2024年11月18日

北でキリスト教が根絶やしにされ、やくざがいなくなった理由 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生の証し。

いよいよ連行され、興南監獄に向かう道に──

若き日のお父様(文鮮明先生)が行かれた
1948年当時の平壌の様子がわかるお話です。


共産党の抑圧政策
事実共産党は、徐々にキリスト教を抹殺している
ということでした。
一例をとってみましょう。

小学校の児童の中には、親が
(キリスト教の)教会に行っている子供がたくさんいました。
子供も親と一緒に通い、日曜学校にいつも参加するのです。

平壌はキリスト教が最初に広められて、
非常に盛んな所でした。
ところが、学校では必ず日曜日に、
特別の登校の日を設けました。

クラスの全部が全部教会の学生ではないのですから、
クリスチャンでない子供を日曜学校の時間に教会へ送るのです。
そして自分のクラスの誰が
日曜学校に出ているのかチェックさせました。

北韓では、少年の時には少年団を、
青年になると民主青年同盟をつくっていました。
そこから労働党、共産党へと行くのです。

このような段階を通して、小学校の時から既に
共産党員になるためのすべての教育を順々に進めているのです。
全員少年団員になるのです。


月曜日には、少年団員の学校の勉強が終わってから、会議があります。
そこでは自己批判、総合批判が始まります。
お互いに批判するのです。

そこで日曜日に出て来なかった児童を立たせます。
先生がそうするのではありません。
先生はそばに立っていて傍聴しています。

少年団の団長は、日曜日に学校へ来なかった
子供の理由をよく知っています。
それを知らないふりをして、その児童を立たせて、
「お前はなぜ日曜日の特別の学習に、
特別の集会に出なかったのか、その理由を
自己批判しなさい」と言って、自己批判させるのです。

幼い子供ですから、強い信仰をもっているのでもないし、
全員の雰囲気がそうなるので、正直に
「私は教会へ行っていました。
これからはそうしない。
この活動には悪魔がいます」と
涙を流しながら悔い改めなければならないようになります。


それは小学校ばかりではなく、中学校、大学
どこにでも適用されるのです。

職業をもっている人は職業別に、
教員、農業関係、炭鉱労働者など、職業同盟をつくりました。
個人で商売する人は、四八年の時には街頭組織がありました。

ですから働かないと食べられないような社会になっているわけです。
こじきは働かないで食べる者です。
物を乞うということ自体は一種の働きですが、
それは自分のため以外の何ものでもありません。

それゆえにこじきでも働かなければ、
食べ物は何も与えないという主義ですから、
全国のこじきを一つの島に収容しました。
そこで働かせたのでした。

また、酒を飲んで人を殴ってお金を取るという
やくざな者たちがいました。
そういう者を一つの所に集めて働かせます。
ですからやくざは一遍になくなりました。
やくざもこじきもいないのです。

また個人の財産を泥棒するのは、とっても軽い罪ですが、
公的なものを盗んだら極めて厳しいのです。
軽くて三年の刑です。


仕事をしている人たちには、仕事があけたら、
毎日のごとく復習の時間を与えて理論を教育していきました。

しかし、学校教育を受けていない人は字が読めず、
いくら共産主義理論を教えても分からないので、
教えることができません。

そこで小学校の児童を動員して、文盲退治ということで、
いなかの人たち、勉強してない人たちや老人の教育を始めました。

子供たちには親のところへ行って
どんどん連れてくるようにさせました。
親は子供がかわいそうに思われて、出なければならなかったのです。


次には、地主から土地を無償で回収して、地主を追っ払い、
ある者は炭鉱に行かせて強制労働をさせ、
その土地は土地のない農夫に分け与えたのです。

苦しく貧しい生活をしていた人たちですから、
まず第一に喜びました。
ところが収穫の大部分を現物税という名目で取り立てますので、
地主の下で大変楽に暮らしていた時より税も高く、
もっと苦しい生活となったのでした。

転職のとき、南では自由に他の職場に移ることが
できるのですが、ここでは許されませんでした。
行こうとしてもお金がなければ、
また許可を受けなければいけない世界なのです。


そういう中で先生がみ旨を行うということは、
どれほど難しいことであったかお分かりと思います。

神のみ旨からすれば、先生を迎えるために
キリスト教を準備したにもかかわらず、
そのキリスト教は先生に反対し、牢屋に送ったのでした。

I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「共産党の抑圧政策」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


お父様が北に渡ったのは、1946年。
正式に北朝鮮が建国されたのは、1948年9月9日です。

しかし、1945年、韓国が日本から独立したときから、
すでに38度線に分断され、
北韓は、(当時の)ソ連に支配されていました。

北韓での子供たちに対する共産党政策、
読んでいるだけで胸が詰まります。。。
やくざもいなくなる共産党・・・本当におそろしいです。

子供というのは、とても純粋です。
教えたとおりに実践していくのです。
悪い教育を受けたら悪いままに育ってしまいます。
青少年たちの教育を正しく行うことが
どれほど重要であるか、と思わされます。


