2024年10月02日

「ありがとう」を親が言うと、いい子に育つ 魔法の言葉のワケ 《蝶野*孝情をはぐくむ》



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蝶野知徳・家庭教育部長による
孝情を育む子女教育に関するエッセー、
今回は「ありがとう」です。

子供に力を与える言葉

ある小学校で、子供たちに、
「親から、どんな褒め言葉をかけられたら、
いちばんうれしいですか?」というアンケートを取ったところ、
いちばん多かったのが「ありがとう」だったそうです。

単純で短い言葉ですが、子供たちは
自分たちよりも人生経験の長い親から、
「ありがとう」という言葉をもらうと、
本当に力が出るそうです。

尊敬するお父さん、お母さんの役に立つことができた
という、子女の最高の自尊感情、
自己肯定感を育てる力を、この親からの
「ありがとう」は持っていると言えます。


子供がお手伝いをしてくれたり、
お願いを聞いてくれたりしたとき、
当たり前だと思わずに、この短い感謝の言葉を
忘れずにかけてあげることが大切です。

人に物をもらったときや、お世話になったときには、
「お礼をちゃんと言った?」とチェックをすることがありますが、
親が子供に「ありがとう」をあまり言っていないのに、
子供にばかり求めるのもおかしいでしょう。

お手伝いはもちろんですが、段階によっては、
子供が自ら、遊び終わったおもちゃの片付けをしたときにも、
「ありがとう」「助かるわ」と言ってあげると、
「自分は役に立てる」という体験をしたことになります。

結局、自分に価値を感じるということです。

このとき、「いい子だね」「偉いわね」
という言葉も悪くはないのですが、
それは子供を“評価”することにもなるのです。

ですから、親に評価されるために親の前では
良いことをする、という学習になり、
本性を刺激しないのです。

あくまで人を喜ばせる喜びを体験させることがポイントです。

自尊感情や自己肯定感というものの本質は、
「自分に価値を感じている」か、というところにあります。

父母の役割

本性は自分の神的価値を知っています。

大切なのは、幼い段階から、その本性と呼応する
体験を通し、自分の価値をより深く知りながら
成長していくことです。

み言の核心は
「ために生きる」ということに尽きるのですが、
神様がすでに、その原動力を
人間の心の中に与えてくださっているのです。

ですから、「ために生きる子供に育てる」というよりは、
「子供の本性を刺激する体験をサポートする」
といった立場が、父母の役割ではないかと思います。

『ムーンワールド』で連載中
家庭教育部長 蝶野知徳
孝情を育む 20 ありがとう
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=13098
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


お母様がかつて語られていました。
「カムサハムニダ」「サランハムニダ」
この二つの言葉に、すべてが集約されるということです。

そのうちの一つ、
「カムサハムニダ」=「感謝します」
日本語で表現すると、
「ありがとう」に置き換えられるかと思います。

子供のころから感謝する生活を、
意識させることは当然、重要でしょう。

しかし、今の私たちにも
この言葉を根底において歩むことが
とても大事なことだと思うのです。



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posted by ten1ko2 at 09:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月22日

神様の立場に立って祈ってこそ、天に通じる 率直に報告→たずね求め→答えを聞く 《蝶野部長》



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蝶野知徳・家庭教育部長の祈祷に関するお話、
「祈り方」より「祈祷の流れと要点」です。
とても大切な要点を教えてくださっています。

心を神様に合わせる

良き祈りのためには、まず、神様の立場や心に
自分を合わせようとしてみてください。

「神様が考えていらっしゃる立場に立って
祈祷をしてこそ通じるのであって、
神様の心に合わないのに、いくらそのように
祈祷してみても通じないのです」
(マルスム選集91-16、1977年1月16日)


「祈りの前提」*でお話ししたように、
いかなるお方に祈りを捧げるのかが、
自分の中で明確になっていることが重要です。

(家庭青年には特に、日々、文庫版
『真の神様』を訓読することを推奨しています)

