2024年08月06日

牢獄の中で主を迎える?! 20世紀の春香は主の花嫁になれたのか 《金元弼先生のベストアンサー》



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金元弼先生のみ言。
今回は、「聖主教と腹中教」
後半をご紹介します。


(腹中教では)食卓を準備する時には、メシヤをそこに迎えたのと
同じ思いで準備し、食事をしました。
ですから彼らは常に霊的にもメシヤと共に生活をしたのです。

この人たちは特に全国から集まって、
祝祭日の日を共に過ごし、歌ったり
あるいは恵みの中に踊ったりして喜びを分かち合っていました。


ちょうど一九四六年ころに神は霊能者を通して啓示し、
牢屋の中で再臨の主を迎えるであろうということを
常に教えてくれました。

韓国には春香伝という李朝中期に作られた物語があります。

その主人公と同じように「お前(許孝彬 ホホビン)は
牢屋の中で再臨の主を迎えるようになるだろう」
と教えてもらいました。

第二次大戦が終わった時のことです。

またイエス様は、「お前たちの集団の幹部は
自分たちで集まろうとせずとも、
全部が集まるようになることが起こるであろう。
その時にお前たちを迎えに行くだろう」
とお告げしました。

彼らを迎えに来るというのですから、
再臨のメシヤが迎えに来るに違いないと思っていました。

また、イエス様は中年の婦人(許孝彬)を指して、
「来るべき再臨の主の前においてお前がその花嫁になるだろう」
と教えていました。


春香伝の内容というのは、妓生の娘春香と
両班の息子李夢竜が約婚しますが、だんなさんは
国の試験に合格すれば大きな職を与えられるという
儒教の科挙制度の一つがあって、
そのために勉強に行くようになります。

そして春香は主人が成功して帰るまで待つようになります。
結局はその主人は成功して帰るのですが、
その間にこの地方の悪い長官(卞使道)は、
春香に「妾になれ」と強いて言い寄りました。

けれども、それを拒まれたので、長官は怒って
その女を殺そうとして牢屋にぶち込んだのです。

そういうところにたまたま、彼女の主人が
科挙に合格してふるさとに帰ってくるのです。

その主人はふるさとに帰る時に、王様から
巡回、暗行御史に任命されて地方を回り、
悪い政治を行う人たちを治めるための密使のような
使命をもっていたので、こじきの姿で現れました。

そしてちょうど自分のフィアンセが殺されようとする、
その時に彼が現れます。
こじきの姿で牢屋に行く場面があります。

「私はこじきになって、何も成功しないで帰ったのだ」
と言った時、奥さんが言う有名な言葉があります。

「あなたがこじきにしろ、こじきでないにしろ、
あなたは私のだんなさんでございます。
私の愛そのものです」と言って牢屋の中で別れるのです。

そして死に直面した時に、この男が
こじきの衣を脱いで堂々と現れるのです。
こうしてついに、その地方の悪い官吏を取り除いて、
女を救って二人が再び会う場面があります。


それは、再臨のメシヤが王の王として来られるけれども、
私たちのような俗人の立場で現れ、
そして信仰者はイエス様の相対になり、
新婦は非常にたくさんのサタンの迫害の中で
信仰を守りながらメシヤを迎える、というのと同じような内容です。

春香伝のストーリーにあるごとく、
再臨の主を牢屋で迎えるだろうと教わっていたのでした。

I 平壌開拓から興南解放
 第一章 平壌開拓の日々
「聖主教と腹中教」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集 伝統の生活化』を改題

再編集 文責:ten1ko2


聖主教と腹中教のことは、
皆さんもだいたいのことは、
ご存じかと思います。

真のお母様(韓鶴子総裁)の実母、大母様と
お祖母さんである趙元模ハルモニが
その両方に関係していたので、
お母様の自叙伝にも書かれています。

20世紀の春香と啓示を受けていた許孝彬、そして
腹中教の末路については、次回に詳しく紹介されますが、
聖主教の方は、金聖道の子息が、
のちに真のお父様を直接訪ね、
残った信徒も、統一教会に
入教するようになりました。

