2024年08月28日

神はどんな方か 神様の悲しみの袖をつかみ、泣く人は天国に行く 《蝶野部長》



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神様の悲しむことをつかんで
泣く人生を送る人は天国に行く




蝶野知コ・家庭教育部長のみ言。
「祈りの前提」前回の続きです。

神様の悲しみをつかんで泣く

祈りを形式的に行うことは難しくないかもしれませんが、
心を込めて祈ることはどうでしょうか? 

神様がいかなるお方であるかが分からないままに、
心を込めることは難しいはずです。

祈祷を深めていくためには、自分の信仰的課題だけではなく、
神様について祈らなければなりません。

「祈祷する時は、神様のみ旨は何であり、神様の事情は何であり、
神様の心情はどうであるかということを知って、
神様が最も悲しまれることを一つつかんで、
一生の間、泣いてみてください。

そうすれば天国に行きます。
ほかにどうのこうのと祈ってみたところで、
すべて必要ありません。

神様が最も悔しいことは何でしょうか。
最も悲しいことは何でしょうか。
最も喜ばれることは何でしょうか。

聖書を見ると、喜ばしいことはありませんでした。
悲しみだけでした。
排斥され、追いやられてこられたのですから、
喜ばしい時があったでしょうか。

お父様の出来事の中で最も悲しかったことは何でしょうか。
…それを知らなければなりません。

神様が六千年間歩んでこられた路程の心髄が
どのようなものであったかを知らなければならないのです」

(『【改訂版】 天一国時代の祈祷』52〜53ページ)

神様は現在、天の父母様となられました。
真のお父様の前に初めて現れた当時の
囹圄(れいご)の神様ではありません。

しかし、あくまでも創造、堕落、復帰の心情をたどってこられた
その神様≠ノ対して祈ることを忘れないでほしいのです。

父母の過去の痛みや苦労を知る子女だけが、
現在の父母の心情とも深く通じることができるからです。

いかなる神様であられたかを知れば知るほど、
私たちの祈る心情、言葉、内容、姿勢も変化し、
研ぎ澄まされていくでしょう。

父母と苦楽を共にしてきた子女が
「お父さん、お母さん」とただ呼びかけるだけだとしても、
その言葉の背後にある心情は、他の人とは違います。

それが祈祷であるならば、その呼びかける言葉一つが
完全な祈祷になるほどです。
たった一つの言葉の中にも、無数の心情的な情報が交わされるからです。


いかなる神様であるかを、み言から絶えず学び続けることです。
そのとき感じた神様のことを祈ってみてください。

具体的には、創造原理、堕落論、復帰原理等の講義を受けたときや、
み言を訓読したときに、その時々の神様の立場や内情は
どのようなものであったかを深く尋ねてみるのです。

そうすれば、そのときの神様と通じることもできるのです。

創造主としての愛の責任性から、全ての人間の救いが完了したあと、
最後に天国に入ると言われる神様です。
その神様に対して祈るのです。

祈りは、真の神様を知ってこそ深めることができるのです。

神様の悲しむことをつかんで泣く人生を送る人は天国に行く
というみ言は、神様の心情圏に触れて生きる人は
神様と共に生きる人なので、
その他の祈祷は要らないほどだという意味です。

蝶野知コ・家庭教育部長
『祝福家庭』109号(2023年夏季号)
家庭理想の実現
祈りの前提(後)
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10103
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


毎日行われている徹夜精誠。
その中で、代表報告祈祷を何回か行いますが、
最近は霊性アカデミーのメンバーが祈っています。

先日もお伝えしたと思いますが、
徹夜精誠が終わった後も、
朝まで祈祷を捧げているメンバーもいるそうです。
いわゆる「フクロウチーム」ですね。

李基誠苑長も彼らの祈りの深さに
一目を置いているようです。

祈りは自分のこと以上に、
私を見つめる神様のことを
もっと祈らないといけないな、
改めて思わされました。


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posted by ten1ko2 at 09:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月18日

私は神のもの、だから神に祈る! 神を否定したら本当の私の姿を取り戻せない 《蝶野部長》



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蝶野知コ・家庭教育部長のみ言。
「祈りの前提」の前編よりご紹介します。

祈りとは私の主体者を確定させること

祈祷は体恤(たいじゅつ)信仰においてなくてはならないものですが、
祈祷が得意(簡単)だという人は少ないようです。

それは、人間始祖の堕落によって
人類が神様との血縁関係、心情関係を
長い歴史において失ってきたためです。

神様は常に、私に語りかけてくださっていますから、
祈祷の難しさはあくまでも人間の側で克服すべき課題です。

神様と一問一答していた本来の人間の姿を取り戻して、
親子の関係を回復させていくものなので、
祈りに難しさを感じたとしても、
取り組んでいくべき価値があるものです。

私は私から始まった存在ではなく、神様から始まった存在です。
私の創造の愛の主人を無視することはできません。
ですから、祈祷とは私の主体者を確定する行為だとも言えます。

神様を私の絶対的な主体として確定させてこそ、
私が神様の絶対的な対象として存在できる道が開きます。

「私は神様のものなので神様に祈るのだ」
という確信を持つことです。

祈祷は自分の努力を放棄し、神様に頼ることではありません。
祈りは神様と対話することです。

“人間”は“神様の子女”ですから、神様を否定して、
私が本来の人間の姿を取り戻すことはできません。

祈りの必要性は、いくら強調してもしきれないほどに重要なものです。

私は誰による私なのかを
絶えず確かめながら生活するためにも、
祈りは欠かせないでしょう。

祈祷は縦的な絆を結ぶもの

愛する相対者も愛する子女も、また私自身も、
神様が与えてくださったものです。
ですから、私がまず愛すべき存在は神様です。

神様を絶対的に愛するならば、私を絶対的に愛する
神様と相対基準が合うようになります。

そうなれば祈りだけでなく、生活の中でも
神様を感じる体験が増えてくるでしょう。

「祈りは、天との主体的な関係を結ぶためのものであり、
精誠は、横的な関係を拡大するためのものです」

(天一国経典『天聖経』2・5・4・5)


精誠によって築かれる横的な絆は、
祈祷をもって結ばれた縦的な基準から拡大されていくものです。
祈祷と精誠が信仰生活の基本です。

もし、人間関係で横的に衝突するようなことがあったとしたら、
まず神様に祈る心を持ってみましょう。

縦的な関係が弱まると、自分の責任分担があいまいになるからです。

私の体験から、天が教えようとしている、
私の成すべきことを探すために祈るのが良いのです。

どのようなことでも、
神様との縦的な関係を強めていく機会となるので、
祈りは横的な精誠のためにも欠かせないものになります。

蝶野知コ・家庭教育部長
『祝福家庭』109号(2023年夏季号)
家庭理想の実現
祈りの前提(前)
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10103
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


私たちの祈祷の見本、祈祷の先生は、真の父母様に違いありません。

今日の礼拝では「孝心」を歌いました。
https://www.youtube.com/watch?v=ElpcRY-3DaM

「神様を慰労する孝子とならせてください」
神様をつかんで離さない、懇切な思いが
祈りとなって言葉に表されています。

困難な時、自分の思いの苦しさを、
自分だけにとどめるのではなく、
こんな私を見つめる神様はどうなのか、
そのような思いが
神様と私の絆を強いものにするのでしょう。

まだまだ足りない者、小さく幼い者なので
もっと神様を求める必要があると思うのです。


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2024年08月10日

子育て失敗?! 過去を後悔するより、未来のための三項目 *年齢は関係ありません 《蝶野部長》



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家庭教育部長 蝶野知徳
「父母の愛の姿勢 三つのポイント」

子女は現在を見ている

教育は常に、未来を信じ見つめながら進めていくものです。
しかし時には、子育てに難しさを感じ、
自分が選択してきた行動を後悔して、
思いが過去に戻ってしまうことがあるかもしれません。

過去を振り返れば、どんな親にも、子女に対して
本性的な心で対することができたとき、
堕落性で対してしまったときの、両方があるものです。

元来、子女には親を信じたい心があります。
ですから過去を後悔するよりも、
今の瞬間からでも心を立て直し、
真心で接していくことが大切です。

そうすれば、子女はその親の接し方から
親の真実を見ようとしますから、
過去に堕落性で対されたとしても、
次第にそれらを忘れていくようになるのです。


@感謝の心で接する

天の願う父母の心であるために重要なのは、
み言が示す価値で、いかに自分自身を
原点に立ち帰らせることができるかです。

つまり、神様から授かった
貴い子女という「感謝」の心で、
自分の心をいかに主管していくかにあります。

過去の失敗を後悔する心が強いと、
愛する力が出にくいものです。

しかし感謝の心が強いと、後悔よりも
悔い改めの心が強く出てきます。
こうして内面が蕩減される条件が立ってくれば、
愛が発露してきます。

神様にすべてを「感謝」することは、
私たち人間が、神の子としての
原点に帰っていくために必要なプロセスです。

「感謝」は私を「純粋」にします。
良心作用も強くなり、子供の気持ちも
悟らされるようになるものです。


Aすべてを受け入れる

子女に対して葛藤したり、腹立たしく感じたりと、
難しく感じる面があっても
「親としての最善の心」で接するには、
どうすればいいのでしょうか。

まずは自分の思いの物差しを捨てましょう。

成長過程における一つの段階、
「今あるべき姿」として認めてしまい、
丸ごと受け入れてみるのです。

そうすれば、受け入れた分だけ、
愛する道が開かれていきます。


B父母の愛の体恤

過去を後悔せず、父母の愛を今、信じて待っている
子女の心に焦点を合わせてみましょう。

天を愛するように感謝の心で
純粋に子女に対することです。
そして現時点を丸ごと受け入れてみれば
愛が流れ始めるのです。

子供の年齢に関係はありません。
これらのことは、復帰途上にある私たちが、
父母の愛を体恤していくための
原則になっていくでしょう。

家庭教育部長 蝶野知徳
『ムーンワールド』に掲載
孝情を育む 35
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=25556
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


「子供の年齢に関係はありません」
この言葉に相対して、久しぶりに
蝶野部長の講座を紹介しました。

感謝の心で接する
すべてを受け入れる
父母の愛の体恤

そのことを大前提に、
子どもたちと向き合っていきたいです。


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