2024年02月24日

相手の言葉は、神のメッセージ、これは創造原理or復帰原理?! 《蝶野部長9》



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蝶野部長の夫婦講座。
続編です。


そこ(相手の何か)にえーっと思うということは、
それは自分の中にあるものなんです、わかります?

「これこれこうなんです、おかしいと思いません?」と
うまいこと言うんです、女性って。
ご主人を悪者にします。

自分がいいということを言いたくて相談に来ているのですから
一方の話を聞いたらそうですが、
よーくご主人の方に聞いてみるとこれは奥さんかなと、
人間って都合がいいですね。

口から出るのは、みんな自分の自己正当化
だってことはよくわかるんですね。


でも、俯瞰(ふかん)してみた時に、
お互いのテーマを克服するためにお互いの個性があるのかと。
(精誠篇ではその話をしています。)

自分が引っかかることはその人の罪の内容がある。
清算するためにある。

教区長の話のここに引っかかる人、
横に座っている人は「別に?」
一言一言にいちいち引っかかる人と、
全然気にならない人、
この壁紙は…ということばかり気になる人、
その人の癖があるのです。

清算するために気になるようになっている。。。
夫婦で神になるため。

自分が成長して完成実体に
ならなければならないということは、
自分のクセを愛に変えるために、
相手の性質があるんです。

こういう話を、
「神様を中心に夫婦が一つになるんですよ」
というみ言だけでぱっと悟るべきなんですよ、そこまで。
この説明、本当はいらないんですよ。

しかし私たちは原理を人に適応し、
信仰とか神様というものが吹っ飛んでしまって、
男女の違いを学ばなければ、
心理学的に心を開くことができなかった。。。


一方の話を聞いたら
本当に苦労してきて、父母様のみあとを慕って、
家を捨てて献身して摂理に貢献しながら
残るものは何でしょうか。

夫婦で完成実体になろうとするものだけは
残さなければならない。
夫婦で裁き合って、
何が残っているのかということになるかと思います。

ぜひ創造原理の価値からもう一度夫婦を見直して、
一つになっていけたらいいなと思います。


相手からくる言葉は、
すべて神様からのメッセージですねこれ。
創造原理か復帰原理ですから皆さん。

「お前を愛しているよ」というのは、創造原理だから。
「お前、もうちょっと化粧何とかしたら」
というカチンとくる言葉は復帰原理です。

創造原理は愛のためでしょ。

復帰原理も愛を復帰するためですが、
なぜそんなことをぐさっとくること言うかな、
しかもそれを人の前で言うかな、
ぽそっと言えばいいのにというムラムラが出てくる。

それは実はわたしの為にあるんです。

だからわざわざ人の前で言う
デリカシーのない人が配偶者になっているんです。
それはわたしの為なんですよ。

そういう蕩減がない人は、そういう体験がないです。
別なものがあるんです。

配偶者からわいてくる私の心を、
神様からのメッセージだととらえなさい
というのはそのためです。


光の子園に昨日行ってきましたが、
村上先生も言われていますよ。

子供がね、泣き叫ぶこと、
子供からバカとかウンチとか死ねとか
殺すとかいう言葉がでてくる、
でもそれはすべて神様の言葉だと
分かっていらっしゃるのです。

すべて原理的に歩むと
分かって来るというふうに思うんですね。

まして私たちは夫婦、親子で一つになり、
夫婦で神様にならないといけない。
親子で一つとなって天国にいく。

神様の実体は、親子ではなく夫婦ですよ。

相手から感ずるものを謙虚に受け止めながら、
私の愛のためにいてくださる貴い
神様の半分、私の神様だ、と価値視して接すれば、
すべての言葉、しぐさ、いろんな欠点というものも、
愛という性質の基盤の上に昇華しながら、
またそれを相手から感じる時、
もっと相手からの愛もくるでしょう。

そういう原理に帰って
夫婦で出発していけたらなぁと思います。

2019年5月北千葉「夫婦講座」より
文責:ten1ko2


人間関係の中で、夫婦関係というのは、
特別な関係です。

夫婦が一つになることは、神様になることである、
お父様のこのみ言は、あまりにも衝撃的です。

先日、ある伝道部長が証しをしていました。
前線メンバーたちに伝道を勝利させようと思い、
家庭書写会で復興している高崎家庭教会に研修に行きました。
そこでの出来事です。

「伝道を勝利させたいと思って、
副教会長にどうしたら勝利できるか質問しました。
そうしたら、衝撃的な答えが返ってきました。
『妻を100%愛することですよ』」

伝道部長は、なんでそうなのか、
よくわからなかったけれど、実践したそうです。

具体的な内容は、省略させていただきますが、
妻を愛することは私の責任だと思っていく中で、
要求の思いがなくなり、心情が転換されたといいます。

家庭を犠牲にして、み旨に投入する時代から、
家庭を愛し、配偶者を愛することがみ旨である、
そのような時代がやってきました。

私も妻といざこざがあったとしても、
このブログがあるおかげで、
軌道修正させていただいています。

夫婦が一つになり、
神様を証ししていきたいですね。。。




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2024年02月14日

正論を言っても解決しない! 「私の思い」をため込むとガスのように膨張して危険 《蝶野部長*精誠篇》F



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蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長
「精誠篇(せいせいへん)」より
厳選して、ご紹介します。。


「私たちは神様からの本性ではなく、
 ほとんど先祖の血で思い、話している!」


というと、ちょっと暗くなる話ですが、
(創造)本性というのは、ほとんど使っていないのです。

ほとんど使ってないというのは、
ちょっと語弊があるかもしれませんが、
それぐらい本性ってすごいんです。

本性が出てきたら、皆さんはびっくりすることでしょう。
自分ってこんなにスゴいのかといって、
三日三晩ご飯も食べれないぐらい
号泣するというのです、自分がすごすぎて。

そしてその感謝を天に捧げることでしょう。
「神様、このように素晴らしい自分をありがとうございます」
と言って栄光在天するその日が、
個性完成の日だということです。

ご飯を食べられないくらい、自分が素晴らし過ぎて
慟哭して泣くというのです、
皆さん、どう思いますか。

神様が与えてくださった本性の素晴らしさというのは、
「犠牲になりたい」と言って、
喉から血が出るほど叫んでいる。。。
そのように、良心の基準がそうだといいます。

(現在の自分からは)考えられない自分があるのです。
それ(本性)を使ったら、皆
アボニムやオモニムのようになるでしょう。
イエス様のようになるでしょう。


(しかし、本性を発揮していない)
ほとんどがこれです、皆さん。

「そこに原理とか正論を乗せても
 自分の思いが清算、蕩減されていない限り
 蕩減の関係も終わらない!」


教育上の、こういう講義ではいいのですが、
皆様の私生活において、
正しいことを自分の配偶者などに(言うことがあります。)

(例えば)夫婦のケンカではお互い、正論を言うでしょう。
どちらが正しいかで、ケンカします。

でも、自分の血統的な情で、
正しいことを言っても導かれません。

ところが私たちは、『自分の方が正しいので
導かれるべきだ』という思いがあるのです。
それは要求心であって、愛ではありません。
反対です。

ですから、私たちはまず、正しいことを言うという前に
この自分の思いを清算しないとダメなのです。

それなりに、一理あること言いますね、夫婦喧嘩では。
しかし、その思いが失敗しています。

それ(私の思い)で、話したり、行動したりすると、
自分からは、先祖の因縁が出てくるだけなのです。
神様ではない、先祖のものが出てくるということです。


ですから、「蕩減の観点や、神様の願いの観点などと
無関係に湧いてくる私の情や思い、これをどうするか?」

下のところね、「情」と「思い」というものが入ります。

この「情」と「思い」がわくのは、どうしようもありません。
で、み言を聞くと、『あーこれは堕落性だー、
我慢しないといけない』と。

そして、抑えます。
抑えると、どうなりますか?
やがては爆発するようになっているわけですね(笑)。

生ゴミもずっと出さないと?
夏場とか、ガスで膨らんできます(笑)。
膨張力を持つわけです。


それを清算できない、
自分が変われていない!

人を許せないことで悩んでいるように見えますが、
実際は違います。

み言を聞きながらも、許せていない自分に
落ち込むというのです。
食口の悩みは、そこだけなんですよ。

ですから、み言を聞いた人は、悩みが増えるわけです。

だから、「み言を聞いてそのみ言と一つならないと
ストレスが増えるよ」
と、お父様のみ言にもあります。

しかし、こうやって体を従えていくんだと、
うんとこしょ、どっこいしょとやる、
これが信仰だというふうに思って。。。
自分の霊性や、心霊が(どうでしょうか。)

だから、行動は聖人並みなのに、
内面はカインの情だということも多いのです。
ここは少し心配しないといけないのではないでしょうか。

蝶野知徳・精誠篇1 

父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
このみ言は、2018年に蝶野部長が
広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られたものです。
(文責:ten1ko2)


「本性ってすごい
自分ってこんなにスゴいのかといって、
三日三晩ご飯も食べれないぐらい
号泣する」

蝶野部長は、その一端を感じられた経験があるのでしょう。
とても、説得力のあるお話しでした。

私の思いが
神様、父母様と一つになったら、
すなわち本性を中心としたものになれば、
どれだけ素晴らしいことでしょうか。

そのためのみ言の訓読であり、
祈祷であり、み旨の実践であり、
天心修行である。。。

天心苑祈祷によって、私たちも
天の心情と共鳴できる恩恵が頂けるようになりました。
本当に感謝だなぁと思うのです。





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2024年02月04日

一つになるため、「私がガマンすれば・・」 これでは、心がバラバラ 《蝶野部長・夫婦講座8》



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蝶野部長の「カップルセミナー」
続編です。


夫婦のいろんな講話という形でやっていく時にですね、
「わかりました、じゃ夫婦がひとつになります。
じゃあ私が我慢すればいいんですね」
という霊界に入る方もおられるんですね。

けなげでいいんだけど、
ただ、我慢ってよくないですね。

(かといえば、それを聞いて)羨ましいっていう人もいますね。
「うちもそれくらい我慢してくれたら、俺もがんばるのにな」

県民性もあるからね。データはありませんが、
県によって違います。
ここ(千葉について)は知らないですが。

(たとえば)妻が「あんた!」なんて言って、
ここはとても男性が信仰的だなぁと(という県があります)。

そしてある県に行くと、男が仁義なき戦いのようで、
妻の方がぐっとこらえるんだけど、
時々我慢できなくなってドッカ―ンみたいな。。。

男性が強くて、女性は「私さえ我慢すれば」と、
自分のセンチメンタルな世界に入っていって、
「これが信仰よ、お父様〜」みたいなね。


でも親、神が見たいのは、
夫婦が一つになっているのを見たいんですよ。

という話をしたら私が我慢して一つになろう
という話になる(のですが、そうではありません)。

だいたいどっちかの意見が強くて、最後どっちかが折れて一つになる、
というのは一つになっていないからです。

「いやーご夫婦で話されないんですか」と聞くと、
「いつも主人が切れる寸前で、私が折れるようにしています」

喧嘩にならないのはどっちかが折れているから。
それは子供は感動しませんよ、ということです。
それは結局一つになっていないのです。
どっちかが我慢して一つになるというのは、
一つになっていないということです。

なんでそうなる?
私さえ我慢すればというのは情が離れているのです。
つまり二つになる取り組みなんです。
どちらかに合わせるということが一つになることではありません。


意見が合わないからこっちかが我慢する、これは愛でも何でもない。
でも喧嘩はない。。。
喧嘩がないからよいわけではないです。

お互い冷めきったら喧嘩もしないからね。
だから冷め切ってる場合には喧嘩をした方がいいですね。
冷め切っている場合はですよ。
理想は喧嘩がない方がいいでしょうけどね、もちろん。

喧嘩さえできないんだったら、それはした方がいいんですよ。
問題発言か。
(そういう夫婦は)情を出し合っていないのです。
授受作用にはならないんだけどね、喧嘩は。

でも、その手前で自分の言いたいことを出していれば、
自分が言えた、聞いてもらえたのがあれば、だんだん本音が出てくるし、
「ちょっと言いすぎたけど本当はこういう気持ちだったんだ」
と話すようになるんであれば、喧嘩したほうがいい。。。

どちらかに合わせるんじゃないと言うことです。

私たちは、一つになりなさいといったら、
配偶者に対して自分を否定しようとするんです。

うーん。相手は神様の半分だから自分も譲歩しなければならないか、
(というように)我慢する世界。。。
相手もそれがよいと思っている、かというと、これはそうではないのです。


(私たちは)相手を中心ではなく、神様を中心に結婚したんです。
配偶者を下さったのは天の父母様ですから。
だから配偶者から感じることは、天の意図があるんですよね。

もうわかっている、話すまでもなく知っていることですよね。
だけどここを毎日確認した方がいい。

皆さん、偶然ではないですよ、配偶者のクセ、性格、こだわり。
「内の主人潔癖症なくせにトイレ後に手を洗わない」とか…。

そこに引っかかるあなたの癖がある、
見つけるためにそのこだわりがある、
心理学ではない、偶然はないんです。

ですから、なぜこの相対者を与えたか、
「天の配剤(はいざい) 」を配偶者から感じることは、
天の意図があるんですね。

「天の配剤」を相対者から感じなければならない、悟る、
これが神様を中心に相手を見るということなんですよ。


祝福に幻想を抱いて、ある2世は
「神様が与えた祝福だったらどんな王子様がくるんだろう」
そして受けてみたら「普通の人じゃん」って
後光でも差していると思ったか、
「なんか普通」と言っているんですよ。

(祝福の相手・相対者は、普通の人ですが、
私にとって、ただの)普通の人ではありません。

私にとっては神様が与えた、「お前の相手はこの人だ」と。。。
めちゃくちゃ神秘的な人です。
人から見たら普通の人かもしれないが、
奥さんから見たら旦那さんは、神秘の、神秘の、神秘の人ですよ。

なんで神秘的?
神様がお前用だと言われた、「お前が完成するための
お前とこの妻で私になるんだよ、その相手だよ」と。
(だから)めちゃくちゃ神秘的なんですよ。

2019年5月北千葉「夫婦講座」より
再編集 文責:ten1ko2


先日、あることで(内容は忘れてしまいました)
私と妻が、それぞれの意見を話していました。

会話を聞いていた娘が一言、
「こりゃあ、お父さん、お母さん、合わないわ」
でした。

このように物事の捉え方は、
夫婦で見解が合わない時があると思います。

一般的にも、「男性と女性は、人間だけれど、
別の生き物であり、お互いが宇宙人だと思う」
そんな解釈をしている人も、たくさんおられます。

でも、だからこそ、配偶者を愛することが、
面白みがあるというか、私の成長に繋がるでしょう。

神様もそうやって夫婦が一つになることを
願っておられるにちがいありません。
神様を中心として見つめていくことが、
何よりも重要であると思うのです。




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