自分の立場を中心としたものから、無条件の愛で人間を創造してくださったことに対する感謝や、その愛に対して不足な私であることへの悔い改めなど、神様の立場や人間への愛に焦点を合わせる精誠をもって、祈りの土台をつくるようにします。そうすると心も縦的に整えられ、自然に感謝や悔い改めの心が高められていきます。このとき、あまり大きな飛躍を望まず、今の基準から少しでも高まればよいと考えることです。それを日々積み重ねる精誠が最も大切です。

 自然な祈りは、私的な祈りよりも公的な祈りが先になります。神様のことを思いながら祈祷に入るので、自然に心がそうなるのです。孝子は、親の心境や心情を思いながら言葉を語ります。神様に対しても同じです。現時点での自分の基準からでもいいので、神様への思いで心を満たしながら祈祷を始めてみましょう。

率直な報告をする


現時点での自分自身の内外を、
良いことも悪いことも率直に報告します。

これは報告したという条件によって、
神様の前には秘密がないという立場で歩むためです。

どんなときも天が共にあってほしいと願い、
その主管を受けて進みたいという姿勢です。

率直な祈祷は、誰にも聞かれていなくても、
案外難しいものです。

心のうちを告白すること自体に抵抗があったり、
自分が本当は何を感じ、
何を求めているのかがつかめておらず、
報告すべきことが分からなかったりすることもあるでしょう。


感謝や悔い改めができればできるほど、率直な報告も容易になります。自分の心が開かれるからです。今、自分が表現できる言葉から少しずつ、精誠を尽くしてみます。

 報告内容については、悔い改めの対象となる報告を先に行い、喜ばしいことや成果があればその後に報告するのが基本です。ただ、感謝や喜びの心が先立って、それらを報告したい心があふれているときがあれば、時にはそれを優先してもいいでしょう。

 天一国時代において、天は、み意(こころ)を果たすことができたという「実績の報告」を最も喜ばれます。そのためにも日々の祈祷を大切に、一つ一つ積み重ねていきたいのです。

尋ね求める


 祈祷の主題になりやすい「尋ねる祈り」についてです。祈祷は自分を無くしてみ意を尋ねるものですが、自分に考えやアイデアがあってどうしても気になる場合には、それらを全て否定してしまうのではなく、神様に全て差し出し(報告し)、天に決裁を委ねてみるのがよいでしょう。これは、抱いている思いなどについても同様です。

 しかし、尋ね求める祈りは、必ず自分の責任分担を前提に祈ることです。神様は人間の責任分担には「抵触」せず、私たちを育ててくださる方向で摂理し、助けてくださるからです。

 責任を果たすための知恵や、愛する力を与えてくださいと求める祈りは、願いが成就していくことだけにとどまらず、天の願う私に成長していくためのものです。私自身を創り、み旨を進めます。私を生かそうとされる神様を感じつつ、私の願いが神様の願いと一つになって成就していくことが、最も望ましいと言えます。

 こうして見ると、祈りは、「本来の私を取り戻そうとして祈る」のが良いということも分かってきます。

聞く姿勢で祈る


 祈りは私たち人間側からの一方的な行為として捉えられやすいのですが、実際は私に対する神の祈りが先にあったのです。私が祈りを知る前から、祈られている私であることを知るべきです。

 そのお方に向かって祈ろうとするのですから、本当は「聞く」という姿勢が先なのです。祈りながらも常に耳を澄ましてそのみ声を聞く姿勢、心でみ意を受けられるように自分の心に焦点を当てて聞こうとすることが大切です。

家庭理想の実現
祈り方(前)祈祷の流れと要点
『祝福家庭』110号(2023年秋季号)より

https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10124
(Blessed Life)
再編集 文責:ten1ko2


天心苑祈祷は、役事を起こし、奇跡を起こす。。。
毎日毎日、証しの場がある徹夜精誠。

こういう場を与えてくださっていることが
何よりも感謝でなりません。

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前回「祈りの前提」は、2回に分けて紹介しました 
https://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/504397980.html
https://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/504424498.html


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2024年08月28日

神はどんな方か 神様の悲しみの袖をつかみ、泣く人は天国に行く 《蝶野部長》



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神様の悲しむことをつかんで
泣く人生を送る人は天国に行く




蝶野知コ・家庭教育部長のみ言。
「祈りの前提」前回の続きです。

神様の悲しみをつかんで泣く

祈りを形式的に行うことは難しくないかもしれませんが、
心を込めて祈ることはどうでしょうか? 