真のお母様が大母様を通じて統一教会に
導かれ、真の母になるために
聖主教と腹中教は、大切な使命を担ったことになります。


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2024年07月27日

イエスの再臨は、人として韓国に誕生する──預言を信じた人たちの愚直な日々 《金元弼先生のベストアンサー》



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金元弼先生のみ言。
今回は、「聖主教と腹中教」
長いですので、前半をご紹介します。


先生が平壌に来られたとき(1946年)、平壌には
再臨の主を迎えるための準備をしていた集団が、
既にその三、四十年前からありました。

平壌は韓国のエルサレムといわれ、
至る所で神から直接啓示を受けた人がいたのですが、
その中に聖主教というのがありました。
金聖道(キム ソンド)教主がつくった教団です。

その集団では、神が直接その集団の中心者である婦人に
いろいろと真理の啓示を与えていました。

そこでは、人間の根本の罪は何であるか、
またどうしてイエス様は十字架につかれたのか、
そのイエス様の十字架は既定事実であったのか、
そうでなければ人間が不信した結果として
生じたものであるかということです。

また、メシヤは雲に乗って再臨するのか、
普通の人の子として再臨してくるのかということに対しても
一つ一つ教えてくださいました。

その婦人は何も勉強していない田舎の婦人でした。
それゆえにその婦人は、神の啓示は受けるけれども
原理的になぜそうであるかということに対しては
全く分かっていなかったのです。

その話は、キリスト教の信者においては受け入れ難い内容でした。
しかしながら、いろいろとたくさんの奇跡を行っていましたので、
その言葉を疑うことは難しかったのです。

実際には聖書的に証されていない内容のゆえに、
大変な迫害を受けました。


先生が来られた平壌にはそういう流れをくんだ集団がありました。

この集団では、再臨の主は韓国の人として
この国に来られると啓示の内容を表明しました。

この集団の信者は全国から集まって、
常に自分のすべての真心と財産をささげ尽くし、
その再臨の主を迎えるために具体的な準備をしていました。

イエス様の時代には、人々がイエス様を信じられなくて、
イエス様は馬小屋で生まれなければならず、
ヨセフは誕生日が来ても何も祝わないし、
村の友達がお祭りの時良い着物を着ているのに、
イエス様だけは着たいものも着れず、
学校にも行けなかった恨みがあったというのです。

イエス様が再び来られた時そのようなことにならないために、
イエス様が生まれる時から亡くなられるまでの
すべての家具やら衣類などすべてを準備していました。
それも東洋式と西洋式で全部準備していました。

聖主教の婦人の流れをくんだ中年の婦人がこの準備をしていました。


その許孝彬氏にイエス様が現れて、
「私があなたにお告げをする時には、
ちょうど子供が母親のおなかの中にいる時に子供が動くように、
あなたのおなかにそういう兆候が現れる。
そうしたら、私があなたに現れて色々お告げをするでしょう」
と言われました。

それで腹中教という名前もあったのです。


ある時、イエス様が現れて、
「自分がこの世にいた時にあれくらい寂しい生活はなかった。
食べたい物があっても食べられない、
着たい物があっても着れない、
学びたいけれども学校に行って学ぶこともできなかった」
と寂しかった時のことを直接彼女を通して話してくださったそうです。

この話をしてくださった時、彼女はイエス様がお気の毒で
本当に泣かされて泣かされてならなかったのでした。

そこでその集団では、その恨みを晴らしてあげなければいけない、
再臨のメシヤを迎える時には絶対に過去にあったようなことが
あってはいけない、ということで万全の準備をしたわけです。

