2024年11月08日

若き再臨主は、このように連行された! 「魔術を使う」との噂、キリスト教牧師たちによる80通の投書 《金元弼先生》



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金元弼(キム ウォンピル)先生み言、
新しい章、「興南監獄での伝道」より
2コマご紹介します。

まさしく、このようにして
興南への道がはじまりました。


四八年二月二十二日拘束される

当時私は、朝暗い時に外へ出てみると、
先生はいすに座って常に
瞑想にふけっておられるのを見ることができました。

私は先生が貴重に思えて、
なかなかお話しすることができませんでした。
また食口たちも、私にはみんな天使のごとく貴重に思えて、
話をすることもできませんでした。

私は教会へ行っていながら、
食口たちと誰一人として話したことを覚えておりません。

私はみ言を聞くだけで忙しかったのです。
私は何も分かっていなかったからです。

先生は、一九四六年六月六日に平壌へ着かれました。
そして四八年の二月二十二日の日曜日でしたけれども、
官憲がやってきて、先生の牢屋の生活が始まっていくのです。

 
日曜日には十時に礼拝が始まります。
その二時間前に来てお祈りの準備をしていました。

食口たちが相当来ていたのですが、官憲たちが入ってきました。
先生が上の部屋でお祈りの準備をしておられた時でした。


先生が連行される時に、私は先生の隣を歩きました。
電車の通る市街を通りかけた時でした。

いろいろな音がするのですけれども、私の耳には、
先生をやゆ(揶揄)する声が聞こえてきました。

先生は非常に落ち着いておられました。
しかし、非常に緊張されていることが分かりました。

というのは、こういう中では隣の人が息をしていても、
その息の音は聞こえませんが、
先生と私が並んで歩いていたその時に、
私は先生の激しい呼吸の息の音をものすごく強く感じたのです。


そのようにして、先生と私と女性食口二人が
共産党当局の内務省に連れて行かれました。

女性食口は二日目に拘束が解け、私は四日目に出獄しました。

先生だけを残すようにして、
ついていった人は全部帰ってきたのです。


八十通の投書

先生は魔術をする人だといううわさが出ていました。

それは一般の教会で一生懸命やっていた
中心的な信者が、先生の話を聞いてからは
牧師のいうことを聞かなくなって、
何十年間も因縁をもってきた教会をきっぱりと切ってしまい、
すぐ私たちの教会へ来るようになったからです。

あるいは、どんなに仲のいい夫婦であっても、
また親子でも、いったん統一教会のみ言を聞けば、
そうした関係よりも統一教会と
深くかかわって離れようとしないからでした。

こういうことを考えると、この力はなかなか理解できないのです。
そこで、魔術師が催眠術をかけてこうなったのではないかと
考える以外に、理解する道がなかったのです。

特に、若い夫婦でありながら、夜になっても
近寄らないことを考えると、疑問でならなかったわけです。

ですから、統一教会に不倫な関係があるのではないか
という疑いも、そういうことから起こったのです。

 
八十通の投書は、他の人ではなく、
キリスト教の牧師によって、反宗教、
反キリスト教である共産主義者になされました。

どうしてそういうことができるのだろうかと
疑われるかもしれません。
しかし現実に、
牧師たちは共産党に奉仕したのでした。

二〇〇〇年前のイエス様の時に、
ユダヤ教徒がローマと手を組んで、
イエス様を十字架につけたことを考えると、
全く違うとはいえないと思います。

この牧師たちは、自分の力では
先生を屈伏させることができなかったので、
共産党と手を組んだわけです。

共産党は四八年でしたから、
北に共産国家をまだ樹立していませんでした。
政治綱領では、集会、宗教の自由はありますが、
それは国際世論や国内世論を考えてのものでした。

I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「四八年二月二十二日拘束される」
「八十通の投書」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
(※文中に「統一教会」とありますが、当時の平壌での
開拓教会は正式には統一教会ではありません。)  


「牧師たちは共産党に奉仕した」
神様を信じている牧師と
神様を否定する共産党が手を組む。。。
こんなことが過去にあったのです。

いや、過去というか、現代においても、
拉致監禁を受けた立場として、私自身も
同じような出来事を経験しております。

「悪は徒党を組む」と言いますが、
思想・信条は関係なく、一つの目的を達成するため、
なりふり構わずに結びつくのです。
本当に悲しいことです。

お父様も真の道を歩んでいかれたにも関わらず、
その真意を理解されずに、
多くの迫害を受けたということを
改めて知らなければならないと思うのです。


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posted by ten1ko2 at 19:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月19日

東洋のエルサレム、涙を流さない人がいない「泣く教会」の伝説、真実は… 《金元弼先生》



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金元弼(キン ウォンピル)先生が10代の頃に
直接体験した、貴重な平壌時代の証しです。

「いつも弟子に関心をもたれる先生」より
2コマを紹介します。


祈りと神と人への愛

礼拝のお祈りの時、あるいは準備をしている時には、
常にほかの人のことを考えてほしいと思います。

お祈りしているということは、神との対話の時間になるわけです。
お祈りしている時に、“バン”と音がしますと、
皆さんのお祈りはパッと切れ、分散されてしまいます。

ですからお祈りをしている人がいる時には、
神を愛する、人を愛するという礼儀作法として、
その人の邪魔にならないようにするということは
非常に大事なことだと思います。

私がたまたま部屋でお祈りしていると、非常に大きな音を立てて、
そのまま気にかけずに歩いていく人がいますけれども、
皆さんはそういう人に教えてあげなければいけません。

祈祷は神との対話の時間だということを皆さんはよく心得て、
人の邪魔にならないような生活をするということ自体が、
その人を愛し神を愛することになるわけです。


み言に酔った信徒

日曜日には、サンデー・サービス(礼拝)があります。

説教者に予定されたとき、どのように説教したらよいか
分からないので、日曜日が来るのが非常に不安な時があります。

聖書を中心としてどのように説教したらいいのか。
統一原理の内容と聖書をどのようにかみ合わせていったらいいのかと。


先生はいつも朝早くみ言を語られました。
今は聖書をそんなに見られませんけれども、
先生が韓国におられた時に、サンデー・サービスの前には
必ず聖書を読んで、聖書の内容を中心として、
ずっとみ言を語ってくださいました。

先生が説教していらっしゃると、
霊能者たちは高い心霊の状態になりました。

ある人にお祈りをさせると、代表して
立ってお祈りするのですが、霊界に入ってしまうのです。
その祈りが終わらないと、次の式順に進めません。

非常に不思議なことですが、先生が「もうやめなさい」と言われると、
霊界に入っていたその人は、自分の意識に帰るのです。
そういう場面を見ますと、先生の世界がちょっと分かりました。

 
礼拝が進行しているうちに、先生のみ言を聞いて、
自分はどれくらい神に心配をかけていたことかと
悔い改めの悟りをしました。

ですから説教の時にも、お祈りの時にも、
涙を流して泣かない人はいないのです。

中には恵みを受けて喜んで涙を流す人もあれば、
悔い改めの涙を流す人もあり様々でした。
神の愛に感謝して涙を流す人もいました。
涙を流す動機はそれぞれ違いました。

涙を流すにも、ただ涙を流すのではなく、
胸をたたきながら泣く人もいました。
ある人は体が震え、ある人は大きな声を出しました。


その人はおばあさんですが、立って踊るのです。
しかし皆様が思うようなそういう踊りではありません。

韓国の女の人は、人の前では踊ることも
歌うこともありませんでした。
ですからこれは自分の意志ではなくて、
霊の助けによって踊っていたのです。

踊る人自身も目を開けているのではなく、目をつぶって踊りました。
ある人は喜びがあふれて、歌を歌うにしても
手をたたきながら歌うのでした。


酒に酔っぱらった人のことを考えてみれば、
大変理解がしやすいだろうと思います。
酒に酔ったら黙っていません。

歌を歌い、踊って喜びを発散させます。
笑ったり泣いたり、話をどんどんする人もいますし、
いろいろな人がいるのです。

もともと人間が神の愛に酔っぱらう世界が
神の理想世界だというのです。
神の理想世界は神の愛で酔っぱらう世界。

そのような酔うという本性がありますから、
神の愛に酔うことができないと、
トランプでも良いし何かで酔っぱらおうとするのです。

お酒に酔っぱらっている様子と神の愛に酔っている様子は、
全く異なるものではないということをお話ししたかったのです。
しかし、方向性が違います。


初期の先生による礼拝の雰囲気は、
本当に神の愛に酔っぱらったようなものでした。

ですから騒がしくて、それを理解できない
周りの住宅街の人たちは、教会の隙間からこれを見ていたのです。

こういう状態で、夜になると夫や妻を近づけないということと
連結して考えてみると、これは本当に
淫乱なことがあるからそうなのではないかと考えたのでした。

I 平壌開拓から興南解放
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「祈りと神と人への愛」
「み言に酔った信徒」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2



