2024年07月22日

若き文先生に嫉妬した夫たち、家庭と社会からの迫害の始まり 《金元弼先生》



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金元弼先生の平壌開拓時代の証し。
今回は、「家庭と教会からの迫害」です。


先生を訪ねてくる人々は、
教会でも家庭においても、また周りの人々からも
大変尊敬されていた人たちでした。

ある人は直接神の啓示を受けて
先生のことが分かった人もあれば、
先生のみ言を聞くことによって
先生のことを本当に分かった人もいました。

こうした人たちは、先生と生活をしているうちに
先生に対する信仰が、日を増すにつれて
どんどん深く強くなりました。

いくら啓示を受けるといっても、毎日受けるのではありません。
また疑いがないというのでもありませんでした。
疑いがあるときには、他の人の啓示を通して刺激されます。

ですから疑いがあれば、その人の行動の一つ一つが
ふさがれてしまうのを感じるのでした。

また聖書を読むと、疑いをもっているその自分の状態を
見付けることもありました。
疑いをもつと再び啓示があります。
こうしたことの連続の中で、信仰は篤く深くなり始めました。

み言を聞いて、真理を通して先生のことをよく分かった人でも、
時には人と話をした後に
自分の受けているみ言に対する疑いをもつことがあります。

そういう時は気落ちすることもありましたが、
み言を聞けば復活し、先生に対する信仰は一層深く強くなるのです。


真理によって霊的価値をよく悟った人であっても、
外部からいろいろな迫害を受けると、
上がり下がりがあったのです。

そういう連続の中でも、神が直接守られるがゆえに、
私たちの信仰は非常に燃え上がっていきました。

恵みの中にいるときは良かったのですけれども、
恵みを人に与える段階になりますと、
人々は素直に受け入れてくれません。

そういうときは、先生に尋ねて
アドバイスを受けなければなりませんでした。

 
反対された理由の一つは、
神の啓示の意味はよく知っているのですが、
霊能者たちは聖書を通して説明が十分できなかったからです。

もう一つは、初期の人たちの伝道は
結果をまず先に立てて、特に「再臨主が来ています」
というようなかたちで行ったのでした。
それで大変な迫害に遭ったのです。

こうして伝道していた人たちは、
非常に信仰が篤かったので、家庭においても
教会においても、他の人の模範となっていた人たちでした。

この人たちがみ言の恵みにあずかると、
元の教会にも家にも帰らず、
教会にとどまってみ言を聞き、
信仰の交わりをもつ時間が多くなっていきました。


一つの例を示しますと、結婚して間もない家庭がありました。
夫に対してよく世話をする、仲の良い夫婦でした。
また熱心なキリスト教の家庭でもありました。

奥さんがみ言に接すると、夫の夕食の時間になっても
以前のようには準備ができませんでした。

既成教会にいるときには本当によくやってくれたのに、
うわさによれば若い青年の先生が牧会する
という教会へ行くようになってからは、
以前のようにはよくしてくれなくなったと気が付きました。
そしてなぜだろうという疑いをもたざるを得ませんでした。

また教会へ行くという理由で、夫と共にする時間を
どんどん断っていきます。

このことよりももっと理解できない一つの問題がありました。
皆様は原理を聞いてよく理解していますから、
その理由は何かということはよく御存じでしょうけれども、
彼女がみ言を受け入れて、先生がどれほどの方かを知り、
そしてこの恵みの生活の中にあって、
彼女自身に一つの大きな異変が起こっていました。

今までは夫との関係はこの上ない幸せなものでありました。
けれども、夜になって夫と一緒に寝ていても、
夫が近寄ってくると、蛇が近寄ってくるように
嫌な感じがするというのです。

