2023年06月14日

人間は小宇宙*人体構造から、人類と宇宙の謎を解いた文先生 《史吉子先生・原理に関するみ言の証》



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史吉子(サ キルジャ)先生の
「原理に関するみ言の証」より
今回は、『終末論と人体構造』です。


原理講論の終末論を見れば、
天国は人間一人の姿と同じだと言う話があります。

お父様が霊界に行ってみられましたが、
神様がたとえ形は無かったとしても、
神様にお会いする中で悟られたことは何かと言うと、
神様は人間の姿で現れると言うことです。

それ故に、人間ほど完璧な真理体は無いのです。

人体の構造に対する無限な価値と内容がわかるお父様は、
ご自身の思考の根拠が人体にあるとおっしゃいます。
お父様は、そんなお話をよくされます。


そして、 聖書も神様のみ言なので、
人の体に似せて書かれたと言うことを
発見されたそうです。

すなわち、 聖書はどこが頭の部分で、
どこが胴体であり、 どこが腕や足であるか
と言うことを一気に悟られたと、おっしゃいました。
それで、 聖書が一気に解けたと言われました。


世の中の神学者たちは、 まだ聖書を全体的に知らず、
部分的にのみ理解していいます。

これは、まるで盲人が象を触っているようなもので、
ある人は鼻を触ってみて、
「象は大きな蛇のようだ。」と言い、
ある人は足を触ってから、
「象は柱みたいだ。」 と言い、
お腹を触った人は、「象は壁のようだ。」
と言っているようなものです。

神学者たちが聖書に関して争うのは、
このような理由のためです。


しかし、お父様は人体が完璧な真理であることを知って、
神様を探し求める時にも、この人体を利用したそうです。

お父様は人の顔を見た時、一番不思議な所が瞳だそうです。
そして人の全身を見る時、
頭は神様を象徴し、 胴体は人を象徴し、
腕と足は万物を象徴するとおっしゃいます。

顔全体を見る時、二つの瞳は
二性性相、すなわち、神様を象徴するのです。

皆さんも人を見る時、一番先にどこを見ますか?
大部分の人は、目を見ます。

お父様は目がその狭い空間で
自由自在にくるくる回るのを見ると、
本当に不思議だと言われました。

お父様は顔だけをじっくり見る時、
目は神様を象徴し、鼻は人間を象徴して、
口は万物を象徴するとおっしゃいました。


このようにお父様の全ての思考の根拠は、
人体構造にあります。
体の無い神様が現れるならば、
必ず人体構造として現れるそうです。

それでお父様は、事業体も人体の構造に従って、
何を先にしなければならないかを決められます。

統一産業を最初に始める時、
「統一産業は、人体において
脊椎のような基幹産業」 だと言われました。

お父様が一番最初に精誠を込めて始めた事業が、
各種機械を作る基幹産業でした。

人体と同様に、産業も脊椎がよく備わっていると、
次に小さな骨が精巧に付いて、
全体的に均衡が整った人体構造になるとのことです。

お父様はこのように事業をなさる時も、
人体構造を型取ってされるのです。


授受作用でも出て来ますが、
私たちは食べ物を食べて排泄がよくできて、
新陳代謝が円滑に成り立たなければならないように、
事業もこのような道理に従って遂行すると、
更に発展するのです。

お父様は事業も訳も無くなさるのではなく、
このように人体構造を参考にしてなさる
と言うことを私たちが悟らなければなりません。


そして、お父様が最後にしなければならない事業は、
海運業だと言われました。

人体の構成が形成されれば
血液が循環して新陳代謝がなされ、
新陳代謝がなされると人体が健康になります。

海運業は血液が循環するのと
同じ事業だと言われました。

お父様は大きい船を作って、
こちらの国の特産物をあちらの国に積んで行って販売し、
その国の特産物をこの国に積んで来て販売し、
また、 たくさんの人を招待して船で宿泊をさせながら、
教育もしなければならないとおっしゃいました。

史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
再編集 文責:ten1ko2


お父様の物事を見る観点というのは、
改めて、すごいな、と感じます。

人間の人体構造で神様を見ていかれます。

また、事業を見ていく
物事を進めていくにも
原理的、秩序的になされるのだな、と思います。

史吉子先生は、原理講論には、
「天国は人間一人の姿と同じ」
と記述されていると言われています。

しかし、さらに言えば、
天国は、一人では行けない所であり、
「夫婦が一つになった姿」
というのが真実の中の真実です。

お父様は、このことをご存じだったでしょうが、
摂理的事情もあり、原理講論には、
このように書かれたのだと思います。




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2023年06月05日

終末には人類が滅亡、するわけではない?! 《史吉子先生・原理に関するみ言の証》



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≪ノアの時も終末だった≫


史吉子(サ キルジャ)先生の
「原理に関するみ言の証」より
今回は、『終末の現象と意義』の前編です。


私たちのみ旨を知らない人々は、
終末には地が割れて
空から火が落ちるなどの現象が起こり、
人類が滅亡する時と言いながら、
終末をとても絶望的に見ています。

しかし、原理がわかる私たちは、
この終末をサタンの主権が完全に亡びて
神様の主権が現れ、
地上天国と天上天国が出発する、
本当に良い時であると見ています。


メシヤが来られるこの時は、
サタンの主権が完全に滅亡する時であるので、
その罪の根が全て現れる時です。

今はまた、 最高の悪人も生きているし、
メシヤについて行きながら神様の主権を
立てるために善良に生きようと
努力する人々も、入り混じっている時です。

それ故に、一見して誰が善人で、
誰が悪人なのかわからないし、
言葉に表現できない混乱の時代であります。


どうして今が混乱しているのかと言うと、
復帰摂理 (救いの摂理)は再創造摂理なので、
メシヤが再臨して堕落したこの世をもう一度、
再創造するはずですが、

神様が被造世界を創造する時、空虚で混沌する中で
秩序を立てながら創造なされたように、
メシヤも混乱の中で
再創造しなければならないからです。


今は行く方向性がわからなくて、さ迷う時です。

特にエデンの園で青少年が堕落したので、
青少年たちの犯罪が、想像もできないことが
たくさん起っており、
たくさんの人々が苦悩していますが、

私たちはありがたいことにも、
メシヤに誰よりも先に待ってついて行くので、
悪に傾いて行く心配が無い、
本当に真に幸せな者たちです。

終末には様々な徴兆がありますが、
終末の徴兆に関する全てのことは原理を通じて、
あるいはお父様のみ言を通して、
よく学んだことでしょう。

問題は、終末に起きる現象の
意味を知ることが重要です。


お父様をこの地に誕生させるために、
歴史的に韓国の先祖たちは、
言葉にできない蕩減の苦難路程を歩んで来ました。

私も日帝強制占領期間と
共産主義時代を生きながら、
「私たちの先祖は何の罪が多くて、そうなのか。
馬鹿なのでそうなのか。」

と、 とても悩みながらその時代を生きて来ましたが、
知ってみると、これは主をこの地に
誕生させるための民族的な苦難でした。

今の時代では、真の父母様の家門に
おびただしい蕩減を受けてきたことを、
私が既にお話ししたと思います。

史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
再編集 文責:ten1ko2


原理講論では、終末とは、「サタン主権の罪悪世界が、
神主権の創造理想世界に転換される時代」とあります。

終末は、終わりではなく、
希望と喜びの時、なのです。

しかし、終末を迎えていながらも、
いまだに、目に見える形で、
その現象が表れているでしょうか。
残念ながら、そうとも言えない気もします。

神様は、復帰摂理の段階では、
直接主管することはできません。

人間の責任分担の結果により、
主管される「原理結果主管」をせざるを得ないのです。

ですから、私たちがどのような歩みをするかにより、
神様が主管なさるわけです。

今も、地上天国が実現できないのではなく、
私たちの歩みが問われている時なのだと思います。


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2023年05月15日

UFOは何なのか──文師の答えは? 霊界がわからなければ、科学は完全になれない 《原理によるみ言の証》



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史吉子(サ キルジャ)先生の
「原理によるみ言の証」より
「科学の完成は、霊界の協助を受けて
初めて可能になる 」です。

真のお父様(文鮮明先生)の語る、宇宙の真実、
さて、UFOは実在するのでしょうか。


宇宙の太陽と月と星には、
天使を配置しておかれたそうです。

いつだったか、火星が地球と似ているため、
そこに生命体が住んでいて、
彼らが地球を攻撃して来る空想科学映画が、
上映されたではありませんか?

それで私はお父様に、空飛ぶ円盤 (UFO)は
何なのかをお伺いしました。
お父様は、それは天使であるとおっしゃいました。

空飛ぶ円盤が地球に降りて来て、誰かには見えましたが、
長時間を留まってはいませんでした。
人々の目に、一瞬の間だけ見えたのです。


なぜ、宇宙に天使たちを配置したかと言うと、
私たち人間のためだそうです。

地上で宇宙科学は、完成することができないそうです。

宇宙科学を研究している科学者たちは、
神様の創造目的を知らないので、完成すると主張します。


肉身(体)を持っていては、
この地球と言う空気袋の外に出て
生きる場所は無いそうです。
空気は、地球の大気圏外にはありません。

地球以外の他の所に空気がありますか?
ありません。
空気が無ければ、人間は生きることができません。

広大無辺な宇宙には、 雪人体が
行くようになっているそうです。

私たち人間は霊人体が完成して、
肉身を脱いで霊界に行ってみると、
そこでは私が太陽に行くと思っただけで、
既にそこに行っているそうです。
月も同様です。


お父様が現在、 楽しみにしながら
期待していることが何であるかと言うと、
肉身を脱いだ(死)後に
霊人体(霊人)が行く宇宙旅行だそうです。

肉身を脱いだ後、宇宙に行って
全てを見てみたいそうです。

このように宇宙科学は、地上で(生きている間、この世で)
完成することはできないというのです。
肉身を維持している地上においては、
絶対に駄目なのです。


いつだったか、お父様はアラスカで
冷たい海水を手で打ちながら、
私たちに遠く水平線を眺めてみなさいとおっしゃいました。

「あの広い海を見渡しなさい。
これからは宇宙科学よりも、海洋科学が
もっと発展するだろう」と言われました。

海水はこのように私たちが触ることができますが、
宇宙全体は私たちの肉身とは、
余りにも遠いとおっしゃいました。


お父様は、「神様は、この地球で
2ヶ所をまだ公開されていない」
とおっしゃいました。

それは海底とアフリカの密林地帯だそうです。

ところでこの2ヶ所は、霊界と科学が
お互いに協助する体系ができてこそ、
開発が可能であると言われました。

霊界から経度何度、緯度何度に
何があるから開発しなさいと言われて、
科学技術で開発する体系であればできるのです。

また、お父様はその程度に
科学技術が発達するためには、
主に侍って(仕えて)初めて
可能であると言われました。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第2章 創造原理
「科学の完成は、霊界の協助を受けて初めて可能になる」

わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集しました
さらに括弧書きで注釈を加えたり、
プライバシーに関わる部分は省略等することがあります
文責:ten1ko2


自然科学、宇宙科学
ともに興味が尽きないですよね。。。

発明や発見というものは、
時代的恩恵により、
霊界からの協助で、なされるのだと思います。

また、「UFOは天使である」
衝撃的ですが、とても核心を突いた
み言ではないでしょうか。。。

霊界は広大無辺なところであり、
思ったところに、瞬時に行けるのです。

天使は霊的な存在です。
羽が生えていて、空も飛び旋回し、
光のよりも早く動いたり、消えたり、
大きくなったり小さくなったり、
自在にできるのだと考えられます。

UFOは天使、私は
とても納得いきました。

いずれにせよ、
霊人体の成長と完成、
これを目指すべきだ。
改めて思わされています。



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posted by ten1ko2 at 09:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 史吉子先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする