2025年05月17日

両親や旧友にみ言を伝えるときは、洗礼ヨハネを立てるべし 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言より、
マルタとマリヤを題材とした話の
3回目です。


マルタの見方


私たちは、人を習慣的に取り扱うことが多いのです。

だから、私たちはよく知っている人、
小学校の時からよく知っている人には、
なかなかみ言を伝えにくいのです。

なぜかというと、小学校当時と同じと思って、
「おい、お前、今どういう意見をもって、
どういう位置で、価値をもったのか?」と言うからです。

歳は同じだけれども、今まで会わなかった期間、
統一教会に来て特修を出て、伝道を三年くらい
したあとに会った時には、その人は子供の時は知っていたけれども
この三年間の私たちは知らなかったのです。

ですから、(その人が)謙遜になって、
「どんな内容をもったのだろう、
どんな価値をもったのだろう」という思いで尊敬すれば、
私たちはその友達に昔の因縁を土台として
自分の秘密が話せるようになるのです。

それなのに、小学校時代に遊んだ者と決定して
扱うものだから、言おうとしても言えない。

言っても、「でっかいことを言うな、
いつそんな哲学者になったのか。
世界的に人類を救う? 
でっかいこと言いやがって」と、
かえって冗談話になってしまう。


だから皆さんも、み言を悟ったあとに、
父母のところへ行ってはいけないのです。

なぜなら、み言によって神様と因縁を結んで、
神にとって貴重な自分だということを信仰して帰ったのに、
自分の価値を知らない人は、以前と同様に
自分の産んだ者として、無価値に取り扱うからです。

入信したあとには、以前知っていた者と会っても、
かみ合わないのです。
だから会わない。

ではだれを通じて会うか? 
必ず中間の人を通じて会うのです。


お父さんお母さんには、自分が会わずに
自分の友達を通じて話すのです。
両親の知らない、自分の親しい友達に
家に行ってもらうのです。

その人が何回も行って、あなたの息子であるけれど
私は先生として侍るんだという心情でもって、
「あの先生、私たちの教会長……」と侍れば、
両親は、今現れた青年が自分の息子を先生と
言って侍ってきたので、
自分がその人の前で「お前!」と言えないのです。

「なぜ息子のことを先生とあなたたちは言っているのか」。

「ええ、立派な人で、兄弟(教会員たち)に尊敬されているし、
こういう内容をもっている」。

「ああ、そうですか」と、友達を通じて
自分の息子がああいう内容をもっている、
社会的信用をもっていると思うのです。

直接に行けば、外的に血統的に見るから
無視されてしまう。
霊的に相当損をしてしまうのです。


マルタは目に見えるもので判断したのです。

ハム(ノアの息子)もお父さん(ノア)の裸になった体を見て、
その原因を知ろうとしないで、
ただ外的に見たから恥ずかしくなったのです。

それも同じ考え方です。
今まで尊敬していたのなら、
酒に酔ったお父さんを見た時も、
尊敬しながらその理由を知ろうとしたなら、
ハムは失敗しなかったのです。

「なぜ今まで飲んだことのないお父さんが飲んだのだろう。
今までのお父さんと、全然違ったきょうの
この結果が現れたのはどういうわけだろう。

神様から何か啓示を受けてなのか、私たちに原因があるのか、
お父さん自体が酒が好きになってそうなったのか。
これはどういうわけなのだろう」。

こういうふうに分かろうとすれば、失敗しないのです。

8.永遠に生きる信仰
「マルタの見方」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
再編集 文責:ten1ko2


人は、外見や過去に出会った人として、
判断してはいけない、ということですね。

そういう意味でも、「私」を証ししてくれる、
信仰の子女を立てることが
どれだけ重要であるか、と感じます。

今、真のお母様に侍る義人たちも
どんどんと現れてきています。

家庭連合を「統一教会時代のままである」
そのように見つめる人たちもいます。

時代が変わっていることを知ってほしいし、
過去のままで見つめて欲しくないと思います。

また、「私自身」も本当の意味で、変わった、といえるように、
義人を立てる歩みをしていかなければ、と思うのです。

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2025年05月11日

統一教会に対する認識、合ってますか? 未来を信じる人は永遠・最強! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》