誰が彼女に教えたのでもないのに、
そのように感じられて仕方がないというのです。
しかし夫にはそれが理解できなかったのです。

彼女もなぜそんなに嫌になってくるのか
理由が分かりませんでした。


皆さんはそのことが理解できますか?
皆さんでしたら、なぜそうなるのか、
その夫人や主人に説明ができるでしょうか。

一九四六年ころのことですので、先生以外は
誰もそれに対して説明してあげる者はいませんでした。

しかし、啓示を受ける人は、
原理的な説明はつかないけれども、
なぜそういうことが起こるのかという簡単な説明はできました。

若い婦人やだんなさんだけに起こるのではなく、
壮婦においても、たとえ六十以上の
おじいさんおばあさんであっても、
こういうことは共通して起こりました。

家でのこうしたお話は、夫婦間のことですから、
誰かに言うこともできない難しい問題でした。
韓国の四六年ころの社会では、
そうしたことは言い出し難い問題でした。

そこで、そうした婦人のだんなさんは、
他のことで少し時間が遅れるとか、
よくやってくれないということに対しては、
まだ理解しようとするのです。
しかし、このことについては理解し難かったのでした。


彼らから見れば先生は若く非常にハンサムですから、
自分の奥さんが教会へ行くことによって、
先生の方をより愛しているから
こういう態度をとるのではないかと
疑いを強くし始めたのです。

そして、家庭での迫害が始まりました。
「教会にはこれから出ないようにしなさい」
ということになったわけです。

しかし、いつもいつも主人と一緒にいるわけでもないのですから、
そう言われても時間の合間を利用して先生の所を訪ねました。

苦しい中でどのように信仰をもち続けていったらいいのか、
アドバイスを受けざるを得ませんでした。
また食口に会うことで大変力づけられ、
慰められるので、迫害されればされるほど
教会を訪ねて行くのでした。


彼女たちの夫は、仕方なく自分の親を訪ねて、
自分の奥さんに関するすべての話を報告するのでした。
韓国では、自分の娘が他家へ嫁に行ってそこから追い出されると、
再婚することは許されませんでした。

そこで、その嫁入り先のだんなさんに
たとえ難しいことがあっても、
我慢して幸せをつかむようにと教育していました。

大変仲の良かった夫婦なのに、自分の娘が
教会へ行くことによって、二人の仲が悪くなり、
家庭が破壊状態になっているのを聞くと、
お父さんはそのだんなさんに加勢するのです。

そして娘には教会へ行くのを
やめさせようとしたのでした。
今まで娘に手を出したこともない親でしたけれども、
自分の娘に手を出したりするようになりました。

しかしながらその娘を引き止めることはできませんでした。
なぜならば、その娘は統一教会と出会うことで
この上もない神の恵みを得ていたからです。
また真理が分かったという確信をもっていたからでした。

お父さんは教会の中心者である牧師を訪ねて、
自分の娘のことを話さざるを得ませんでした。

そうしたらその牧師が若い先生を訪ねて、
どれほど異端なのか、間違っているのかを目の前で証明して、
娘さんを教会から離してくれるだろうと思い、
相談することを心に決めたのでした。

ところが、牧師は一人では先生に会って議論する
自信がないと思ったのです。

それで平壌中のいろいろな重要な教会の牧師と
力を合わせて、先生を訪ねると決めたのでした。

皆様、万人の婦人の例を取り上げましたけれども、
教会に来ている他の食口たちが属している
既成教会の牧師たちも、全く同じような立場に立っていました。


おじいさんが統一教会へ来ました。
ところが、おばあさんとの間に
さっきお話ししたようなことが起こったのでした。

おばあさんは同じように疑ったのです。
おじいさんのことをどうしてそんなに疑うのか
理由が分からないと考えると思います。
先生は男であるから。

そのおばあさんは、自分のおじいさんが
教会に行くことによって変わったというのです。
教会にはおばあさんも通っているし、
若い中年の婦人もいます。

おじいさんと同じような年のおばあさんもいるから、
そうしたおばあさんと仲が良くなって、
自分に近寄らないと疑ったのでした。

この家庭内で起きた、疑いの話を聞いて、
牧師はこの教会は大変間違った教会であると決めつけたのでした。

こうした人たちは、反対する夫や妻の話を
裏付けるかのように夜遅く帰ったり、
時には泊まりがけで通っていました。

礼拝は男と女が一緒になって行い、
時には踊る人もいます。
こういう姿を見ると、これは間違いであると考え始めたのです。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「家庭と教会からの迫害」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


