2024年02月04日

一つになるため、「私がガマンすれば・・」 これでは、心がバラバラ 《蝶野部長・夫婦講座8》



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蝶野部長の「カップルセミナー」
続編です。


夫婦のいろんな講話という形でやっていく時にですね、
「わかりました、じゃ夫婦がひとつになります。
じゃあ私が我慢すればいいんですね」
という霊界に入る方もおられるんですね。

けなげでいいんだけど、
ただ、我慢ってよくないですね。

(かといえば、それを聞いて)羨ましいっていう人もいますね。
「うちもそれくらい我慢してくれたら、俺もがんばるのにな」

県民性もあるからね。データはありませんが、
県によって違います。
ここ(千葉について)は知らないですが。

(たとえば)妻が「あんた!」なんて言って、
ここはとても男性が信仰的だなぁと(という県があります)。

そしてある県に行くと、男が仁義なき戦いのようで、
妻の方がぐっとこらえるんだけど、
時々我慢できなくなってドッカ―ンみたいな。。。

男性が強くて、女性は「私さえ我慢すれば」と、
自分のセンチメンタルな世界に入っていって、
「これが信仰よ、お父様〜」みたいなね。


でも親、神が見たいのは、
夫婦が一つになっているのを見たいんですよ。

という話をしたら私が我慢して一つになろう
という話になる(のですが、そうではありません)。

だいたいどっちかの意見が強くて、最後どっちかが折れて一つになる、
というのは一つになっていないからです。

「いやーご夫婦で話されないんですか」と聞くと、
「いつも主人が切れる寸前で、私が折れるようにしています」

喧嘩にならないのはどっちかが折れているから。
それは子供は感動しませんよ、ということです。
それは結局一つになっていないのです。
どっちかが我慢して一つになるというのは、
一つになっていないということです。

なんでそうなる?
私さえ我慢すればというのは情が離れているのです。
つまり二つになる取り組みなんです。
どちらかに合わせるということが一つになることではありません。


意見が合わないからこっちかが我慢する、これは愛でも何でもない。
でも喧嘩はない。。。
喧嘩がないからよいわけではないです。

お互い冷めきったら喧嘩もしないからね。
だから冷め切ってる場合には喧嘩をした方がいいですね。
冷め切っている場合はですよ。
理想は喧嘩がない方がいいでしょうけどね、もちろん。

喧嘩さえできないんだったら、それはした方がいいんですよ。
問題発言か。
(そういう夫婦は)情を出し合っていないのです。
授受作用にはならないんだけどね、喧嘩は。

でも、その手前で自分の言いたいことを出していれば、
自分が言えた、聞いてもらえたのがあれば、だんだん本音が出てくるし、
「ちょっと言いすぎたけど本当はこういう気持ちだったんだ」
と話すようになるんであれば、喧嘩したほうがいい。。。

どちらかに合わせるんじゃないと言うことです。

私たちは、一つになりなさいといったら、
配偶者に対して自分を否定しようとするんです。

うーん。相手は神様の半分だから自分も譲歩しなければならないか、
(というように)我慢する世界。。。
相手もそれがよいと思っている、かというと、これはそうではないのです。


(私たちは)相手を中心ではなく、神様を中心に結婚したんです。
配偶者を下さったのは天の父母様ですから。
だから配偶者から感じることは、天の意図があるんですよね。

もうわかっている、話すまでもなく知っていることですよね。
だけどここを毎日確認した方がいい。

皆さん、偶然ではないですよ、配偶者のクセ、性格、こだわり。
「内の主人潔癖症なくせにトイレ後に手を洗わない」とか…。

そこに引っかかるあなたの癖がある、
見つけるためにそのこだわりがある、
心理学ではない、偶然はないんです。

ですから、なぜこの相対者を与えたか、
「天の配剤(はいざい) 」を配偶者から感じることは、
天の意図があるんですね。

「天の配剤」を相対者から感じなければならない、悟る、
これが神様を中心に相手を見るということなんですよ。


祝福に幻想を抱いて、ある2世は
「神様が与えた祝福だったらどんな王子様がくるんだろう」
そして受けてみたら「普通の人じゃん」って
後光でも差していると思ったか、
「なんか普通」と言っているんですよ。

