2014年03月01日

「神様、彼らをお許しください!」 解放前夜の祈りと、イエス様の血の祈り 〜私の拉致監禁体験記


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父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、
わからずにいるのです。


ルカ23章34節



拉致監禁されているときに
多くの人が味わうであろう心情について書きたいと思います。

イエス様の心情を一番ご存知なのは、
真のお父様なのだと思います。
お父様はイエス様が通過された心情の世界を
本当に深く味わってこられ、
そしてイエス様を解放してこられました。

次のみ言などにも聖書には書き記されていない
イエス様の深い思いを書き表されています。


十字架につけられるとき、イエス様は
手からしたたる血をごらんになるときに、
過去において立てられた条件を探ろうとされました。
それがイエス様の心情です。
そして、両手、両足、頭、脇腹から
血を流されながら、神様に祈られたのです。


歴史的な先祖の罪を赦してください。
神様に対して慕うことのできなかった、
ささげものをささげることができなかった、
私たちの先祖の身代わりとして受け取ってください。

そして私が、三十三歳の若さで死んでも、
神様のために果たし得たという条件を立たせてください。

それは、神様が今まで四千年間の歴史を通して
苦労してこられた、
その神様のご苦労が切られてしまうからであり、
また、自分の願いを全うしなければ、
自分の祈りに神様ご自身が応じられなければ、
今までの四千年間の神様ご自身のご苦労が
なくなってしまうからです。

ですから、今までの親としての神様のご苦労に対する
心情的つながりの基準を、
自分によって立たせてください



すべての先祖や、神様の心情、
自分の未来の心情の基準に立って天を見るときに、
ただ、ただ申し訳ない。
歴史を見るときに申し訳ない。
現在・未来に対して申し訳ない。
その立場において、憐れみのみ意を持たなければならない
神様ご自身であられるということを、
イエス様はよくご存じでした。


またその祈りは、

神よ彼らの罪を赦してください。
私は、今までの神様の苦労してこられた歴史を
残さなければなりません。

この基準において、サタンの讒訴条件をぶち壊して、
そして新しい第二の摂理における
歴史的勝利の基盤だけでも造らなければなりません


という真剣な祈りでした。


(「天宙に立つイエス様 1965年10月3日 日本・東京教会」より抜粋)



私は二度目の拉致監禁のとき、
(反対牧師の)キリスト教会で数日過ごしました。
牧師からも「彼は完全に脱会した」
そのように信頼されるようになり、
隙を見て、所属していた(UCの)教会に電話をしました。
そして、(UCの)教会のスタッフが翌日に
車で迎えにきてくれることになりました。

「夜中の〇時にここで落ち合おう」
もちろん、その日の夜は眠れませんでした。
私が泊まっていたのは、礼拝堂の上にあった荷物置き場でしたが、
眠ることも出来ないので、
礼拝堂で祈りを捧げることにしました。

その時に祈りながら出てきたのがまさに
「神様、彼らを許してください。
彼らは何をしているのかわからないのです」
という言葉でした。

もちろん、未熟で幼い者でありますから、
イエス様や、お父様の心情には、とても及びません。
それでも同じ気持ちにさせられたのでした。

牧師は当然、クリスチャンであり、
イエス様のみ言を熟知しているだけでなく、
当然、イエス様の精神を受け継いでいるはずです。

にも関わらず、彼らの取る行動というのは、
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」
というイエス様のみ言とは反対の行動を取っています。
私を含めて拉致監禁を受けた人たちは
一様に、複雑な思いを持つのです。
「寛容なキリスト教の精神はどうしたのだ」と。

しかし、私たちにおいては、あくまでも
ご父母様が率先していかれたがごとく、
罪を憎んで人を憎まず、
まさに恩讐を愛する心情をもたないと
乗り越えることができないと思います。

この前、一審で勝訴して
高裁に上告している後藤徹さんも
同じ心情だと思っています。

係争中なので、あまり書くことも出来ませんが、
ご家族を訴えることは簡単なことではありません。
また、牧師や反対活動家に対しても
個人的な彼らを憎む思いからしていることではありません。
された仕打ちは忘れられないけれど、個人的な思い以上に
二度と拉致監禁に関わって欲しくない、
そのような思いを持っているだろうし、
これを機会に、拉致監禁ということが
なくなって欲しい、その一念だと思います。

私の足りない祈りですが、
そのような思いにさせられたのは、
イエス様のお陰であり、
そのイエス様を解放してくださった
真のお父様ゆえであると思っています。

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2013年10月02日

離れてしまった「霊の親」へ 感謝します 祈っています…! (私の霊の親と霊の祖父の話)


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礼拝で説教を受ける前に、
祈祷する時間があるのですが、
その中で教会長が
「今日は霊の親のために祈りましょう。
もしその人が離れていたら、また帰ってこれるように、
祈りを捧げていきましょう」
そう話されました。

私も祈りを捧げましたが、
実際、霊の親は離れています。
もう20数年になるでしょうか。

私の霊の親は大学の同級生です。
もう少し詳しく説明すると
高校も同級生であり、
霊の親を導いた霊の親、
私からすれば霊のお祖父さん(霊の祖父)ですが、
彼もまた高校の同級生です。
3人、同じ高校から導かれたわけです。

大学3年生のときだったでしょうか。
私が学生部にあがって
まだ半年も経っていなかったと思います。
その頃の話です。


霊の祖父の父親は、共産党員でした。
ですから、息子が教会に入ったことがわかってから、
牧師を通して、すぐに拉致監禁をしました。
霊の祖父は、偽装脱会したのですが、
ここで、『踏み絵』の儀式 を通過しなければなりません。
すなわち、自分を紹介した人に連絡をしないといけませんでした。
霊の子の家に連絡をしました。
そして、霊の子(すなわち私の霊の親)もまた、
拉致監禁されてしまいました。

