2024年05月27日

生きている人間が復活? 「霊人体の完成は愛の完成だよ」アボジの一言・霊性レッスン 《史吉子先生》



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史吉子(サ キルジャ)先生
「原理に関するみ言の証」、復活論より、
地上人に対する復活のお話しです。


復活論では先ず、地上人に対する復活摂理が現れます。

地上人に対する復活摂理は、
どのようになされるのでしょうか?
私たちの霊人体が霊形体、生命体を経て、
生霊体にならなければなりません。

すなわち、 蘇生復活、長成復活の段階を経て、
完成復活しなければならないのです。


次は、霊人に対する復活摂理です。

既に肉身を脱いだ私たちの先祖たち、
霊人たちは地上に再臨して地上人を協助することにより、
地上人と同じ恵沢を受けて復活します。

今日は、この二つの内容に関して説明します。


私は、復活とは既成教会で言及するように、
「死体が墓から蘇ること」だと思っていました。

ところが、 私たちの教会に入教して、
「復活は霊人体が成長すること」
と言うみ言を初めて聞きました。

それであまりにも不思議で、更に深く知りたくなり、
ある日、 お父様にお尋ねしました。

「お父様、私もお父様がおっしゃるように、
私の体の中で霊人体が成長していると思いますが、
霊人体がどれくらい成長したか、
霊形体が成長して生命体になったのか、
そのようなことが計れる、丁度、体温計のような機械を見て、
成長の度合いをわかることができませんか?」
とお尋ねしてみました。

お父様はこの質問については、聞いた振りもされず、
「そうだ。霊人体の完成は愛の完成だよ!」
と答えられ ました。


ところで、この霊形体と言う言葉には、
意味があります。

私たち食口の中で、練炭ガス中毒で
急死して生き返った人がいました。

彼女が死んで霊界に行ってみたら、
天国に行く道よりも地獄に行く道の方が楽に見えて、
早く来いと手振りをしていたそうです。

それで地獄に行ってみると、大蛇のような、
犬のような、豚のようなものがいましたが、
こちらから見ると人のようでもあり、
あちらから見ると獣のように見えたそうです。

そういう訳で復活してこそ、私たちの霊人体は
獣の姿から人間の姿へと形成されるのです。
それで蘇生期の霊人体を、霊形体と呼ぶのです。


そして、その霊形体が生命体に成長し、
更に成長すると生霊体になるのです。
生霊体は発光体であり、発光体は光を発するものです。

それで私たちが地上で生きる目的は、
自分の霊人体が完成して生霊体 (発光体)になることです。
それ故に、誰もが生霊体になることを望み ます。

その光がどれくらい強いかが、
将来、真の父母様が霊界に行かれた後、
私たちが真の父母様の近くに行ける基準になるそうです。

自分の霊人体が明るければ明るいほど、
真の父母様の近くに行けます。
暗ければ暗い程、下に下がり、
明るければ明るい程、上に上がります。

史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
再編集 文責:ten1ko2


私の霊人体が、どれくらいの位置なのか、
知りたい思いもあるし、しかし、
逆に、知りたくない思いもあります。。。

お父様のみ言のごとく、
「霊人体の完成は、愛の完成」と言われると
まだまだだな、と感じさせられます。

「私の生涯の座右の銘は、
いかにしてきのうよりきょう、
さらに感謝の気持ちをもって
生きていくかということです。
きのうよりきょう、さらに感謝し、
あすはきょうよりもっと感謝しながら
生きるために努力してきました。
日ごと、感謝の気持ちをもつことが、
私の人生の目標でした」


このお母様のみ言が胸を打ちますね。
どんな境遇にあったとしても、
感謝する生活を送ること、
この思いを持って、今日も出発していきたいと思うのです。


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2024年05月06日

真のお父様はどんな方?! 完全なる「仲保者・通過体」は自分がない 《史吉子先生》



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史吉子(サ キルジャ)先生のみ言、
「誰よりも神様を愛されるお父様」続きです。


お父様は、まるでサタンから神様の前へと行かせる、
多くの人々を渡らせる橋のようです。

橋は、あちらこちらを連結させてくれるのです。
ところが、橋に何かおいてあるとそれが障害物になって、
人や自動車が通り過ぎる時、引っかかるしかありません。
それで橋には、何もあってはいけません。
お父様はそんな方です。

またお父様は、高い山を楽に通過させてくれる
トンネルのような方です。
トンネルが完全に貫通していたら、
自動車が楽に通過します。

だから、お父様はこの橋やトンネルのように、
こちら(人間)からあちら(神様)の方へと楽に繋げてくれる、
仲保者の役割をされるのです。

そうして、ご自身の意識の中には、
ご自身が一つもない方です。


常にお父様が語られますが、責任を持つ立場や
高い位置に上がれば上がる程、
どんな心の姿勢を持たなければならないかと言えば、
母の子宮の中に入っている
胎児のようでなければならないそうです。

母の子宮の中に入っている赤ちゃんは、自由がありません。
赤ちゃんは、食べるのもお母さんからへその緒を通して食べ、
お母さんが横になれば、一緒にならないといけないし、
お母さんが起きたら一緒に起きなければならないし、
お母さんが行けば一緒に行けなければならない、

それこそ完全に自由がない状態です。


ですから、私たちが立っている大小様々な全ての位置は、
自分のものではありません。

自分のものではなく、お父様、お母様のものです。
ですから、皆さんはお父様、お母様のものを、
自分が代わりに守って差し上げる
という立場に立たなければなりません。

高い位置に上がれば上がるほど、
この位置は天が私に責任を与えて、
ちゃんと面倒を見るようにとくださった位置であり、
自分の位置ではないと思わなければなりません。

そして、指導者は常に祈祷しなければならず、
率先垂範して熱心にみ言を訓読しなければならず、
食口たちのために生きなければなりません。

これさえきちんと守っていけば、
どんな責任を受け持っても上手に果たせるそうです。


このようになると、心が空になり、
「お父様、お父様が私をここに立てておかれたのですが、
私が何をすることを願われますか?
私がどうしたら良いでしょうか?」
と言いながら、絶えず
神様にお伺いするようになるそうです。

私たちはこのような心の姿勢を持たなければならず、
指導者がこのような心の姿勢を持つことが重要です。
そうすると、天がいつでも霊感をくださり、
知恵をくださるそうです。

再編集 文責:ten1ko2


このみ言を読みながら、
昔見た夢のことを思い出しました。

私の母、祖母と日蓮宗の信仰を持っていたのですが、
白装束を着ている人たちが、
「何無妙法蓮華経〜」とお経を唱えながら、
山をゆっくりと登っていきます。

そこを突然、新幹線が通り抜けていくのですが、
その中に私がいたのです。

まぁ、夢の中の出来事ですから、
現実離れしていますが(笑)。

夢から覚めた時、
文先生が苦労されて道を切り開いてくださった。。。
先生の勝利圏にいるということは、
どれほど感謝なことであるか。。。
そんなことを感じました。

真の父母様の勝利圏の中にいることが
どれほど感謝なことなのか、
再確認させていただきました。




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2024年04月24日

貧富の差、これは不公平ではない?! 底辺にいる人が発展する理由 《原理に関するみ言の証》



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天宙聖婚64周年記念式(本日)


真の父母様、御聖婚64周年、おめでとうございます。
孝情天宙祝福式を受けられた新郎新婦、
祝福家庭の皆さま、おめでとうございます。

今日は、史吉子(サ キルジャ)先生の「原理に関するみ言の証」
復活論の中の一項目を抜粋して紹介します。



地上人の生涯と先祖の功労

ところで最近、私は驚くべきみ言を聞きました。
お父様が、「神様がなぜ、公平なのかわかるか?
豊かに暮らす人と貧しく暮らす人がいるから、公平なのだ」
とおっしゃいました。

豊かに暮らす人は先祖の功労が高いから
豊かでなければならないし、
貧しく暮らす人は先祖の借りを返すために
貧しく暮らさなければならないとのことです。

私たちは、あの人(山の頂上にいる人)は
優れているわけではないのに良い暮らしをしていて、
この人(谷底にいる人)は
努力して生きているにもかかわらず、
何をしてもうまくいかないから不公平だといいます。

ところが、お父様の観点は違います。
それが不公平なことではないのです。

私たちは生まれる時から、生まれる位置がみな違います。
ですから、自分が誰よりもすべての面で不利であり、
何をしてもうまくいかないからといって、
嫉妬する理由はないのです。

その時は、「ああ、私の先祖の功労がこれだけしかないから、
私がもっと努力しないといけないんだ」
と考えて、もっと頑張ればいいのです。

この人(谷底にいる人)が原理を知り、
主に導かれて食口になれば、
自分の先祖の功労がないことを知り、
その時から努力するようになります。
努力し続ければ、次第に上がっていくのです。

お父様は、こういう人が原理を知れば、
一番大きく発展するというみ言も語られました。

神様は父母であるので、
苦しんでいる子女の祈りと精誠を
よく聞いてくださるとおっしゃいました。
それで、こういう人たちは
恐ろしく発展すると言われました。

史吉子
原理に関するみ言の証
再編集 文責:ten1ko2


このみ言を読みながら、
アフリカのことを思わされました。

今まで多くの苦難と迫害の歴史を
たどってきたアフリカ。。。

しかも皮膚の色が違うというその一点で、
神様を信じる者たちが、同じ神様を信じる者を
迫害してきたという事実。。。
神様にとっても苦痛であったかと思います。

しかし、お父様が語られたように
「神様は公平」なのでした。

多くの苦しみを通過したからこそ、
本当の神様の心情をわかったのだろうし、
これから大きく発展するにちがいありません。

私自身の道のりにおいても、
多くの苦難があったからこそ、
この貴い道に導かれたのだ。。。
そのことがどれほど感謝であるかしれません。

そういう意味では、先祖の功労というものは
良い先祖でも感謝であり、
悪い先祖でも感謝なのかもしれないですね。

ただ、私自身もいずれは、「先祖」になります。
今、私たちの歩む道は、もちろん
過去の穴埋めや清算というものもありますが、
未来への投資でもあると考えると希望ですね。

徳を積みつつ、良い功労を
残していきたいと思うのです。




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