神様がいかなるお方であるかが分からないままに、
心を込めることは難しいはずです。

祈祷を深めていくためには、自分の信仰的課題だけではなく、
神様について祈らなければなりません。

「祈祷する時は、神様のみ旨は何であり、神様の事情は何であり、
神様の心情はどうであるかということを知って、
神様が最も悲しまれることを一つつかんで、
一生の間、泣いてみてください。

そうすれば天国に行きます。
ほかにどうのこうのと祈ってみたところで、
すべて必要ありません。

神様が最も悔しいことは何でしょうか。
最も悲しいことは何でしょうか。
最も喜ばれることは何でしょうか。

聖書を見ると、喜ばしいことはありませんでした。
悲しみだけでした。
排斥され、追いやられてこられたのですから、
喜ばしい時があったでしょうか。

お父様の出来事の中で最も悲しかったことは何でしょうか。
…それを知らなければなりません。

神様が六千年間歩んでこられた路程の心髄が
どのようなものであったかを知らなければならないのです」

(『【改訂版】 天一国時代の祈祷』52〜53ページ)

神様は現在、天の父母様となられました。
真のお父様の前に初めて現れた当時の
囹圄(れいご)の神様ではありません。

しかし、あくまでも創造、堕落、復帰の心情をたどってこられた
その神様≠ノ対して祈ることを忘れないでほしいのです。

父母の過去の痛みや苦労を知る子女だけが、
現在の父母の心情とも深く通じることができるからです。

いかなる神様であられたかを知れば知るほど、
私たちの祈る心情、言葉、内容、姿勢も変化し、
研ぎ澄まされていくでしょう。

父母と苦楽を共にしてきた子女が
「お父さん、お母さん」とただ呼びかけるだけだとしても、
その言葉の背後にある心情は、他の人とは違います。

それが祈祷であるならば、その呼びかける言葉一つが
完全な祈祷になるほどです。
たった一つの言葉の中にも、無数の心情的な情報が交わされるからです。


いかなる神様であるかを、み言から絶えず学び続けることです。
そのとき感じた神様のことを祈ってみてください。

具体的には、創造原理、堕落論、復帰原理等の講義を受けたときや、
み言を訓読したときに、その時々の神様の立場や内情は
どのようなものであったかを深く尋ねてみるのです。

そうすれば、そのときの神様と通じることもできるのです。

創造主としての愛の責任性から、全ての人間の救いが完了したあと、
最後に天国に入ると言われる神様です。
その神様に対して祈るのです。

祈りは、真の神様を知ってこそ深めることができるのです。

神様の悲しむことをつかんで泣く人生を送る人は天国に行く
というみ言は、神様の心情圏に触れて生きる人は
神様と共に生きる人なので、
その他の祈祷は要らないほどだという意味です。

蝶野知コ・家庭教育部長
『祝福家庭』109号(2023年夏季号)
家庭理想の実現
祈りの前提(後)
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10103
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


毎日行われている徹夜精誠。
その中で、代表報告祈祷を何回か行いますが、
最近は霊性アカデミーのメンバーが祈っています。

先日もお伝えしたと思いますが、
徹夜精誠が終わった後も、
朝まで祈祷を捧げているメンバーもいるそうです。
いわゆる「フクロウチーム」ですね。

李基誠苑長も彼らの祈りの深さに
一目を置いているようです。

祈りは自分のこと以上に、
私を見つめる神様のことを
もっと祈らないといけないな、
改めて思わされました。


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posted by ten1ko2 at 09:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする