2025年01月11日

「前に経験した」ではなく、常にあらゆる人から学ぶ 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「学ぶ姿勢を失うな」です。


理解したもので指導しようとすると、自分は発展できないのです。
指導者になって、だんだんと発展できなくなるのです。

なぜかというと、自分が指導者だと思っているからです。
伝道者だと思っているからです。

「伝道者は人を指導するのだ」という立場に立つと、
結局自分は、その型にはまってしまうのです。

あらゆる人から学ぼうとすること、
学ぼうとする態度がいつも大事です。

指導者は、学ぼうとする欲望をもっていれば、
その人に必要なものが分かるのです。

「何を教えよう。どういう原理を教えよう」、
こう考えると、自分というものが問題になるから、
いくら信仰生活を何十年やっても、
「新しい人にも学びたい」となるのです。

「どういう経験も、私はもうした。もうああいう経験は済んだ」と。
そういう過去のことによって、現在を貴重に思わないと、
結局、固まった欠点のある人になるのです。

だから年を取った人で、「現在」を、
自分も過去に経験した「現在」と思う人は、そこが間違っているのです。

「現在」というものは、きのうではないのです。
だから、いくらきのう自分がこれを経験していても、
きょうの経験は、全部性質が違うのです。


イエス様は、自分を絶対視しながらも、人の事情に巻き込まれたのです。
自分を絶対視しながらも、かわいそうな人には、
主管され、共に泣いた、そういうところがあるのです。

そこがイエス様の違うところです。

私たちは、絶対視すると愛情が流れないのです。
「原理」が思想に固まってしまうのです。

「原理」を消化した自然人間(本然たる人間)になるようにと、
人間を正常化する目的なのに、「原理」という
理念にとらわれてしまっているのです。

そうなると、結局一つの思想家になって、
豊富な人間性をもった人間同士の関係が崩れ、孤立しやすいのです。

私は「原理」を悟ったと、悟ったそのものに主管されて、
結局、盲目になりやすい危険性が私たちにあるのです。

そういう面もあるということを知り、
私たちの霊的成長を中心として、考えてみなければならないのです。

2.個人と教会の発展のために
「学ぶ姿勢を失うな」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


み言を訓読して「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
ということわざを思い出しました。

健康な人は御飯が美味しいと感じる、と言います。
訓読するみ言も新鮮に感じ、おいしいと感じる、
私たちでありたい、と思います。

真のお父様は、ご自身の語られたみ言を
何回も何十回も、いや無限に訓読されても、
新鮮さを感じられていかれました。

日々、発展できる者になっていきたい、
そのように思わされました。

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posted by ten1ko2 at 22:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月09日

田中会長が最近、「あー、言われてしまった」と思ったこと 《家庭連合65周年》



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世界家庭最新号に、
田中会長のメッセージが掲載されています。

「愛天・愛人・愛国の道を生涯貫いていこう」
一部紹介します。

真のお母様と一つになっているか、
より問われる時代に

真のお父様のご聖和以降、真のお母様は、
先頭に立って神様の解放のために歩まれ、
その最終段階を勝利的に超えために
全力でみ旨に取り組んでいらっしゃいます。

神様を天の父母様として地上にお迎えする一日を5か月後に控え、
お母様の中で日に日に高まる緊張感と、
私たちの意識とのギャップを感じざるを得ません。

このギャップが、天の摂理を進めるに当たって、
最大の障壁になるのではと思うのです。

なぜなら、父母を迎えるのは子女の責任だからです。
迎える父母にふさわしい子女が、そこにいるのか。


家庭的父母を迎えるのなら、
家庭的レベルを勝利した子女がいなければなりません。

氏族的父母を迎えるのなら、氏族的ベルを勝利した子女、
国家的父母を迎えるのなら、国家的レベル
すなわち忠臣として勝利した子女、
世界的父母を迎えるのなら、聖人として勝利した子女、
そして、天宙的父母を迎えるのなら、
聖子として勝利した子女が必要なのです。

それゆえ、真のお母様のみ前に立つときは、
いつも、私はどのレベルでお母様と
向き合っているのだろうか」と自問しています。

お母様は人類の母であり、天宙の母です。
私たちは、天宙の母の心情と完全に一つとなった
子女のレベルを追い求めていくべきなのです。


先日、神日本の指導者たちが真のお母様にお会いしたとき、
お母様がみ言を語ってくださいました。
その一部を紹介します。

「摂理歴史、人類歷史六千年を経て、
真の父母によって、創造主・天の父母様の夢を
地上で成すことのできる環境圏をつくりました。

……人類は、平和な世界を願っています。
方法は一つです。

天の父母様に侍る運動、
真の父母に侍ることによってのみ、
人類が一つとなり、世界の平和が訪れるのです。

……日本の全国民に『日本が生きる道は真の父母、
独り娘・真の母と一つになることであり、
そうしてこそ日本に平和な未来が訪れる」
と伝えなければなりません」


真のお母様のメッセージは、常にシンプルです。
「私と一つになりなさい」この一言に尽きます。

お母様から「私と一つになりなさい」と言われた人が、
どのように受け止め、どのように
自分の中に落とし込んでいくのか。
これが、本当に問われる時代であると感じます。

二世圏と真のお母様との心情圏で
つくられつつある新しい文化


私たちは、真の父母様から頂いたみ言を通して、
「原理」や摂理の理解を深めてきました。
真の父母を受け入れてこそ、信仰の骨格が形成され、
み旨の勇士、戦士として立っていけるのだという感覚があります。
皆さんも、そのような指導を受けてきたでしょう。

現在、私たちは、韓国・清平で行われている
天心苑特別徹夜精誠で新しい文化が
生み出されているのを目の当たりにしています。

二世たちがたどりついている境地、
私たちの想像を超える領域において、
文化がつくられているのです。

私たち一世が長年、築くように願われていた文化、
それがすでに、二世圏と真のお母様との
心情圏においてつくられつつあります。

「原理」の理解もこれから、天のみ旨の実践経験ない、
そのような二世たちが、お母様の心情世界に
バーンと飛び込んでいっています。

この心情世界は、私たち自身が、
これまでに行ってきた訓練の次元を、
さらに高くして突入すべき領域です。


今年(2024年)の四月、神日本の指導者たちが
真のお母様にお会いしたとき、
お母様は、私たち指導者が、先頭を切って
日本に責任を持たなければならないと訴え、
指導者の在り方についても言及されました。

そして、「頑張るんだよ」と激励してくださいました。

その直後、衝撃が走りました。

真のお母様が、「でも、大丈夫です。
神トップガン、二世たちが、私と一つになり、
一本の針となって立っています。
あなたたちは、彼らと一つになればいいのだから!」
という内容を付け加えられたのです。

私は、”あー、言われてしまった“
という感覚を受けました。


真のお母様は、二世たちとの一体感に確信を持ち、
本気で語っていらっしゃいます。
そのことを、私たち一世は、
まだ受け止め切れていないのです。

お母様には、二世たちとの未来が確かに見えています。
「これで大丈夫だ」と確信できる一点があるのです。

二世たちは、これからさらに訓練を受け、
組織運営の力を身につけながら、
リーダーとして育っていくでしょう。
それは間違いありません。

その前にすでに、いちばん大事な「要」を、
真のお母様との関係でつかんでいるのです。

お母様と共にあるこの二世圏を、
私たちはしっかりと見詰めていかなければなりません。


もう一つ、二世たちの証しを通して驚くことがあります。

私には、『自分はこうやって牧会してきた』
という過去の経験値があります。
皆様もそうではないでしょうか。

そのため、課題や葛藤が生じたときは、
それを基にアドバイスを考えます。

二世たちの越え方は、その範疇を超えています。
全く違う次元で乗り越えているのです。

再編集 文責:ten1ko2


二世の心情基準に希望と確信を持たれているお母様。。。
本当に素晴らしいことですし、
逆に言えば、一世たちの不足さを感じる一言でもあります。

二世としての聖さ、純粋さが、
そのごとくに表れているのだと思います。

二世たちを通して、神様、父母様に連結する、
そういう時を迎えていることに感謝いたします。


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2025年01月01日

13年ぶりに変わった年頭標語 TMと迎えた乙巳の新年は・・・ 



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あけましておめでとうございます

今年の年明けは、年末のカウントダウンから
真のお母様(韓鶴子総裁)とともに、
全世界がネットで繋がった中で
迎えることができました。

元旦午前零時に語られた
お母様の年頭標語とみ言です。


2025年 元旦の真のお母様のみ言

「創造主天の父母様を
実体として迎え暮らす天一国13年、
全世界祝福家庭たちは
真の父母とひとつとなった選民として、
責任を果たす天一国の真の子女となろう」

これが、乙巳(きのとみ)年から
代々に続いていく元旦のみ言です。

全世界の祝福家庭と、ここに集まった皆さん、
皆幸福ですね。

乙巳年を迎えて、過去120年前の
痛みを私たちは知っています。

聖書においてサタンを蛇と象徴しました。
しかし、一方では知恵のある動物だと言われます。

統一家の全祝福家庭たちは、天の摂理の
人類歴史6000年ぶりに真の父母を通して、
実体として天の父母様を地上に迎えることのできる
天一国の天の大きな恩恵であります。

感謝しなければなりません。
責任を果たさなければなりません。

ですので、この国に、この国の民たちから
政治家から、選民であることを教育して、

神聖なる民主主義は天の父母様をお迎えして
人類一家族、全ての国々が天の父母様の前に
兄弟の国となるので、戦いが
あり得るのでしょうか、あり得ないのでしょうか。

今まで人類歴史は堕落して
戦争と葛藤、宗教間の葛藤で
一日も平和な日がありませんでした。

しかし、勝利した真の父母を通して
新しい歴史が出発してから
13年を迎えるようになります。

真の父母の責任は、地上において
天の父母様の夢、創造の理想、
地上天国を成して差し上げることにおいて、
真の父母は数多くの祝福家庭を
全世界的に誕生させて、

彼らを通した二代三代圏、
全世界に広がっているピュア・ウォーター、
子女達によって、一滴の水が集まり
川を成し海に出ていくように、私たちの未来は
とても栄光のままに光り輝くでしょう。

皆さんの精誠と実践が今日、
天の父母様が喜んで受けることができる
恩恵と感謝の幸福な日となることを願います。



昨夜20時から行われた
「天苑宮天一聖殿入宮勝利のための
韓民族選民救国元旦世界祈祷会」

第3部に真のお母様が登壇されました。

当初は「責任」という言葉はなかったのですが、
み言を語られている時に、
追加するように指示がありました。

天一国13年を迎えて、
今まで12年間続いていた年頭標語が変わりました。

天苑宮・天一国入宮に向かう、
新しい時代の始まりを想起するものとなりました。

本年もよろしくお願いいたします。


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