知人からある祝福二世の
証しを聞きました。
少しアレンジして紹介します。
☆
彼女は母一人、子一人、父も兄弟もいません。
その子が3歳の時、
お父さんがいないことに気づきました。
「ねえママ、パパはどこ?」
お母さんは答えました。
「パパはね、遠いところで働いているのよ」
「そうなんだ、遠いところか・・・」
お父さんがいない寂しさを
遠いところにいるということで
心の穴を埋めざるを得ませんでした。
その時から、その子は
お父さんのことは何も言わなくなりました。
☆
遠くで働いているお父さん・・・
そう信じていたのですが、
小学校6年生のとき、お母さんに言われました。
「お父さんのことなんだけど、
もう一緒に暮らせなくなったんだ・・・」
その子はびっくりしました。
一緒に暮らせないなんて・・・
その思いを抱えながら、ずっと過ごしました。
☆
そして、中学3年生のとき、
神様に祈りを捧げました。
「教会では真の家庭、
幸せな家庭と言っています。
しかし、うちは違うと思います。
お父さんのいない家庭なんです。
神様、私の家庭だけ、
何で、こんなに不幸なのですか」
お父さんのことを祈り、
自分の気持ちを祈ったのは、
この時が初めてだったといいます。
☆
その時、神様がその祈りを聞いて、
自分と共に泣いていることを感じました。
神様が私を思って、
泣いてくださっている・・・
その時に、自分のために流した涙が、
神様を思う涙に変わりました。
神様は私のことを愛してくださっていたんだ、
今まで、私のことを愛し、
見守ってくださっていた・・・
今まで神様なんていないと思っていたけれど、
神様はいつも私と共にいて、
悲しみ、苦しんでおられたんだ・・・
そして、私が悲しんでいる以上に、
神様が悲しんでおられたんだ。
だから、神様に心配をかけないように
これからは、頑張っていこう。
少し気持ちが変わってきました。
☆
そして、後年、驚くべき事実を知りました。
父親の本当のことを初めて知りました。
実は、お父さんは、彼女が3歳の時、
拉致監禁を受けて、教会を脱会しました。
そして、そのまま奥さんと娘を置いて、
去っていったのです。
彼女は衝撃を受けました。
お父さんが、拉致監禁されて、
統一教会を辞め、
それでうちから出て行ったなんて・・・
最初は受け入れることが出来ませんでした。
☆
しかし、そんなお父さんに対して、
愛せない、許せない思いを乗り越えることのできる
きっかけがありました。
真のお父様の詩、「栄光の王冠」を
知ったのです。
たとえ だまされたとしても
信じなければなりません。
たとえ 裏切られたとしても
赦さなければなりません。
憎む者までも ことごとく愛してください。 (下に全文掲載)
真のお父様は、不条理な思いを
全て乗り越えてこられました。
ご自身には何の罪もないにも関わらず、
自分を攻撃し、迫害するものに対し、
許し、愛してこられました。
憎まれても憎まず、
恨まれても恨まない、
そんな、お父様のようになりたい、
心からそう思いました。
☆
そして、真のお父様のことを思うと、
実のお父さんに対する思いが
なくなっていきました。
また、お母さんは今まで彼女に
本当のことを言いませんでしたが、
ずっと一人で忍耐して、
私を愛してきてくれた・・・
お母さんが彼女を愛し続けたのは、
背後に真の父母様の存在があったからです。
お母さんは、真の父母様を慕い続けたからこそ、
試練を乗り越えてきたんだろうと思います。
しかし、お父さんはいないけれど、
真のお父様がいます。
お母さんを支え続けた、
お父様、お母様、
真の父母様がいてくださいます。
母一人子一人の家庭ですが、
二人だけではありません。
真の父母様を求めて、信じていきたい。
そして、真の父様が愛する兄弟姉妹たちとともに
歩めることを感謝して、頑張っていきたいと、
彼女は決意しています。
☆
文責:ten1ko2
実は、これは、10年以上前に紹介した証しです。
この証しの2世もきっと
成長して立派な大人になっていることでしょう。
拉致監禁によって、
このように家族が分断されるケースもあります。
一度は神様と父母様を信じ、
祝福を受けながらも、
拉致監禁によって、
家庭を破綻させることを選ばせる
反対派たちがいます。
神様は、そんな犠牲になった家庭の
一人ひとりも見つめられながら、
涙を流しておられるのでしょう。
今、宗教2世について問題視される中にあって、
ほとんどクローズアップされない、
拉致監禁・強制改宗の被害によって
このように犠牲となる家庭、
子どもたちがいることを知ってほしいです。
拉致監禁の被害は、過去4300件を越えますが、
このような悲惨な事件がもうこれ以上
繰り返されることがないように、また
拉致監禁後、めちゃくちゃになった家族の関係に
苦しむ兄弟姉妹たちのためにも
どうか、祈りを寄せていきましょう。
「栄光の王冠」
Crown of Glory
Crown of Glory
私が人を疑う時 私は苦痛を感じます。
私が人を審判する時 私は耐えられなくなります。
私が人を憎むと時
私は存在価値を失ってしまいます。
しかし もし信じれば
私はだまされてしまいます。
今宵 私は手のひらに頭を埋め
苦痛と悲しみに震えています。
私が間違っているのでしょうか。
そうです。私が間違っているのです。
たとえ だまされたとしても
信じなければなりません。
たとえ 裏切られたとしても
赦さなければなりません。
憎む者までも ことごとく愛してください。
涙を拭いて 微笑みで迎えてください。
人をだますことしか知らぬ者たちを
裏切りながらも
悔い改めのできない者たちまでも・・・。
おお主よ! 愛するという痛みよ!
私のこの苦痛を御覧ください!
熱きこの胸に 主のみ手を当ててください!
私の心臓は 深き苦悩ゆえに
張り裂けんばかりです。
しかし 裏切った者たちを愛した時
私は勝利を勝ち取りました。
もし あなたも 私のように愛するならば
私はあなたに 「栄光の王冠」をお捧げします。
(Rev. Sun Myung Moon 1935年、満15歳)
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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