(祝福の相手・相対者は、普通の人ですが、
私にとって、ただの)普通の人ではありません。

私にとっては神様が与えた、「お前の相手はこの人だ」と。。。
めちゃくちゃ神秘的な人です。
人から見たら普通の人かもしれないが、
奥さんから見たら旦那さんは、神秘の、神秘の、神秘の人ですよ。

なんで神秘的?
神様がお前用だと言われた、「お前が完成するための
お前とこの妻で私になるんだよ、その相手だよ」と。
(だから)めちゃくちゃ神秘的なんですよ。

2019年5月北千葉「夫婦講座」より
再編集 文責:ten1ko2


先日、あることで(内容は忘れてしまいました)
私と妻が、それぞれの意見を話していました。

会話を聞いていた娘が一言、
「こりゃあ、お父さん、お母さん、合わないわ」
でした。

このように物事の捉え方は、
夫婦で見解が合わない時があると思います。

一般的にも、「男性と女性は、人間だけれど、
別の生き物であり、お互いが宇宙人だと思う」
そんな解釈をしている人も、たくさんおられます。

でも、だからこそ、配偶者を愛することが、
面白みがあるというか、私の成長に繋がるでしょう。

神様もそうやって夫婦が一つになることを
願っておられるにちがいありません。
神様を中心として見つめていくことが、
何よりも重要であると思うのです。




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posted by ten1ko2 at 08:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月27日

すべてが「愛」だった! 「信仰基台」が立てば、「実体基台」は自動的 《蝶野部長7》



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本来、私たちは、神様を信じて成長すれば、
人を愛して、素晴らしい家庭、
世の中をつくることができる──

「孝情」という言葉が出る前から、
蝶野部長は「親心」に帰ると表現されています。

夫婦講座、続編です。


(堕落したのちの復帰原理の信仰基台ではなく)
人間の本来の成長期間の信仰基台だったら、
(それだけで、すでに)愛になっています。

人は苦労すれば愛に転ずるのです。
信仰基台だけで、愛がからっからだとしたら、
(それは、本来の信仰基台ではありません)。

「メシヤのための基台」としては、
外的な象徴的、数理的な内容なので、
よしとすることもできるでしょう。

失ったものを取り戻すのが、信仰基台です。
しかし失ったものが何だったのか、
よく我々はわからなかった、ということになるかもしれません。


信仰基台とは「親心」に達することです。

間接主管圏は、神様を愛する喜びで成長していきます。

親心の中に入っていくと、
目の前にいる人、横にいる人を愛したくなるんです。
つまり信仰基台が立てば、
実体基台は自動的なんですね、ほんとは。


ところが原理講論では、
「信仰基台は成功して実体基台は失敗した」と書くので、
私たちは、「信仰基台を立てたから、あとは実体基台ね」
(という言い方をします。)

(しかし)それは、信仰基台の立て方が間違っているので
展開しないということなんです。

なぜ、「信仰基台」が成功した
という風に表現されたかというと、
「メシヤを迎えるための条件」だったからです。


みなさん、(信仰基台は)本当は
自分作りのことなんですよ。
自分を作る話なんですよ、信仰基台、実体基台は。

自分を作る条件なのに、
お百度参りのような感覚に日本人はなっている。

何かを起こすために立てる条件、
違います。

創造原理は、信仰基台は、「成長して完成」だから、
私を作る条件のことなんですよ。
(そういう意味では、統一原理から)
統一思想に切り替えていかなければなりません。

信仰基台の立て方が間違っている。
メシヤを迎えるための条件だから、
成功、失敗(という言い方が出てきます)。


ですから、子供がお母さんをめちゃくちゃ愛して
成長していたら、お母さんの情に立つでしょう。

そしたら、ブーブー言う兄貴を
愛することができるわけなんですよね。
なぜかというと親心に入っているからです。

それが信仰基台、実体基台です。
だから、「めちゃくちゃ親を愛してるんだけど、
兄貴は愛せません」というのは、絶対ないです。

ですから復帰原理においては、
堕落性を脱ぐための蕩減条件というのが
ここに加わって来るんですね。

男性を立てるために信仰基台を立てるからです。


一連のことを考えてみた時、信仰というものがそれなりにあるならば、
必ず愛という形に展開しているはずです。

もし愛せないという思いがあるならば、信仰基台が弱い、
あるいは間違って立てている、
あるいは、立てることによって自分が強くなっている。

俺は昔このようなことをやってきたんだ
というのが強くなってきている。。。

これは信仰基台とは逆の立て方になっています。
自分がなくなっていくというのが、(本来の)信仰基台です。


親を愛する、親の気持ちに入っていくから、
困った兄弟がいれば親の気持ちで愛します。
(それが)原理です。

信仰基台というのはめちゃくちゃ簡単よ、
「親心」の話です。

親を愛して愛して、親の心に入ったら、
困っている人を親の気持ちで愛せる
親の愛する兄弟を愛せるでしょう。

本当の親孝行というのは、親を愛する子ではなくて、
親が抱えて困ってる、
「お前はいい子で家にいてくれて教会にも行ってくれる。
だけど長男は家を出て、いない」
そういうお兄ちゃんを、親の心がわかって訪ねていく子供が
実体基台を立てようとする子供の位置なんですね。

2019年5月北千葉「夫婦講座」より
再編集 文責:ten1ko2


信仰基台とは「親心」に達すること。
ただ、業(ぎょう)のように、
やればいいというものではありません。

確かに復帰原理では、
「信仰基台」が成功して、次に「実体基台」
と言われています。

私たちもそのように習ってきましたし、
そのように教えてきました。

しかし、よくよく考えたら、蝶野部長の語られるように、
メシヤを迎えるための基台造成のための
あくまでも条件的、象徴的なもの、
それを信仰基台だととらえていました。

「信仰基台」も「実体基台」も
神を愛し、神を愛する人を愛し一つとなる、
すべてが「愛」のことでした。
まさしく、真の父母様がなされてきたことです。

今は「孝情」という言葉で表現されますが、
天の父母(親)である神様を愛するということは、
すべてに通じるものであると思います。

天一国時代、本然の時代となりました。
二世、三世、と信仰を相続するにおいて、
もはや、愛がなければ、何もできませんね。

今の日韓問題にしても、
ロシア・ウクライナ、ハマス・イスラエルについても、
お互いに親心があれば、解決できるのにと思わされます。

「信仰」だということを言い訳にして、
神様の愛、真の父母様の心情とは
遠い歩みになっていたことを反省しつつ、
「親心」に帰っていきたいと思うのです。



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posted by ten1ko2 at 12:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月20日

家庭連合一世信者は、神の愛の基準に立ちかえらなければならない?! 《蝶野部長6》

縦軸が大事! ただし、み旨中心ではなく、愛を中心として一つとなる?!


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(私は)世界や人類を愛する以上に、
神様を愛することに気が狂っている


文鮮明



蝶野部長の夫婦講座、続編です。

家庭連合の祝福結婚を受けている夫婦への
本来の基準と言いますか、
少し厳しいお話になっています。


(祝福家庭の)夫婦の価値というものに
我に帰らなければなりません。

ただこの世の幸せを求めてきた、
というのは普通の夫婦にすぎません。

一般の結婚より、不倫、離婚がないかな
という動機だと、普通の夫婦です。

自分に都合がよい、愛されたいという
動機が変わってないまま。。。
配偶者を普通の男女と見ているだけ、
ということになります。

だけど(祝福を)受けたから無原罪。
無原罪だけど、普通の夫婦と同じ、という家庭が量産されていく、
これは滅びの兆候があると思うのです。

祝福の価値にかえっていくのです。
自分の生い立ちのレベルで、配偶者を愛するのではありません。
心理学的レベルでは限界があります。

自分の相手はただの男、女じゃない、神様です。
祝福を受けたということはそうだということになります。
私の神様。

法廷論的には、血統に関してはサタンは讒訴できません。
無原罪だと言われれば無原罪です。

(ただし)本当の子どもなら親の心を通して全てを見る、
自発的な心があるはずなのにそうではない、
しかし戸籍には入ったという立場です。

本当の意味で心情を完成させなければ、
血統転換の最後を締めくくることにならない、
ということになるんだと思います。


神の価値で相手を見る、
ともにみ旨を歩んだ運動体同志ではなく。
お父様は行動や運動体を通して一つとなれと言っていない、
愛で一つとなるというのです。
(これは)レベルが高い。

(私たちの祝福は)蕩減祝福であるが、
創造(再創造)も入っているのです。
蕩減は再創造のためであり、
蕩減のためだけの祝福はありません。

(「掃除」を例にとると)掃除が目的ではなく、
部屋をきれいにするためです。
蕩減、穴埋めが好きというのはおかしいのです。
蕩減は自分が作られていくためのものです。

蕩減、穴埋め、清算が好きというのは異常なのであって、
真人間に成長して、神になるために摂理的には蕩減があるのです。 
自分がつくられていくための蕩減です。


(祝福家庭の)夫婦も、蕩減のためだけに
マッチングを信じてすべてを投げうちました。

2世は、(そのような)1世の信仰は凄いと言います。
しかし、「両親を見ていたら愛は見えない。
歩みはすごいけど、愛がない」(というのです。)

(逆に)2世を見れば、縦があれば鬼に金棒だが、縦が薄い、
縦的なものを入れていかないと、
ただ受けただけでは手放しで喜べません。

しかし1世の祝福は、こんなに夫婦が真反対でも
離婚の率は格段に少ないのです。
ということは縦がある(ということです)。

縦だけだと愛はない、縦を誇っても2世はしらけるだけなので、
あまり過去の歩みを誇るのはやめましょう。
メシヤを迎えるための武勇伝。。。


なぜ私たちが苦労の道を行って、
ここまで犠牲をして、最後霊界でお父様と会おう、
という群れになっているんでしょうか。

それは、お父様がブレなかった理由と同じですよ。

お父様の強靭な忍耐力と信仰はなぜあるのか、
「先生は君たちや世界を愛するためにやっているという以上に
神様のことで気が狂っているからだ」

とおっしゃいました。

つまり縦軸があるわけですよ。
神様のことで気が狂っているから、
どんなに反対されてもあまり動かないのです。
なぜ?横は気にならないのです。

横に関心が行ったとしたら、慰められようとしたら、
一発で世間体を気にするようになります。

お父様の心には、神様を慰めることしかなかったので、
興南に行く時も、真っ先に神様を慰めたというんですね。

2019年5月北千葉「夫婦講座」より
以前、教区にお呼びした時の講義です。
編集 文責:ten1ko2


自分の家族を置いて、献身してきた一世たち。。。
でも、本当は、氏族を伝道しなければならない、
そのようなみ言もありましたし、
親から反対されたとしても、
み言を伝えるべき期間でした。

お父様は、10日に一度、親に手紙を書け、
とおっしゃられました。
親を愛した条件を立て、
み言を伝えるためだったと思います。

ですから、一世である私たちも、
本来は氏族復帰をしながらみ旨を歩む、
そのような立場であったと思います。

ただし、お父様は、愛したくても愛せませんでした。
すべてを神様のため、そして私たち人類のために
尽くしくださり、現在の
愛すべきものを愛することができる
時代となったのです。

実際、当時は私たちにおいても、
厳しい現実がありました。。。

いくら親を愛していても、
この道に進むことを反対されたのなら、
神様に背を向けることはできない、というのが
私自身の本心の叫びでした。

このようにお父様が、何よりも神様を愛していかれた、
狂ったように神様を愛された、
その道が何よりも貴いし、
お父様が歩んでくださったので、
私たちもその心情を相続する(受け継ぐ)
ことができるのだと思うのです。





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