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posted by ten1ko2 at 09:43 | Comment(1) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月08日

若き再臨主は、このように連行された! 「魔術を使う」との噂、キリスト教牧師たちによる80通の投書 《金元弼先生》



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金元弼(キム ウォンピル)先生み言、
新しい章、「興南監獄での伝道」より
2コマご紹介します。

まさしく、このようにして
興南への道がはじまりました。


四八年二月二十二日拘束される

当時私は、朝暗い時に外へ出てみると、
先生はいすに座って常に
瞑想にふけっておられるのを見ることができました。

私は先生が貴重に思えて、
なかなかお話しすることができませんでした。
また食口たちも、私にはみんな天使のごとく貴重に思えて、
話をすることもできませんでした。

私は教会へ行っていながら、
食口たちと誰一人として話したことを覚えておりません。

私はみ言を聞くだけで忙しかったのです。
私は何も分かっていなかったからです。

先生は、一九四六年六月六日に平壌へ着かれました。
そして四八年の二月二十二日の日曜日でしたけれども、
官憲がやってきて、先生の牢屋の生活が始まっていくのです。

 
日曜日には十時に礼拝が始まります。
その二時間前に来てお祈りの準備をしていました。

食口たちが相当来ていたのですが、官憲たちが入ってきました。
先生が上の部屋でお祈りの準備をしておられた時でした。


先生が連行される時に、私は先生の隣を歩きました。
電車の通る市街を通りかけた時でした。

いろいろな音がするのですけれども、私の耳には、
先生をやゆ(揶揄)する声が聞こえてきました。

先生は非常に落ち着いておられました。
しかし、非常に緊張されていることが分かりました。

というのは、こういう中では隣の人が息をしていても、
その息の音は聞こえませんが、
先生と私が並んで歩いていたその時に、
私は先生の激しい呼吸の息の音をものすごく強く感じたのです。


そのようにして、先生と私と女性食口二人が
共産党当局の内務省に連れて行かれました。

女性食口は二日目に拘束が解け、私は四日目に出獄しました。

先生だけを残すようにして、
ついていった人は全部帰ってきたのです。


八十通の投書

先生は魔術をする人だといううわさが出ていました。

それは一般の教会で一生懸命やっていた
中心的な信者が、先生の話を聞いてからは
牧師のいうことを聞かなくなって、
何十年間も因縁をもってきた教会をきっぱりと切ってしまい、
すぐ私たちの教会へ来るようになったからです。

あるいは、どんなに仲のいい夫婦であっても、
また親子でも、いったん統一教会のみ言を聞けば、
そうした関係よりも統一教会と
深くかかわって離れようとしないからでした。

こういうことを考えると、この力はなかなか理解できないのです。
そこで、魔術師が催眠術をかけてこうなったのではないかと
考える以外に、理解する道がなかったのです。

特に、若い夫婦でありながら、夜になっても
近寄らないことを考えると、疑問でならなかったわけです。

ですから、統一教会に不倫な関係があるのではないか
という疑いも、そういうことから起こったのです。

 
八十通の投書は、他の人ではなく、
キリスト教の牧師によって、反宗教、
反キリスト教である共産主義者になされました。

どうしてそういうことができるのだろうかと
疑われるかもしれません。
しかし現実に、
牧師たちは共産党に奉仕したのでした。

二〇〇〇年前のイエス様の時に、
ユダヤ教徒がローマと手を組んで、
イエス様を十字架につけたことを考えると、
全く違うとはいえないと思います。

この牧師たちは、自分の力では
先生を屈伏させることができなかったので、
共産党と手を組んだわけです。

共産党は四八年でしたから、
北に共産国家をまだ樹立していませんでした。
政治綱領では、集会、宗教の自由はありますが、
それは国際世論や国内世論を考えてのものでした。

I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「四八年二月二十二日拘束される」
「八十通の投書」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
(※文中に「統一教会」とありますが、当時の平壌での
開拓教会は正式には統一教会ではありません。)  


「牧師たちは共産党に奉仕した」
神様を信じている牧師と
神様を否定する共産党が手を組む。。。
こんなことが過去にあったのです。

いや、過去というか、現代においても、
拉致監禁を受けた立場として、私自身も
同じような出来事を経験しております。

「悪は徒党を組む」と言いますが、
思想・信条は関係なく、一つの目的を達成するため、
なりふり構わずに結びつくのです。
本当に悲しいことです。

お父様も真の道を歩んでいかれたにも関わらず、
その真意を理解されずに、
多くの迫害を受けたということを
改めて知らなければならないと思うのです。


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posted by ten1ko2 at 19:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月19日

