2011年07月31日

そして、夫は還ってきました〜被害者の妻から見た拉致監禁12


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11の続きです。

ヨーロッパの責任者(大陸会長)に夫の拉致監禁を直接報告することができてから、
全てが変わってきました。
霊的な壁を突破できたような感じでした。

首都から、任地の地方に戻り、私たちは新しいリーダーを迎えました。
彼は日本人を奥さんに持つ英国人で、再び英国に呼び戻されるまでの間、
私たちはとても有意義な日々を過ごすことができました。
人事されて来てすぐに、
彼が夫の拉致監禁の詳細を話してみるように言ってくれた時は、
とてもありがたく感じました。
それまでが嘘のように自然に、メンバーたちで、毎日祈ってくれるようになったことも。

その頃、夫は偽装脱会をし、拉致監禁は解かれ、
(反対派の)教会からの教育を受けていました。
もちろん、行動が自由になったわけではありませんが、
監禁状態とは違います。
そして、自由時間が持てたすきに、
所属していた(統一教会の)教会に連絡を入れることができました。

その内容を知らせる電話を私が受けた時、みんなが喜んでくれました。
夫は車で迎えにいく約束をして、反対派の教会から逃げてくる手筈になりました。
その時間に私たちはメンバー全員でずっと導かれるように祈りました。
結果として、夫は無事に教会に戻ることができました。

あの頃、悲壮な思いで必死に毎日祈りながら歩み続けたことを思い出すと、
自分自身でも健気に思えるほどです。
恥も外聞もなく、食口の知り合いにはみんな知らせて祈ってもらったり、
国の責任者に手紙を書いたり、ヨーロッパ会長に直に報告したり、
断食をしたり、できることは全てしました。

そして、後で聞いてみると、霊的には私と夫は共に歩んでいたかのように、
見えない大きな壁を越えたタイミングが同じでした。
神様に深く感謝すると同時に、
私は不遜にも、内心、彼が助かったのは自分の勝利だと思っていたくらいです。

夫の拉致監禁という危機の時には、自分を褒められるくらい頑張れたことを思い出しながら、
あの時のように真剣に、精誠を尽くして歩むならば、怖いもの知らずだと思います。
あれは火事場の馬鹿力だったようですが…(笑)。

今でも、もしかして(彼が還って来れなかったら…)と考えると感謝しかありません。
夫の拉致監禁前に文先生が夢に現れて、
「信じ合っていくんだね」と言ってくださった、
それが彼の監禁中の、私の心の支えでした。
そういう霊的な支えがあったとしても、
それでもどうなったかわからないくらい、
反対派の拉致監禁での強制改宗の手口は半端なものではありません。
還って来てくれたことは、奇跡的なことと言ってもいいでしょう。

私たち家庭が存在すること自体、なかったかもしれないのですから、
そこに戻ると何もかもが感謝です。
そして、あれから15年以上もたって、
4人もの子女を与えて頂いたことは、
やはり、神様からのプレゼントとしか思えません。

今、この時にこのブログを通して、
この体験を発表できる日が来るとは思っていもいませんでした。
なぜかブログ村で1位になっていることは、
これも私たちの力ではありません。
神様と、御父母様(文先生ご夫妻)のことを証すことが、このブログの目的です。
そして、統一教会の真実を
少しでも教会外の人たちに知ってもらえればと思うのです。
今のところは教会員の方々の支持を多く頂いていると思うのですが、
読んでくださっている方々、本当にありがとうございます。

これからも、日本中で、また世界のあちこちで、
神様のために歩んでいる人たちに、私たちが知り得る情報を、
お伝えしていきたいと思います。

今、私たちの人生の中で、一番精誠を捧げる時かと思います。
頑張っている方々に、あの時私たち夫婦にも働いた神様が
きっと守って導いてくれることを信じています。
健闘をお祈りいたします。


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2011年03月03日

〜宇佐美さんへの応援メッセージ〜被害者の妻から見た拉致監禁11


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「復活したイエスの顕現」Alexander Ivanov