「神様の愛に酔う」・・・
お酒に酔うのと同じような状態だと考えると
神様の愛をまだまだ知っていない、
まだまだ到達していないな、と思わされます。

信仰生活とは何か、
「神様と善霊がともにある生活である」
昔、先輩から講座を受けたことがあります。

本然の世界というのは、
本当に素晴らしい世界であるに違いありません。
ただ待っていても到達するわけではないですから、
日々、神様と絶対善霊を意識しつつ
感謝して過ごしていきたいと思うのです。




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2024年10月12日

若き再臨主の半端ない吸引力! なぜ、帰りたくなくなるのか 《金元弼先生のベストアンサー》



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金元弼先生のみ言、
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」より
今回は、「霊能者とキリスト教信者」。

1947年、東洋のエルサレムと言われた平壌──
30名もの人たちが、なぜ再臨主の許に
集まってきたのでしょうか。


(文鮮明)先生は(大同保安署から釈放された後)
体が回復すると、すぐに前と同じく
朝早くからみ言を語られ、夜遅くまで語り続けられました。

今までずーっと見てまいりますと、先生がいらっしゃる所には、
常に大勢の食口たちが集まっているのです。
それゆえに、先生お一人の時間というものは全くありません。

リーダーになると、自分一人の時間が
欲しくなる時がよくあると思います。
しかし、先生にはそれがありませんでした。

先生の生活は、今でもそうですが、ちょうど
ガラスの部屋の中で生活しておられるものと
考えれば、大変分かりやすいと思います。

一方、私たちは壁を作って、その中で誰からも見られない、
自分だけの時間をもちたいと思い、そういう環境が欲しいと考えます。
しかし先生の場合は、何時にお部屋に行かれ、
何時に起きられたというように、すべて見ることができるのです。

 
四七年には約三十名の食口が集まりました。

先生を尋ねて集まってくる人たちは、
長年の間信仰生活をしてきた人たちです。
みんな各教会の中心人物でした。

彼らは、いろいろな奇跡や予言をしたり、
人々の病気を活したという経験をもっている霊能者でした。

それゆえに、その人たちによって、
教会の信者は伝道されたのです。
ですから彼らは、その教会の中心的な幹部であり
柱のようになっていました。

また、牧師のみ言を神のみ言のごとく大事にし、
牧師に対して神に侍るごとく侍ってきたのです。


その人たちに神は、メシヤの十字架は神の計画ではない
と啓示で教えてくるのでした。

霊能者は、牧師からイエス様の十字架は
神の計画であったと教えられているのに、
神の教えはそうではないのです。

霊能者はこの神の啓示を非常に喜んで、
牧師も必ず聞いてくれるだろうと思って
書きつけて話してあげました。

ところが予想とは異なって、牧師は
「それは正しくない。聖書を見なさい」
と言って、その霊能者の食口に
間違っていることを聖書を通して話すのでした。

また「あなたに教えを告げる者はサタンである」と教えるのでした。
その時の霊能者の衝撃は、耐え難いものでした。

それで家に帰って神にお祈りしました。
その啓示は以前と変わらず、
「これが正しい」と教えるのです。
そこで霊能者は、牧師と教えとの間にはさまって非常に悩みました。

牧師の反対は、聖書を通して
「何章にはこのように書かれている。このように教えている」
と具体的な内容で示して
「間違っている」と言うのです。

啓示では、正しいということは教えてくれますけれども、
聖書を通して、ああであるからこうである
というようには教えてくれないのです。


教会を離れては行く所がありません。
それで心の悩みを抱えながら、既成教会についていっているのです。

そこで、時には真理があると聞けば、
このことが解決できるのではないかと思って訪ねてみたり、
山へ行ってお祈りしてみたりするのですが、
答える人はありませんでした。

そのような中で教会へ行っても、
牧師に対する尊敬の気持ちをもつことはできませんでした。

また、韓国のキリスト教会は、
家庭復帰されていて家族連れで参加します。
ですから今お話しした霊能者は、教会を建てたのですが、
生活の面でも家庭で非常に尊敬される位置にいました。