「夫が蛇のように見える」
このような霊的現象は、
堕落論を知らない人には、
全く理解できないことでしょう。

既成キリスト教会が
当時の統一教会を反対した理由は、
こういうところから来ていたのですね。

ただの異端ではなく、
夫婦生活にも支障をきたす、
恐ろしい団体である、という
レッテルを貼られたのでした。

ご主人や、おばあさんに、
「あなたも一緒に行きましょう」と
誘って一緒に行けば問題なかったでしょうが、
あまりに夢中になりすぎたのでしょう。

ご主人や奥さんたちも憶測だけで
「そこはどういうところだろうか」と、
統一教会を訪ねるということはしなかったのですね。

今の教会の婦人たちも、
同じようなことで夫との関係がこじれている場合が多いようです。
特にかつてみ旨が激しい折には、なおさらでした。

今では、教会ではそういう指導はしないのですが、
夫に誠心誠意尽くしたうえで、教会にくるというよりは、
家庭そっちのけになってしまう。。。
これは、今も共通の課題ではないでしょうか。

どんなに反対されても、
お父様を求めて、教会に通い続けた当時の信徒たち。
これを止めることは誰にもできませんでした。

お父様が、彼らのために、祈り、愛を投入し
熱い火のようなみ言を語っておられましたから、
当然だったのかもしれません。

今の時代も家庭連合に対して、
様々なレッテルを貼られていますが、
噂とは全く違うところである、というのは、
実際に来てみたらわかることなのですが。。。



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2024年07月08日

どうしたら文鮮明を理解できますか? 主の聖書は赤ペンだらけ 超アップダウン、金元弼先生の信仰初期 《ベストアンサー》



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青坡洞(チョンパドン)旧本部教会のお父様の机(平壌時代のものではありません)☆


家庭連合(旧統一教会)は、どんなところでしょうか?
そして、教祖である文鮮明夫妻を
いったいどのように理解したらいいのでしょうか。

金元弼(ウォンピル)先生の平壌時代
(統一教会ができる前)の証し。
今回は、『赤い線でいっぱいの先生の聖書』です。


(文鮮明)先生はみ言を伝えるとき、
聖書を通して統一原理を教えられました。

そうして神の願う人たちを集めました。
神のこれからの摂理の基盤をつくる時でしたから、
先生は心と力、霊魂を投入してこの人たちを教えたのです。

それは言うまでもなく、神の心情、神の伝統を
相続させるという仕事であったと思います。

『原理原本』というものはありませんでした。
それは先生の中にあり、当時は聖書を統一原理で教えていたのです。

先生の聖書を見ると、旧約聖書の創世記から
黙示録に至るまで赤い棒線が引かれているのです。
そしてたくさんのことが書き込まれていました。
その聖書には、涙が流れ、それが乾いた跡がたくさんありました。


先生は、再臨主は雲に乗ってくるのではなく、
イエス様が人の子として生まれたごとく、
人の子として生まれるという原理だけを教えました。
創造原理の内容とこの再臨論を話されたのです。

霊能者たちは牧師から雲に乗って
再臨すると教えられて信じているのですが、
神は「絶対に雲に乗ってこない」と啓示するのです。

イエス様が2000年前に一人の子として生まれたごとく、
肉身をもって必ず来ると教えてくれたのでした。

同時に、韓国に再臨すると教えられていました。
当時、特に平壌は、第二のエルサレムになる
という啓示を受ける人がたくさんいました。


先生は、御自身で原理を書かれるということも、
お話ししてくださいました。

もちろん先生が書かれた原本がありますけれども、
先生御自身が書かれると思います。
今、私が話していることを、皆様もお話ししてください。

私が統一教会の教会長の話をしたとしましょう。

私にはそう見えて話したとしても、
本人はそうではないこともあります。
違う点があるわけです。

ですから結局、先生が直接お話しされたのが正しいということです。

どうしたらレバレンド・ムーンを理解できますか?