◇今日は妻が宇佐美さんにエールを送ります◇


宇佐美さんのことを知った時、「このような人がいたんだ。」と思いました。
まさに、天が準備した人だと感じるのです。

今、中東や北アフリカを中心に民主化のデモの渦が起こっています。今まで圧政に抑圧されていた民衆が立ち上がり、止められない勢いになっています。
60年毎の年回りでは辛卯の年を迎えていますが、今までは当たり前だった世界から一転、まるで枯死したようなところを突き破るように新しい命が表れる、革命の年ということになるでしょうか。(ちなみに60年前は日米安全保障条約が調印されて、日本が戦後から復興していく契機となる年でした。)

世界の中で最も抑圧されているのが北朝鮮の人々でしょう。しかし、北朝鮮の惨状以上に知られていないのは、私たち統一教会の食口です。
拉致監禁され、強制改宗を受ける立場というのは、どれだけ抑圧されているでしょうか。

宇佐美さんの立場というのは、別の意味で拉致監禁にも相当するような辛い立場だと思います。
しかし、何よりもはっきりしているのは、彼に一点も非がないということです。

本部も婚約者kさんの救出をあきらめ、手を引いたというのです。それなのにあきらめることなく、彼は単独で探し続けたといいます。
絶対にあきらめない姿を誰よりも好まれるのは神様です。きっと背後で神が支援しているに違いありません。
昨日の記事で、柳寛順の名前が出ていましたが、独立を勝ち取るために立ち上がった柳寛順が、確かに宇佐美さんを霊的に協助しているに違いありません。

私も被害者の妻の立場ですが、宇佐美さんには頭が下がる思いです。
彼のようにあきらめない不屈の心を持ち続けることは、とても大切だし、それ以外にないと思います。
宇佐美さんは拉致監禁の別の意味での被害者であって、被害者家族の代表ともいえるでしょうか。

あきらめなければ、サタンの尻尾を必ず捉えられるし、彼自身は屈しないでいけばいいのであって、やましいところがない限り、怖いものはない、と思います。



さて、今回、宇佐美さんの相手であったkさんが離れてしまったことは、悲しいことですし、とてもいい姉妹だった、いい方だと聞いているだけに残念ですが、そういうことはあるのだということを、私たちは知る必要があると思います。

宇佐美さんは彼女の真意を知るために一度だけ会ったそうですが、その時にきっと彼女が完全に変わってしまったと受け留めたのでしょう。

私たちは神様に愛される立場で霊的に守られているのですが、一旦その心を翻したら、さっと霊界が変わります。
小さいことでは、しょっちゅう何かに怒ってみたり、不満を爆発させたり、自分を失うことは私たちにはよくあることです。
そのような次元ではなく、神様とご父母様(文先生)を否定することは、天運を失うことで、今まで守られていた霊的なものが、さっとチェンジするのです。まさしく別人になります。悲しいけれど、それが事実です。

どんなにいい人だったとしても、それまで信仰的に歩んでいたとしても、チェンジするのです。
強制改宗による改宗もそうでしょうし、分派の思想に引っ張られていく場合もそうでしょう。

神様とご父母様のみ言葉通りに歩むことは時に難しいですが、心はしっかり合わせていかないといけないでしょう。神様に愛されている私たちであることを認識していきたいですね。


宇佐美さんにしても、後藤代表にしても、拉致監禁によって、幸福な家庭を営むはずだった期間を奪われてきました。
宇佐美さんは、何度も祝福を破棄せざるを得ない立場におかれました。早く、勝利して、そして今度こそ、もっとよい方と家庭を持たれることを、心から願っています。
後藤代表の家庭にも、お子さんが早く授かるように、もっと祈っていきたいですね。