통일교회에 대한 인식, 맞습니까? 미래를 믿는 사람은 영원・최강 !《이요한 선생님의 믿음사프리》
Is your understanding of the Unification Church correct? Those who believe in the future are eternal and the strongest ! "Faith suppl. by Rev. John Lee"



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過去の信仰にとどまっていませんか? マルタVSマリヤ2


李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
「マリヤとマルタ」に関するみ言の続き。
今回は、「軽々しい判断」です。


(「この香油を売って貧しい人たちに施せばよかったのに」)
ほとんどの男性の考えを、ユダが代表的に発表したのです。

男性たちは、自分が今まで真剣に考えてきたという
情の土台の上で判断しないで、ただ環境を見て軽く判断したのです。

また、女性の代表として、マルタは
過去に暮らしてきた自分の基台の上に
イエス様を知ったつもりで、今信じているのです。

初めてイエス様に会い、み言に触れた因縁で
イエス様を信じ、ラザロを復活させたとか、
以前の説教によって刺激を受けたとかいう因縁で、
今付き合っている。

だからマルタは過ぎ去ったイエス様は知っているが、
今のイエス様は知らないのです。


「マリヤは今のイエス様を知っている。
現在というところで実感して、
イエス様の悲しみを痛哭している」。

これが、永遠の価値のある因縁を結んで、
永遠をもって暮らすことです。
今までの情のレベルを高めながら暮らす人が、
永遠性をもった人です。

「マルタは以前の因縁をもって、今早くイエス様に侍りたい。
疲れて帰られるのを見て、イエス様の内容を知らないから、
外的に仕事ばかり一生懸命やる」。

これは過去に暮らしているから、
過ぎ去ると恥ずかしくなってしまうのです。


「律法主義者、祭司長なども、モーセを信じ、
アブラハムの子孫だと思っている」。
これも、今に生きていながら昔を考えて信仰しているのです。

今、既成教会も二千年前のイエス様を信じているのです。
歴史的人物を崇拝して何になるのか? 

目の前の人をイエス様のごとく愛さないと、
今の人間ではないのです。


今の人間を歴史上の人物より以上に貴重にする人は、
未来を開拓できる可能性のある人です。
未来が問題なのです。

今までの因縁をもって今の自分を取り扱ったら、
過ぎ去った人間になってしまう。
「今」というものを相続できないのです。


カトリックは、現世にいるようではあるけれども、
二千年前の旧約時代の信仰をもっているのです。
だから彼らは今の時代をつくるものではない。

死ぬと二千年前、旧約時代の霊界へ行くようになるのです。
行ってみるととんでもない所へ行った。
イエス様は現れなかったというのです。

旧約時代の儀式を貴重にして厳しく守ったところが、
一九七一年には地上にいたけれども、霊界ではどこへ行くかというと、
二千年前の霊人のところへ行くのです。

なぜなら、その時の信仰をもっていたから、それは当然です。

 
未来を信仰した者は永遠に生きるのです。

だからイエス様とかヤコブは今も生きているのです。
永遠の価値をもったから、神の摂理が勝利し、
成し遂げるまで、ヤコブは生きて
イエス様と共に仕事をしているのです。

今、地上の摂理を共に行っているのです。
なぜなら、その心情はいつまでも、
地の果てまで影響力があるからです。

 
私たちは、例えばけさ、何かの新しい情を実感して暮らせば、
未来に暮らしている人だけれども、
きのうの因縁によってやむを得ずけさ出発した人間は、
もはや過ぎ去った人間になってしまうのです。

このことをよく知らなくてはなりません。
三人の中のマルタは、過ぎ去った信仰をもち、
初めてみ言に触れた時の因縁によって喜んでいるから、
きのうのイエス様は知らないのです。

私たちもそうではありませんか? 
朝皆さんが別れて再び集まる時には、
朝は知っていたけれども、きょう一日
どんなに神経を使って帰ったかを知らない以上は、
知らずに会っているのです。

別れてから会うまでのその内的心情を知らないから、
自分は謙遜になって本当にその人を
貴重に思いながら交わろうとするのが、
本当の、永遠に内情的に交わる食口なのです。
8.永遠に生きる信仰 「軽々しい判断」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
再編集 文責:ten1ko2
(ここに出るマリヤはベタニヤのマリヤ。マルタが姉、ラザロが弟)
※下に関連の聖書の部分を掲載します

イエス様に侍るマリヤの姿は、
私たちの信仰生活の基本、
原点を教えてくださっています。

過去のイエス様を求めるのでなく、
今のイエス様に侍ること、
それが永遠性を持った信仰である、といいます。

ヨハネ先生は、食口(教会の人たち、家族)に対しても、
そのような見つめ方をしなければならない、
と言われています。

教会の仲間や、人に対する見つめ方、
「〇〇さんは、こういう人だ」
という価値観を持つのではなく、
初めて出会った〇〇さんである、
そういう貴い見つめ方をするのですね。

新鮮な心情を持って、私を見つめ、
食口や出会う人たちを見つめ、接していく、
そのようになりたいと思います。


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過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない」。
大ぜいのユダヤ人たちが、そこにイエスのおられるのを知って、押しよせてきた。それはイエスに会うためだけではなく、イエスが死人のなかから、よみがえらせたラザロを見るためでもあった。
そこで祭司長たちは、ラザロも殺そうと相談した。それは、ラザロのことで、多くのユダヤ人が彼らを離れ去って、イエスを信じるに至ったからである。
(ヨハネによる福音書12章1節〜12節)


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통일교회에 대한 인식, 맞습니까? 미래를 믿는 사람은 영원・최강 !《이요한 선생님의 믿음사프리》과거의 신앙에 머물러 있지 않습니까? 마르타 VS 마리타 2

李耀翰(리요한/이요한)선생님의
마리아와 몰타에 관한 말씀의 계속.
이번은, 「가벼운 판단」입니다.

("이 향유를 팔아 가난한 사람들에게 베풀면 좋았는데.") 대부분의 남성의 생각을 유다가 대표적으로 발표한 것입니다.
남자들은 자신이 지금까지 진지하게 생각해 왔다고
정의 토대 위에서 판단하지 않고, 단지 환경을 보고 가볍게 판단한 것입니다.

또한 여성 대표로서 몰타는
과거에 살아온 자신의 기초 위에
예수님을 알게 될 생각으로 지금 믿고 있는 것입니다.

처음으로 예수님을 만나고 말씀을 건드린 인연에서
예수님을 믿고 나사로를 부활시켰다든가,
이전의 설교에 의해 자극을 받았다고 하는 인연으로,
지금 사귀고 있다.

그래서 몰타는 지나간 예수님은 알고 있지만,
지금의 예수님은 모르는 것입니다.

“마리아는 지금의 예수님을 알고 있다.
현재라는 곳에서 실감하고,
예수님의 슬픔을 통치하고 있다.”

이것이 영원한 가치있는 인연을 맺고,
영원히 사는 것입니다.
지금까지의 정의 수준을 높이면서 사는 사람이,
영원성을 가진 사람입니다.

“몰타는 이전의 인연을 가지고, 지금 빨리 예수님께 사무라이하고 싶다.
지쳐 돌아가는 것을 보고, 예수님의 내용을 모르기 때문에,
외적으로 일만 열심히 한다.”

이것은 과거에 살았기 때문에,
지나가면 부끄러워져 버립니다.