家に病人が出ておなかが痛ければ、おばあさんだったらおばあさん、
お母さんだったらお母さん、お父さんだったら
お父さんのところに来てお祈りしてくれるのです。
するとすぐに治りました。

困難なことが起こってそれを話すと、
本当によくアドバイスしてくれました。

ですから家庭の中で、生活の面でも人格の面でも
大変仰がれる立場にいたのです。
しかしながら心の葛藤がありましたから、
本当の喜びはありませんでした。


そういう時に、南から来た青年の先生が、
神霊と真理によって礼拝をするといううわさを聞いて、
その人たちは目が覚めたごとく、先生の所に尋ねてきたのです。
そういう人が先生のみ言を聞きました。

十字架は既定事実ではないと今私たちが
『原理講論』を通して細かく教えられるごとく教えられました。
その人たちは、それこそ、
「私が神から教えてもらった啓示は正しかったのだ」
ということを体験するのでした。

他にもいろいろな問題がみ言を聞くことで解決されると、
霊能者たちはそこから帰りたくなくなるのでした。

そこで非常に喜び勇んで、牧師に話したのです。
しかし、この人たちは頭では理解できたのですが、
牧師が聖書を通して一つ一つ反論するのを
説得する力はもっていませんでした。

自分よりよく聖書を読んでいる牧師に、
よく説明できないのです。

そうして傷ついて帰ってくるのでした。
私たちのかつての姿を思い浮かべて見ればよく理解できると思います。
傷ついて帰ってきた人に、(先生は)一人一人お話をしてあげるのでした。
すべての人にそうしてあげるのです。

ある人は神の啓示を受けて、
「ある所に偉大な先生がいらっしゃるから、
そこに行って尋ねなさい」と直接教えられてきた人もいました。


また、五年前に、「再臨のメシヤが来る」と
その日付けなどいろいろと啓示を受け、
自分の聖書に五年後の何月何日にメシヤを迎えるだろうと記して、
その準備をしていた人もいました。

この人がその啓示を受けた時、部屋でお祈りをしていたら、
体がくっついて動きませんでした。

朝、お祈りし始めたそのお母さんが一日中出てこないので、
子供が不思議に思って行ってみました。
そして指を動かしてもビクともしません。
起き上げようとするのですが、彼の若い力をもってしても
どうしてもそれができませんでした。

この人はそれから五年後に、自分でも分からないうちに、
何かを探したいといって家を出ていったのです。

そして、その心の導きに従って歩いて、
ある狭い道路に来た時に、美しい歌声が聞こえてきました。
そしてその歌声が聞こえてくる所に入っていきました。

そこは先生がおられた教会であったのです。
その時は彼女が約束されていた、ちょうどその日でした。

皆さんが祝祭日に着る礼服は、
その人が神の啓示によってデザインしたものです。


教会の中心的幹部たちが、先生の所に
どんどん寄り集まってまいりましたが、
今まで所属していた教会へ帰ろうとはしません。

韓国の教会というのは、国家が助けているのではなく、
教会員たちの献金によって支えられていました。
ですから牧師たちの生活も彼らによって支えられていたのです。
そういう人が先生の所に来て帰らないので、
教会は大変揺れ動き始めたのでした。

教会員たちはそういう霊能者に影響されて、
どんどん統一教会の活動をしますから、今までいた教会へ行かなくなり、
献金もその人たちが来なくなると減ってしまいました。

そうなりますと教会を運営するのが困難になり、
そこで牧師たちはいかにして
その食口をもとに帰そうかと考えざるを得ませんでした。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「霊能者とキリスト教信者」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


天が準備し、啓示で集まった人たち。
やはり、み言と愛で離れられなくなったのに
違いありません。

まだ教会創立前、
北朝鮮の地で復帰された方たち。。。
草創期に導かれるというのは、
どれほど使命が大きかったことでしょうか。

ですから、乗り越えなければならない試練も
その分、考えられないほど大きかったのだと思います。

既成キリスト教会の牧師の立場を考えても
中心的な人たちが教会から去っていくというのは、
歓迎すべきことではなかったでしょう。

真の父母様に侍り、従っていくというのは、
導かれるだけでもすごいことですが、
従っていくためにはさらに、
とてつもない蕩減条件が必要である、ということを
改めて実感します。


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