正しい思いを貫いていけば、必ず壁を突き破ることのできる時です。
宇佐美さんの健闘を霊的に支え、援護していきましょう。

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2011年02月19日

被害者の妻から見た拉致監禁10 「続・中心に繋がらなければならない」


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被害者の妻から見た拉致監禁8 の続きです。

その時、私が所属していた国の責任者(ナショナルリーダー、以下Nリーダー)に手紙を書いたことまで、お話ししました。
必死の思いで手紙を書いたにも関わらす、Nリーダーからは何も反応はなく、首都にいる日本のメンバーに聞いても、主体者(夫)の拉致監禁の話は、メンバーたちの前で公に話されることもなかったようです。みんなでお祈りしてほしい、ただそんな思いだったのですが…。

私は相次ぐ断食で体は衰弱しているはずなのに、不思議な力で守られているように元気でした。
さて、7日断食が明けてみると、食べるものに困りました。お米とりんごはあるのですが…。お豆腐が食べたいと思いましたが、贅沢は言えません。私は断食明けの食事に気をつけるたちだったので、しばらくは重湯で過ごしたのではないかと思います。

明けてすぐに、首都に集まるように連絡が入りました。
私がいる地方からは、日本で言う鈍行のような古びた電車で行くのが通常でした。飛行機もあって日本人の感覚では安いという気もしますが、電車やバスなどの金額に比べると、考えられないくらい高かったのです。

一日電車に揺られて行きました。
電車は確か八人掛けで一つの部屋に仕切られているような感じでした。
日本人メンバーMさんと、現地の男性メンバーと3人で行きました。
食事は不自由でしたが、気の合う仲間との小旅行という感じで、楽しかったです。
彼は英語がそれほど得意ではなかったのですが、(私たちも上手ではありませんが)乗り合わせた現地の人たちが珍しそうに私たちを見て、日本人だというととても喜ぶので、簡単な通訳をしてくれました。

主体者が拉致監禁中だということで、私の気持ちはいつも何かが詰まったような、通常の状態ではなかったのですが、そんな触れあいの旅には、慰められました。

首都には、既にヨーロッパの会長と、東と西のリージョンの責任者(リージョナルリーダー、以下Rリーダー)が来られていました。東欧のRリーダーは数ヵ月に一度来られますが、ヨーロッパの会長が来られるのは、年1回あるかないかです。
全国からメンバーが集まりましたが、100人に満たなかったと思います。

私は、断食明けでしたから、心が少しハイになっていたのかもしれません。記念撮影する時、みんなを笑わせながら私がシャッターを押したことを覚えています。

メッセージの後、日本メンバーが呼ばれた際、その時の私たちの代表だった先輩のAさんが、私の夫が拉致監禁されていることを伝えてくれました。
Rリーダーは日本人でしたから、拉致監禁の情報にも通じていて、それをそのまま目の前で流暢な英語で会長の耳に入れてくださいました。
今まで、彼の拉致監禁について、関心を寄せてくれる人がいなかったのに、Rリーダーとヨーロッパ会長に伝わったことは、信じられないくらいの出来事だったのです。

日本では、祝福の相手が拉致監禁にあったといえば、教会の責任者は親身になって聞いてくれ、何かできることはしてくれるでしょうし、ただちに教会を挙げて祈ってくれるでしょう。そういう当たり前のことがようやくできたのです。

今まで感じていた厚い壁が取り除かれたような、そんな感覚でした。
みんなで祈ってほしい、ただそれだけの願いが叶い、そして、中心につながりたいという思いが果たされた時、どんなに心強く感じたかわかりません。

実は、ちょうどその時、本当に目に見えない壁が崩れ始めていたのです。

あれ以降、日本からは連絡はありませんでした。それは幸いだったかもしれません。
ちょうど同じ頃、彼は脱会届を出し、拉致監禁を解かれて、反対牧師の教会での生活に移行した時でした。

私は、中心につながったことを心の支えに、しばらく首都に滞在してから、地方の任地に戻りました。
私の環境も変わり始めていました。Nリーダーも考えてくれていたのでしょう。それまでのリーダーに替わり、新リーダーを私たちのために呼んでくださっていました。


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トップ画像はグイド・レーニ「聖母被昇天」