それは、私が話していくうちに気付かれると思います。
私の話を聞きながら、私がどのようにして
先生を本当に理解できたのかが分かると思います。


メシヤに対する信仰を100としてみれば、
一の信仰をもってメシヤとして信ずるのも、
それはメシヤを信ずることです。
そして、どんどん高まっていくのです。

ですから、メシヤが分からない最初の段階から、
その次にメシヤのようだ、そしてメシヤに違いない、
メシヤであるという段階をたどると思います。

ですから、ある時にはそう信じながらも、
いやそうではないと思うこともあるのです。
心の中でいつもアップダウン、アップダウンしながらも、
辛抱して確立していくのです。

1から2に上がるときにも、
ダウンしてその次に2に上がるし、
3に上がるときにもダウンして3に上がるし、
このようにして上がっていくのです。

100まで上がるのに、非常に信仰心が篤くて
アップダウンがないというのではありません。
信仰が弱いというのは、弱いときに
アップダウンを見せる人が弱いというのです。
それをたまたま出している人を信仰が良くないというのです。

ところが、弱いときにこれをやらないで、
アップダウンを止めておいていく人を、
あの人は信仰が良いというのです。


(その当時の)私も皆様の初期のころと全く同じだと思います。

原理が本になって表れていたらいいんですけれども、
あまりに感動して恵みの中にいましたので、
人々を伝道する時に結論だけを話しました。
「再臨のメシヤが来ました」と。

しかし、それに対して証することができませんでした。
説明して結論を出したら理解しやすかったと思うのですけれども、
それが分からず、ただその結論だけが非常に大事ですから、
それだけを先に出してしまったのです。

そして、どうしてそうなのかと聞かれると、
なかなか説明ができなくて、詰まってしまったのです。
街頭伝道ではなく、因縁伝道が主でした。
自分の親、子供、一番尊敬する人を伝道したのです。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「赤い線でいっぱいの先生の聖書」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

再編集 文責:ten1ko2


赤ペンだらけの聖書。。。
お父様は、神様を愛し、イエス様を愛しされた、
その証拠でもある、といえるのではないでしょうか。

もっともっと聖書に通じ、
そして、原理のみ言に通じる、
そんな者にならなければ、と思わされます。

アップダウンの証しがありますが、
うまく父母様やみ言を証せなかったり・・・
誰でもそんな信仰初期のころがあります。
失敗や試行錯誤はあっても、嬉しさと熱意にあふれていた頃。。。

私も、初期のころは、お父様を知ることができた感動、喜び、
み言がはっきりわからなくても、
その思いをぶつけて伝道していきました。

真の父母様との出会いを忘れずに、
また、その思いを拡大して、
今の歩みに連結していきたいです。


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2024年07月01日

「6千年前も6千年後にもない」貴重な歴史的集団?! 《金元弼先生のベストアンサー》



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わたしについてきなさい。
あなたがたを
人間をとる漁師にしてあげよう


マルコ 1章14〜20節


統一教会が現れる前、
まだ10代の金元弼(ウォンピル)先生に
再臨主・文鮮明先生が
掛けられた言葉とは──

平壌時代の証しより
今回は、『真心で指導される先生』です。


先生はみ言を語られる時、冬は
綿の入った韓国古来の衣服を着ておられました。
説教が終わる時には、その綿の服を絞れば
水が垂れてくるくらいに、汗を流してみ言を語られました。

それゆえに、食口は毎週着物を洗い、
そして作らなければなりませんでした。

また韓国の着物は、洋服のようにただミシンに入れて回す
というのではなく、いちいち手縫いでしますけれども、
その後に、布は布なりに綿は綿なりに、
初めて作るごとくやり始めなければなりませんでした。

このメンバーたちは、長年神に侍り、
イエス様に侍る生活をしていた人です。

それゆえに神からいろいろなかたちで、先生に
どのように侍らなければならないかを教えてもらい、
本当に真心を尽くしたのです。

 
私たちは気軽に握手することもできますが、
当時は霊能者であっても、
先生の着物に触れることは難しいことでした。

先生は何も語られないのです。
もちろん、新しい食口が来た時には、
み言を熱心に語られますが、
個人的にはなかなか語ってくださいません。

皆さんは、私は先生と近くにいるから、
直接たくさんのみ言をいただくだろうと
考えるかもしれませんが、そうではないのです。

私が何も分からず、幼いからでありましょうけれども。


先生は礼拝が終わると、教会から離れた野外とか、
学校の庭とか、そういう所をたびたび訪ねました。

その時に、(私に)「何か聞きたいことがあったら
聞きなさい」と言われました。

しかし、私は先生の言われることを全部信じていましたし、
理解できていましたから、何ら質問の余地はありませんでした。
それで「ありません」と答えました。

先生は、私が何も分かっていないと言ったら、
もっと高い次元のみ言を語ってあげたい
と思っておられたと思います。

しかし受ける体制もなっていない幼い者と
見えたからでしょう、先生は私に

「この教会は六〇〇〇年前にはなかったし、
 六〇〇〇年後にもない。
 そういう集団であるということだけ
 分かればいいですよ」


とひと言だけ教えてくださいました。

その時は、統一教会という名前もなく、集まりであり、
群れであり、集団だと教えてくれたのです。

今考えてみますと、何を言っても私にはよく分からないから、
ただ結論だけ教えてくださったのでした。

短いみ言ですが、深く考えてみればみるほど、
六〇〇〇年という有史以来なく、これからもない集団である
というみ言に原理の結論を示しておられるのです。
私はその本当の意味が分かりませんでした。

 
先生は礼拝が終わると、よく和動の時間をもってくださいました。
当時の韓国の社会では、男女が同じ部屋で
一緒に話し合うということは、非常にまれなことでした。

女性は、男性の前を通るものではありませんでした。
食事も女性は他の所でしました。
そこにキリスト教が入って、そういうことは
徐々になくなっていったのです。

また、教会の建物自体もそのようになっていました。
今は男女が一緒の座敷に座りますが、
韓国のキリスト教会では、女性の席と
男の席が別々になっていました。

そして、男性の説教者は、両側全部を
見れるようになっていました。
しかし、女性の方からは男の人たちが見えないような
造りになっていたのです。

 
クリスチャンは礼拝が終わると、
民族の音楽はなかなか歌いません。
賛美歌だけを歌うのです。

しかし先生は和動する時に、食口たちの中で、
民族の歌をよく歌ってくださいました。
今から三十五、六年前(一九四六年ごろ)の話です。

これは皆さんの国での三十五、六年前ではなく、韓国での話です。
ですから韓国のキリスト教では、このように
民族の歌を歌っても罪のごとく考えたのです。
革命だとしたら、これほどの革命はないと思います。

先生のお心は、たとえどういう歌であっても、
歌って愛する愛の対象が神でありメシヤであるならば、
どういう歌でも歌うことができるというお考えなのです。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集 伝統の生活化』を改題


「この教会は6000年前にはなかったし、
6000年後にもない。
そういう集団であるということだけ
分かればいいですよ」

まだ、「統一教会」という名前の無い時代。
当時、お父様に侍る人たちは、
本当に少なかったと思います。

しかし、何もない中で
強い心情の絆で結ばれた創設以前の時代の人たち。。。
どれだけ天にとって、お父様にとって
価値のある集団であったでしょうか。

今は、統一教会から家庭連合に名称が変更され、
その当時と比較すれば、多くの基盤ができました。

日本家庭連合は、困難な中にありますが、
しかし、後にも先にもない、
真の父母様に侍る団体として、
その価値を貴く思い、歩んでいきたいと思うのです。

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