“율법주의자, 제사장 등도 모세를 믿고,
아브라함의 후손이라고 생각한다.”
이것도 지금 살아가면서 옛날을 생각하고 신앙하고 있는 것입니다.

지금 기성교회도 2천년 전 예수님을 믿고 있는 것입니다.
역사적 인물을 숭배하여 무엇이 될 것인가?

눈앞의 사람을 예수님처럼 사랑하지 않으면,
지금의 인간이 아닙니다.

지금의 인간을 역사상의 인물보다 더 귀중하게 만드는 사람은,
미래를 개척할 수 있는 사람입니다.
미래가 문제입니다.

지금까지의 인연을 가지고 지금 자신을 다루면,
지나간 인간이 되어 버린다.
「지금」이라고 하는 것을 상속할 수 없는 것입니다.

가톨릭은 현세에 있는 것 같지만,
2천년 전 구약시대의 믿음을 가지고 있는 것입니다.
그래서 그들은 지금의 시대를 만드는 것이 아니다.

죽으면 2천년 전 구약시대의 영계에 가게 됩니다.
가보니 터무니 없는 곳에 갔다.
예수님은 나타나지 않았다는 것입니다.

구약 시대의 의식을 귀중하게 해 엄격하게 지킨 곳이,
1971년에는 지상에 있었지만, 영계에서는 어디에 갈까라고 하면,
2천년 전 영인에게 가는 것입니다.

왜냐하면 그 때의 믿음을 가지고 있었기 때문에 그것은 당연합니다.

미래를 믿는 자는 영원히 사는 것입니다.

그래서 예수님이나 야곱은 지금도 살아 있습니다.
영원한 가치가 있었기 때문에 하나님의 섭리가 승리하고,
이룰 때까지 야곱은 살아
예수님과 함께 일을 하고 있는 것입니다.

지금 지상의 섭리를 함께 하고 있는 것입니다.
왜냐하면 그 심정은 언제까지나
땅 끝까지 영향력이 있기 때문입니다.

우리는 예를 들면 케사, 무언가의 새로운 정을 실감하고 살면,
미래에 사는 사람이지만,
버섯의 인연에 의해 부득이하게 출발한 인간은,
더 이상 지나간 인간이 되어 버리는 것입니다.

이것을 잘 알아야합니다.
세 사람 중 몰타는 지나간 믿음을 가지고,
처음 말씀을 접했을 때의 인연에 의해 기뻐하고 있기 때문에,
버섯의 예수님은 모르는 것입니다.

우리도 그렇지 않습니까?
아침 여러분이 헤어지고 다시 모일 때에는
아침은 알고 있었지만 오늘 하루
아무리 신경으로 돌아왔는지 모르는 이상은
모르고 만나고 있는 것입니다.

이별하고 만날 때까지 그 내적 심정을 모르기 때문에,
자신은 겸손해지고 정말로 그 사람을
귀중하게 생각하면서 교제하려고 하는 것이,
진짜, 영원히 내정적으로 어울리는 식구입니다.
8. 영원히 사는 믿음
신앙생활 시리즈 5
심령을 키우는 생활 원칙 '심정 개척' 이요금

("신앙과 생활 제1집 원리의 생활화" 증보, 개편)
(여기에 나오는 마리아는 베타냐의 마리아. 몰타가 누나, 나사로가 남동생)

예수님께 사로잡히는 마리아의 모습은
우리의 신앙생활의 기본,
원점을 가르쳐 주시고 있습니다.

과거의 예수님을 찾는 것이 아니라,
지금 예수님께 사로잡는 것,
그것이 영원성을 가진 믿음이라고 합니다.

요한 선생님은 식구(교회의 사람들, 가족)에 대해서도,
그런 응시를 해야 하는
라고 합니다.

교회의 동료와 사람에 대한 응시 방법,
「〇〇씨는, 이런 사람이다」
라는 가치관을 가지는 것이 아니라,
처음 만난 〇〇씨,
그런 귀한 응시 방법을 하는군요.

신선한 심정을 가지고 나를 바라보고,
식구와 만나는 사람들을 바라보고 접해 가는,
그렇게 되고 싶습니다.

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Is your understanding of the Unification Church correct? Those who believe in the future are eternal and the strongest! "Faith Supplement by Rev. John Lee"
Are you stuck in the faith of the past? Martha vs. Mary 2

Continuing with Rev. Yohan(John) Lee's words on "Mary and Martha".
This time, it's "rash judgment".

(“You should have sold this perfume and given it to the poor.”) Judas represented the thoughts of most men.
The men made light judgments based on the environment, without judging based on the emotional foundation that they had been thinking seriously about.

Also, as a representative of women, Martha now believes in Jesus, thinking that she knows him on the foundation of her past life.
She is now dating him because she met Jesus for the first time and came into contact with his words, because she believed in him, because she resurrected Lazarus, and because she was inspired by his previous sermons.
So Martha knows the Jesus of the past, but does not know the Jesus of today.


"Mary knows the Jesus of today.
She feels the reality of the present and mourns the sorrow of Jesus."

This is what it means to form a karmic bond of eternal value and live with eternity.
A person who lives while raising the level of their affection is a person who has eternity.

"Martha wants to attend Jesus now, with her past karmic bond.
She sees Jesus go home tired, and because she does not know what Jesus is like, she works hard only at her external work."
This is because she lives in the past, and feels ashamed when it is gone.

"Legalists and the chief priests also believe in Moses and consider themselves to be descendants of Abraham."
This is also living in the present and thinking about the past and having faith.

Even the established churches today believe in Jesus from 2,000 years ago.
What is the point of worshiping historical figures?
If you don't love the people in front of you as Jesus did,
you're not a person of today.

Those who value people today more than historical figures
are people who have the potential to open up the future.
The future is the problem.

If you treat yourself now with the karma of the past,
you will become a person of the past.
You will not be able to inherit the "now."

Catholics may seem to be in this world,
but they have faith from the Old Testament era of 2,000 years ago.
So they are not the creators of the present era.

When you die, you go to the spirit world of the Old Testament era, 2,000 years ago.
When you go there, you go to a ridiculous place.
Jesus did not appear there.

Those who treasured and strictly followed the rituals of the Old Testament were on earth in 1971, but where will they go in the spirit world? They will go to the spirits of 2,000 years ago.
Because they had the faith of that time, that is only natural.

Those who have faith in the future will live forever.

That is why Jesus and Jacob are still alive today.
Because he had eternal value, Jacob lived and worked with Jesus until God's providence was victorious and accomplished.

They are now working together on earth's providence.
Because that feeling will have an influence that will last forever, to the ends of the earth.

For example, if we feel a new emotion this morning, we are living in the future, but if we are a person who was forced to depart this morning because of yesterday's karma, we are already a person who has passed away.

We must be aware of this.
Of the three, Martha has a faith that has passed away, and is rejoicing because of the karma from when she first came into contact with the Word, so she does not know who Jesus was yesterday.

Isn't it the same for us?
When you part ways and meet again in the morning, you know each other, but since you do not know how nervous you were on the way home today, you meet without knowing.

Because you do not know the inner feelings between the time you part ways and the time you meet, you should be humble and truly treasure that person and try to fellowship with them.
This is what it means to be a member who truly and eternally fellowships with them on an inner level.
8. Faith that lives forever "Rashly judgement"
Faith Life Series 5
Principles for cultivating the spirit "Cultivating the heart" by Lee Yaohan

("Faith and Life Vol. 1: Living the Principle" expanded and revised)
Reedited by: ten1ko2(The Mary mentioned here is Mary of Bethany. Martha is her sister and Lazarus is her brother.)
The figure of Mary attending Jesus teaches us the basis and origin of our faith life.

It is said that faith with eternity is not to seek the Jesus of the past, but to attend Jesus of the present.