彼らは、同時期に同じ牧師に監禁されました。
そして、二人で会うことがあったといいます。

すでに二人とも『脱会』の意思を持っていたので、
牧師も会わせることにしたのでしょう。
しかし、霊の祖父は『偽装脱会』であり、
霊の親は、『脱会寸前』の立場でありました。

霊の祖父は、このとき、自分の立場を
はっきりと言うことが出来ませんでした。
私の霊の親が『偽装』ではない雰囲気があったので、
自分が『偽装』であることを伝えると、
それを牧師に言われた場合、
監禁が長期化する恐れがあったからです。

しかし、このことが私の霊の親が脱会する、
決定的な動機となってしまったのです。

「霊の親が離れたのだから、自分も離れよう」
おそらくこう思って、私の霊の親は脱会してしまいました。
そして、霊の祖父は、偽装脱会を通して、
教会に戻ってきたのです。

実際、その頃の気持ちを詳しくは聞いたことがないのですが、
霊の祖父は、自分を責め続けたことでしょう。
「自分があの時、教会を辞めていない気持ちを
彼に伝えていれば、彼は脱会しなかったかも知れない・・・」
無念な思いは持ち続けているでしょう。。。


これは本当に衝撃的な出来事です。
霊の親にしてみれば、
「裏切られた」
という思いもあったかも知れませんが、
霊の祖父からすると
偽装脱会がばれてしまったら、
今度はいつ脱出できるかわからない、
だから、彼も偽装脱会であることを
信じていくしかない、
そういうギリギリの選択だったと思います。

こういう傷を平気で負わせるのが、
いわゆる反対牧師なのです。

その当時、実は私の親にも連絡がいき、
私もやはり軟禁状態を経験しました。
その後も両親は反牧とつながり続け、
その後2度の拉致監禁へと導かれていったわけです。

学生の頃の事件で、霊の親は離れてしまい、
今は連絡が取れませんが、
親の地元である九州で就職したときは、
何度か連絡だけは取れました。
実際、PTSDにもならずに
元気に働いていました。

誰しも教会に導かれて来る時、
霊の親の精誠があって導かれてきます。
日々の精誠と祈りの中で、
私も伝道されたのです。

拉致監禁ということがなかったならば、
離れることはなかったかもしれない霊の親…。

霊の親の精誠がなければ、
私の霊の生命はなかった、
この場にいて、幸せな家庭は築けなかった、
そう思うと霊の親には感謝な気持ちでいっぱいです。

いつの日か
また戻ってくることを心から祈り、
また今も祈っています。

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お母様のみ言

統一教会を信じながらも、
ある時各自の事情によって出て行った人もいれば、
落ちていった人もいるけれど
みな変わりなく父母様は愛するというのです。



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2013年06月12日

「必ず道がある!」 絶望の中で得たみ言の光!! 〜私の拉致監禁体験記〜


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必ず道がある。見つけだしなさい。



自叙伝書写の証しを2回掲載しました。
み言の力は偉大であると皆さんも
感じられたと思います。

「絶望の中に、み言の力を感じる」
私自身もそんな経験をした一人です。

一度目の拉致監禁のことを
少しお話させていただきます。

拉致監禁を受けて、
親や兄弟の説得を受けるわけですが、
最終的には牧師が登場します。

まずは親がこう言ってきました。
「ここで伝道してみなさい。
教会の教えが良かったら、本当に教会に行くから」
これも常套手段です。

それで、結果的に
「あなたの話はよくわからないから、
専門の先生に来ていただいた方がいい」
そんな流れで牧師がやって来ました。
反対牧師としても
「親に頼まれてきた」
という逃げ道を作っているわけです。

牧師は聖書と原理講論を持ってきました。
聖書を用いて、原理の批判をするわけです。

私が監禁された場所は
ビジネスホテルの5階でした。
部屋の窓に鍵はかかっていましたが、
私でも開けることができました。

それで、原理講論に
「助けてください。監禁されています」
それと教会の住所を書いて、
夜中、家族が全員寝ているところに窓を開けて
原理講論を落としました。

翌日、それを拾ってくれた人がいました。
そして住所を書いた教会ではなく、
警察に届けたのです。

その日、刑事と警官が5人来ました。
「私は監禁されている、助けてくれ!」と叫びました。
これで助かる、そう思ったのです。

しかし、母の「統一教会なんです」
その一言で雰囲気が変わり
「親子で話し合ったらいいじゃないか」と、
そのまま帰ってしまったのです。

助かったと思っていたのに、
帰ってしまった・・・!
絶望のどん底に落ちるとはまさにこのことです。
本当に落ち込みました。

翌日、牧師は前の日のことを少し怒って、
そのあと落とした原理講論の
代わりの原理講論を持ってきました。
そこに書いてあったのが、
「必ず道がある。見つけだしなさい」
というみ言だったのです。

牧師からもらった原理講論ではありましたが、
私自身においては、
神様からいただいた励ましのメッセージとして受け止めました。

「必ず道があるんだ」
そう思って、力を得て、
最終的には偽装脱会をして、
また教会に戻ることが出来ました。

み言は本当に生命です。
私が切実に求めれば、
神様が与えてくださり、
私を正しい方向に導いてくださるのです。


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求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、
捜す者は見いだし、
門をたたく者はあけてもらえるからである。


(マタイによる福音書第七章7節〜8節)



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