再臨のメシヤを迎えることによって、
そういったメシヤの恨みを晴らすことができるということです。
そのために、準備をするのに本当に心を尽くしたのです。


着物を作るにしても、準備する人は身を清め、
そして着物を作る部屋を清め、物を買うにしても
絶対に誰も手をつけていない新しい布を買ってきたのです。

物を買うにしても、値段をまけさせるということはしませんでした。
その理由が分かりますか。

メシヤはこの上もない貴重なお方ですから、
メシヤが着る着物を準備する人の心というのは、
金があれば金の着物を作りたいのが願いです。

メシヤが着る着物ですから、高いということはありえないのです。
メシヤの価値に比べたら、すべての物は
あまりにもあまりにも安いものであると考えたのです。

高いからまけてもらうということは心が許さなかったのです。
そして着物を作り始めるにしても、その当時は
機械がありませんでしたから、全部手で縫うのです。
心を込めて針で縫ったのです。

もし着物を作っているところに子供が入ってきて、
作っている着物に触ったりでもしたら、
またやり直さなければなりませんでした。

 
ある時、その集団では再臨のメシヤがかぶる
韓国古来の帽子を作ることになりました。
ところがそれは北の平壌にはありません。

そこで南のソウルに行って、それを有名な人に作ってもらい、
平壌まで運ばなければなりませんでした。

汽車に乗って持ち運ばなければなりませんが、
帽子を荷物の上に置くこともできないし、
また他のいろんな所に置くこともできません。

ですから頭の上に掲げて持って来たのです。
二人の人が支えて十時間以上もかかる汽車の道のりを
そのようにして運んだということをみても、
どれほど心を込めて作っていたか、
準備したかということがお分かりだと思います。

I 平壌開拓から興南解放
 第一章 平壌開拓の日々
「聖主教と腹中教」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集 伝統の生活化』を改題

再編集 文責:ten1ko2


聖主教と腹中教は、大母様を通じて
真のお母様が統一教会に導かれることになった
きっかけとなった教団でもあります。

もう1世紀前の頃からの貴重なお話しです。

この元弼先生の証しには、
具体的なエピソードが紹介されていますが、
メシヤを迎えるために、これほどまでに
真剣に侍っていかれたのかと、
凄まじい精誠であると思います。

生きた主に侍る私たちの姿勢も、
ここまで真摯であるか、
反省させられますね。


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2024年07月22日

若き文先生に嫉妬した夫たち、家庭と社会からの迫害の始まり 《金元弼先生》



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金元弼先生の平壌開拓時代の証し。
今回は、「家庭と教会からの迫害」です。


先生を訪ねてくる人々は、
教会でも家庭においても、また周りの人々からも
大変尊敬されていた人たちでした。

ある人は直接神の啓示を受けて
先生のことが分かった人もあれば、
先生のみ言を聞くことによって
先生のことを本当に分かった人もいました。

こうした人たちは、先生と生活をしているうちに
先生に対する信仰が、日を増すにつれて
どんどん深く強くなりました。

いくら啓示を受けるといっても、毎日受けるのではありません。
また疑いがないというのでもありませんでした。
疑いがあるときには、他の人の啓示を通して刺激されます。

ですから疑いがあれば、その人の行動の一つ一つが
ふさがれてしまうのを感じるのでした。

また聖書を読むと、疑いをもっているその自分の状態を
見付けることもありました。
疑いをもつと再び啓示があります。
こうしたことの連続の中で、信仰は篤く深くなり始めました。