Reverend John says that we should also look at the members (church members, family) in the same way.

When looking at fellow church members and other people,
we should not have the value system of "Mr./Ms. X is this kind of person,"
but rather look at them with a sense of value, as if they were someone we met for the first time.

I would like to be able to look at myself,
look at the members and the people I meet, and interact with them with a fresh heart.

Thank you for reading to the end!
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2025年04月19日

無駄に忙しくしていないですか? 十字架が間近、迫害が問題でない! マルタVSマリヤの信仰 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言
「永遠に生きる信仰」の1回目、
『マリヤとマルタ』のお話です。


マリヤが泣きながらイエス様に香油を注いでも、
マルタや弟子たちは、マリヤがどういう悲しさをもっているのか
全然知らないで、ただ食事をしていました。

マリヤとマルタの信仰は比較できません。

外的に見れば「食事時間なのに食事もしようとしない、
あんな頭の悪い女はいるか」と大勢が思ったのです。

そしてまた、若い娘が結婚していない先生に対して
泣きながら高価な香油を費やすので、(ユダが)
「あんなことをするから、社会が先生や私たちを
 このように迫害するのだ。

 あの高価な香油を売って貧しい人々に施せば、
 どれほど褒められるか」と
目に見えたものを自分なりに判断したのです。


だからイエス様の立場で聞きたいのは、
「お前はいつからそんな貧しい人のために涙を流して、
 情的に基台をつくってきたのか?
 そういう言葉を、どこの基台の上で発見したのか?」
ということです。

本当に貧しい人に愛着心をもって泣く、
そういう情的な基台の上で話せば認めるのですが、
今までユダは金を愛する心は常にあったけれども、
人間を愛する心はなかったのです。

いわゆるどろぼうです。

どろぼうというのは、実際そのものを盗むというよりも、
情的基台がないのに「ああだこうだ」
と言うのがどろぼうなのです。

自分は汗を流さずに、他人の価値あるものを
自分のものにしようとするのがどろぼうです。

だから、愛着心をもたずに、ただ目に見えたから、
ああだこうだと判断する。

高価な香油を費やすのを見たから、もったいないと思った。
何のために費やしているのかも知らないで、
自分なりに判断したのです。


マリヤは今、先生が死ぬことになったのに、
何がもったいないものがあるかいうのです。

内情を知っている立場では、
もったいないものはないというのです。

自分の生命をささげてもいい、
もうその場で死にたくなったのです。

香油が問題ではない。
栄誉が問題ではない。
迫害が問題ではない。

もう殺されるのに、
今になって迫害を恐れることがあろうか、
命を懸けなくてはならない時が
切迫しているというのです。

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
8.永遠に生きる信仰 
マリヤとマルタ


マリヤとマルタ(ベタニヤのマリヤとマルタ)は、
イエス様に侍った女性の中で、
よく比較対象されています。

しっかり者のお姉さんマルタと、姉を手伝わず
み言ばかり聞いている妹、マリヤ。

マルタは外的にとてもイエス様に仕えた人でした。
イエス様や集まった人たちの接待で大忙しで、
誰よりも頑張って働いていました。

かたや、マリヤは上述にあるように、
高価な香油をイエス様のために使いました。

常識的にみると、無駄なことをしていたのかもしれません。
しかし、イエス様の本当の価値を理解していて、
イエス様に心から侍っていったのでした。

「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」
イエス様がマルタに向けて言ったみ言です。

私たちは黄金期のこの時、
ホーリーマザー・ハンを呼び求め
真の父母様に侍る立場を与えられています。

今この時に精誠を捧げることが
どれほど貴いことかしれません。
そのことを胸に刻みんでいきたいと思います。

マルタのようにただ外的にいくら忙しく歩んでも、
天を思う心情、孝情がなければ、
本当の意味で実績も出ないでしょう。

マリヤのような信仰を求めることを
願われていると感じるのです。


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posted by ten1ko2 at 08:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする