2023年11月04日

「神様、知恵をください」と切実に祈り続けると・・・ある日、啓示が 《史吉子先生・原理に関するみ言の証》



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久々ですが、史吉子(サ キルジャ)先生の
「原理に関するみ言の証」からの紹介。
今回は、「先ず、神様の完全な
対象になるために努力しなさい」です。

先ず、神様の完全な対象になるために努力しなさい

お父様は、誰もが霊的な体験を
しなければならないとおっしゃいました。

私は教会に初めて入って来た時は、よく夢を見ました。
霊界で私が考えていることが正しければ正しく、
悪ければ悪いと、一々教えてくれました。
お父様は、これは先祖の協助だとおっしゃいました。

私は驚くべき体験も、たくさんしました。
以前と違って、 今は霊感がとても発達しました。
そして、いつも私の意識の中に
お父様とお母様がいらっしゃいます。

勿論、父母様を近くで待って
父母様と情が近くなってそうかも知れませんが、
私自身の意識の中にいつも父母様がいらっしゃいます。

日常生活をする時は勿論のこと、
食事をする時もお父様とお母様に侍り、
無言の会話をしています。
そうすると霊感が敏感になって来て、
全てのことを詳しく教えてくれます。


私がアメリカにいる時にテキサスの教区長をしましたが、
お父様がダンベリーに行かれた後、突然呼び出されて、
お母様に待って11ヶ月間を暮らしました。

ところで、 私は勉強は得意ですが、
場の空気を読めない所があります。
機転が利かないと言うか、私は誰かがある事実を話せば、
それを分析する性格があります。

それで幾何学のようなものは得意で、
勉強においては誰にも負けたことがないのに、
処世術がちょっと足りないようです。

ある時、食口たちがお母様を囲んで座っており、
お母様がお話しておられましたが、
お母様が急に、「吉子はまだ笑っていない」と言われ、
今だに会話の意味がわからないでいると、
私をからかいました。

実は私も気持ちが良くなかったのですが、
なぜかすぐに理解ができませんでした。

その時、お母様は、
「あなたは神様に「知恵をください』と、
このように祈祷してお願いしなさい」と言われました。
それ程に私が機転が利かないとおっしゃったのです。


実はその時、私はたくさん祈祷をしていました。
お母様はお部屋で祈祷され、
私たちは以前に父母様が祈られた
イーストガーデンの丘にある聖地で、
毎日夜12時から2時までの2時間の間、
お父様が出監するまで徹夜祈祷をしました。

私たちは草創期に教会に入って来た時、
祈祷によって入って来たのではなく、
原理を聞いて入って来た知性人なので、
霊通をする人々とは少し異なっていました。

しかし、お母様が祈りなさい
とおっしゃったので、熱心に祈りました。

最初に、「知恵をください!」と祈祷をしても、
応答がありませんでした。

私はそれでも祈る度に、先ずお父様がダンベリーから
無事に出られるようにしてくださいと、
公的な祈祷をした後に、
「天のお父様! お母様が私が気が利かなくて、
知恵が足りないとおっしゃるので、 私に知恵をください」
と言いながら、 純真に祈祷をしました。

暫くこのように祈祷をして感じたことは、
神様が、「本当に、馬鹿々々しい祈祷もするもんだ」
と言われているようでした。

それでも決めた以上は頑固に何ヵ月間、
赤ちゃんが母親のスカートの裾を掴んでねだるように、
同じ祈祷を続けました。

すると神様から、「全く同じなことをしきりに言う。
うんざりだ。 煩わしい」と心に感じて、
結局は神様が回答をくださると言う確信をすることができました。

それでまた、「天のお父様!ところで、お母様が
私を見て気が利かないとおっしゃいます。
どうか知恵をください」と言いながら、
馬鹿みたいに祈祷をしました。


そうしたところ、ある日に応答がありました。

私たちが祈ったニューヨークのその聖地がどんなに寒いか、
服を厚ぼったく着込んで完全武装をしても、ぶるぶると震えます。
ニューヨークの風が全て私たちの体の中に
吹き込んで来るようだったし、足まで完全に冷え切りました。

こんなに寒い気候なのに、その日は神様の霊が共にあられたので、
全然寒さを感じませんでした。
まるで春の天気のように、
ぽかぽかとして暖かかったのです。

露のようでもあり、 霧のようでもある、
恍惚なある何かが私を柔らかくくるむ状態で、
声無き啓示が下りました。

神様は、「あなたが今まで私に祈りながら
与えてくれと言った知恵は、
あなたによって生ずるのではなく、
あなたが完全な私の対象になれば、
主体である私からあなたに全て行くようになっている。
私のものがあなたのものになり、
あなたのものが私のものになる」とおっしゃいました。

すなわち、知恵を得ることが重要ではなく、
私が神様の完全な対象になることが、
何より重要だと言われました。
神様からそんな恵み深く、実感のある啓示が下りました。

史吉子/ 著
「原理に関するみ言の証」
再編集 文責:ten1ko2


史吉子先生は、とても優秀な方でしたが、
それだからこその悩み、というものがあるのだと思いました。

それにしても、徹底的に祈られる史先生。。。
お母様から課題を指摘され、
解決したいと必死の思いだったのでしょう。

神様はちゃんと回答を与えてくださいました。

「求めよさらば与えられん」
史先生の姿を通して、
そのようなことを思わされました。





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2023年06月14日

人間は小宇宙*人体構造から、人類と宇宙の謎を解いた文先生 《史吉子先生・原理に関するみ言の証》



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史吉子(サ キルジャ)先生の
「原理に関するみ言の証」より
今回は、『終末論と人体構造』です。


原理講論の終末論を見れば、
天国は人間一人の姿と同じだと言う話があります。

お父様が霊界に行ってみられましたが、
神様がたとえ形は無かったとしても、
神様にお会いする中で悟られたことは何かと言うと、
神様は人間の姿で現れると言うことです。

それ故に、人間ほど完璧な真理体は無いのです。

人体の構造に対する無限な価値と内容がわかるお父様は、
ご自身の思考の根拠が人体にあるとおっしゃいます。
お父様は、そんなお話をよくされます。


そして、 聖書も神様のみ言なので、
人の体に似せて書かれたと言うことを
発見されたそうです。

すなわち、 聖書はどこが頭の部分で、
どこが胴体であり、 どこが腕や足であるか
と言うことを一気に悟られたと、おっしゃいました。
それで、 聖書が一気に解けたと言われました。


世の中の神学者たちは、 まだ聖書を全体的に知らず、
部分的にのみ理解していいます。

これは、まるで盲人が象を触っているようなもので、
ある人は鼻を触ってみて、
「象は大きな蛇のようだ。」と言い、
ある人は足を触ってから、
「象は柱みたいだ。」 と言い、
お腹を触った人は、「象は壁のようだ。」
と言っているようなものです。

神学者たちが聖書に関して争うのは、
このような理由のためです。


しかし、お父様は人体が完璧な真理であることを知って、
神様を探し求める時にも、この人体を利用したそうです。

お父様は人の顔を見た時、一番不思議な所が瞳だそうです。
そして人の全身を見る時、
頭は神様を象徴し、 胴体は人を象徴し、
腕と足は万物を象徴するとおっしゃいます。

顔全体を見る時、二つの瞳は
二性性相、すなわち、神様を象徴するのです。

皆さんも人を見る時、一番先にどこを見ますか?
大部分の人は、目を見ます。

お父様は目がその狭い空間で
自由自在にくるくる回るのを見ると、
本当に不思議だと言われました。

お父様は顔だけをじっくり見る時、
目は神様を象徴し、鼻は人間を象徴して、
口は万物を象徴するとおっしゃいました。


このようにお父様の全ての思考の根拠は、
人体構造にあります。
体の無い神様が現れるならば、
必ず人体構造として現れるそうです。

それでお父様は、事業体も人体の構造に従って、
何を先にしなければならないかを決められます。

統一産業を最初に始める時、
「統一産業は、人体において
脊椎のような基幹産業」 だと言われました。

お父様が一番最初に精誠を込めて始めた事業が、
各種機械を作る基幹産業でした。

人体と同様に、産業も脊椎がよく備わっていると、
次に小さな骨が精巧に付いて、
全体的に均衡が整った人体構造になるとのことです。

お父様はこのように事業をなさる時も、
人体構造を型取ってされるのです。


授受作用でも出て来ますが、
私たちは食べ物を食べて排泄がよくできて、
新陳代謝が円滑に成り立たなければならないように、
事業もこのような道理に従って遂行すると、
更に発展するのです。

お父様は事業も訳も無くなさるのではなく、
このように人体構造を参考にしてなさる
と言うことを私たちが悟らなければなりません。


そして、お父様が最後にしなければならない事業は、
海運業だと言われました。

人体の構成が形成されれば
血液が循環して新陳代謝がなされ、
新陳代謝がなされると人体が健康になります。

海運業は血液が循環するのと
同じ事業だと言われました。

お父様は大きい船を作って、
こちらの国の特産物をあちらの国に積んで行って販売し、
その国の特産物をこの国に積んで来て販売し、
また、 たくさんの人を招待して船で宿泊をさせながら、
教育もしなければならないとおっしゃいました。

史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
再編集 文責:ten1ko2


お父様の物事を見る観点というのは、
改めて、すごいな、と感じます。

人間の人体構造で神様を見ていかれます。

また、事業を見ていく
物事を進めていくにも
原理的、秩序的になされるのだな、と思います。

史吉子先生は、原理講論には、
「天国は人間一人の姿と同じ」
と記述されていると言われています。

しかし、さらに言えば、
天国は、一人では行けない所であり、
「夫婦が一つになった姿」
というのが真実の中の真実です。

お父様は、このことをご存じだったでしょうが、
摂理的事情もあり、原理講論には、
このように書かれたのだと思います。




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2023年06月05日

終末には人類が滅亡、するわけではない?! 《史吉子先生・原理に関するみ言の証》



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≪ノアの時も終末だった≫


史吉子(サ キルジャ)先生の
「原理に関するみ言の証」より
今回は、『終末の現象と意義』の前編です。


私たちのみ旨を知らない人々は、
終末には地が割れて
空から火が落ちるなどの現象が起こり、
人類が滅亡する時と言いながら、
終末をとても絶望的に見ています。

しかし、原理がわかる私たちは、
この終末をサタンの主権が完全に亡びて
神様の主権が現れ、
地上天国と天上天国が出発する、
本当に良い時であると見ています。


メシヤが来られるこの時は、
サタンの主権が完全に滅亡する時であるので、
その罪の根が全て現れる時です。

今はまた、 最高の悪人も生きているし、
メシヤについて行きながら神様の主権を
立てるために善良に生きようと
努力する人々も、入り混じっている時です。

それ故に、一見して誰が善人で、
誰が悪人なのかわからないし、
言葉に表現できない混乱の時代であります。


どうして今が混乱しているのかと言うと、
復帰摂理 (救いの摂理)は再創造摂理なので、
メシヤが再臨して堕落したこの世をもう一度、
再創造するはずですが、

神様が被造世界を創造する時、空虚で混沌する中で
秩序を立てながら創造なされたように、
メシヤも混乱の中で
再創造しなければならないからです。


今は行く方向性がわからなくて、さ迷う時です。

特にエデンの園で青少年が堕落したので、
青少年たちの犯罪が、想像もできないことが
たくさん起っており、
たくさんの人々が苦悩していますが、

私たちはありがたいことにも、
メシヤに誰よりも先に待ってついて行くので、
悪に傾いて行く心配が無い、
本当に真に幸せな者たちです。

終末には様々な徴兆がありますが、
終末の徴兆に関する全てのことは原理を通じて、
あるいはお父様のみ言を通して、
よく学んだことでしょう。

問題は、終末に起きる現象の
意味を知ることが重要です。


お父様をこの地に誕生させるために、
歴史的に韓国の先祖たちは、
言葉にできない蕩減の苦難路程を歩んで来ました。

私も日帝強制占領期間と
共産主義時代を生きながら、
「私たちの先祖は何の罪が多くて、そうなのか。
馬鹿なのでそうなのか。」

と、 とても悩みながらその時代を生きて来ましたが、
知ってみると、これは主をこの地に
誕生させるための民族的な苦難でした。

今の時代では、真の父母様の家門に
おびただしい蕩減を受けてきたことを、
私が既にお話ししたと思います。

史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
再編集 文責:ten1ko2


原理講論では、終末とは、「サタン主権の罪悪世界が、
神主権の創造理想世界に転換される時代」とあります。

終末は、終わりではなく、
希望と喜びの時、なのです。

しかし、終末を迎えていながらも、
いまだに、目に見える形で、
その現象が表れているでしょうか。
残念ながら、そうとも言えない気もします。

神様は、復帰摂理の段階では、
直接主管することはできません。

人間の責任分担の結果により、
主管される「原理結果主管」をせざるを得ないのです。

ですから、私たちがどのような歩みをするかにより、
神様が主管なさるわけです。

今も、地上天国が実現できないのではなく、
私たちの歩みが問われている時なのだと思います。


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