし、女性の方からは男の人たちが見えないような
造りになっていたのです。

 
クリスチャンは礼拝が終わると、
民族の音楽はなかなか歌いません。
賛美歌だけを歌うのです。

しかし先生は和動する時に、食口たちの中で、
民族の歌をよく歌ってくださいました。
今から三十五、六年前(一九四六年ごろ)の話です。

これは皆さんの国での三十五、六年前ではなく、韓国での話です。
ですから韓国のキリスト教では、このように
民族の歌を歌っても罪のごとく考えたのです。
革命だとしたら、これほどの革命はないと思います。

先生のお心は、たとえどういう歌であっても、
歌って愛する愛の対象が神でありメシヤであるならば、
どういう歌でも歌うことができるというお考えなのです。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集 伝統の生活化』を改題


「この教会は6000年前にはなかったし、
6000年後にもない。
そういう集団であるということだけ
分かればいいですよ」

まだ、「統一教会」という名前の無い時代。
当時、お父様に侍る人たちは、
本当に少なかったと思います。

しかし、何もない中で
強い心情の絆で結ばれた創設以前の時代の人たち。。。
どれだけ天にとって、お父様にとって
価値のある集団であったでしょうか。

今は、統一教会から家庭連合に名称が変更され、
その当時と比較すれば、多くの基盤ができました。

日本家庭連合は、困難な中にありますが、
しかし、後にも先にもない、
真の父母様に侍る団体として、
その価値を貴く思い、歩んでいきたいと思うのです。

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2024年06月12日

こんなことで一喜一憂している場合じゃない! プラスの立場はマイナス、マイナスの時にプラスを考える 《金元弼先生のベストアンサー》



20060203a.jpg


喜びを得たとしたら、
その喜びを得るまでの
神の苦しみがあったということを
まず考えてみましょう。

寂しい時、苦しい時には、
これを勝利したら、神は最も大きな愛を
与えようとして待っておられるのです。


小さなことに一喜一憂してしまう私たち、
どのようにしたらいいのでしょうか。

金元弼先生の「伝統の源流」
今回は、『授受作用から見た喜びと失敗』
というところを紹介します。

草創期の証し、というよりは
信仰指導的に、とても参考になる
素晴らしいお話です。


ここで皆様にお話ししたいことがあります。
人は失敗するときに二つのポイントがあります。

人が失敗するのは、一番喜んでいる時、
次は一番苦しく、つらく寂しい時です。

一番つらく悩んでいる時に
失敗するということはよく理解できるでしょう。
しかし、人が喜んでいる時にどうして失敗するかということは、
皆さんもなかなか理解できないと思います。

それを創造原理の授受作用*の原理で説明します。


存在というものは必ず主体と対象があって、
それがよく授受作用することによって、
初めて安定した存在を維持することができます。

私が呼吸をして、息を吐き出し、吸い込む場合に、
フーッというかたちでそれを表してみましょう。

そうした場合に、喜ぶというのは、
フーッと息を吹き出したのと同じで、
それを飽くまでやり続けて喜んでみたら、
息苦しさと同時に必ず何だかむなしさを感じます。
そして寂しさを感ずるのです。

それと反対に、非常に寂しくて泣いたとしましょう。
そうしますと、泣いた後は何となく
晴れ晴れしたような感じがするのです。
これは喜びの反対のことと考えてください。

必ず授受作用しなければいけないと言ったのですから、
問題は授受作用をどのようにするかということです。


喜びを感じているときには、
この喜びが神から私にもたらされる前に、
神がサタンとの闘いを通じてどのように苦しまれたかを考え、
そして今、その喜びを私たちにもたらしてくださっている
ということを考えてほしいのです。

私たちが先生からみ言を受けたとしましょう。
そうしたらその恵みを私たちに与えるために、
先生は過去にどのような苦しみを
通過してこられたのだろうかという、
その先生の苦しみを先に考えてほしいのです。

喜びを得たとしたら、その喜びを得るまでの
神の、主の、親の苦しみがあった
ということをまず考えてほしいのです。

そうしますと、喜ぼうとする時に、この喜びを私に与えるために
神が、主が、親が、そして我々の先祖たちが苦しんだ後に、
このようになったのだということを考えて、
主体と対象の立場で、まず感謝しようという心が出てくるのです。

ですから必ずこういう対象の立場を見つけて喜ぶのです。


反対に寂しい時にはどうしたらいいでしょうか。

寂しいというのを、一つの対象の立場
あるいはマイナスの立場として見てみましょう。
その時には、プラスの立場を見付けなければいけません。

人間は神の前、真の親の前では、愛する子供の立場です。

その子供を苦しめて喜ぶ神もなければ親もないのに、
なぜ愛する私たちにこういう苦しみを
与えなければならないのだろうか、
こういう寂しい境地に追い込まなければ
ならないのだろうかと考えてみるのです。

それはそういう蕩減の道を通じて、
もっと大きな恵みを与えんとする
神の愛があるからこそだということを
考えなければいけません。

寂しさや苦しさを感じることを蕩減しなければならない
という条件が私たちに提示されたのです。
神は、子供にその蕩減を払わなければならない
条件があるのだから仕方がないのです。

しかしこれを勝利したら、神は最も大きな愛を
与えようとして待っておられるのです。

そのような神を思うと、ただ一方的に私は死にたい、
もう苦しくてたまらないという考えに走らないで、
神はもっと大きな愛を私に与えようとしているのだと
いう神の愛を感じて、私たちは望み、
希望をもつことができるようになるのです。


それゆえ、私の心がプラスの立場に立っているときには、
早くマイナスの立場を考えなさい。

マイナスの立場に立っているときには、
早くプラスの立場を考えなさい。
マイナスの立場に立っているときには、
必ずプラスの道を見付けなさい。
そうすることによって授受作用するのです。

今お話ししたようにするならば、
喜びの中にあっても感謝しながら、
神がこのようにして苦しまれたので、
私に恵みや喜びが来たのだということを考えるときには、
喜んだ後に寂しいと感じることはありえません。

そして、いくら苦しいことがあっても、
死にたいことがあっても、このような考えを
もつとするならば、神の恵みを見付けることができます。

授受作用できずに、喜んでばかりいたら力が全部消耗するし、
また悲しんでばかりいたら、悲しみで全部の力を消耗し、
何もなくなってしまうのです。


世の中には、そういった例がたくさんあります。

山登りは非常に困難が多いけれども、
登ったときの喜びを考えながら登ります。
そして下りるときには、注意深く登った心で
下りるとするならば、失敗しないのです。

そういう心をもたないで、そのまま
下りていったら失敗しやすいのです。
転落することがあるのです。


お金がなかった者に、急に大きなお金ができると、
それによって人は失敗しやすくなります。

ですから、貧しい人がお金持ちになったときには、
お金のない人のことを考えて、初めて
そのお金を維持していくことができるのです。


皆さんが四十日の蕩減条件を立ててお祈りをしたとしましょう。
四十日を勝利するのは非常に難しいのですが、
勝利した時には大きな喜びを得るでしょう。

その時に失敗しやすいのです。
喜びがもたらされる前の、
四十日の苦しみの過程を考えないからです。
それを考えながら喜びを享受するならば、
絶対にそんなことは起こりません。


教会草創期のメンバーたちは、
恵みに、真理に触れてよみがえった心持ちで、
その喜びのままにどうしようもなくて駆けつけてまいりました。

そして伝道は統一原理を語るというよりも
「メシヤが来ました」と言って伝道するのです。

そういう喜びは必ず心の中に
秘めておかなければいけません。

喜びを与えるために今まで苦しまれた神を
考えながら喜ばなければいけないのです。
でないと、ややもするとそういった失敗を起こすことがあるのです。

喜びにあふれていたから、
先生の言うことをよく受けとめて聞けなかったので、
家庭や教会からたくさんの迫害を受けるようになったのです。

そこでメンバーはその蕩減を受けるのですが、
その上、メンバーをリードしている先生が
すべての蕩減を受けるようになったのです。

お分かりですね。

これから皆さんに難しいことがあったり、
あるいは喜ばしいことがあったりしたときには、
いつも授受作用の原理を頭に思い浮べてほしいのです。


私たちは喜ぶときには、躍り上がるように喜び、
悲しいときには人が見てすぐ分かるように表情に出しますけれども、
先生をずうっと見てまいりますと、
先生はそういうことがあってもなかなか表されません。

先生に良い報告をした人が、“こんなにいいことなのに、
先生は喜ばれないのかなあ”と思ってしまうほど、
本当に無感覚のような様子のときがいくらでもあります。

しかし、何日か後になってみると、
そのことを人の前でお話しするのです。
それを見て、“ああ、先生は非常に
喜んでおられたんだなあ”と分かるのです。

反対に悲しいことがあっても、
先生は全然それを表さないで黙っていらっしゃり、
かえって喜ばしいことを話されるのです。

マイナスの心のときに、先生は
意識的にプラスの心に誘導しようとなさるのです。
ですから先生はそれほど感激も見せず、
またそんなに悲しい顔も見せないのです。

それで先生をいつも眺めていますと、何も語らず、
古い苔の生えた岩のような感じがします。

先生は本当にたくさんの事情を抱え、
感情を抱えておられますけれども、
それを表さないので非常に重く見えるのです。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集 伝統の生活化』を改題

再編集 文責:ten1ko2


昔、お世話になったお姉さんに
「基準の下がったときにこそ、与えないといけない」
そのような指導を受けたときがあります。

また、前線で勝利したときに
「そういうときほど謙遜にならないといけない」
そのように指導してくださった先輩がいました。

今回の金元弼先生のご指導がまさにそれだと思います。

上がり下がりの激しい、乱高下(らんこうげ)のある人は、
喜ぶときは、天に舞い上がるほど高く喜び、
落ち込むときには、声をかけられないほどに落ち込みます。

「大丈夫かな〜」と心配になるのですが、
落ち込んだときよりも、
喜んでハイになりすぎているときに
心配してあげ、落ち着かせてあげた方がいいのかもしれません。

お父様は、自分の心霊もいつも公的に
主管されておられたんだなぁと、思います。
また、お母様を見ても
いつもそのように、しておられます。

いろんなことに、ただ一喜一憂して
大切なことを忘れてしまいがちな私たち。

私たちの心と体は、常に神様が働くことができるように
しなければなりません。
ご父母様を見習って
勝利する者になっていきたいと思うのです。


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