み言を聞いて、真理を通して先生のことをよく分かった人でも、
時には人と話をした後に
自分の受けているみ言に対する疑いをもつことがあります。

そういう時は気落ちすることもありましたが、
み言を聞けば復活し、先生に対する信仰は一層深く強くなるのです。


真理によって霊的価値をよく悟った人であっても、
外部からいろいろな迫害を受けると、
上がり下がりがあったのです。

そういう連続の中でも、神が直接守られるがゆえに、
私たちの信仰は非常に燃え上がっていきました。

恵みの中にいるときは良かったのですけれども、
恵みを人に与える段階になりますと、
人々は素直に受け入れてくれません。

そういうときは、先生に尋ねて
アドバイスを受けなければなりませんでした。

 
反対された理由の一つは、
神の啓示の意味はよく知っているのですが、
霊能者たちは聖書を通して説明が十分できなかったからです。

もう一つは、初期の人たちの伝道は
結果をまず先に立てて、特に「再臨主が来ています」
というようなかたちで行ったのでした。
それで大変な迫害に遭ったのです。

こうして伝道していた人たちは、
非常に信仰が篤かったので、家庭においても
教会においても、他の人の模範となっていた人たちでした。

この人たちがみ言の恵みにあずかると、
元の教会にも家にも帰らず、
教会にとどまってみ言を聞き、
信仰の交わりをもつ時間が多くなっていきました。


一つの例を示しますと、結婚して間もない家庭がありました。
夫に対してよく世話をする、仲の良い夫婦でした。
また熱心なキリスト教の家庭でもありました。

奥さんがみ言に接すると、夫の夕食の時間になっても
以前のようには準備ができませんでした。

既成教会にいるときには本当によくやってくれたのに、
うわさによれば若い青年の先生が牧会する
という教会へ行くようになってからは、
以前のようにはよくしてくれなくなったと気が付きました。
そしてなぜだろうという疑いをもたざるを得ませんでした。

また教会へ行くという理由で、夫と共にする時間を
どんどん断っていきます。

このことよりももっと理解できない一つの問題がありました。
皆様は原理を聞いてよく理解していますから、
その理由は何かということはよく御存じでしょうけれども、
彼女がみ言を受け入れて、先生がどれほどの方かを知り、
そしてこの恵みの生活の中にあって、
彼女自身に一つの大きな異変が起こっていました。

今までは夫との関係はこの上ない幸せなものでありました。
けれども、夜になって夫と一緒に寝ていても、
夫が近寄ってくると、蛇が近寄ってくるように
嫌な感じがするというのです。

誰が彼女に教えたのでもないのに、
そのように感じられて仕方がないというのです。
しかし夫にはそれが理解できなかったのです。

彼女もなぜそんなに嫌になってくるのか
理由が分かりませんでした。


皆さんはそのことが理解できますか?
皆さんでしたら、なぜそうなるのか、
その夫人や主人に説明ができるでしょうか。

一九四六年ころのことですので、先生以外は
誰もそれに対して説明してあげる者はいませんでした。

しかし、啓示を受ける人は、
原理的な説明はつかないけれども、
なぜそういうことが起こるのかという簡単な説明はできました。

若い婦人やだんなさんだけに起こるのではなく、
壮婦においても、たとえ六十以上の
おじいさんおばあさんであっても、
こういうことは共通して起こりました。

家でのこうしたお話は、夫婦間のことですから、
誰かに言うこともできない難しい問題でした。
韓国の四六年ころの社会では、
そうしたことは言い出し難い問題でした。

そこで、そうした婦人のだんなさんは、
他のことで少し時間が遅れるとか、
よくやってくれないということに対しては、
まだ理解しようとするのです。
しかし、このことについては理解し難かったのでした。


彼らから見れば先生は若く非常にハンサムですから、
自分の奥さんが教会へ行くことによって、
先生の方をより愛しているから
こういう態度をとるのではないかと
疑いを強くし始めたのです。

そして、家庭での迫害が始まりました。
「教会にはこれから出ないようにしなさい」
ということになったわけです。

しかし、いつもいつも主人と一緒にいるわけでもないのですから、
そう言われても時間の合間を利用して先生の所を訪ねました。

苦しい中でどのように信仰をもち続けていったらいいのか、
アドバイスを受けざるを得ませんでした。
また食口に会うことで大変力づけられ、
慰められるので、迫害されればされるほど
教会を訪ねて行くのでした。


彼女たちの夫は、仕方なく自分の親を訪ねて、
自分の奥さんに関するすべての話を報告するのでした。
韓国では、自分の娘が他家へ嫁に行ってそこから追い出されると、
再婚することは許されませんでした。

そこで、その嫁入り先のだんなさんに
たとえ難しいことがあっても、
我慢して幸せをつかむようにと教育していました。

大変仲の良かった夫婦なのに、自分の娘が
教会へ行くことによって、二人の仲が悪くなり、
家庭が破壊状態になっているのを聞くと、
お父さんはそのだんなさんに加勢するのです。

そして娘には教会へ行くのを
やめさせようとしたのでした。
今まで娘に手を出したこともない親でしたけれども、
自分の娘に手を出したりするようになりました。

しかしながらその娘を引き止めることはできませんでした。
なぜならば、その娘は統一教会と出会うことで
この上もない神の恵みを得ていたからです。
また真理が分かったという確信をもっていたからでした。

お父さんは教会の中心者である牧師を訪ねて、
自分の娘のことを話さざるを得ませんでした。

そうしたらその牧師が若い先生を訪ねて、
どれほど異端なのか、間違っているのかを目の前で証明して、
娘さんを教会から離してくれるだろうと思い、
相談することを心に決めたのでした。

ところが、牧師は一人では先生に会って議論する
自信がないと思ったのです。

それで平壌中のいろいろな重要な教会の牧師と
力を合わせて、先生を訪ねると決めたのでした。

皆様、万人の婦人の例を取り上げましたけれども、
教会に来ている他の食口たちが属している
既成教会の牧師たちも、全く同じような立場に立っていました。


おじいさんが統一教会へ来ました。
ところが、おばあさんとの間に
さっきお話ししたようなことが起こったのでした。

おばあさんは同じように疑ったのです。
おじいさんのことをどうしてそんなに疑うのか
理由が分からないと考えると思います。
先生は男であるから。

そのおばあさんは、自分のおじいさんが
教会に行くことによって変わったというのです。
教会にはおばあさんも通っているし、
若い中年の婦人もいます。

おじいさんと同じような年のおばあさんもいるから、
そうしたおばあさんと仲が良くなって、
自分に近寄らないと疑ったのでした。

この家庭内で起きた、疑いの話を聞いて、
牧師はこの教会は大変間違った教会であると決めつけたのでした。

こうした人たちは、反対する夫や妻の話を
裏付けるかのように夜遅く帰ったり、
時には泊まりがけで通っていました。

礼拝は男と女が一緒になって行い、
時には踊る人もいます。
こういう姿を見ると、これは間違いであると考え始めたのです。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「家庭と教会からの迫害」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


「夫が蛇のように見える」
このような霊的現象は、
堕落論を知らない人には、
全く理解できないことでしょう。

既成キリスト教会が
当時の統一教会を反対した理由は、
こういうところから来ていたのですね。

ただの異端ではなく、
夫婦生活にも支障をきたす、
恐ろしい団体である、という
レッテルを貼られたのでした。

ご主人や、おばあさんに、
「あなたも一緒に行きましょう」と
誘って一緒に行けば問題なかったでしょうが、
あまりに夢中になりすぎたのでしょう。

ご主人や奥さんたちも憶測だけで
「そこはどういうところだろうか」と、
統一教会を訪ねるということはしなかったのですね。

今の教会の婦人たちも、
同じようなことで夫との関係がこじれている場合が多いようです。
特にかつてみ旨が激しい折には、なおさらでした。

今では、教会ではそういう指導はしないのですが、
夫に誠心誠意尽くしたうえで、教会にくるというよりは、
家庭そっちのけになってしまう。。。
これは、今も共通の課題ではないでしょうか。

どんなに反対されても、
お父様を求めて、教会に通い続けた当時の信徒たち。
これを止めることは誰にもできませんでした。

お父様が、彼らのために、祈り、愛を投入し
熱い火のようなみ言を語っておられましたから、
当然だったのかもしれません。

今の時代も家庭連合に対して、
様々なレッテルを貼られていますが、
噂とは全く違うところである、というのは、
実際に来てみたらわかることなのですが。。。



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