東洋のエルサレム、涙を流さない人がいない「泣く教会」の伝説、真実は… 《金元弼先生》



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金元弼(キン ウォンピル)先生が10代の頃に
直接体験した、貴重な平壌時代の証しです。

「いつも弟子に関心をもたれる先生」より
2コマを紹介します。


祈りと神と人への愛

礼拝のお祈りの時、あるいは準備をしている時には、
常にほかの人のことを考えてほしいと思います。

お祈りしているということは、神との対話の時間になるわけです。
お祈りしている時に、“バン”と音がしますと、
皆さんのお祈りはパッと切れ、分散されてしまいます。

ですからお祈りをしている人がいる時には、
神を愛する、人を愛するという礼儀作法として、
その人の邪魔にならないようにするということは
非常に大事なことだと思います。

私がたまたま部屋でお祈りしていると、非常に大きな音を立てて、
そのまま気にかけずに歩いていく人がいますけれども、
皆さんはそういう人に教えてあげなければいけません。

祈祷は神との対話の時間だということを皆さんはよく心得て、
人の邪魔にならないような生活をするということ自体が、
その人を愛し神を愛することになるわけです。


み言に酔った信徒

日曜日には、サンデー・サービス(礼拝)があります。

説教者に予定されたとき、どのように説教したらよいか
分からないので、日曜日が来るのが非常に不安な時があります。

聖書を中心としてどのように説教したらいいのか。
統一原理の内容と聖書をどのようにかみ合わせていったらいいのかと。


先生はいつも朝早くみ言を語られました。
今は聖書をそんなに見られませんけれども、
先生が韓国におられた時に、サンデー・サービスの前には
必ず聖書を読んで、聖書の内容を中心として、
ずっとみ言を語ってくださいました。

先生が説教していらっしゃると、
霊能者たちは高い心霊の状態になりました。

ある人にお祈りをさせると、代表して
立ってお祈りするのですが、霊界に入ってしまうのです。
その祈りが終わらないと、次の式順に進めません。

非常に不思議なことですが、先生が「もうやめなさい」と言われると、
霊界に入っていたその人は、自分の意識に帰るのです。
そういう場面を見ますと、先生の世界がちょっと分かりました。

 
礼拝が進行しているうちに、先生のみ言を聞いて、
自分はどれくらい神に心配をかけていたことかと
悔い改めの悟りをしました。

ですから説教の時にも、お祈りの時にも、
涙を流して泣かない人はいないのです。

中には恵みを受けて喜んで涙を流す人もあれば、
悔い改めの涙を流す人もあり様々でした。
神の愛に感謝して涙を流す人もいました。
涙を流す動機はそれぞれ違いました。

涙を流すにも、ただ涙を流すのではなく、
胸をたたきながら泣く人もいました。
ある人は体が震え、ある人は大きな声を出しました。


その人はおばあさんですが、立って踊るのです。
しかし皆様が思うようなそういう踊りではありません。

韓国の女の人は、人の前では踊ることも
歌うこともありませんでした。
ですからこれは自分の意志ではなくて、
霊の助けによって踊っていたのです。

踊る人自身も目を開けているのではなく、目をつぶって踊りました。
ある人は喜びがあふれて、歌を歌うにしても
手をたたきながら歌うのでした。


酒に酔っぱらった人のことを考えてみれば、
大変理解がしやすいだろうと思います。
酒に酔ったら黙っていません。

歌を歌い、踊って喜びを発散させます。
笑ったり泣いたり、話をどんどんする人もいますし、
いろいろな人がいるのです。

もともと人間が神の愛に酔っぱらう世界が
神の理想世界だというのです。
神の理想世界は神の愛で酔っぱらう世界。

そのような酔うという本性がありますから、
神の愛に酔うことができないと、
トランプでも良いし何かで酔っぱらおうとするのです。

お酒に酔っぱらっている様子と神の愛に酔っている様子は、
全く異なるものではないということをお話ししたかったのです。
しかし、方向性が違います。


初期の先生による礼拝の雰囲気は、
本当に神の愛に酔っぱらったようなものでした。

ですから騒がしくて、それを理解できない
周りの住宅街の人たちは、教会の隙間からこれを見ていたのです。

こういう状態で、夜になると夫や妻を近づけないということと
連結して考えてみると、これは本当に
淫乱なことがあるからそうなのではないかと考えたのでした。

I 平壌開拓から興南解放
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「祈りと神と人への愛」
「み言に酔った信徒」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2



「神様の愛に酔う」・・・
お酒に酔うのと同じような状態だと考えると
神様の愛をまだまだ知っていない、
まだまだ到達していないな、と思わされます。

信仰生活とは何か、
「神様と善霊がともにある生活である」
昔、先輩から講座を受けたことがあります。

本然の世界というのは、
本当に素晴らしい世界であるに違いありません。
ただ待っていても到達するわけではないですから、
日々、神様と絶対善霊を意識しつつ
感謝して過ごしていきたいと思うのです。




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